サッカー代表監督、日本人がなるための必要条件
日本のサッカー界に立派なコーチ養成制度があるのをご存じだろうか。ドイツなどを参考に、アジアでいち早く指導者養成のシステムを確立させたこと。それが今日の日本サッカーの興隆につながったことは間違いのないところだろう。
■コーチは6階層のピラミッド社会
昨日まで現役選手だった者が、今日からでも監督になれるのがプロ野球だとしたら、サッカーには日本サッカー協会公認の指導者免許制度があり、おいそれとはプロのチームを率いることはできない。その制度の最上位に位置するのが「S級ライセンス」と呼ばれるもの。これを取得して初めてJリーグのトップチームや日本代表を率いることができる。
コーチの世界はピラミッド社会だ。日本の場合はS級を頂点にA級、B級、C級、D級、キッズリーダーという層がある。A級を持つとJリーグの2軍チームや日本フットボールリーグ(JFL)、なでしこリーグの監督、Jリーグのトップチームのアシスタントコーチなどを務めることができる。
B級はユース年代(高校生)以下の監督、コーチをするのに必要で、C級以下のライセンスは主にジュニア(小学生)の指導を対象にしたものである。
■S級400人、プロリーグ設立の成果
S級という概念、ライセンスが生まれたのは1993年のJリーグ発足がきっかけだった。本邦初のプロサッカーリーグをスタートさせるにあたり、監督が従来どおり、企業の社員などであったら周りにしめしがつかない。プロの選手を率いるのはプロの監督であるべきだし、あまたのコーチの中でも特別な存在でなければならない。そういう考えのもとに、実技や座学を通じてしっかりとしたコーチング理論を身につけ、実戦経験を積んだ者に対してS級ライセンスを付与してきた。
現役時代にどんな大選手であっても、トップチームの指導者を志すのであれば、座学と実践を繰り返しながら下のカテゴリーから順次ステップアップしてS級までたどり着かなければならないのだ。
今ではS級保持者の数は400人を超えるようになった。私もそのうちの1人。よく「Jリーグは最初の10年で選手がプロ化し、次の10年で指導者がプロ化した。次の10年で必要なのはフロントのプロ化だ」といわれる。監督という職業を目指した仲間がこれだけ増えたのはJリーグが起爆剤になったことは間違いなく、プロリーグをつくった明確な成果と誇っていいのだろう。
■国内に日本代表託せる人材おらず?
一方で残念に思うことがある。S級の保持者が400人以上いて、なぜ、その中に日本代表を託せる人材がいないのか、ということである。93年のJリーグ発足後、日本代表の指揮を執った監督は加茂周さん、岡田武史さん以外は全員外国人である。ワールドカップ(W杯)本大会を戦ったことがある日本人監督は岡田さんだけ(98年、2010年大会の2度)。
プロとしての経験が浅かったJリーグ発足当初ならともかく、プロリーグができて20年以上がたち、400人以上の代表を率いる有資格者が国内にいるにもかかわらず、それでも外国人監督詣でが止まらないのは、国内には代表を任せるに足る人物がいない、ということになるのだろう。
その中の1人である私も、そういう日本サッカー協会技術委員会の判断を真摯に受け止めなければならないと思う。しかし、本当に国内に代表チームを任せるに足る人材がいないのであれば、S級ライセンスを付与して20年近くたっても、候補にすら名前が挙がらない制度自体にも疑問を持つべきではないだろうか。指導者養成が機能していないから、こんなありさまになっていると。
■コーチ能力に代表実績も加われば…
実情は違って、本当は国内にも優れた指導者はいる、というのであれば、指導者養成に携わる部門は抗議の声をあげてほしいものだ。「もっとしっかり見てくれ」と。それくらいのことはしてくれないと、国内の指導者の立つ瀬がないのではないか。
アンダーエージも含めて、今の代表チームのコーチングスタッフの顔ぶれを見ていると「元代表選手」の数の少なさに気づく。「世界」との距離を肌身で知る元代表の経験をもっと活用するという発想はないのだろうか。
