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池田内閣で幹事長を3期3年

「池田首相を支えた男」前尾繁三郎(3)

政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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1958年(昭和33年)12月、池田勇人国務相は岸信介首相の政治姿勢を批判して三木武夫科技庁長官、灘尾弘吉文相とともに閣僚を辞任した。池田は岸とソリが合わず「岸とはともに天を戴かず」と公言していたが、昭和34年7月の内閣改造では一転、通産相として岸内閣に入閣した。岸首相が河野一郎から池田に馬を乗り換えた結果であった。

「国民協会」を立ち上げ

当時、池田は「月給2倍論」を唱えていた。岸は池田を取り込むため、池田の月給2倍論を岸内閣の政策に取り入れた。池田の弟分である前尾繁三郎は自民党の経済調査会長として所得倍増論の肉付け、具体化に取り組み、「所得倍増論の基本構想」をまとめた。安保騒動の渦中で目立たなかったが、所得倍増論は池田や前尾が岸内閣の時代から仕込んでいた目玉政策であった。

1960年(昭和35年)6月、改定日米安保条約の国会承認を見届けて岸首相は退陣し、後継総裁には岸派と佐藤派の支援を受けた池田が、党人派連合に推された石井光次郎を破って当選した。前尾にとって「長年の夢だった」池田内閣の誕生であった。官房長官は、総裁選で池田派の資金面を担当した大平正芳に決まった。大平は前尾の大蔵省の後輩で、池田蔵相時代に秘書官を務めた池田の側近である。

池田首相は幹事長に山崎巌を起用しようとした。山崎は東条内閣で内務次官、終戦直後の東久邇宮内閣で内相を務め、公職追放解除後に自由党代議士になった。前尾は戦時中のマカッサル民政府時代から山崎と親密な関係にあった。池田首相はまずベテランの山崎を幹事長にして、一呼吸置いて前尾を幹事長に据える意向だったと見られた。しかし、山崎起用案に池田派内、特に前尾とライバル関係にあった大橋武夫が強硬に反対した。大橋も内務省出身で一高では前尾の2年先輩であった。池田は結局、山崎の幹事長起用をあきらめ、池田派長老の益谷秀次が幹事長になった。大橋が筆頭副幹事長になり、前尾は地味な経理局長ポストに回った。

前尾は自民党の経理局長として「国民協会」(後の国民政治協会)の立ち上げに取り組んだ。岸内閣まで「経済再建懇談会」が財界の献金組織だったが、より幅広い企業や個人を会員とする自民党の支援組織にして、公明正大に政治資金を集めることをめざした。

国民協会と名付けたのは共産党の人民戦線に対抗して保守の国民戦線をめざす意図があり、広く個人にも会員を募ろうとしたが、実際に会員として自民党に献金したのは経団連を媒介とした企業や業界団体であった。それでも比較的きれいな、ひも付きではない資金が自民党に流れ込む仕組みが形成された。前尾は資金の使い道を事後チェックする会計監督を廃止し、新たに財務委員長を設けて使い道について事前に関与できる制度に切り替えた。

池田内閣は所得倍増計画・経済成長政策を掲げ、「寛容と忍耐」の政治姿勢を打ち出し、昭和35年の総選挙にも圧勝して順調なスタートを切った。1961年(昭和36年)の通常国会は政治的暴力行為防止法案(政防法案)の扱いをめぐって紛糾し、岸派と佐藤派が倒閣の動きを見せた。池田首相は同年7月の内閣改造で抜本的な人事刷新を図った。佐藤栄作通産相、河野一郎農相、藤山愛一郎経企庁長官、川島正次郎行管庁長官、三木科技庁長官ら実力者を閣内に取り込み、大野伴睦が副総裁に返り咲いた。自民党幹事長には池田の右腕であり肝胆相照らす仲の前尾の起用に踏み切った。

このころ、前尾は糖尿病を患っており、その影響でいったんは治ったはずの肋膜(ろくまく)炎が悪化し、胸にうみがたまる膿胸の症状が出て病院で寝ていた。そこへ池田首相の意を受けた大平と黒金泰美が訪ねて来て「どうしても幹事長をやってもらいたい」と要請した。前尾は「この体では無理だよ」と固辞したが、最後は池田の説得を受け入れて「いつまで持つかわからんが」と受諾した。筆頭副幹事長は鈴木善幸である。政調会長には田中角栄、総務会長には赤城宗徳が起用された。

