1944年0歳6月14日、東京都世田谷区三軒茶屋上馬に、父・椎名文之助と母・千代の三男として生まれる


1950年6歳千葉県の酒々井を経て幕張に転居


1951年7歳4月、千葉市立幕張小学校に入学


1954年10歳『潮風壁新聞』の編集長を務める


1955年11歳スウェン・ヘディンの探検紀行『さまよえる湖』に感銘を受け、
探検紀行全集を読み始める


1956年12歳壁新聞『6の5新聞』の編集長を務める。
父・文之助、逝去


1957年13歳幕張小学校を卒業し、4月千葉市立幕張中学校に入学


1960年16歳幕張中学校を卒業し、4月千葉市立千葉高等学校に入学、柔道部に入部する。
沢野ひとしと同じクラスになる


1962年18歳初めて8ミリカメラを手にし、友だちを集めてニュース映画を作る。
沢野の中学時代からの友人である木村晋介と出会う


1963年19歳3月、市立千葉高等学校を卒業。
昼間は京葉工業高校の土木建築科の助手、夜は研数予備校に通う。
同人誌『幕張じゃーなる』を創刊


1964年20歳4月、東京写真大学(現東京工芸大学)に入学。
同人誌『斜めの世界』を創刊。
『幕張じゃーなる』の同人で構成された<まくじゃの会>は
次第に会員が増え、相撲大会や文化祭などのイベントを行った。
六本木のイタリアンレストランで皿洗い、金属問屋で倉庫番のアルバイトをする。
「船橋ボクシングジム」の練習生となる


1965年21歳2月、友人の車に同乗中、事故にあい全治40日の重傷を負う。
東京写真大学中退。脚本の勉強のため代々木の演劇学校に通いはじめる。
雑誌『計装』の編集アルバイトをし、編集の基本的技術を覚える。
8月、江戸川区小岩の克美荘で、沢野ひとし、木村晋介、高橋勲とともに共同生活を開始。
木村の高校時代の友人である渡辺一枝と出会う。同人誌『フモリスト』創刊


1966年22歳デパートニューズ社(のちのストアーズ社)に入社。
直属の上司に突然辞められ、デパート業界を対象とした業界誌
『調査月報』の編集を任せられる


1968年24歳5月、渡辺一枝と結婚。
ガリ版誌『月刊おれの足』創刊。沢野ひとしがこれに対抗して出した
『月刊わたしの手』に童話「夏のしっぽ」(のちに改稿して講談社より出版)を寄稿。
沢野ひとし、高橋勲、山森俊彦とともに野外天幕生活団
<東日本何でもケトばす会=略称・東ケト会>の第1回遠征琵琶湖合宿を行う


1969年25歳11月、新雑誌の企画が通り『ストアーズレポート』を創刊、編集長に就任する


1970年26歳3月、長女・葉誕生。
この年デパートニューズ社に入社した目黒考二、小安稔一が<東ケト会>に参加する


1971年27歳デパートニューズ社に半年間在籍していた目黒考二より
ニューズレター『SF通信』を受け取る。
『SF通信』はその後『読書ジャーナル』『めぐろジャーナル』と形を変え、
やがて『本の雑誌』へと発展していく


1972年28歳6月、目黒考二の個人誌『星盗人』に「アドバタイジング・バード」を寄稿


1973年29歳7月、長男・岳誕生


1974年30歳<東ケト会>神島へ遠征。
8ミリにてドキュメンタリー作品『神島でいかにしてめしを喰ったか…』を製作。
小金井市の8ミリ同好会に参加する


1975年31歳ボレックスの16ミリカメラを購入。晩秋の粟島にて、
モノクロドキュメンタリー作品『源作じいさんの島』撮影


1976年32歳5月、『本の雑誌』創刊号発行。部数500部、定価100円でスタートする


1977年33歳『本の雑誌』に巻頭エッセイ「さらば国分寺書店のオババ」を執筆


1979年35歳本の雑誌社が四谷三丁目に事務所を構える。木原ひろみ(群ようこ)入社。
11月『さらば国分寺書店のオババ』上梓


1980年36歳2月、本の雑誌社が信濃町へ移転。7月、株式会社本の雑誌社設立。
12月、15年間勤めたストアーズ社を退職し、フリーになる


1982年38歳『小説新潮』の取材で野田知佑に出会う


1983年39歳インドへ取材旅行。「インドでわしも考えた」を『週刊ポスト』に連載。
『青春と読書』(11月号、集英社)に長男・岳を主人公にした初の私小説「きんもくせい」を発表。
その後の人生に大きな刺激を与え、たびたび行くようになるパタゴニアで
一か月以上ドキュメンタリーロケ