ライセンス制度が選手時代の実績に関係なく、コーチとして有用な人材を登用するためにあることは百も承知している。「名選手、必ずしも名監督ならず」という格言はサッカー界にも通じる。指導者養成が選手時代の名声に引きずられる必要はないが、コーチングの能力がある上に、代表選手としての実績もあれば、指導者として鬼に金棒というものだろう。選手に対する説得力だって違ってくるだろう。そういう両方を備えた指導者を手元で育て、鍛えることを日本サッカー協会は一度、真剣に検討してみてはどうか。
■代表向き指導者、協会主導で英才教育
98年のフランス大会から5大会連続でW杯に出場するようになった日本は経験値の高い(元)選手をたくさん持てるようになった。W杯だけでなく、欧州のトップリーグで普通にプレーした選手だっている。そんな経験値をコーチとして生かさない手はない。彼らの中にコーチとして優れた資質を備えた者が必ずいるはずである。めぼしい人間につばをつけて、それこそ協会主導で代表チーム向きの指導者を選抜し英才教育を施し、自前で鍛え、育てていくくらいのことを考えてもいいのではないか。
頭が良くて、選手としての実績があると、マスメディアから先に仕事の声がかかってしまう。そうなると、なかなかコーチの仕事ができなくなる。報酬に民間格差があり、薄給のコーチなんかやっていられないというような事情はあるのだろう。それでも、代表のために役立ちたいという心意気を持った人間は探せばきっといると信じる。
■まずはアンダーエージ代表で修業から
一足飛びに代表チームの監督をやらせろ、と言いたいわけではない。例えば、U-17(17歳以下)の指導で実績のある吉武博文監督の下でアシスタントを務めさせながらアンダーエージのマネジメントを学ばせる。正規のアシスタントコーチのそのアシスタントでもいい。選手として代表経験がある、30代くらいの若いコーチを、そういう経験豊富な監督の下で修業させる。U-17の活動がないときは、その上のカテゴリーやフル代表の手伝いにいってもいい。
この仕事、現場の体験で学んだことに価値がある。感性が豊かで吸収力のある、若いうちにいろんな経験をさせたいのだ。まったく個人的な意見になるが、アンダーエージの代表からフル代表まで、コーチングスタッフの半数が代表経験者で占められてもいいくらいだと私は思っている。
■未熟なコーチ、選手のおかげで成長
自分自身の足跡を振り返ると、現役時代の25歳のときからコーチの勉強を始めた。選手として日本代表になったが、指導者としての経験値は足りなかった。未熟な若いコーチとしての私を大きく成長させてくれたのは苦楽をともにした選手たちだった。28年ぶりに五輪アジア予選の扉をこじ開けてくれるなど、選手たちが頑張って私を大きな舞台に連れていってくれた。
コーチと選手と立場は違っても、同じ釜のメシを食べたヒデ(中田英寿)やマツ(松田直樹=故人)は間違いなく"戦友"だった。アジアユースやアトランタ五輪、W杯日韓大会も一緒に戦った。彼らとの関係は彼らがいくつになっても変わらなかった。昔を知っているから、互いに何を感じているか、すぐにわかり合えた。それは02年日韓大会のベスト16に多少は役立ったと思っている。
勝利に近道はない。W杯のような大会で勝つには、腹を据えて未来のためにコーチ、選手を育てなければならない。世界に勝つためのベースを構築しなければならない。それには選手として世界と戦った経験のある者を優秀な指導者として育て、活用できるようにならなければならないだろう。
■コーチと選手が一緒に成長する場を
若いコーチが選手と一緒に成長していける場を代表で用意してやってほしい。ひとりの選手の、15から30歳までを伴走するような若いコーチを育てれば、仕える監督が入れ替わっても、そのコーチと選手の間の関係は保たれる。それもまた、代表でしばしば語られる、チームとしての継続性というものではないだろうか。
世界との戦いを経験した元選手、選手たちは日本サッカーにとって貴重な資産である。その資産を眠らせておくのはあまりにもったいない。
(サッカー解説者)