猿蓑脚注

猿蓑集 巻之一


 
  猿蓑集 巻之一
 
 
   冬
 

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也     芭蕉

あれ聞けと時雨来る夜の鐘の聲    其角
<あれきけと しぐれくるよの かねのこえ>。時雨の降る夜半、「あの鐘の音を聞いて」と遠くの寺の打ち出す鐘の音を抱き合いながら聞く男女二人。

時雨きや並びかねたる魦ぶね     千那
<しぐれきや ならびかねたる いさざぶね>。突然やってきた時雨に慌てて、いさざを捕る船団の動きが乱れている。作者は遠くからこの情景を眺めているという大きな句になっている。<いさざ>は琵琶湖で捕れる小魚。 

幾人かしぐれかけぬく勢田の橋    丈艸
<いくたりか しぐれかけぬく せたのはし>。突然の時雨の襲来にあわてた何人かの人たちが瀬田の唐橋を大あわてで駆けていく。遠景の情景。

鑓持の猶振たつるしぐれ哉     膳所正秀
<やりもちの なおふりたつる しぐれかな>。大名行列に時雨がやってきた。先頭の槍持ちは一層高らかに天高く槍を振り上げる。芭蕉はこの句を正秀宛書簡で褒めている。

廣沢やひとり時雨るゝ沼太良     史邦
<ひろさわや ひとりしぐるる ぬまたろう>。広沢は歌枕で、嵯峨野の遍照寺山南麓の池。沼太良は鳥の名前でヒシクイの一種。大型の雁とも。広沢に時雨がやってきた。一羽の雁が濡れている。沼太良という人間的な名前に擬人化して「ひとり」といった。

舟人にぬかれて乗し時雨かな     尚白
<ふなびとに ぬかれてのりし しぐれかな>。船頭の巧みな言葉に載せられて舟に乗ったら時雨がやってきた。

伊賀の境に入て
なつかしや奈良の隣の一時雨     曾良
<なつかしや ならのとなりの ひとしぐれ>。奈良の隣は伊賀。伊賀にはなつかしい師匠芭蕉が居る。曾良は、「奥の細道」旅の後、伊勢長島から元禄2年10月7日に伊賀に滞在中の芭蕉を訪ねた。その折の道中の作。

時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり   凡兆
<しぐるるや くろきつむやの まどあかり>。「黒木」は京都大原辺りで産する燻製の生木。燃料用の薪として用いた。時雨の通る山里の民家。黒木が窓の下に高く積まれて、その窓から灯りが漏れている。

馬かりて竹田の里や行しぐれ    大津乙州
<うまかりて たけだのさとや ゆくしぐれ>。「竹田の里」は京都伏見。駄賃馬を借りて荷物を運んでいると、竹田の里を通過する時分に時雨が来た。

だまされし星の光や小夜時雨     羽紅
<だまされし ほしのひかりや さよしぐれ>。時雨は突如としてやってくる。床に入る前にはあんなに星が輝いていたというのに窓を打つ時雨の音。星にだまされたとしか言いようも無い。

新田に稗殻煙るしぐれ哉      膳所昌房
<しんでんに ひえがらけむる しぐれかな>。開墾したばかりの新しい畑に稗を耕作してそれを収穫したのであろう。ひえがらを燃やしているところへ時ならぬ時雨の襲来。煙がもうもうと地を這っている。

いそがしや沖の時雨の眞帆片帆    去来  
<いしがしや おきのしぐれの まほかたほ>。「真帆片帆」は、舟の帆を満帆にしたりたたんだりしている様。時雨が来て漁舟が慌てている様。この句については、去来抄に「去来曰、猿蓑は新風の始め、時雨は此集の美目なるに、此句し損ひ侍る。たヾ、有明や片帆にうけて一時雨といはば、いそがしやも眞帆もその内にこもりて、句の走りよく心の粘り少なからん。先師曰、沖の時雨といふも又一ふしにてよし。されど句ははるかに劣り侍ると也」と書いている。

