相変わらず、街ゆく人は不景気な顔をしている。アベノミクスの恩恵はまだサラリーマンには届いていないようだ。そこで景気づけに、みんながいい加減で太っ腹だった時代の話をひとつ−−。
1981年、麻布自動車は本社ビルの1〜7階の全館をショールームにして、ベンツやBMW、ロールスロイス、フェラーリなどの高級外車を並べた。評判を聞いて、会社経営者、スポーツ選手、芸能人らが集まった。
当時はクルマの保管場所として購入した土地の価格がどんどん跳ね上がり、麻布自動車も麻布建物と社名を変更し、本格的に不動産業に乗り出した直後。不動産でもうかっているからと、芸能人には2割引で売った。
芸能人はウチで外車を買うことがステータスになっていた。俳優の若山富三郎さんもよくショールームにきていた1人。
当時、若山さんは極道役から哀愁を漂わせた役にシフトチェンジし、映画『衝動殺人・息子よ』(79年)で各映画賞の主演男優賞を総ナメにした直後の絶頂期。
ショールームに顔を出すときは、いつも20代後半のスリムな美女と一緒だった。女優といわれても不思議ではないこの美人は、若山さんのことを「先生」と呼んでいた。
若山さんは2階に展示されたクライスラーの8人乗り大型ワゴン車を前に、「これを売ってくれ」。当時は大型のワゴン車は日本では珍しかった。
価格は800万円前後。芸能人割引で、頭金200万円、あと50万円ずつ10回払いということになった。月賦契約書に若山さんがサインした後、「保証人はこの娘でいいかね?」。
ナンバー交付の手続きをしてクルマを納めるときに頭金をいただくことになっていて、担当者を行かせると、「2〜3日のうちに届ける」ということだった。
で、2〜3日後、その美人がやってきて、「先生に200万渡したのですが、先生、持ってきませんでした?」とトボけたことを言う。その場で若山さんに電話をさせたら、「渡辺さん、悪いね。あのカネ、少し必要があって、ほかに回してしまった。そこにいる保証人で何とかしてよ」と言う。
これには困った。ソソられる美人保証人も、そのつもりで私のところにきているようだったが、手を出せるはずもない。
その後、この件はウヤムヤになってしまったが、不動産価格がどんどん上昇している折、そんなことはどうでもよくなってしまった。
若山さんも大ざっぱだったが、当時は私もけっこう太っ腹だったなと思う今日この頃です。
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。