東京地検特捜部に逮捕!その舞台ウラ

2012.08.22


「渡辺逮捕」を伝える1997(平成9)年6月26日付本紙【拡大】

 「そろそろ逮捕されるかもしれない。新しいパンツを用意したほうがいいですよ」。弁護士からこう言われて、私も覚悟した。

 97年6月、東京地方検察庁の取調室。3回目の事情聴取を受けたとき、検事から「はいはい、逮捕状、出ていますよ。今日は泊まっていくことになるよ」と逮捕された。

 −−バブル経済が崩壊し、住宅金融専門会社(住専)が扱った麻布自動車グループの「麻布建物」も不良債権となった。債権回収のために新設された住専処理機構の告発により、私は「強制執行妨害」「公正証書原本不実記載」で逮捕された。

 住専処理機構の弁護士が麻布グループの物件すべてを差し押さえた。「麻布建物」所有のビルのテナントから入る家賃も、すべて持っていかれてしまった。しかし、それでは従業員に給料も払えない。そこで弁護士が「別会社を作り、そこに振り込んでもらおう」とアドバイスしてくれた。それが「強制執行妨害」だという。ムチャクチャな話だった。

 一方、「公正証書原本不実記載」というのは−−。麻布グループの喜連(きつれ)川カントリー倶楽部を経営する「塩那開発」の株式の81%が三井信託銀行(現中央三井信託銀行)に担保提供されていた。ゴルフ場を支配されることを恐れた私は、第三者割当によって増資した。

 そのとき、見せ金で金融機関から株式払込金保管証明書の交付を受け、増資の登記をしたというのだ。確かに無理をしていたことは事実。法廷で争うつもりはなかった。

 ただひとつ、この件で後悔していることがある。逮捕前、弁護士が「東京地検特捜部が喜連川カントリーでプレーしたいと言っている。招待して」と持ちかけてきた。なのに、ゴルフ場の担当者が「満員です」と断ってしまったのだ。私が知ったときは、すでに遅し。

 「これは、やられるな」と思っていたら、案の定、逮捕されてしまった。

 ゴルフを断ったことと私の逮捕の因果関係はわからない。しかし、弁護士は「あのとき、プレーさせていたら逮捕されなかった」と言っているし、私も世の中そんなものかなとも思っている。

 その弁護士は東京地検特捜部出身のいわゆる“ヤメ検”。以前、ホリエモンこと堀江貴文氏とも話したことがあるが、“ヤメ検”というのは、肝心のところで意外に役に立たないと実感した。

 逮捕後、私は小菅の東京拘置所に護送された。拘置所では、裸にされて尻の穴に竹の棒を突っ込まれる屈辱的な身体検査など、人格を否定されるような扱いから始まった。(次回は「拘置所の出来事」編)

 ■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。

 

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