芭蕉db

曲水宛書簡

(元禄5年9月17日 芭蕉49歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


珍碩無事に昨夜下着*、大かた沖津あたりより眼病発り*、駕籠にて荷ひ込可申哉とかねて存候とは相違ひ、なる程風雅的(当)当之顔付にて見事成江戸入*、先々御悦可成候*。昨夜五つ前上方咄*、盤子が愛敬なき顔つきも二度見るやうにうるさく*、孫右衛門*なつかしく、路通は大坂にて蛸をことのほかすき候よし*、羽織・脇指は人もかすものにて御座候へば、印籠・巾着までは手ばやく拵申候共、額のなりちい(ひ)さく、羽織・脇指合かね可申候*。此道盤子に立ばらのせんさくはせぬやうにと存る計に御座候*
一、先日は終日寛々忝、大悦仕候*。高橋様へも此書状一所に御披見可成候*。珍敷交り、近々一座一笑、仕度存候*。 以上
     十七日                       はせを
   菅沼外記様

 江戸芭蕉庵から江戸在勤中の膳所藩士菅沼曲水宛に書いた書簡。膳所の医師珍碩が芭蕉庵に到着したこと、珍碩がもたらした上方情報のうち門弟に関することを知らせている。路通がこの時期に還俗していることがこの書簡から分かる。
 ところで、珍碩にとって今回の江戸下向は彼の人生にとって大きな転機となる重要な旅となった。武士を捨てて、本格的に風雅の道で生きていく決心をすることになるからである。