はつ霜に行や北斗の星の前     伊賀百歳
<はつしもに ゆくやほくとの ほしのまえ>。初霜の降りた冬の早暁、北斗七星が地平低くかかるなか、私は旅立つ。

一いろも動く物なき霜夜かな     野水
<ひといろも うごくものなき しもよかな>。厳寒の霜の夜。動くものとて何一つ無い。極限的寒さを描いた句。

淀にて
はつしもに何とおよるぞ船の中    其角
<はつしもに なんとおよるぞ ふねのなか>。京都伏見にて詠んだ句。「およる」は「寝る」の尊敬語。淀川の三十石舟が大坂から上がってきた。初霜の降りる寒い朝。船中で人々はどう眠ったのかしら??

歸花それにもしかん莚切レ      
<かえりばな それにもしかん むしろぎれ>。「帰花」は返り咲きの花のこと。そんな花がちらほら咲いている小春日和の日。庭にむしろを敷いて花見としゃれこもうかしら。

禅寺の松の落葉や神無月       凡兆
<ぜんでらの まつのおちばや かんなづき>。初冬十月。掃き清められた禅寺の庭に松の落ち葉が落ちている。

百舌鳥のゐる野中の杭よ十月     嵐蘭
<もずのいる のなかのくいよ かんなづき>。初冬十月。野中に立っている一本の古い杭の先に百舌がとまって甲高い声で叫んでいる。

こがらしや頬腫痛む人の顔      芭蕉

砂よけや蜑のかたへの冬木立     凡兆
<すなよけや あまのかたえの ふゆこだち>。 「かたへ」は傍らの意。冬の漁師の家。激しく吹きつける砂嵐を避けようとて小屋の傍らの木立に筵をかけて砂よけとしている。

ならにて
棹鹿のかさなり臥る枯野かな    伊賀土芳
<さおしかの かさなりふせる かれのかな>。「さおしか」は要するに「鹿」のこと。晩秋の奈良の鹿たちは重なるように臥せって眠っている。芭蕉は、これらの句に対して半残宛書簡でほめた。

渋柿を眺めて通る十夜哉      膳所裾道
<しぶがきを ながめてとおる じゅうやかな>。陰暦10月10日の安居院の祭。この日には、人家では渋柿のあく抜きをする習慣があったという。この祭を十夜祭というが、夜店でこのあく抜きした渋柿を売っていたのである。

ちやのはなやほるゝ人なき霊聖女   越人
<ちゃのはなや ほるるひとなき れいしょうじょ>。「霊聖女」は霊照女<れいしょうじょ>が正しい。ある陰士の娘が禅に帰依し、その父を助けて生涯を送ったという中国唐の故事。一句は、茶の白い花が咲いている。その清楚な姿はあの中国の霊照女にも似て、まるで彼女に恋する人さえ居ないほど毅然と咲いている。

みのむしの茶の花ゆへに折れける  伊賀猿雖
<みのむしの ちゃのはなゆえに おられける>。茶の花があまりにきれいなので一枝折って花入れにさした。そこにとまっていた蓑虫も一緒に折られてしまった。

古寺の簀子も青し冬がまゑ      凡兆
<ふるでらの すのこもあおし ふゆがまえ>。風除けなど防寒に忙しい古寺の、スノコ縁の妙に新しいのが目に付く。不調和を面白がっている。

翁の堅田に閑居を聞て
雑水のなどころならば冬ごもり    其角
<ぞうすいの などころならば ふゆごもり>。「雑水」は「雑炊」のこと。「千鳥なく真野や堅田の菜雑水」(千那)がある。「などころ」は「名所」。其角にとって堅田は父の郷里で、元禄元年10月に千那の案内で堅田を訪れている。一句は、元禄3年のこと。芭蕉翁が堅田に冬籠りと風の頼りに聴いたが、あそこは温かい雑炊の名所だからさぞや暖かい冬を過ごしておられることであろう。ただし、芭蕉は元禄3年9月16日に堅田に行き、そこで風邪を引いて、25日には義仲寺に戻っていて冬ごもりにはなっていなかった。

