◆ことばの話185「耳障り2」

「ことばの話176耳ざわり」に追記、追記で書いてきましたが、新しき項目を立てることにします。「耳ざわり2」。

ここまで「耳ざわり」ということばにこだわってきましたが、ここで一旦「耳」から離れて「さわり」の方を調べてみることにしました。

「さわり」には「触り」と「障り」があります。

広辞苑に見出しが載っている「触り」は7語、「障り」も7語です。

*「触り」→「足触り」「口触り」「舌触り」「畳触り」「手触り」「歯触り」「肌触り」

*「障り」→「足障り」「雨障り」「気障り」「心障り」「差障り」「耳障り」「目障り」

「触り」の方はすべて「人間の体の一部が、対象物に直接接触した時の感触」を指しています。唯一の例外は「畳触り」でこれは「接触する対象物」十「触り」となっていますが、"直接接触"というのは変わりません。まあ、「畳」が人間の体の一部の代わりに使われるということは、それだけ日本人の生活に「畳」が密着していた証拠かもしれません。その証拠に「畳〜」という語句は33語も広辞苑に収められています。

さて、一方の「障り」ですが、これは語の構成がいろいろです。そして「気障り」や「雨障り」はともに万葉集などの古い時代から使われていることが分かっています。

「障り」は万葉集の十五巻「沖つ波 千里に立つとも 障りあらめやも」と使われています。万葉集は西暦でいうと400〜759年の歌を集めたものと言われています。

これに対して「触り」の中でも義太夫で使われた「曲の中でもっとも聞き所」の意味での「触り」で考えると、義太夫の創始が江戸・元禄年間(1688〜1704)ですから、1000年から1200年、「障り」のほうが古いことになります。あまり参考になりませんか?「触り」を使った熟語で「触り三百」と言うのがあるそうです。これは「ちょっと触れただけでも300文の損になる」という意味だそうで、井原西鶴(=江戸時代前期)の「世間胸算用」の中で「是ぞ世にいふ触り三百なるべし」という使われ方をしているそうです。

それにしても「耳障り」にはそういった昔の文献で使われたという用例が載っていないんですよね。また、ためししに古語辞典(「詳解古語辞典」明治書院)で「耳障り」を探しましたが載っていません。似たようなことばとして、「耳かしがまし」と言うことばがありました。「耳かしまし」とも言うそうですが。意味は「耳にやかましい、うるさい」で、源氏物語の夕顔(平安中期)に「踏みとどろかす唐臼の音も耳かしまし〜「あな、耳かしがまし」とこれにぞ思さるる」と使われているようです。

2000/10/12


◆ことばの話184「ケーエスデー」

「今日から、我が社はKSD!」


という財津一郎さんの登場するコマーシャルで知られる財団法人KSD中小企業経営者福祉事業団が、背任容疑で東京地検特捜部の捜索を受けました。

このニュースを聞いた時に、日本テレビの新人女性アナウンサーが

「財団法人・ケーエスデーの背任容疑事件で・・・・」

と読んでいるのを聞いて、私はこう思いました。

「ケーエスデー?デーって・・・ディーやろ。なんちゅう発音するねん。」

翌日、会社で「昨日ニュースでKSDをケーエスデーって言ってましたよ。」という話をすると、Kアナウンス部長が、

「そうやねん、ボクもそう思ってんけど、あれ、デーが正しいみたいやねん。」

ゲッ!えー、うっそー。


私は、まるでひと時代もふた時代も前の女子大生のように、頬に両手をあてて、ムンクの"叫び"のような表情になってしまいました。

新聞記事で確認してみると、確かに「ケーエスデー」と書いてあるではないですか!

それじゃ、なにかい、おまいさん。KDDは「ケーデーデー」かい?DDIは「デーデーアイ」かい?何「デーデーテー」?ああ、それは「DDT」だろう、そんなもの、いまぁ誰も知りゃあしないよ・・・。

失礼、ちょっと取り乱してしまいました。

うーん、それにしてもKSDの社長(?)は確か74歳って書いてあったから、70歳以上ぐらいの人にとっては「D」を「ディー」と発音するのは難しかったのかなぁ。それとも、顧客の中小企業の経営者の方が、「ディー」より「デー」を好むというようなデータでもあったのかしら。

いまどき「デー」はあまり言わんよなあ。Dなんでしょうか・・いや、どうなんでしょうか。事件の本質よりもそのことの方が気になってしまいました。

2000/10/12


◆ことばの話183「感動をありがとう」

あの「感動」のシドニー・オリンピックが終わって、早10日が経ちました。テレビではまだメダル獲得シーンなどの総集編をやっています。

今回の日本選手は誰もみんな、なかなか頑張って、とても良い成績を残したと思います。

3回目のオリンピックで悲願の初優勝を果たした女子柔道のヤワラちゃんこと田村亮子選手、軽量級で初の2連覇を果たした野村選手。さらに、女子水泳・200メートル背泳ぎで「もーくやしいー!、金がいいですぅ!!」発言で銀メダルの田島寧子選手、そしてなんといっても優勝候補・最右翼のプレッシャーもなんのその、見事、金メダルをとり、国民栄誉賞の話も出ている女子マラソンの高橋尚子選手。みんなスゴイですよね!