幹事長就任、「党の近代化」提唱

池田首相の「実力者内閣」の狙いは大野と河野を取り込んで岸、佐藤をけん制することであった。最も信頼する前尾を幹事長に据えて党運営や国会対策に万全を期し、総裁再選を確実なものにする狙いが込められていた。前尾、田中、赤城のトリオはともに初めての党三役だったので、当時は実力者内閣との対比で「軽量三役」と呼ばれた。前尾は幹事長就任に際して「党の近代化」を提唱し、政策の近代化、組織の近代化、資金の近代化に取り組んだ。

国民協会を設立して軌道に乗せることは資金の近代化であった。政策の近代化では所得倍増・経済成長政策の具体化として一世帯一住宅構想や道路整備5カ年計画などを取り上げた。1962年(昭和37年)7月の参議院議員選挙で自民党が勝利し、その直後の自民党総裁選で池田首相は無競争で再選された。佐藤派内では主戦論の保利茂と自重論の田中が激論を交わし、佐藤は結局、総裁選出馬を見送った。

総裁選後の内閣改造で佐藤、藤山、三木が閣内から去り、池田再選に功績のあった大平が官房長官から外相に、田中が蔵相になった。官房長官には池田の側近の黒金泰美が起用され、宮沢喜一も経企庁長官となった。前尾は幹事長に留任した。この当時、「岸派のプリンス」と言われた福田赳夫は池田首相の経済成長政策を痛烈に批判し、派閥解消を唱えて倉石忠雄らと「党風刷新懇談会」を結成して反池田運動の先頭に立っていた。

大蔵省同期入省の前尾と福田は、片や池田政権を守る幹事長、片や池田政権を攻める反主流派の急先鋒(せんぽう)として相対峙する立場に立った。前尾幹事長は福田らが提起した派閥解消問題を党内対立の材料とせず、党組織の近代化の観点から検討するため、三木武夫を党組織調査会の会長に起用して全党的に取り組む方針を示した。

1963年(昭和38年)7月の内閣改造で前尾はまたも幹事長に留任した。幹事長を3期連続3年務めるのは極めて異例であった。この時、池田派内で前尾を大蔵大臣に回して幹事長は他派に譲る案も検討されたが、池田首相は前尾留任を決断した。同年秋には総選挙が予定されていたし、翌年には総裁選が控えていた。総裁3選に意欲を持っていた池田にとって前尾幹事長は余人をもって代え難かった。

池田の秘書官だった伊藤昌哉によると、池田は同年9月の外遊中に伊藤に「前尾はこのままでいたらだんだん三木武吉になってしまう。もうそろそろ幹事長を3年やることになる。俺は3選しようと思えばできるだろうが、総裁の連続3選は幹事長3年連続には到底及ばない。前尾のやっていることは大変なことなんだ。しかしこのままでいったら、党務だけで終わってしまって、政治家として大成するかどうかわからない。なるべく早い機会に閣僚の経験を積ませて、しっかりしてもらわなければ」と述べたという。

▼幹事長退任までの歩み
1960年(昭和35年)7月
池田内閣発足、自民党経理局長に
1961年(昭和36年)7月
自民党幹事長に。「党の近代化」を提唱
1962年(昭和37年)7月
参院選で自民党勝利、幹事長留任
1963年(昭和38年)7月
3期目の幹事長に
同年10月
帝国ホテルで盛大な銀婚式
同年11月
総選挙で自民党勝利
1964年(昭和39年)7月
池田首相が総裁3選。幹事長を退任

前尾幹事長は解散・総選挙を間近に控えた同年10月15日、帝国ホテルの孔雀の間で多数の政財界人を招いて盛大な銀婚式を開いた。万事が地味な前尾には珍しい派手なパーティーだった。前尾夫妻は昭和14年に結婚したが、結婚式は簡素で新婚旅行にも行かなかったので当時「お互い生き延びて25年たったら盛大な銀婚式をやろう」と静子夫人に公約したことを実行に移したものであった。主賓の池田首相のあいさつが会場を大いに沸かせた。

