『オタク女子研究 腐女子思想大系』批判

 昨年来の女性誌(苦笑)「AERA」が連発していたぬる〜いおたく関連特集でいくつもの原稿を書いてきた杉浦由美子の『オタク女子研究 腐女子思想大系』(原書房)が刊行されたわけだが、これが読むに耐えないヒドイ本で。『アニパロとヤオイ』(西村マリ/太田出版)も大概いい加減な本だったが、エンガチョな度合いとしては、こちらの方がはるかに上だ。
 本来ならば取り上げるのも馬鹿馬鹿しい程度の本で、批判することが逆に話題を呼ぶのでは? という意見もあるのは事実。しかし、いわゆる「オタクブーム」の中で、男性のおたくだけでなく、女性のおたくへの関心が増しつつあるのが、昨秋からの状況だ。男性おたくについて語った本については既に多数発行されているので、おかしな本が出ても自然淘汰されるだろうが、女性のおたくに関する関連書籍は非常に少ない中、こんな本が大手を振られても腹立たしいし、困ってしまう。ということで、以下にまとめてみた。

 まず、杉浦がいかにまんがや同人誌について知識がないか、その他、この本に誤りや不適切な例示などがいかに多いかについてまとめた部分(第一章「知識がない」)について公開する。(2006年3月)

第1章 知識がない

同人誌に関すること

■自称腐女子の杉浦だが、極めてぬるい。例えば、1970年生まれの杉浦だが、小学校6年生の時にアニメイトで『ゴッドマーズ』の同人誌を買ったとは書いているが、その割には同人誌については、ほとんど知らず、同人誌を継続的に買い続けて、同人誌の世界にいたとはとうてい思えない。その理由を以下に挙げる。

・「同人誌とはアニメや漫画、ドラマ、映画、小説、ゲームなどのパロディや二次創作物の自費出版書籍」(P.11)という定義がそもそも間違いである。杉浦の定義に基づくと、例えば、J.Gardenで売っているオリジナルのJUNE系作品は、同人誌ではないということになる。

・そもそも、「同人誌即売会」という当たり前の用語を杉浦は使っていない。「同人誌販売イベント」「同人誌販売会」というあまり使われない言葉を用いている。

・「「やおい」と「ボーイズラブ」は、いずれも「男性同士の恋愛やセックスを題材とした小説や漫画」ですが、人気アニメなど既存の作品のパロディ、二次創作が「やおい」、オリジナルの漫画や小説が「ボーイズラブ」と呼ばれています」(P.8)と最初に書いた後で、以下のように言い換えがされている。「「やおい」はかつてアニパロと言われ、人気アニメ作品のパロディを指しました(中略)。現在ではアニメだけでなく、漫画、小説、ドラマなど様々なジャンルのパロディが「やおい」という名前で創作されています。」(P58-P59)、「やおいがパロディだったのに対して、男性同士の恋愛やセックスを描いたオリジナル作品を「ボーイズラブ」と呼びます。」(P66-P67)。言い換え後の杉浦の定義からすると、パロディ=やおいになってしまうが、実際には、性的なものを扱わないパロディもあるし、性的なものでも、美少女もののパロディもこの定義では「やおい」となってしまう。まあ、そこまで指摘するのは少々揚げ足取りにしても、「二次創作」=「やおい」、「オリジナル」=「BL」という分け方自体ナンセンスだろうし、やおいパロディ(こう言えば少しは正確か?)がアニパロから始まったということ自体が間違いだ。だいたい、この本の中で杉浦は、「オタク女子研究」のクセに「やおい」という言葉そのものについて何の説明もしていない! 「やおい」という言葉はその成り立ち、使われ方から、極めて曖昧な言葉であり、人によって使われ方も様々な言葉なわけで、簡単に「やおいはこうだ」と言える言葉ではない。わかりやすさを求める余りの矮小化はいかがなものか。