この寒き杜丹のはなのまつ裸    伊賀車來
<このさむき ぼたんのはなの まっぱだか>。冬の真っ最中だというのに牡丹の花が鮮やかに咲いている。まさに真っ裸というにふさわしい姿形である。

草津
晦日も過行うばがいのこかな     尚白
<つごもりも すぎゆくうばが いのこかな>。元禄三年10月30日の作。この日は晦日で亥の日。近江の草津では「姥が餅」という餅が名物で、特にこの餅を十月の亥の日に食べると無病息災子孫繁栄といわれていたそうである。「いのこ」はその別名。

神迎水口だちか馬の鈴        珍碩
<かみむかえ みなぐちだちか うまのすず>。「神迎え」は10月の晦日の行事。神無月で出雲に集合していた神々が再び各所の神社に帰ってくる。神迎えの今朝早く鈴の音を響かせながら出発した駅馬は水口の宿場立ちなのであろう。

霜月朔旦
膳まはり外に物なし赤柏      伊賀良品
<ぜんまわり ほかにものなし あかがしわ>。霜月朔旦<しもつきさくたん>と読む。十一月朔日の朝のこと。この朝は、赤豆のごはんを炊いて食べる習わしがあった。一句は、その赤飯「赤柏」以外におかずになるものとて無いが何はともあれ、無病息災を願って赤飯を食べましょう、の意。

水無月の水を種にや水仙花   羽州坂田不玉
<みなづきの みずをたねにや すいせんか>。水仙がまだ寒いこの季節に瑞々しく咲いている。これは水無月のような水の無い季節にも水を吸って育ったためであろうか?

今は世をたのむけしきや冬の蜂   尾張旦藁
<いまはよを たのむけしきや ふゆのはち>。冬の寒さの中で、あの夏に威張っていた蜂もあわれによたよた歩いている。世間をあてにして、自らを恃む気概はもはや無い。上の水仙の句と好対照をなすように配列されている。

尾頭のこゝろもとなき海鼠哉     去来
<おかしらの こころもとなき なまこかな>。なまこの体を見てどっちが頭でどっちが尻尾かなど判断がつかない。去来の代表作。

一夜一夜さむき姿や釣干菜     伊賀探丸
<ひとよひとよ さむきすがたや つりほしな>。軒端に吊るされている干し菜が、だんだんに痩せてくる。それを見ているだけでも寒くなる。

みちばたに多賀の鳥井の寒さ哉    尚白
<みちばたに たがのとりいの さむさかな>。多賀大社は彦根市郊外滋賀県多賀町にある神社。現在では、名神高速多賀インター下車ですぐ。この神社の高い鳥居も琵琶湖から吹きつけてくる冬の風に耐えかねたように寒々として立っている。

茶湯とてつめたき日にも稽古哉   江戸亀翁
<ちゃのゆとて つめたきひにも けいこかな>。茶の湯という数寄もすごいもので、こんなに寒い寒中でも稽古稽古で明け暮れている。本気で感心しているのでもなさそう。

炭竈に手負の猪の倒れけり      凡兆
<すみがまに ておいのししの たおれけり>。「炭竃」は炭を焼くかまどのこと。漁師に撃たれた猪が山中を苦し紛れに駆け巡ってついに炭竃のところへやってきて倒れたというのである。なにも炭竃でなくてもよさそうなものだが、「炭竃」が題になっていたのだ。

住みつかぬ旅のこゝろや置火燵    芭蕉

寝ごゝろや火燵蒲團のさめぬ内    其角
<ねごころや こたつぶとんの さめぬうち>。コタツにかけていた布団を寝るときに使うというのはほかほかと暖かくて気持ちのよいものだ。ささやかだが至福の時でもある。この句を、膳所に居た芭蕉に送ったところ芭蕉が作ったのが上の「住みつかぬ旅のこゝろや置火燵」であったといわれている

門前の小家もあそぶ冬至哉      凡兆
<もんぜんの こいえもあそぶ とうじかな>。この時代、冬至の日というのは仕事をしてはいけない日とされていた。特に禅門では励行されたようである。これは、冬至は陽気が立つ日であるから、それを讃えてのことらしい。とすれば、ユダヤの過越しの祭と同じような意味があったことになる。こういう日は、禅寺の山門前の庶民の小家でも家族は仕事をせずに終日遊んでいるというのだが・・・