1984年40歳『週刊宝石』誌上で「椎名誠の不思議島物語」の連載開始。
与那国島、猿島、モルジブほか各地の島を旅する。この連載の終了とともに
<東ケト会>の活動も実質的休止状態となる。
11月、オーストラリア・グレートバリアリーフ取材にて中村征夫と出会う。
旧ソ連のシベリアを二か月かけて厳寒期に横断


1985年41歳アリューシャン列島の無人島、アムチトカにキャンプ遠征


1986年42歳3月、中年野外天幕団<いやはや隊>を結成する。
7月、個人事務所・椎名誠事務所を開設


1987年43歳7月、SF長編小説「アド・バード」を『すばる』で連載開始。
12月、株式会社椎名誠事務所設立


1988年44歳9月、「日中共同楼蘭探検隊」の一員として、幼い頃からのあこがれの地、
タクラマカン砂漠の楼蘭とロプノールを旅する


1989年45歳犬の系譜」で第10回吉川英治文学新人賞受賞。
『アサヒカメラ』4月号より、写真と文章による「旅の紙芝居」連載開始。
9月、<いやはや隊>アフリカ遠征。
11月、小説「銀座のカラス」を『朝日新聞』朝刊に連載開始


1990年46歳「アド・バード」で第11回日本SF大賞受賞。
5月、四万十川にて映画「ガクの冒険」撮影開始。
10月公開、全国巡業ロードショーへ


1991年47歳6月、読売広告社と共同出資により、映画製作会社<株式会社ホネ・フィルム>設立。
7月、石垣島にて映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」クランク・イン。12月、公開


1993年49歳5月、映画「あひるのうたがきこえてくるよ。」沼沢湖(福島県金山町)にてクランク・イン。
8月公開。第10回山路ふみ子映画文化賞受賞


1994年50歳『週刊文春』1月4日号よりエッセイの連載開始 (2013年4月 連載終了)
5月、モンゴルにて映画「白い馬」クランク・イン。翌年4月公開


1996年52歳1月、映画「白い馬」で日本映画批評家大賞最優秀監督賞受賞


1997年53歳1月、母・千代、逝去。
映画「白い馬」でフランス・ボーヴェ映画祭グランプリ受賞、
ポーランド子ども映画祭特別賞受賞


1998年54歳1月、ワープロ使用を開始。機種は富士通・OASYS(親指シフト)。
『週刊現代』5月2日号より、4年間続いた「海を見にいく にっぽんカメラ漂流」連載スタート


1999年55歳8月、ウ・リーグ(浮き球を使って行う三角ベースボールの全国リーグ)、
第1回奥会津大会を福島県金山町の原っぱで開催する


2000年56歳2月、初のチベット旅行。
12月、年末に仲間を強引に集めて、埼玉県吉川町の川岸にて三角ベースで遊ぶ。
のちに年末恒例の「粗大ごみ合宿」に発展する


2003年59歳1月、世田谷文学館にて『椎名誠ずんがずんが展—旅で見たこと考えてきたこと—』開催


2004年60歳『自遊人』5月号より「にっぽんありゃまあお祭り紀行』連載スタート


2005年61歳9月、雑誌『つり丸』にて「わしらはあやしい雑魚釣り隊」連載スタート。
<東ケト会><いやはや隊>に続く第三次怪しい探検隊が誕生する
(2012年11月より『週刊ポスト』(小学館)にて連載継続中)


2008年64歳『自遊人』7月号より「百年食堂」連載スタート
(その後テーマを変えて連載中)


2009年65歳『アサヒカメラ』11月号で連載200回を数える


2010年66歳2月、東京・品川の『キヤノンギャラリーS』にて写真展『五つの旅の物語—プラス1』開催。
9月、『週刊文春』にて連載中のエッセイが連載1000回を迎える


2013年69歳12月、椎名誠責任編集『とつげき!シーナワールド!!』の刊行スタート。       
2016年12月より『椎名誠自走式マガジンずんがずんが』に改称(2018年刊行終了)


2015年71歳4、5月、新宿と大阪のニコンサロンにて写真展『風の道 雲の旅』開催
10月、【雑魚釣り隊】結成10周年記念イベントを、新宿三丁目エリアで開催


2016年72歳1月、ピロリ菌退治のため、十日間の禁酒を決行する
岩手・盛岡のクロステラス盛岡にて、年4回の連続トークイベントスタート


2017年73歳11月、取材で東京・世田谷区の生家近くの神社でお祓いを受ける


2018年74歳『アサヒカメラ』3月号で連載300回を数える
6月、東京・小伝馬町のルーニィにて写真展「気持ちおどる旅」開催


2020年76歳コロナ禍にて、今まで通り自宅で原稿を書いて過ごす

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