藍美代子、引退後1億円あった借金を完済

2011.05.11


デビュー時はアイドル歌手だった藍美代子さんは今、ジャズをしっとりと歌いこなす。震災を乗り越え、26日に銀座のステージに立つ【拡大】

 「ミカンが実る頃」をヒットさせたのは19歳。当時は渡辺プロダクション所属のアイドル歌手だった。現在は、宮城県仙台市泉区に住む。

 「東日本大震災がおきたときは、自宅マンションにいました。部屋は6階なので、大きく左右に振られ、室内はタンスや家具が倒れて足の踏み場もないほど。その日は、寝たきりの母を車椅子にのせて、父と一緒に避難所となった近所の小学校の体育館で一夜を過ごしました」

 実は、最初に取材したのは1月末。都内・銀座のジャズクラブ「銀座シグナス」でのライブ後だった。

 ジャズ歌手として活動を再開したのは9年前。同店では奇数月に定期出演している。

 芸能界引退前、英語を2年間学び、そして丸1年間、米・ロサンゼルスの音楽スクールでレッスンに打ち込んだ。それだけに、ライブはナチュラルな英語が耳に心地よかった。

 ところが、記事の掲載直前に震災が直撃。安否確認ができず、掲載を見合わせていた。

 「携帯電話が室内で行方不明になったんです。連絡が取れず、ずいぶん、お客様からも心配されました」

 お客様というのは、藍さんは仙台市国分町でパブスナック「ビーネ」のママをしているからだ。

 「キープボトル130本がラックから落ちて大損害。お店の再開は3月28日でした。シグナスさんのライブもさすがに3月は中止しましたが、次回の5月26日から再スタートです」

 振り返れば、波瀾万丈。最初のデビューは単身上京後、高1の11月だった。だが、なかなか芽が出ず、引退も覚悟。スポットライトが当たったのは、4年目の再デビュー後だ。「『ミカンが実る頃』のヒットでようやく歌手としての実感がわきました。テレビに出られて、親孝行できたのが本当によかった」

 ところが、その後、父が保証人となっていた知人の会社が倒産。総額約1億円もの借金をかぶり、経営していた左官会社は連鎖倒産した。やむなく芸能界を引退。「ビーネ」を開店して返済に追われた。

 「がむしゃらでした。お客様に恵まれ、10年ほどかかりましたが、利子も含めて1億6000万円余りを完済しましたよ」

 今年9月、「ビーネ」開店30周年。記念リサイタルを11月26日、仙台市内のライブハウス「ダーウィン」で予定している。

 ■あい・みよこ 宮城県石巻市出身。オーディション番組「全国歌謡コンクール」(1970年)、「スター・オン・ステージ あなたならOK!」(73年)で優勝。1973年8月に発売したシングル「ミカンが実る頃」が約30万枚のヒット。その後、米・ロサンゼルスで1年間音楽修行。帰国後、実家の都合により芸能界引退。現在、パブスナック「ビーネ」(仙台市青葉区一番町4の4の8仙台協立第5ビル4F (電)022・265・6215)経営。ジャズクラブ「銀座シグナス」((電)03・3289・0986)、ライブハウス「ダーウィン」((電)022・714・6107)。

 

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