木免やおもひ切たる昼の面     尾張芥境
<みみづくや おもいきったる ひるのつら>。夜のミミヅクは実に精悍な顔をしている。しかし、昼間のそれは何とも思い切ったというか、想いに憂えているような間抜けな顔をしていることだ。

みゝづくは眠る處をさゝれけり   伊賀半残
<みみづくは ねむるところを さされけり>。夜の精悍さに比べて昼のボーっとしたところはさえないミミヅクのこと。昼ボケしているところを吹き矢に刺されてしまった。この句については半残宛芭蕉書簡で褒められた。

貧交
まじはりは紙子の切を譲りけり    丈艸
<まじわりは かみこのきれを ゆずりけり>。「貧交」という題から分かるように、杜甫のパロディーである。私の友人との交わりは、紙子の破れをつづる切れ端をやり取りするような貧しさだ。紙子は旅に携行する寝具。軽くて保温性があるので使用した。

浦風や巴をくづすむら鵆       曾良
<うらかぜや ともえをくずす むらちどり>。強い一陣の海風が吹いてきて、規則正しく巴状に輪を描いて飛んでいた千鳥たちの輪が乱れている。むら衛は千鳥の群れている状態をいう。「巴」は水の渦巻状の形。

あら礒やはしり馴たる友鵆      去来
<あらいそや はしりなれたる ともちどり>。ごつごつした磯で、波が迫ってくると、千鳥たちはよちよちとなれた調子で波をかいくぐる。「友衛」は仲の良いようにみえるつがいの千鳥など。

狼のあと蹈消すや濱千鳥       史邦
<おおかみの あとふみけすや はまちどり>。魚や海鳥の死骸をあさりに夜は狼がうろつく浜。昼になるとその足跡をかき消さんばかりに浜千鳥が群れている。

背戸口の入江にのぼる千鳥かな    丈艸
<せどぐちの いりえにのぼる ちどりかな>。海士の家の裏口は入り江に面している。そこへ入っていくように千鳥の群れが水に浮かんで寄せていく。漁村の風景。

いつ迄か雪にまぶれて鳴千鳥     千那
<いつまでか ゆきにまぶれて なくちどり>。しんしんと降る雪のなか、千鳥が夢中になって飛んでいる。いつまでもいつまでも飛んでいる。

矢田の野や浦のなぐれに鳴千鳥    凡兆
<やたののや うらのなぐれに なくちどり>。「矢田野」は、滋賀県湖北から敦賀にいたる越前の歌枕。雪の矢田野を道に迷った千鳥が不安そうに鳴きながら飛んでいる。「なぐれ」ははぐれること。

筏士の見かへる跡や鴛の中      木節
<いかだしの みかえるあとや おしのなか>。「鴛」は鴛鴦<オシドリ>、よい夫婦仲の代名詞。渓流を下るいかだを操る筏士が見上げる、高い梢にはオシドリのつがいが寄り添っている。

水底を見て来た貌の小鴨哉      丈艸
<みなそこを みてきたかおの こがもかな>。コガモがひょいと水面に顔を出す。その表情を見ると、いま水底を見てきたぞ、というようだ。

鳥共も寝入てゐるか余吾の海     路通
<とりどもも ねいっているか よごのうみ>。「余吾の海」は、滋賀県伊香郡余呉町にある湖で余吾湖。旅の途中で余吾の湖のほとりの旅籠に泊まった。夜ふけて目を覚ましてみると一面の静寂だ。きっと、余吾の湖の水鳥までが熟睡しているのであろう。

死まで操成らん鷹のかほ       旦藁
<しぬるまで みさおなるらん たかのかお>。鷹の顔を見ていると、あの誇り高い表情は死ぬまで意地を通しそうだ。鷹の真剣な顔つきから、古来鷹は死ぬまで穂を啄ばまないと言われてきた。当然のことで、鷹は肉食で草の穂など食べはしない。

