◆ことばの話515「エレックする」

夜勤のニュース番で原稿の下読みが終った時に、オンエアー・ディレクターのS君が、話し掛けてきました。



「道浦さんは、電子レンジで物を温めることを、なんて言いますか?」



「ん?普通は"チンする"って言うけど。でも、いまどき"チン"っていう電子レンジも少ないんじゃない?大体、電子音でピピピッ・・・じゃないかなあ。」



と答えると、



「そうですよねえ。でも、うちのヨメさんのお母さんは、"エレックする"って言うんですよ。」



へえ、「エレックする」ですか。そう言えば昔、「エレックさん」という名前の電子レンジ、売ってたよね。ナショナルから。同じくGoogleで「エレックさん」で検索すると、97件出てきました。まだ、売っているみたいです、エレックさん、改良型が。「エレックさん」が出てきたのは、確か電子レンジの「はしり」の頃だったと思いますが、その頃、うちにはまだ電子レンジはありませんでした。



でも、今でも「エレックする」なんて言っている人がいるんですねえ。きっと初期の頃に電子レンジを使ったことがある、裕福な方なのでは?



Googleを使って、インターネットで「エレックする」を検索してみました。



すると、15件ほど「エレックする」が引っかかりました。



その中に、武庫川女子大学・言語文化研究所の佐竹秀雄先生が読売新聞に連載されている「ことばのこばこ」というコラムで、「チンする」について書いた文章もありました。



それによると、



「チンする」は自然発生的に全国的に生まれ、ある時期「エレックする」と名づけようとしたメーカーがあったが定着しなかった。「チン」のほうが単純明解で使いやすいことだったからだろう。ことばは無理やりにネーミングしてもダメという好例である



とのことです。1999年の4月19日の記事です。結構、きついですね。



それにしても、わずかながら、ほそぼそと生きていたんですね、「エレックする」。



こういううふうな生き延び方をする言葉もあるんですね。



「E電」よりマイナーですかね。

2001/12/20


(追伸)

「エレックさん」が出たのは1977年頃だったようです。また、当時名古屋に住んでいた方は「エレックするという言葉は知らない」と言い、香川県に住んでいた方は「懐かしいなあ。」とおっしゃってます。インターネット、ことばの掲示板での反応です。

2001/12/25


(追記)

2003年4月5日の日経新聞土曜版「なるほど英語帳」は「レンジでチンする」という意味の英語の俗語「nuke」を取り上げていました。

「Nuke it!」(それをレンジでチンして!)

というふうに使うんだそうです。「nuke」は「nuclear」の短縮形だと聞くと、「え!」と思いますよね。このほか、「レンジでチンする」という意味には、

「Let's microwave some pizza(ピザをチンしよう)」

のようない言い方も使われて、こちらは、男性的な「nuke」よりも、中性的な表現なんだそうです。コミュニケーション・アドバイザーの柴田久美子さんが、そう、書いています。
2003/6/13

(追記2)

「チンする」について、2004年5月29日の日経新聞夕刊「食語のひとこと」で、食品総合研究所主任研究官の早川文代さんが書いています。それによると、実はチンという擬態語は、室町時代には鐘の音や金属音に使われているとも書かれています。「チン」は古くから馴染み深い音だったんですね。

2004/6/1



◆ことばの話514「ゴスペル」

クリスマスがちかいですね。今日(12月21日)の「ズームイン!!スーパー!」では、ゴスペルの特集をやっていました。



3年ほど前から、日本でもこのゴスペル人気がブームのようです。ゴスペラーズも人気沸騰ですし。ゴスペラーズはあんまりゴスペル歌ってないけど。



私が初めてゴスペルに出会ったのは、20年ほど前。1982年の7月でした。当時大学生であった私は、男声合唱団である早稲田大学グリークラブに所属しており、その演奏旅行で1か月、アメリカに行きました。当時20歳だった私にとっては、初めての海外旅行でした。その時にニューヨークにも5日間だけ行ったのですが、そこで訪れたのが、ハーレムのバプティスト教会。ちょうど日曜日の礼拝の時でした。その礼拝は、キリスト教徒ではない20歳の私が想像していたものとは全く違っていました。クラシック歌手が歌う黒人霊歌のような感じの厳かな曲が流れるかと思っていたら、まるで、ロック・コンサートのような讃美歌の演奏が、そこでは展開されたのです。それこそが、今思えば「ゴスペル」だったのですね。



