日中戦後賠償と国際法 浅田正彦著
共同声明の意義「日華」踏まえ検証
1951年9月8日――連合軍による占領に終止符を打ち、主権回復がなったサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)が署名されたこの日こそ、日本の「戦後」がスタートした日である。「単独講和か、全面講和か」の議論が沸騰する中、講和会議には中国の代表は招請されなかった。代わって「中華民国」(台湾)と締結されたのが日華平和条約で、台北での署名は、講和条約が発効したのと同じ52年4月28日であった。
日付の符合をはじめ、本書は日華平和条約の適用地域や内容、位置づけ、そしてその終了を「不可解な未解明部分」として検討の俎上(そじょう)に載せる。交換公文に適用範囲は「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域」とされるが、同条約議事録では「又は今後入る」を「及び今後入る」とする中華民国政府に対し、日本側はこれとは異なる応答を行う。
これは交戦国としての中国との間の平和条約なのか、それとも台湾に局限された一地方政権との間の地域限定的な条約なのか。はたまた日中間の戦争状態は「法律的には日華平和条約により終了した」としつつ、72年の日中共同声明で最終的に解決したとする日本政府の立場はどのように理解さるべきか。同様に、賠償・請求権も日華平和条約で法的に処理済みとしつつも、請求権問題は日中共同声明発出後、存在していないとする政府見解をどう理解すべきか。
こうした日華平和条約に関わる問題は同条約の検討だけでは解明できない。本書は、日中共同声明に関わる疑問と共に解明されなければならないとし、日華平和条約と日中共同声明とをサンフランシスコ条約や条約法に関するウィーン条約なども含めて国際法的な側面から検証。国会答弁なども渉猟しつつ丹念に検討している。国際法的な問題の解明は、近年、中国で日本企業を相手とする戦後賠償裁判が提起されているだけに、学術的な価値だけでなく、現実的意義も大きい。
今日の日中関係を根底から規定する72年の国交正常化の枠組自体の裡(うら)に重大な瑕疵(かし)が存在していたのか。それとも、72年体制は、歴史的制約の下、最良の選択だったとしても、その後の冷戦終焉(しゅうえん)や、彼我の経済パワーの逆転など国際環境の激変、双方の内政状況の変化を受け、今や往時のベストの選択も色褪(あ)せたのだろうか。
本書には必ずしもこうした問いが直接掲げられている訳ではない。だが、近年の日中関係を理解する確かな《導きの糸》は得られるに違いない。
(法政大学教授 菱田 雅晴)
[日本経済新聞朝刊2015年5月10日付]