襟巻に首引入て冬の月        杉風
<えりまきに くびひきいれて ふゆのつき>。冬の月の夜。深々と冷えて寒いことといったらない。そんなとき、襟巻きに首を入れるようにしてちじこまって歩く。

この木戸や鎖のさゝれて冬の月    其角
<このきどや じょうのさされて ふゆのとき>。江戸の街の木戸。酔っ払って夜更けて木戸まで来たらすでに錠が下ろされて通れない。江戸の木戸は、卯の刻に開けて、亥の刻に閉める。木戸のそばには木戸番の家族が居て開け閉めを担当した。この句、「柴の戸」と印刷されそうになって芭蕉の強い意見で訂正されたことが「去来抄」にある。

からじりの蒲團ばかりや冬の旅   長崎暮年
<からじりの ふとんばかりや ふゆのたび>。「からじり=軽尻」は馬の品質。荷重を40貫まで運べる馬を本馬といった。これに対し18貫までしか運べない馬のことを「からじり」という。からじりの馬が歩いている。見れば布団だけを背につけている。

見やるさえ旅人さむし石部山   大津尼智月
<みやるさえ たびびとさむし いしべやま>。冬のたびは難儀だが、寒々とした石部山を見るだけで寒さにふるいだしそうだ。石部山は、滋賀県甲賀郡石部町の山。

翁行脚のふるき衾あたへらる。記あり、
略之

首出して
はつ雪見ばや此衾     
美濃竹戸
<くびだして はつゆきみばや このふすま>。この紙衾の由来については『紙衾の記』に詳しい。この芭蕉翁から頂いた紙衾を着て、首をだして雪見をしましょう。

題竹戸之衾
疊めは我が手のあとぞ紙衾      曾良
<たたみめは わがてのあとぞ かみぶすま>。この紙衾は曾良にとっても思い出の品である。何しろあの苦労した『奥の細道』の旅の際の紙子なのだから。竹戸よその紙衾の折り目は私が翁に毎朝たたんで差し上げたときの折り目の痕ですぞ。

魚のかげ鵜のやるせなき氷哉     探丸
<うおのかげ うのやるせなき こおりかな>。氷の張った川。その氷の上に鵜がいて魚を見張っている。魚影は見えるが何しろ氷の下。鵜にとってはとてもやるせないであろう。

しずかさを數珠もおもはず網代守   丈艸
<しずかさを ずずもおもわず あじろもり>。「数珠を思う」というのは、後世を頼んで仏に祈ることを言うらしい。この老人は、静寂なよる夜中、網代の番をしながらそれでもあの世を思うこともないらしく、お経の一つ上げるでもないらしい。作者は別に、無信心を非難しているのではない。むしろ超然としている網代守役の老人に頼もしさを感じているのである。

御白砂に候す
膝つきにかしこまり居る霰かな    史邦
<ひざつきに かしこまりいる あられかな>。作者は京都所司代与力という役目柄、宮中への出入りが仕事であった。「膝つき」とは、御所の白州でひざまずづくときに膝に当てるうすべりのこと。一句は、膝つきをつけて御所の庭でかしこまっているとあられが降ってきたという他愛のない情景。

椶櫚の葉の霰に狂ふあらし哉     野童
<しゅろのはの あられにくるう あらしかな>。あられが落ちてきて椶櫚の葉に当たる。その音のすさまじいこと。まるでその狂ったような音は嵐のようだ。実際、椶櫚に落ちる霰の音というのは筆者も経験しているがすさまじいものだ。

鵲の橋よりこぼす霰かな      伊賀示蜂
<かささぎの はしよりこぼす あられかな>。「鵲の橋」というのは、天の川で牽牛と織女が一年に一度逢瀬を楽しむ夜に亘るのが「鵲のわたし」で橋の役割を果たしていることに由来する。銀河が冴える夜、突如として霰が降ってきた。これはきっと天の川の鵲の橋に降った霰であろう。

呼かへす鮒賣見えぬあられ哉     凡兆
<よびかえす ふなうりみえぬ あられかな>。寒鮒売りの呼び声に、表に出て呼ぼうとすると、おりしも霰にかき消されたか、鮒売りの姿はぼうっとして見えない。