数年前に「ゴスペル」がアマチュアの間でも人気でアマチュア対象のオーディションが行われる!というネタを取材した時は、おもしろかったですよ。なんとそのアマチュア・ゴスペル・グループのメンバーに、仏教のお坊さんがいるというのです。坊主(ゴメンなさい!)が讃美歌を歌う?そりゃ、あかんやろ。けど、おもしろいやんと思いながら取材に行くと、本当に僧職の方が参加されていました。インタビューを申し込んだところ、



「檀家の手前、顔出すのは堪忍して・・・・」



ということでした。そのグループは商店街の活性化として、ゴスペルのオーディションに参加するというので、仕方なくそのお坊さんも参加していたのでした。その時のオーディションの課題曲が「OH HAPPY DAY」という曲で、わたくし、すっかり気に入ってしまいました。



その「ゴスペル」、最近ちょくちょく、ニュース原稿にも登場しています。20年前から「ゴスペル」という言葉に馴染みのある私にとっては、この「ゴスペル」のアクセントは、



英語と同じく、「HLLL」(Hは高く、Lは低く発音する)で「頭高アクセント」で読むのですが、最近になって「ゴスペル」にはまった人達は、「LLHH」という「平板アクセント」で読むのです。平板読む方が、"今どきっぽい"のでしょうが、私は抵抗感があります。この言葉自体、NHKアクセント辞典には載っていないので、是非次回の改定では「頭高アクセント」で、載せて欲しいと思います。



では、みなさん、メリー・クリスマス。キリスト教徒じゃ、ないけど。

2001/12/21



◆ことばの話513「天使がくれた時間」

久々にレンタルビデオを借りてきました。



ニコラス・ケイジ主演の「天使がくれた時間」というものです。



ニコラス・ケイジと言えば、以前、彼が主演している「フェイス・オフ」という映画のビデオを借りてきた時、悪者役をニコラス・ケイジが、良い者役の刑事をジョン・トラボルタが演じていたのですが、そのビデオを途中から見た妻に説明したところ、「ニコラス・ケイジが悪者や」と説明しているにもかかわらず



「ふーん、刑事さんなの。」



と訳の分からないことをのたもうたという記憶のある俳優さんです、個人的には。



で、結構この人は「天使」と関わりのある映画にたくさん出てるような気がするんですが、今回は、ウォール・ストリートの成功者としての独身の社長役なんですが、ひょんなことから天使によって、13年前のまだ食えない学生だった時に結婚まで考えたものの別れた女性と実は結婚していた、という世界にほうり込まれます。仕事が自分のすべてであった彼が、人生において本当に大切なことは何か?ということを感じ取っていく、まあ、お涙頂戴の感動ストーリーなんですが、しっかり泣かされました。



で、その映画の中で気に入ったセリフをいくつか紹介しましょう。 まず、血も涙もない成功者で社長・ジャック役のニコラス・ケイジが、昔の彼女ケイトがクリスマス・イブに会社に訪ねて来て、会うかどうか少し迷って、やはり"会社人間"の会長にどうすればいいか聞いた時のセリフ。



ジャック「昔の女がクリスマス・イブに訪ねてきたら、どうします?」



会長「過去は過去だよ。昔の女など、納税申告書と同じだよ。3年間保管したら、あとはキレイに廃棄したまえ。」



ふーん、そうなのか。



続いて、昔の女・ケイトとの間に出来ていた子供(長女)アニーを保育園まで送って行った時のアニーのセリフ。



「ここが共稼ぎの親が赤ちゃんを預けるところ。」



「5時半。絶対に遅れないでね。お迎えが最後になると、子供はとてもみじめだから。」



そ、そうだったのか。共働きで子供を保育園に預けている私としては、胸がキュンとなって目頭が熱くなる一言でした。「わかったよ、アニー。絶対、早く迎えに行くよ!」



と、思わず言ってしまいそうに、なりますよね?



