地井さん育んだ俳優座“花の15期生”…多くの名優を輩出した理由

2012.07.09


多士済々の同期にも恵まれた地井武男さん【拡大】

 先月29日に心不全のため亡くなった俳優、地井武男さん(享年70)。地井さんは俳優座養成所15期卒業生で、昨年7月、肺炎で死去した原田芳雄さん(享年71)も同期生だった。相次いで世を去った個性派名優2人が、青春時代、俳優修業で同じ釜の飯を食った15期は多士済々、現在も活躍中の俳優たちを綺羅星の如く輩出、“花の15期生”と呼ばれている。

 1967年、16期を最後に俳優座養成所が閉鎖されたため、15期は華麗な歴史の終焉を飾る打ち上げ花火のような存在だったかもしれない。

 15期には、2人のほか、秋野大作(69)、赤座美代子(68)、小野武彦(69)、栗原小巻(67)、高橋長英(69)、夏八木勲(72)、浜畑賢吉(69)、林隆三(68)、前田吟(68)、三田和代(69)、村井国夫(67)、太地喜和子さん、そして劇作家の斉藤憐さんらがいた。太地さんは、92年、48歳で事故死、斉藤さんは昨秋、70歳で病死。まさに“花”と呼ぶにふさわしいスター揃いだ。

 彼らの“来し方”を眺めてみると、エピソードにもそれぞれ、個性ゆたかな花が咲く。

 地井さんは、卒業後にアングラ芝居からスタートしたが、映画、テレビと映像分野で存在を顕した。売れないころ、映画の脇役候補に選んでもらうため、撮影所が用意するバスの出発地の新宿や渋谷駅前で朝早くから並んで待ったという。

 「選ばれないかもしれないけど、とにかく行く。劇団は違ったが、地井さんともよく顔を合わせたよ。その日の仕事を待つ、日雇い労働者のような気分だったね」と、今や文学座の重鎮俳優兼演出家の江守徹(68)から聞いたことがある。

 養成所の生徒は、貧しい者が多かった。テレビ朝日系「ちい散歩」やバラエティー番組で大ブレークした地井さんは、前田から「散歩して金もらえるんだから、お前はいいなぁ」とうらやましがられた。その前田も「男はつらいよ」「渡る世間は鬼ばかり」でおなじみになったが、三田に「あんな貧乏な人、見たことない」(佐貫百合人著「俳優座養成所の軌跡『役者烈々』」)と呆れられた過去を持つ。

 三田は、栗原と共にいち早く脚光を浴びたスターだった。その三田が栗原を「掃き溜めにおりた鶴のようでした」(前著)と評したほどに栗原の美貌は際立っていた。NHK大河ドラマ『三姉妹』で名を馳せ、映画『忍ぶ川』で加藤剛(74)相手に披露した全裸シーンは、未だに語り継がれる美しい衝撃だ。栗原は現在も俳優座に所属している。三田も新劇舞台で存在感ある女優として健在である。

 太地さんは留年したため、正式には16期生。天才型で自由奔放、恋愛遍歴旺盛で“魔性の女”と呼ばれた。卒業後、文学座に入り、杉村春子さんの後継者と目された逸材だった。惚れたら“炎の人”となるため、男性の方が逃げ出すのが常。同期の秋野と結婚するが1年余で離婚。若き日、三國連太郎(89)と灼熱の恋を交わしたことが有名だ。

 原田さんもアルバイト人生を送りながら、映像でその個性を開花させ、映画「祭りの準備」「寝盗られ宗介」など名作を残した。遺作となった「大鹿村騒動記」の試写会に、死去7日前に車椅子姿で現われた壮絶な姿が記憶に新しい。

 俳優座養成所は劇団俳優座が運営した組織だが、卒業生が俳優座に入団することを条件としていなかったことが、数多の著名俳優たちを芸能界に送り込んだ理由だ。演劇に留まらずテレビ、映画、そして別に新たな劇団を組織することも自由で寛容だった。まさに、名優が育った“スターシステム”だったのだ。(演劇ジャーナリスト・石井啓夫)

 

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