・上記の「やおい」の話に続いて「これらは基本的に「同人誌」として制作販売されているのですが、一時期よりも売り上げは落ちているという話も耳にしました。というのも女性向けの同人誌市場は供給過剰な状態にあるからです。」(P.59)ということだが、供給過剰で一時期よりも売り上げが落ちているのは、BL商業誌も同様なのではないかと思われるのだが、そのような記述はどこにもない。

・「二〇〇五年夏のコミックマーケットの参加サークル数は三万五一七八。そのうちの七割以上が女性のサークルだと言われています」(P.60)と書いてあるが、実際の数は、34,996サークルで間違っている。しかも、P.96で根拠資料として使っている『コミックマーケット30'sファイル』を見れば、サークル申込責任者の71%が女性であることはわかるのに「言われています」!?

・その『コミックマーケット30'sファイル』を元にした「一九七五年十二月「第1回コミック=マーケットの参加者の九〇%が、少女漫画ファンの女子中高生とあります。昔から頭数的には女のオタク、腐女子は男性よりもずっと多かったのです」(P.96)という記述があるが、このときの来場者は、当時の少女まんがブームを反映した普通の少女まんがファンと解すべきであり、同人誌即売会へやってきた=「腐女子」であると考えるのは、大きな間違い。

・「二〇〇五年の夏のコミックマーケット全三日のうち、二日はほぼ「女性向け同人誌」が占拠しました」(P.60)という記述も、この年に何か事情があり、そのような事になったのであれば、この書きぶりでもよいかもしれないが、コミケットが3日間開催になって以降、常に2日間を女性系が占めている。

・「女性向け同人誌市場で「やおい」の存在がクローズアップされたのは、横山光輝原作のアニメーション『六神合体ゴッドマーズ』の頃から」(P.133)としているが、この頃の規模の同人誌をそもそも「市場」ということ自体が違和感がある。また「腐女子」的な人気を得たアニメーションとして『ゴッドマーズ』を否定する気はもちろんないが、『ゴッドマーズ』を取り上げるなら、『J9』に触れないのは片手落ちだと思う。さらに、それより前に『グレンダイザー』や『ダンガードA』といった荒木伸吾キャラの東映ロボットモノや『闘将ダイモス』、『ボルテスV』といった長浜忠夫監督作品、『ガッチャマン』『キャシャーン』といったタツノコプロ作品、さらに当然『ファーストガンダム』といろいろある。また、まんがでも、車田正美・新谷かおるの諸作品などもあり、それぞれ多数のやおい同人誌が発行されているが?

・「この後に『キャプテン翼』の怒濤のブームがやってきます」(P.134)となるが、上記でも若干触れたが、高河ゆん、尾崎南、おおや和美、源氏のお町、浪花愛、といった『キャプテン翼』同人誌の人気作家の多くが、『J9』シリーズを経て『キャプテン翼』パロディをはじめており、「『ゴッドマーズ』の後」という言い方がおかしいとは言わないが、相当の違和感がある。

・『キャプテン翼』の話をした後、「この後も「週刊少年ジャンプ」で連載された『スラムダンク』(井上雄彦)というバスケットボール漫画の人気によって同人誌市場はさらに拡大し、そして、二〇〇〇年ごろ『テニスの王子様』が大ブレイクしました。」(P.134)、というのが杉浦の言う同人誌の歴史である(苦笑)。同人誌の歴史を語ることがこの本の目的ではないことは、重々承知はしているが、もの凄い乱暴な説明だ。『星矢』はともかく女性系同人誌市場の量的な変化をもたらした『サムライトルーパー』に触れないことは明らかにおかしいし、現在の『ガンダムSEED』人気にも本書で触れているなら、せめて『ガンダムW』への目配りもあるべきだろう。

