玄天上帝(中国民間神紹介2)

玄天上帝とは

玄天上帝(げんてんじょうてい)はまた真武大帝(しんぶたいてい)と呼ばれる神で、中華圏では誰もが知る神です(1)。

その聖地である武当山は、湖北省にあり、壮麗な建築を数多く有することで有名です。ユネスコの世界遺産にも登録されました。 中国の各地に廟があり、またベトナムなどでも祀られています。 その姿は少し変わっていて、まず冠を着けずにざんばら髪(披髪)のままです。また足も裸足です。黒い服を身に付け、七星剣という武器を持っています。足の下に、亀と蛇とを踏みつけていることもあります。

<湖北武当山の玄天上帝像>

その由来

その役割は、北方守護とされています。北方は「水」に属するため、水神であるともされました。星の神としての性格も強いです。 漢民族にとって、北方の異民族との対峙というのは、常に政治的に大きな問題でした。 中華の北半分の地を異民族が占めていたことも多いです。例えば五胡十六国の時代、遼や金の時代がそうです。 そのために、武勇の神として北方守護の神が重視されることになりました。古くは毘沙門天がそうでしたし、後には玄天上帝がその役割を担います。

この神は、実際には四霊(青龍・朱雀・白虎・玄武)の玄武が発展したものです。 亀と蛇の合体した姿で知られる玄武は、北の守護神でした。

『武当道教史略』では、玄武から真武、玄天上帝になっていった過程を次のように記します(2)。

玄武は、元は青龍・朱雀・白虎・玄武の四象崇拝の一つであったものが、後に道教の神系に加えられたものである。玄武は四方の守護神の中で北方守護をその任とした。(略)後、北方星神である北宮玄武は、五代の前には北極紫微大帝の神系に属するとみなされるようになった。そして徐々に四象崇拝を脱して、紫微大帝の四大神将の一つとなった。(略)

玄武は道教の神系において地位を向上させていったが、これは中天北極紫微大帝の信仰と密接な関係がある。(略)おそらく六朝時代には北極大帝、略して北帝という神格が成り立っていた。また唐代の道教には北帝派という派が存在していた。(略)

北帝の四将とは、すなわち天蓬・天猷・黒煞・玄武の四将である。このように宋代以降は専ら四聖と称するようになった。この時点での「将軍」という職は天帝の侍従に対する称呼であり、神格の地位は決して高くはない。時間の推移とともに玄武は四象の系統を脱し、星神から転化して具体的な人格を有する神となった。そして後には北極崇拜と融合し、道教の「大神」となる基礎を築き上げたのである。

つまり玄武と、それに北極を司る幾つかの神が統合されて作られたのが玄天上帝です。宋代には真武という武神の一つでしたが、その後どんどん位階が上がり、玄天上帝という位に就いていると考えられました。

そしてかえって玄武の本体であった亀と蛇は、真武配下の神で、蛇将軍・亀将軍の二将という扱いになってしまっています。だから彼らは踏みつけられています。毘沙門天の邪鬼みたいで、気の毒な感もあります。

『西遊記』にもちょっと顔を出しますし、また『北遊記』という小説では主役を務めます。 明代では武神の最高位にあると考えられており、関帝や華光、また哪吒太子や二郎神に対しても、命令を下す立場と考えられていました。 旧暦の3月3日がその生誕日とされています。いまでもその日は各地で盛大な祭りが行われます。 台湾や香港でも多くの廟があります。特に広東では重視される神格のひとつです。

<『三教捜神大全』の玄天上帝画像>

武当山と真武

武当山は玄天上帝の聖地とされ、明の永楽帝が莫大な費用を使って数多くの殿宇を建てました。 明代には玄天上帝は王室の守護神とされました。その関係で、明王室に関連する施設に玄天上帝の跡が残されています。 北京の故宮にも祀った殿があります。

そして武当山は、山東の泰山と並び称される参拝地となっていきました。泰山と武当山、日本のお伊勢参りのように、この二箇所の山に登ることが勧められたのです。

山頂には、建物をまるまる銅で作った「金殿」があります。どうやってこのような険しい山頂にこの建物を上げることができたのか、不思議でなりません。

<武当山の山頂>

また武当山は少林寺と並んで、武術のメッカでもあります。 明の時期に張三丰(ちょうさんぼう)がここで拳法を伝えたという話があり、後にそれが武当派の拳法ということになっていきました。武侠小説を見ると、だいたい仏教の少林寺と、道教の武当山が出てくる場面がかなりあると思います。 ただ、昔からこの地で拳法が行われていたかどうか、やや微妙なところがあります。

妙見菩薩として

日本の妙見菩薩(みょうけんぼさつ)の姿は、この真武と似たところがあります。姿のみならず、その北方守護の役割もそっくりです。 妙見菩薩は、かつては龍に乗る別の密教的な姿が知られていましたが、ある時期からはこの真武の影響を受けて、姿が変わっていきました。

鎮宅霊符神もまたその影響を受けています。三井寺にある鎮宅霊符神の画像は、全く真武大帝と言ってよい姿をしています。 もっとも、妙見菩薩は大将軍の姿をしているものもあり、複雑に影響関係が存在するようです。

このように、玄天上帝は日本にも妙見として入ってきていますが、イコール妙見ではない、ということには注意する必要があります。 たとえば千葉の妙見神社に祀られる姿を見ると、亀と蛇に乗ってはいますが、裸足ではなく、靴を履いています。 妙見は、玄天上帝の影響を一部受けて成立した神であると考えるのが無難です。

有名な廟

台湾では玄天上帝を祀る廟はたくさんありますが、なかでも有名なのは、高雄の蓮池潭にある巨大な玄天上帝の像でしょう。

この付近は巨大な神像をたくさん建てていますが、そのなかでも特に玄天上帝像が知られています。この像は甲冑を帯びて、やや勇壮な感じです。

<高雄蓮池潭の玄天上帝像>

広東の仏山にある祖廟も非常に有名な真武廟です。

ベトナムのハノイにも、巨大な玄天上帝像があるのが有名です。ハノイの北側にタイ湖(西湖)があって、その湖畔に建てられているのが真武観(Den Quan Thanh)です。 そのなかにブロンズで作られた、高さ4メートル近くで、重さも4トンある像があります。


1.様々な称号を持つ神で、真武・玄武・北極大帝・玉虚師相・玄天大聖・佑聖真君などとも呼ばれる。

2.王光徳・楊立志撰『武当道教史略』(華文出版社1993年)。