みぞれ降る音や朝餉の出きる迄   膳所畫好
<みぞれふる おとやあさげの できるまで>。寒い冬の朝。霙の音がしているから天気は悪い。仕事に急ぐ必要もないから朝飯のできるまではと布団のぬくもりの中で霙の音を聞く。

はつ雪や内に居さうな人は誰     其角
<はつゆきや うちにいそうな ひとはたれ>。初雪にうかれて家を出てきたものの、誰だって初雪に家などに居るわけはないので、こうして出てきてはみたものの何処へ行けばよいのか?

初雪に鷹部屋のぞく朝朗       史邦
<はつゆきに たかべやのぞく あさぼらけ>。初雪の朝。宮中の鷹の巣を見回って異常のないことを確認する。雪が降って天気が回復した朝ぼらけ。この鷹をつかって鷹狩をするに絶好な気候だ。作者は京都所司代与力。

霜やけの手を吹てやる雪まろげ    羽紅
<しもやけの てをふいてやる ゆきまろげ>。ゆきまろげを作って帰ってきた幼児。みればしもやけの手が真っ赤だ。母はその手に暖かい息をかけてやる。母性あふれる作品。作者には娘が一人いた。

わぎも子が爪紅粉のこす雪まろげ   探丸
<わぎもこが つまべにのこす ゆきまろげ>。実に艶っぽい句。「わぎもこ」は、藻塩草で転じて女子の総称。つまり「おんな」。雪まろげに赤い紅がうっすらついている。あの子がつけた紅では?

下京や雪つむ上の夜の雨       凡兆
<しもぎょうや ゆきつむうえの よるのあめ>。「下京」は京都の下京。そこに雪が降ったもののいま雨に変わった。雪に落ちる雨は音もない。
 この句は、『去来抄』によれば、上五に苦吟していた凡兆に、芭蕉が「下京」にするように提案した。「兆(凡兆のこと)、汝手柄に此冠を置くべし。若しまさる物あらば我二度俳諧をいふべからず」と言ったという。

ながながと川一筋や雪の原      
<ながながと かわひとすじや ゆきのはら>。何処までも広い雪の原に、ただ一筋、これまた何処までも続く黒々とした川の筋。

信濃路を過るに
雪ちるや穂屋の薄の刈残し      芭蕉

草庵の留主をとひて
衰老は簾もあげずに庵の雪      其角
<すいろうは みすもあげずに あんのゆき>。「香炉峰の雪は簾を揚げて見る」のであるから、当然雪が降ったら簾を揚げるべきを、芭蕉庵の留守をしている老人ときたら、せっかく雪が降ったというのに、簾を下げっぱなしでいる。なんとまあ。
 一句は、『奥の細道』後の上方滞在で庵主芭蕉の留守する雪の日に見舞ったときの吟。

雪の日は竹の子笠ぞまさりける   尾張羽笠
<ゆきのひは たけのこがさぞ まさりける>。「竹の子笠」は淡竹(はちくと読む。真竹より細く、竹の子の芽吹きも遅い。竹の皮は薄くて小さいがこれで笠を作った)で作った笠だが、雪の日は一番良い。雪が積らない。しかし、もっと良いのは羽の笠だ、と言いたかったか??

誰とても健ならば雪のたび     長崎卯七
<だれとても すこやかならば ゆきのたび>。解説不要。

ひつかけて行や吹雪のてしまござ   去来
<ひっかけて ゆくやふぶきの てしまござ>。「てしまござ」は、大阪府池田市辺りで産したゴザ筵。粗末な安物だったが軽いので携帯に便利なため、この当時、旅行用に用いられていた。一句は、吹雪の中を旅人が「てしまござ」をささげてぐんぐん歩いていくさまを読んだ。

青亞追悼
乳のみ子に世を渡したる師走哉    尚白
<ちのみごに よをわたしたる しはすかな>。詞書の「青亜」は、貞亨4年の師走に死んだ。そのとき未だ残した遺児が乳飲み子であったので、こう詠んだ。優れた追悼句。