「私と前尾君は『おい、おまえ』の仲と言われますが、『おい、おまえ』とも言わないほどの仲であります。『うん、うん』『ああ、ああ』これですむわけであります。『おい、おまえ』の間柄よりも牛に近い間柄であります」「前尾という男は立派な男ですが、立派なだけじゃございません。実に不思議な男です。25年も一緒におって子供ができないのも不思議です」

「彼は非常に酒飲みで大食家でございますが、それ以上に彼は読書家です。酒を飲み、ものを食う人はあまり読書はいたしませんが、かれは不思議な男で、酒を飲んで、ものを食うて、ほんとうによく本を読む男でございます。昔、私は子供の作り方を教えてやろうと彼の家に行ったのですが、部屋中、本だらけであまり作り方を教えられませんでした」

「あの図体で、あのつらで、ほんとうに小唄をやり、三味線をひき、踊りを踊ると大したものでございます。小唄も大したものらしゅうございます」「一番不思議なのは幹事長3選ということは政党の歴史にございますまい。そうして幹事長が総裁のところへほとんど来ないということも、これは不思議なんです。めったに来たことがございません。ほんとうに来たことがない。前尾君が総裁のところに行ったというのは、年に一ぺんか二へんじゃございますまいか。改造のときにちょっと来るくらいで、あとはいっさい来ない」

池田政権の大黒柱

同年11月の総選挙で自民党は284議席を獲得して勝利を収めた。前尾幹事長は総選挙後まで引き延ばしていたタクシー値上げを選挙が終わったので公約通り実施しようとしたが、池田内閣は公共料金の1年間凍結方針を打ち出した。前尾は幹事長が公約を破るのは重大だとして幹事長の辞表を黒金官房長官に託して引きこもってしまうことがあった。体調がよくなかったこともあるが、前尾は池田3選にこだわるより、当時、焦点になっていた国際労働機関(ILO)条約の批准・承認問題や日韓基本条約の調印を優先することを考えていた。しかし、佐藤派や岸・福田派の露骨な策動を目の当たりにして池田と腹合わせをし、池田3選に突き進む覚悟を固めた。

池田の秘書官・伊藤昌哉は「一見ぼんやりしているようなこの幹事長は、じつは池田内閣の大黒柱であった。池田の私邸にほとんどあらわれることがないが、池田の心を彼ほどよく知っているものはなかった。党内であるときは陰口をきかれ、あるときは正面きって罵倒されながらも、前尾幹事長はジッとこれをこらえた。政局の重みがこの前尾の一身にかかったことすらあった。泣きごとを言わず、不平をこぼさず、事態がどちらにころがってもいいように、つねに準備し、しかも自己の栄達をすこしも考えないこの幹事長は、こん身の力をふるって池田内閣を支えてきたのである」と述べている。

1964年(昭和39年)7月の自民党総裁選で池田首相は佐藤を破り、総裁3選を果たした。この総裁選で佐藤派と岸・福田派はすさまじい多数派工作を展開し、カネが乱れ飛ぶ大激戦となり、派閥解消を提起した三木調査会の答申はかき消されてしまうありさまだった。総裁選後の人事で前尾は幹事長を退任した。後任幹事長は三木武夫である。前尾は党の近代化と派閥解消を三木に託した。大野の死去で空席になっていた副総裁には川島が就任した。

川島副総裁と三木幹事長は「君が大蔵大臣にならないと党内がまとまらない」と前尾を口説いた。池田首相も大蔵大臣になれと直接言ってきた。しかし、体調のすぐれない前尾はこの3年間、入退院を繰り返し、ほとんど病院と国会・党本部を往復するような生活を送ってきた。幹事長退任を機に膿胸の大手術をするつもりだったので大蔵大臣を固辞し、無役になった。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 前尾繁三郎著「私の履歴書・牛の歩み」(74年日本経済新聞社)
 前尾繁三郎著「政治家のつれづれ草」(67年誠文堂新光社)
 前尾繁三郎著「政の心」(74年毎日新聞社)
 伊藤昌哉著「池田勇人その生と死」(66年至誠堂)

※1、2枚目の写真は前尾繁三郎著「十二支攷」より。3枚目は同「私の履歴書・牛の歩み」より

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