それにしても「共稼ぎ」って、今や死語ですね。今は「共働き」と言います。「共稼ぎ」って、何かわびしさを感じさせる言葉ですね。



昔を忘れられない主人公のジャックが、イタリアの高級ブランド紳士服として日本でも有名な「エルメネジルド・ゼニヤ」(舌、噛みそうです。)の服を(1着30万円以上するのですが)買おうとすると、奥さんのケイトが「買える訳ないじゃない」と相手にしません。しかし、ケイトが結婚記念日に、ゼニヤのアウトレット商品の「ゼーナ」の背広をジャックにプレゼントするシーンなんかは、もう、涙チョチョギレです。「愛」があるよね。でも所詮、二級品をもらったジャックは、「おれは本当は一流なのに、こんな二級品・・・・」とわびしく思う、その感情のキャッチボールの噛み合ってなさが、また泣ける・・・・。



話は横道にそれますが、「エルメネジルド・ゼニヤ」の話を後輩のHアナとしていると、同じく後輩で女性のYアナが「なんですか?」と聞いてきたので、Hアナと二人で、こんな会話をしました。



「え?君は"エルメネジルド・ゼニヤ"を知らないの?普通知ってるよ、"エルメネジルド・ゼニヤ"。そうか"エルメネジルド・ゼニヤ"を知らないんだあ。」



「"エルメネジルド・ゼニヤ"を知らないんて意外だなあ、"エルメネジルド・ゼニヤ"だよ、"エルメネジルド・ゼニヤ"。"エルメネジルド・ゼニヤ"は有名だよ。」



「"エルメネジルド・ゼニヤ"を知らないってことは、もしかして"エンゲルベルト・フンパーディンク"も知らないんじゃあるまいね?」



「そりゃあ、"エルメネジルド・ゼニヤ"を知らなけりゃ、"エンゲルベルト・フンパーディンク"も当然知らないだろうね。で、"エンゲルベルト・フンパーディンク"って誰だっけ?」



この様子に、Yアナは呆気に取られていました。



これも滑舌練習なんだけどな。そうそう、エンゲルベルト・フンパーディンク(1854−1921)は、「ヘンゼルとグレーテル」などを作曲したドイツの作曲家です。



閑話休題。



ジャックがその実力を認められて、またマンハッタンの証券会社の役員に迎えられ、家族が大きなマンションに住めるようになったよ!と言った時に、妻のケイトは、悲しそうな顔をします。ジャックは言います。



「ついに手に入れられるんだ!人うらやむ人生を!!」



それを聞いたケイトはこう言います。



「もう、送っている・・・人うらやむ人生を・・・。」



人生、金じゃない、愛だよ、愛!!!という強烈なメッセージを送ると共に、私はこの言葉にこういったことを感じました。



「人うらやむ人生」は結局自分の主観の中にあるのであって、自分が自分の基準で満足の行く生き方をすればよい。それに対して「人うらやむ人生」を送るものはいつまで経っても満たされないまま、その生涯を終えるであろう、と。「の」と「を」で大違いです。



「人生、かくありたい」と思わされた映画でした。一見の価値あり。

2001/12/18



◆ことばの話512「年の瀬」

12月も半ばにさしかかった13日、後輩のSアナウンサーが聞いてきました。



「道浦さん、今は、"年の瀬を控えて"ですかね?それとも"年の瀬を迎えて"ですかね?」



おや?これに関しては、以前書いたことがあるぞ・・・と思いながら、パソコンを検索すると、ありましたありました、1998年の12月に、社内の視聴者センターが出す月報にコラムとして書いていました。インターネットのホームページには載せていなかったみたいなので、それを写しながら書きますね。