から鮭も空也の痩も寒の内      芭蕉

鉢たゝき憐は顔に似ぬものか     
<はちたたき あわれはかおに にぬものか>。弥兵衛とは知れどあわれや鉢叩き」というほどで、鉢叩きの音はあわれを催すのである。しかし、現実の鉢叩きの顔を見るとこれが又むくつけき男だったりして、どうも「もののあわれ」と当事者の顔が不釣合いなのである。

一月は我に米かせはちたゝき     丈艸
<ひとつきは われにこめかせ はちたたき>。鉢たたきは、毎夜毎夜喜捨を求めて歩くのでずいぶん米などが貯まる。そこで貧乏丈草としてはその米の一月分を貸してほしくなるのである。

住吉奉納
夜神楽や鼻息白し面ンの内       其角
<よかぐらや はないきしろし めんのうち>。和歌の神様でもあった摂津の住吉神社に奉納した一句。夜神楽を見ていると面の鼻の穴から白い息が噴出している。熱演しているのであろう。

節季候に又のぞむべき事もなし   伊賀順琢
<せきぞろに またのぞむべき こともなし>。「節季候」についてはたとえば、「節季候の来れば風雅も師走哉」など参照のこと。当方、あまりに平々凡々たる毎日で節季候にたのむほどの何事もないのだ。

家々やかたちいやしきすゝ拂       祐甫
<いえいえや かたちいやしき すすはらい>。年末のこととてどの家もすす払い。しかし、誰もかれも、どうみても格好の良い姿ではない。

乙рェ新宅にて
人に家をかはせて我は年忘      芭蕉

弱法師我門ゆるせ餅の札       其角
<よろぼうし わがかどゆるせ もちのふだ>。「弱法師」は乞食のこと。年末になると現れて民家に餅を所望する。餅をくれる家と、呉れない家を区分する札を貼って歩く。一句は、当方には乞食にやる餅代が無いので貼り札はご勘弁をと言っているのだが、さりとて呉れない札を貼られるのも其角にとっては面子が丸つぶれであったであろうに。。。

歳の夜や曽祖父を聞けば小手枕    長和
<としのよや ひじじをきけば こてまくら>。大晦日、家族みんなで酒盛りしながら夜を明かす。年寄りをみれば、寝るのも悪いというのか、手枕で寝ている。長和は江戸の人だが未詳。

うす壁の一重は何かとしの宿     去来
<うすかべの ひとえはなにか としのやど>。我が家の薄い一重の壁を通過して古い年が過ぎ、新しい年がやってきた。一体、時間の通過って一体なんだ。去来の時間観念をみよ。

くれて行年のまうけや伊勢くまの   
<くれてゆく としのもうけや いせくまの>。「としのもうけ=年の設け」とは、年が暮れていくことをいう。伊勢神宮や熊野大社では、今頃新年を迎える準備でおおわらわであろう。そうしている間に年は暮れていくのだ。

大どしや手のをかれたる人ごゝろ   羽紅
<おおどしや てのおかれたる ひとごころ>。大晦日、泣いても笑っても時間が過ぎていく。人の心などにはお構いなしに強い力で時が過ぎていく。

やりくれて又やさむしろ歳の暮    其角
<やりくれて またや さむしろ としのくれ>。気前よく人に呉れてやって、いざ年の暮れになってみると自分のものといったらたった一枚のむしろ(筵)だけの素寒貧だ。

いねいねと人にいはれつ年の暮    路通
<いねいねと ひとにいわれつ としのくれ>。あっちへ行けあっちへ行け、と追い立てられて私の年は暮れていく。品行に難のあった路通のことだからまんざら誇張ではなかったはず。だが、こうして仲間は彼の句を採録してもいるのだから。。。

年のくれ破れ袴の幾くだり      杉風
<としのくれ やぶればかまの いくくだり>。「くだり」ははかまの数単位。杉風のような豪商なら、年の暮れには新年用の袴を新調する。それにしても、この一年何本の袴をすり切らせたであろうか。



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