話は脱線しますが、9月の下旬、地下鉄・御堂筋線の電車の中吊り広告で、金メダルの写真に「金」という大きな文字が書いてあって、その横にちょっと小さな文字で「これを"キン"と読んだ人はテレビでオリンピックを御覧ください。これを"カネ"と読んだ方はすぐにご購入下さい」(多分、そんな感じだったと思う)と書かれた、「宝くじ」の広告がありました。あれはなかなか秀逸だったなあ、と思ったんですけどね。余談ですが。

閑話休題。

そのシドニー・オリンピックの番組で、ファックスの募集をよくしていました。そこに届いたファックスに、また新聞の投書欄に届いた投書に書かれた"文句"に、今回はちょっと"文句"があります。

「感動をありがとう!」

・・・イヤなんです、このセリフ。もちろん、感動は私もしましたし、どんなシーンに感動しようがそれは個人の勝手・・というより自由です。けれど・・・何なんでしょうね、この「感動をありがとう!」の気持ち悪さは。

もし私が仮に選手だったとしたら・・・素直に「どういたしまして。こちらこそ応援、ありがとうございました。」と数人に対しては謙虚な気持ちで言えると思います。(何千万もの人に対して・・・言えるかは物理的にもちょっと疑問ですが。)だから、選手と観客とのパイプは一応繋がっているんだと思います。問題はそのパイプが繋がっている様子を、恥ずかしげもなく、全く関係もない人たちがたくさん見ているテレビや新聞に、個人が意見を出すことが気持ち悪いんでしょうか?確かにそれも何かイヤな感じです。

「感動」は自分の内側に秘めるもの。外に出したとたんに、色褪せていくような気がします。

もし「大変感動しました。ありがとうございました。」というセリフなら、それほどイヤじゃないと思います。・・・でもやっぱり「ありがとう」は余計だな。あんたのためにやってるんじゃないよ、つまり、見知らぬ他人のために走ったり飛んだり闘ったりしている訳はないんです。そんな物はうそっぱちです。それにもかかわらず、見ている方がまるで自分のために彼(彼女)はやってくれたんだと勝手に感じてしまうことの"ずうずうしさ"。それがなんとも鼻持ちならないというか、イヤーな腐臭を放っているのではないでしょうか。しかも当の本人はそれに全く気付いていないのは、さらに罪が重いような気がします。「感動をありがとう」を口にする人の感性の低さ、感動の薄っぺらさ。"感性"というより"慣性"でしょう。別にそんなことを他人と比べなくてもいいんですけどね。

「感動をありがとう」

これは心の内で"思うことば"であって、口に出して"言うことば"ではないような気がします。

2000/10/12

(追記)

と、いう文章を書いたその日に、今度はシドニー・パラリンピックの選手団の結団式があり、その席で河合純一主将がこう言いました。

「ベスト・パフォーマンスで感動を皆さんにお届けすることをお約束します。」

というような内容だったと思います。翌日、つまり今日10月13日の産経新聞・朝刊によると、「皆さんに感動を与えることを約束します。」と要約されていましたが。とにかく、パラリンピックの選手までも「感動をお届けする」ためにシドニーに向かうのだそうです。選手諸君、それは目的でもなんでもないんだよ。自分達のために頑張って下さい。

2000/10/13

(追記2)

ああ、なんということでしょう。世の中にこんな「感動」を安売りしてしまった原因が、こんなに身近にあったとは・・・。そうなんです、見つけてしまったんです、「感動をありがとう」を生み出す原因の一つになったであろう言葉を。

今から12年前の「言語生活」という雑誌(1988年1月号)に、その年の高校サッカーのキャッチフレーズが載っていたんです。

「感動ください・・・。」

当時私は、高校サッカーのスタッフの一員として実況アナウンスをしていました。その中でこのキャッチフレーズを、多分何度も口にしていたと思います。キャッチフレーズ自体は、一般から公募したものだったと思います。

選手達に「感動をください」と私達マスコミが視聴者を代表する形で求め、選手はそれに答えて「感動を与えることを約束」する。そしてそれに対して視聴者が「感動をありがとう」とお礼を言う・・・。こういった一連の流れだったんですね。

これじゃあ、「"感動をありがとう"はイヤだ」と言ったところで、

「それはおまえ達が言い出したことだろ」

と言われれば、グーの音も出ませんね・・・。反省。

2000/10/20

(追記3)

1月28日深夜、トリノ冬季オリンピックに向かう、スピードスケート・ショートトラック女子の神野(かみの)由佳選手が、インタビューに答えて、
「皆さんに感動を与えられるような戦いをしてきます。」
と話していました。周囲のことはいいから、自分の全力を出せるようにがんばってくださいね。
2006/1/30

(追記4)

川上未映子さんの『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(講談社文庫:2009、11、13・単行本は2006年12月ヒヨコ舎刊)を読んでいたら、川上さんが結婚披露宴のいろんなプランの料金を調べていて、そのあまりの高額さにあきれ驚いて、

「全然プライスレスじゃないですよ。感動と資本の正比例図が笑っています。」

と書いていますが、まさにまさに!資本主義の世の中において、
「感動=資本」
正比例するのです。当然「プライスレス」ではありません。それを一語で表した昔の言葉が、
「タダより高いものはない」
あるいは、
「地獄の沙汰も金次第」
ではないでしょうか?違うか。一見、プライスレスの背後には、とてつもないお金がかかっていることもある、という話。
「感動と資本の正比例図」
というのは、なんかうまく言ってるなあと思いました。
2010/4/14


◆ことばの話182「KDDI」

最近やたらとコマーシャルに出てくるKDDI。

KDDとDDIとIDOが一緒になって、KDDI。覚えてしまいました。

ところがっっ!!