・上記の文章にさらに以下の文章が続く。「「テニプリ」こと『テニスの王子様』が小学生からの幅広い人気を得たことに比例して、同人誌市場にも小中学生の女の子達が参加するようになりました」(P.134)。ぽかーん。はぁ? 『テニプリ』同人誌が比較的低年齢層の受けがよかった事は事実だが、それよりはるか以前から、様々な作品で小中学生が同人誌に興味を持って、同人誌を始めていると思う。そもそも、低年齢層の増加については、個別作品の問題というよりも、同人誌アンソロジーの普及や同人誌の書店販売の影響の方が大きいと思われる。

・「クウガは玄人受けしたらしく、商業作家がずいぶんとクウガの同人誌を作ったために、読み手にもその人気が波及しました」(P.64)。この一文だけで、同人誌の世界において、どういう風にジャンルができて盛り上がるかについて、杉浦は何も知らないことがよくわかる。多くのプロの作家が同人誌を作ったことというのは「結果」であって、「原因」ではない。

・「ピンクハウスは女オタクや同人誌販売会に集う制服のように言われていました。これは、たぶんに現在の四〇代が現役オタクだった頃の話です」(P.24)と言っているが、まず40代は言い過ぎで、90年代前半までは同人誌販売会でピンクハウス系の服が流行っていた記憶があるので、30代半ばまでは女性同人おたくはピンクハウスの洗礼を受けていると思う。また、ドール系のイベントに行けば、今でもピンクハウス系の服やフリル過多の服を着ている女性は沢山いるのだが…。そして、ここ最近、即売会ではゴスロリ系ファッションが目につく。

・杉浦は先の文章に続けて、「白倉由美さんに言わせるとピンクハウスの魅力は「社会性のない感じが好きでした。もしくは、社会性なんてなくても良いよと言うメッセージ」とのこと。」(P.25)と引用し、それに対して「社会性がなくても生きていける……素敵すぎます(遠い目)。貧乏人には無理。絶対に無理。常識的な服装を心がけて社会に出て働かないと、同人誌を買うどころか家賃が払えません。」というような受け取り方をしているが、トンチキ極まりない。白倉の言うところの「社会性のなさ」というのは、ピンクハウスが「常識的な服装」かどうかという話ではまったくなく、ピンクハウスを選択するということは、着る者が自らの少女趣味を自己肯定することに他ならず、それは他人に見せるためのファッションではなく、したがって他者からどう見られても構わない「私がかわいいと思うなら問題なし」という有り様と解すべきである。ゴスロリの有り様というのも、それに近しいと思うし、ピンクハウス、ゴスロリともに、本来のターゲットとは別にヤンキーにファンが多いのは、そのせいだと思う。

・さらに続く「女性が働きに出なくても生活できた時代の優雅なオタクファッションがピンクハウスだったのかもしれません。」(P.25)についても、同人誌の世界におけるピンクハウスブーム当時は、世の中的にもバブルの時代で同人誌の買い手もお金を持っていたし、同人誌業界的にもバブル全盛だったわけだが、このバブル時代を「女性が働きに出なくても生活できた時代」と言われても正直ピンと来ない。そして、白倉的な「社会性のなさ」という有り様の一方で、バブルでお金を持っていても使い道がよくわからないから、即売会=晴れの日の晴れ着としてピンクハウスが着られていた面も否定できないと思う。上から下まで買うので、合わせやすいという点も便利だったわけだし。晴れ着なのだから、「常識的服装」である必要があるはずもない。

商業誌に関すること

■加えて、実は現在の商業誌の状況にも杉浦はまったく詳しくないと思われる。取材に応じてくれたまんだらけやビブロスの話は触れられているが、他の会社はほとんど無視である。せいぜいが中島梓の小説道場出身者の絡みから「角川ルビー文庫」が触れられるくらい。特に、乙女ロードの元々の成り立ちとして、2000年のアニメイトの池袋本店移転には触れている(P.17)が、「腐女子年表」(P.135)では、「2004年漫画専門古書店大手まんだらけが女性向け同人誌専門店を池袋にオープン。」という記述しかない。乙女ロードのごく初期において、あの通りに並ぶK-BOOKSとアニメイトが激しい攻防戦を繰り広げたことこそが、あそこに女性向けショップが乱立するようになったそもそものきっかけであり、「腐女子」30年の歴史を1ページの年表にまとめたときに、2004年にあそこにまんだらけができたことは特筆するような事項ではない。その他、初歩的なミスも多い。例えば……。