12月に入った途端に、ニュース原稿で増える傾向にあります。



「年の瀬を前に・・・。」



「年の瀬を迎えて・・・。」



という表現です。



「年末」「歳末」という言葉は、師走になると「年末ジャンボ宝くじ」「歳末助け合い運動」などで使われ、納得が行くのですが、この「年の瀬」というのは、一体いつからなのか?12月初旬は「年の瀬」ではないのか?という素朴な疑問を胸に、辞書を引いてみました。すると、



「としのせ・・・年の暮れ」(広辞苑)



とあり、「年の暮れ」を引くと、



「年末、歳暮、歳晩(さいばん)」



とあります。しょうがないので「年末」をひくと、



「としのすえ。としのくれ。歳末。」



ということで、堂々巡り。一体いつからが「年の瀬」なのか、ハッキリしません。



それに答えてくれたのは三省堂の「新明解国語辞典」でした。そこには、



「年の瀬・・・(それをうまく越せるかどうかが問題である)清算期としての年末。」



とありました。「清算」ということですから、いわゆる「五・十日(ごとび)」、それも年内最終あたり12月25日、あるいは30日ではないか、と推測できます。よく使う身近な言葉に、辞書が答えてくれる場合もあれば、そうでない場合もある・・・という話でした。



という文章でした。



今は、1年中どの一日もあまり重要ではなくなってきている気がします。個人的に重要な日は、誕生日だったり結婚記念日だったり、いろいろあるのでしょうが。あとは、クリスマスとかバレンタイン・デーですかね、若者にとって共通に重要な日は。



それと、決算年度が4月〜翌4月なので、1月の決算期としての重要性は下がっているような気がします。



「年を越せるかどうか」は、江戸時代の人達にとっては、本当に重要な問題で、それを、流れの急な「瀬」に例え、それを「越そう」と必死になっていた姿が、「年の瀬」という言葉に集約されているような気がします。

2001/12/17


◆ことばの話511「熱血漢」

いよいよ、阪神タイガースの新監督として、星野仙一さんが就任します。(12月17日時点)阪神ファンは、今までの野村監督をめぐるゴタゴタで嫌気がさしているだけに、星野さんを歓迎しているようですね。その星野さんのことをさして、よく、



「熱血漢」



という表現が使われます。



先日、その星野氏と阪神球団との2回目の交渉が名古屋市内で行われ、その様子を私の後輩のYアナウンサーが担当しました。その際に、スタジオから



「Yさんは、阪神の監督として星野さんが来てくれるのをどう思う?」



と質問をふられたYアナは、



「そうですね、星野さんは熱血漢あふれるかたですから・・・。」



と答えていました。



「熱血漢」はあふれるのかな?それは、



「清潔感あふれる人」



の「○○感」と「カン違い」しているのではないか?



後日、その件についてYアナに聞いたところ、「清潔感」との「カン」の違いは認識していたものの、ついうっかり言ってしまったとのことでした。



まず「熱血漢」を「日本国語大辞典」で引いてみると、



「激しい情熱や、熱烈な意思を持って行動する男。熱血男児。」



とあります。つまり、この「漢」というのは「男」のことを指すのですね。



ちなみに「○○漢」というふうなことばにはどういった物があるか、「逆引き広辞苑」を引いてみました。



羅漢、悪漢、快漢、怪漢、凶漢、好漢、酔漢、無頼漢、変節漢、暴漢、門外漢、大食漢、老漢、熱血漢、痴漢、好色漢、皇漢、巨漢、



などなど。ようけあるなあ。「痴漢」も「男」だったのですね、やっぱり。女性の場合は「痴女」とも言うからなあ。



「漢」を辞書(広辞苑)で引いてみると、しっかり「男子。おとこ」としっかり載っていました。

2001/12/17


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