なんと、KDDIの正式社名は「ディーディーアイ」だというのです。

えーっ!?なんじゃそら!!

一体全体それはどういう事か?さっそく、KDDIに電話で聞いてみました。

それによると、KDDとDDIとIDOは、確かに10月1日に一つの会社になって、ロゴと通称は「KDDI」になったのですが、登録してある会社の正式な名前は、カタカナで、(株式会社)「ディーディーアイ」なんだそうです。そうすると、以前のDDIとはどう違うの?

「はい、以前はロゴと通称は"DDI"でしたが、会社名は"第二電電株式会社"でした。今回はその正式名称が"ディーディーアイ"なんです。」

ほーそうか、そう言えば正式名称は以前は「第二電電」だったなあ。

「すると以前のDDIと、今回のディーディーアイとは別の会社と考えて良いんですね?」

「そういうことです。」

「それでいわゆる存続会社は、3社のうちどこになるんですか?」

「DDIということになりますね。」

「???じゃあなんで、KDDのイメージが強く残るKDDIという通称にしたんですか?」

「それはやはり、国際電話は長年のブランドイメージとしてのKDDが強いんですよ。だからその分までDDIにしてしまうと、海外のお客様などからも、KDDはどこへいったんだ!と思われてしまいますし、その辺も考慮して、KDDIという名前で・・・。」

やっぱりわかったような、わからないような。

一応疑問は解決したことにしましょう。しかし、実はもう一つ疑問がありました。

「"IDOはAUになります"ってCMもやってますが、IDOがKDDIになっちゃうと、AUの立場はどうなるんですか?」

「・・・あのう、そのへんの詳しいパンフレットがあるんですけれどもねえ・・・」

さすがの電話会社の人も、これ以上は電話で説明がむずかしいと考えてのか、そんな事を言い出しました。

「わかりました、これからパンフレットを取りに伺います!」

よく考えると、KDDIの関西支社は、以前のKDDのビル、つまり読売テレビと同じ大阪ビジネスパークの中にあるのです。歩いて5分もかかりません。さっそくKDDI関西支社に向かいました。受付で用件を言うと、法人営業の森さんという方が、会って下さいました。

「そもそもモバイル(携帯電話)は関西では"関西セルラー会社"が担当していたんですが、それが11月からAUになるんです。」

「IDOの立場はどうなるんですか?」

「IDOは関東と東海地域でのセルラーの会社でしたが、この10月にKDDIになってしまったんで、そこに含まれています。」

「じゃあKDDIとAUの関係は?」

「各セルラー会社は全国に8つあったんですが、沖縄セルラー電話を除く、西日本と東北、北海道の会社はすべて、AUに統合されます。AUはKDDIの関連会社ということになります。」

「つまり関東と東海の分はKDDIの会社の中でやるけど、それ以外のところは関連・別会社という形式なんですね。」

「そういうことです。」

わかりましたか?みなさん?えっ?私はNTTドコモだから関係ないって?

そういうことは、言いっこなーし。

以上、TMがお伝えしました。TMはトレードマークの略・・・ではありません。TOSHIHIKO MICHIURA(俊彦・道浦)の略です。悪しからず。

2000/10/12


◆ことばの話181「20世紀最後の・・・」

このところテレビを見ていて気になる表現に「20世紀最後の〜」というのがあります。たとえば「20世紀最後のオリンピック」「20世紀最後の阪神巨人戦」「20世紀最後の体育の日」「20世紀最後の夏」などなど、なんぼでも出て来ますが、もう食傷気味です。なぜ、うっとうしいのか?

この冠をつけることで、イベントの価値を高く見せようとしているのが「見え見え」だからです。まさに「虎の威を借る狐」状態。本来「20世紀最後の〜」という枕詞がつくには、それに見合うだけの価値のある出来事でなくてはなりません。オリンピックや、まあ阪神巨人戦ぐらいまでは許しましょう。でも体育の日は来年もあるじゃないですか。夏だって毎年やって来るでしょうが。「20世紀最後の〜」の冠がつく回数が増えるほど、そのイベントの価値が下がってきているような気がします。まさに「手垢のついた表現」に成り下がっているのです。

「それでも2001年1月には、"21世紀最初の〜"・・・という表現が、またバンバン使われるんだろうなぁ。」と、"20世紀最後の二十世紀梨"をかじりながら、ため息をつきました。

2000/10/18

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