・山岸凉子の「凉」の字が「涼」だったり、竹宮惠子の「惠」の字が「恵」だったり、高村薫の「高」がはしご高でなかったりするのは、人名なのでよろしくはないが、特殊なのでまあご愛敬としても、さかもと未明を「美明」と書いたり、よりによってボーイズラブの話をしているのに、「寿たら子」と間違えるのはいかがが?

・中島梓の「小説道場」の門下生の活躍について触れている(P.129)のは、秋月こお、柏枝真郷、石原郁子のみというのは片寄ってはいないか。石原郁子については杉浦の個人的な思い入れがあるようだが、江森備、尾鮭あさみ、須和雪里といった作家への言及はないし、そもそもJune出身者の話をするのに、道場の門下生であることに意味があるとは思えないし、実際、意味があるようなことも書かれていない。なお、杉浦は石原郁子が「映画芸術」の編集長だったと、この本や自分のブログでも書いているが、「映画芸術」編集部に直接確認したが、その事実はないとのことである(「映画芸術」編集部の方、不躾なメールに丁寧なお返事ありがとうございました)。

・「現在も「June」名物であるグラビア「耽美写真館」も、創刊当時からありました。」(P.126)という書きぶりでは、さも今も「June」が発行されているかのようであるが、現在「June」の名前を冠したもので残っているのは「コミックJune」だけであり、しかも「June」の耽美さとは似ても似つかないハードなBLコミック誌である。

・同様に「元祖腐女子向け商業誌「June」の発行元だったマガジン・マガジンは、現在「百合姉妹」なる雑誌を発行して好評です。ボーイズラブ系の作家が多く執筆しています。」(P.104)。もちろん「百合姉妹」は既に休刊しており、担当編集者はマガジン・マガジンを辞めて一迅社に移って「百合姫」が発行されているわけだが。それに、確かにボーイズラブ系の作家は描いてはいるけど、「多く執筆」というほど多いか?

・また、百合モノのその時代時代の作品を、吉屋信子、山岸凉子『白い部屋の二人』(正しくは『白い部屋のふたり』)・池田理代子『おにいさまへ…』、松浦理恵子『ナチュラル・ウーマン』、『マリア様がみてる』だけで説明してる(P.102-104)のは、同人誌の歴史以上にムチャクチャ乱暴なのでは? それぞれを個別に見ても、吉屋信子に触れただけで「エス」の話はまったく出てこない。少女まんがにしても、『シークレット・ラブ』(矢代まさこ)や『桜京』(池田理代子)、『アリエスの乙女たち』(里中満智子)といった作品の方が例として適切かと。『ナチュラル・ウーマン』は、そもそもこの文脈に入れること自体が適切ではない。その一方で、「同人サークルで知り合った女性同士のSM的な愛」という『ナチュラル・ウーマン』の設定をまったく紹介しないのは、「腐女子の場合、現実の恋愛やセックスと、オタクとしての「萌え」は全くの「別腹」。」(P.43)と主張し、第3章でのライフスタイルとしての腐女子という主張の雑音にもなるということからの、意図的なネグレクトか、それとも単にものを知らないだけなのか。もっとも、ここでは女性おたくの『マリみて』に代表される百合好きについて語りたいのだろうから、中途半端に「歴史」を語るよりも、ジュニア小説、ヤング・アダルト的歴史観からの氷室冴子と久美沙織や森奈津子といった作家との関連とか、マニア・おたく的な価値観で言えば、『セーラームーン』や『少女革命ウテナ』のからの流れを語るべきであろうが、これらについては何も語られていない。

・「佐川さんは早稲田ミステリクラブの先輩であった中島梓(栗本薫)のエッセイ」(P.125)となっているが、正しくはワセダミステリクラブ。

・「現在、古本屋を舞台にした漫画『金魚屋古書店出納帳』で人気の芳崎せいむ。」(P.74)という書き方なら、旧タイトルではなく『金魚屋古書店』とすべき。

・「腐女子年表」(P.135)は他にも突っ込みどころ満載で、「1989年 尾崎南が集英社「週刊マーガレット」で『絶愛since1989』を連載開始。」とあるが、掲載誌名はこの時点では「マーガレット」が正しい。タイトルも正しくは『絶愛-1989-』であり、杉浦は『BRONZE zetuai since 1989』と混同している。同様に、「1993年 ビブロスより漫画誌「マガジンBE×BOY」創刊」とあるが、この時は、社名はまだ青磁ビブロス。また、2001年に『王子さまLv1』の発売を取り上げているが、そうしたボーイズゲームの下地となり、影響力もより大きかったと思われるコーエーネオロマンス系作品についての記述もない。

・「ボーイズラブ」の誕生ということで、「一九九〇年代のはじめに、ビブロス(当時の社名は青磁ビブロス)が、アニパロアンソロジーを発行します。アニパロを描く作家たちに「オリジナルの作品を描く力がある」とみなしたビブロスは、オリジナル漫画の制作に乗り出しました。九二年には単行本のレーベル「ビーボーイコミックス」を立ち上げ、93年には雑誌「マガジンBE×BOY」を創刊しました」(P.136)。まず、青磁ビブロスでのアンソロジーの発行は88年から始まっている。また、ビブロスからはその前に「b-boy」が91年に創刊されているし、他社を言えば90年に「GUST」(桜桃書房)、91年「イマージュ」(白夜書房)が創刊されている。パロディ作家を使ってオリジナルの作品を作ろうというのは、既に「別冊ぱふ」で88年に行われいるし、アンソロジー刊行→オリジナル雑誌創刊というのは、ふゅーじょんぷろだくとが89年に「KID'S」で行っている。これらの記述も一切ない。

・「一九八九年には『キャプテン翼』のやおい同人誌で一世を風靡した尾崎南が集英社の「マーガレット」からデビューしました」(P.138)。雑誌名については年表は間違っているがこちらは合っている(いい加減だなぁ)。しかしながら、メジャーデビューという意味では間違っていないが、商業誌デビューは正確には88年の『忠誠の証し』(「別冊ぱふ」)。

・「最近、ボーイズラブでは、「中東モノ」と呼ばれるジャンルが人気です」(P.165)。フツーは「アラブもの」と言うと思うのだが。

・『テニスの王子様』の原作について「スポーツに詳しい人たちは「非常によくできたテニス漫画」と褒めるのですが」(P.122)って、中学生たちが分身の術を使ったり竜巻を起こしたりする「少年ジャンプ」特有のワザのインフレまんがなんだが……、ホントにこのヒト、原作知ってます?

「腐女子」に関すること

■そして、「腐女子」の特質についても、おかしな事を言い切っている。

・本田透を取り上げ、そのパーソナリティを紹介し、「「真実の愛を知っている萌えキャラを求めて、二次元にやってきた」と本田さんは言い、『ONE』というゲームの盲目の美少女キャラクター「川名みさき」さんと脳内結婚している。」(P.40)と書いた後、「最後の脳内結婚は、腐女子の理解を越えた行動です」(P.40)と言い切っているが、ドリーム系も好きな腐女子の存在をどう理解すればよいのだろうか?

・「腐女子界のカリスマ高村薫大先生の警察を舞台にした合田刑事シリーズ」(P.69)。村薫が腐女子の割とマニアックな層に人気が高いのは事実だが、「腐女子界のカリスマ」という形容には違和感がある(ここでは、環境によってはしご高は読めない可能性があることを考慮して「高」村薫と表記している)。

・「「リバーシブル」は腐女子業界では一番嫌われます」(P.83)については、昔日の話であり、確かに、今でも昔ながらに、リバを否定する腐女子も多いが、最近は、リバを気にしない腐女子も着実に増えている。

男性おたくに関すること

■「腐女子」との対比として、男性おたくにまつわる話についても、微妙な記述が多い。

・「このような美少女ゲームを楽しむオタクたちは、フィギュアや漫画にアニメのDVDも大量に消費します。ですから、パソコンの町だった秋葉原は「萌え」系へと深化していったのです。」(P.14-15)。昔からの石丸電気やヤマギワの立場は?

・「現在、秋葉原のパソコンショップは、販売価格の面では新宿のビックカメラなどの量販店にかないませんが、専門店ならではきめ細かいアフターサービスで、今も根強い人気があります。故障したパソコンをたちまち修理してくれるのも、パソコンに詳しい店員がいる専門店ならではサービス」(P.15)とあるが、ヨドバシならともかく、なぜビックカメラの前に「新宿」がつくのか理解不能。販売価格についても、ポイント分を割り引いても、本当に量販店の方が安いのかについては、かなり疑問。また、アフターサービスのきめ細かさというのもよくわからない。男おたくなら「パソコンの修理」に期待するのではなく、容易にアセンブリ交換できるから、量販店にないモノを買えるから、量販店ではなく、秋葉原を選ぶのではないのか? また、続く文章に、「駅近くの書泉グランデ」という記述があるが、もちろんこれは書泉ブックタワーの誤り。

・「同人誌販売イベントの会場で「男性のみなさん! もう少し清潔にしてください(涙!)」という主旨の啓蒙冊子が配られたという話を聞いたことがあります」(P.26-27)。寡聞にして啓蒙冊子が配布されたというのは聞いたことがありません。即売会カタログでの「徹夜禁止」、「イベントに来る前には風呂に入って来い!」等の注意書きページのこと?

・「一次元(評者注:「小説などの活字のこと」と杉浦は定義している)は一つ一つの単語をかみ砕いて、場面を頭の中で描くわけですから、より想像力が必要となってくる。ここで男性は「想像するのがめんどくさい」となりがちです」(P.109)。「この漫画・小説のドラマCD市場というのは女性向けしかないといっても過言ではありません。あるアキバ系男性に言わせると「男は想像力がないからヴィジュアルを提示されないと萌えることができない」とのことでした。そのため活字に声と絵がついた「ノベルゲーム」というものも大きな市場を持っています。これがいわゆる「美少女ゲーム」と言われるもので多くはエッチな要素を含みます」(P.116)。うーん(苦笑)。女性の方がドラマCDを好むのは事実だが、小説につけるイラストが非常に重要で、売り上げを大きく左右するのは、男性向け・女性向けの小説問わないところであると思うのだが…。また、「ノベルゲーム」=「美少女ゲーム」というのも随分と乱暴だ。その一方で、テキストの力があれば、絵が難アリでも男おたくにも受け入れられたゲームの存在をどのように理解すべきであろうか?

その他、様々な突っ込みどころ

・「小説家の栗頭ひなたさんがすばる新人賞を受賞したとき」(P.36)。すばる新人賞の受賞リストを見ても、千頭ひなたはいても、栗頭ひなたというような人物はいない。

・「東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』は「レミオタ」というオタクジャンルがあるくらいに支持を得ていますが」(P.50)。「レミオタ」という言葉は確かにあるが、「「レミオタ」というオタクジャンルがあるくらいに支持」という表現が意味不明。「好きな人たちが集まって「レミオタ」というジャンル名で呼ばれるくらいに支持」ということを言いたいのか? なお、「レミオタ」には、「レミオロメンオタク」という意味もあるので、限定無しに使うのは要注意。

・「『仮面ライダーアギト』では賀集俊樹と要潤を輩出」(P.63)はもちろん「賀集利樹」の誤り。

・「『龍騎』は出演した俳優何人もが写真集を発売するまでになりました。特に放映終了直後に発売された、悪役仮面ライダーを演じた萩野崇の写真集(もちろんオールヌードあり)は、3万部を売り上げるヒットとなり、一般メディアでも取り上げられました」(P.63)という書きぶりだと、まるで『龍騎』以降に写真集がでているような書きぶりだが、オダギリジョーも要潤も当時から写真集を出していたし、この手の話をするならば2000年末から刊行されている「ヒーロービジョン」についても語るべきだろう。なお、余談で裏付けのない話だが、萩野崇の写真集の部数については、公表された売り上げ部数はあまりに異例で、パブリシティ説がある。

・「『女のオカズ』(色川奈緒・深沢真紀著、河出書房新社)」(P.146)は正しくは「深澤真紀」。

・「よく考えてみると「哲学」だって妄想みたいなものです。ドイツのデカルトは『省察1』の中で、「天も、空も、地も、物の形や音も、そのほかのすべての外的な事物は、悪霊がわたしの信じやすい心を罠にかけるために使う夢の計略にほかならない、と考えよう」と書いています。こんなの日常生活でつぶやかれたら、「おいおい、それはお前の妄想だ!」と言ってしまいますね。」(P.94-P.95)。えーと、何処から突っ込めばいいのかな(苦笑)。デカルトはフランスの哲学者。ちなみに『省察1』というような本はなく、『省察』の中に6つの省察が含まれており、件の文章はその第一章である「省察一」に含まれている。デカルトがここで出てくるのはあまりにも唐突だが、おそらくは、ちくま新書の『<ぼく>と世界をつなぐ哲学』(中山元)でこの文章を引用し、著書っぽく『省察一』と書いているので、ここからの孫引きと思われる。そして、デカルトは、「我思う、故に我有り」というかの大命題から、神の問題、夢の問題、悪霊の問題と思考を論理的に進める中で、論理的な必然として上記の言葉を導きだしているのであり、これを妄想という方が妄想である。例示として不適切ではないか。

・『電車男』と一緒に「オタク男性と実際に交流した女性がネット上に公開していた日記を書籍化した、「オタクとキャリア女性のラブストーリー」である『59番目のプロポーズ』(美術出版社)という本も出版され、話題になりました」(P.5)、さらに「AERA」の「オタクと負け犬」という記事を取り上げた後に、「こららの本や記事を読んでいて、強く違和感を感じました。それは「女のオタク」の存在が無視されていたからです。まるで、女性にはオタクはいないような印象すら受ける。」(P.6)という事を述べているのだが、アルティシアって、携帯メールの着ボイスをアムロの声にするような女ガンオタなのでは……。

■最後に、この本の中で杉浦が一番主張したいところであろう「第3章腐女子の日常」になると、さすがにこの手の間違いは減るが、それでも以下の点を指摘することができる。というか、全体としてこれだけいい加減だと、この本の編集者はいったい何をしていたのかと思わずにはいられない。担当編集者は「編集部の窓から」というページで、「本書が皆様の話のネタとなればこれ幸い」などとぬかしているが、これだけのミスやら不適切な記述をチェックしない手抜きも「話のネタ」ということなのか?

・宇沢美子の著作を『女はうつる』としているが、正しくは『女がうつる』(P.173)。

・「作家の奥泉光さんといとうせいこうさんの『文芸漫談』」とあるが、『文芸漫談』は対談を奥泉光といとうせいこうが行い、その対談の脚注を渡辺直己がつけるという形の3人の共著。



第2章 裏付け・普遍性がない

 

第3章 論理がない

 

第4章 愛がない

 

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