500円玉だけなぜ流通増える? 電子マネーと「使い分け」
エコノ探偵団
「五百円玉の出回り量が増えているそうじゃ」。神田のご隠居、古石鉄之介が事務所に情報をもたらした。探偵、松田章司は「硬貨はみな減っていると聞いていたのに、なぜ五百円玉だけが人気なのかな」と首をかしげ、調査に乗り出した。
章司は世の中にどれだけの量の硬貨が出回っているかを調べた日本銀行の流通残高統計に目を通した。「日常で使われている硬貨は全部で6種だが、平均残高が伸び続けているのは最高額面の五百円玉だけだ」
他の硬貨は減
2007年度からは五十円玉以下の4種が前年度を下回り、09年度には百円玉も減り始めた。五百円玉は11年度上半期(4~9月)が1兆9763億円で、07年度を3.6%上回った。
「そもそも五百円玉を除く硬貨が減っているのはなぜですか」。章司が野村総合研究所で尋ねると、上級コンサルタント、安岡寛道さん(42)が答えた。「電子マネーの普及が一因だと考えます。主に1件千円以下の小口決済で利用されるので、支払いや釣りに使う硬貨の需要が低下します」
電子マネーとは主に、ある程度の金額をチャージ(充填)したカードなどを店頭で読み取り機にかざし、代金を引き落とす決済手段。安岡さんによると、発行済み電子マネーは1億3千万枚以上で日本の人口を超えた。決済額は1件平均で800円前後とみられる。決済総額は10年度が計1兆9千億円で、小口全体の4%前後に達した。
ビットワレット(東京都品川区)が運営する電子マネー「Edy(エディ)」のチャージ額は1回平均で3千~4千円。同社取締役の清水哲朗さん(44)は「小銭の使用を減らすことは電子マネーの目的の1つ。もっと高額の決済で利用するクレジットカードとすみ分けています」と語った。
「どうして五百円玉だけは減らないんだ」。混乱する章司は財務省を訪問した。硬貨の製造計画を担当する通貨企画調整室長の室屋充さん(56)は「五百円玉に底堅い需要があり、電子マネーの影響を受けにくいと思います」と明かした。
「ヒントかもしれない」。章司が第一生命経済研究所に向かうと、首席エコノミストの熊野英生さん(44)が応対してくれた。「どこでも電子マネーを使えるわけではないので、かさばらず使い勝手の良い五百円玉と千円札も持ちます。小銭で財布やポケットを膨らませたくない人にとって『お金』とは五百円玉、紙幣、電子マネー、クレジットカードのことです」
100円ショップ、キャンドゥ荻窪タウンセブン店(東京都杉並区)の店長、川脇大治郎さん(38)も「余分な小銭を嫌う客が目立ちます」と証言する。「例えば630円の代金ならば1130円を支払い、釣りに五百円玉をほしがる客が数年前より増えました。五百円玉を受け取ることも多いのですが、釣り銭としてまた出て行くのであまりレジにはたまりません」
両替機も対応
「五百円玉は硬貨というよりも紙幣に近い動きをみせます」。通貨に詳しい一橋大学教授の北村行伸さん(55)が章司に、紙幣と硬貨の流通残高のグラフを見せた。「主な紙幣と五百円玉は同じく右肩上がり。デフレの定着で500円以下の商品が増え、千円札などの紙幣の釣りとして五百円玉のニーズが高まっているからだと思われます」
北村さんが五百円玉の需要増に貢献したと考えるのが自動販売機だ。「千円札が使える自販機は普通、釣りの中に五百円玉がまじります。五百円玉の方が百円玉5枚よりも内部の空間を節約できるので、メーカーにはありがたいのです」
インターネットを通じた新生フィナンシャルの4月調査によると、20~50歳代の男性サラリーマンが昼食にかけるお金は平均490円。01年より3割低い。小遣いの減少傾向が続く現状に外食店が対応、五百円玉1枚で払える「ワンコインランチ」が目立ってきた。
日本レストランエンタプライズは8月、東京のJR渋谷駅地下のレストランで500円の日替わりランチを出し始めた。同社の斎藤大輔さん(37)は「もともと500円以下の飲料だけを注文する客も多いので、釣りの五百円玉は両替し、多めに用意しています」
メーカーのグローリーは10月、新型の両替機を発売した。内部空間の一部を五百円玉と百円玉の間で融通できる。需要が高い方の硬貨には広く、低い方には狭くする。同社の小池憲弐さん(53)は「両替機を使う商店主などに五百円玉の人気が高く、金融機関は中にためておくコインの枚数を柔軟に増減できる機械を求めていました」と話した。
「貯金」も一因
「五百円玉は貯金用にもピカイチです」。ニッセイ基礎研究所の主任研究員、矢嶋康次さん(43)が章司を呼び止めた。五百円玉には(1)家族のだれもが手にする機会がある(2)適度に重く貯金の実感を得られる(3)小ぶりの貯金箱でも家族旅行やテレビの買い替えができる額をためられる――などの利点があるという。
五百円玉用の貯金箱ではタカラトミーが06年末に売り出した「人生銀行」が4年間で50万個を出荷する大ヒットを記録した。もっとシンプルな貯金箱は雑貨店などで定番商品になった。貯金箱には2日に1枚を入れても、10万円に達するまでに1年以上かかる。この間に五百円玉は「たんす預金」の一部になる。
アイシェア(東京都渋谷区)が08年8月、ネットを通じ全国の20~40歳代を中心に聞いたところ、貯金箱を持っている人の4割が五百円玉で貯金していた。
事務所で章司の報告を受けたご隠居は満足して帰った。所長が章司をねぎらった。「よくやった。次の給料袋は重くなるぞ」。章司の目が輝いた。「昇給ですね」。所長が首を横に振った。「いや給料をすべて五百円玉で渡す。一部を事務所の貯金箱に入れるんだ」
<経済停滞でも紙幣増加>たんす預金、旧札まだ10兆円
五百円玉を除く硬貨の流通残高が減る一方、紙幣は増え続けている。日銀資料をみると、11年度上半期の平均残高は80兆円弱で、00年度を40%上回った。紙幣の流通残高は通常、国の経済規模に応じて増減する。だが、1990年代前半のバブル経済崩壊後、名目国内総生産(GDP)が年500兆円前後で伸び悩んでも、紙幣が減る気配はない。
名目GDPに対する紙幣の流通残高の割合は10年度が16.3%。91年度の6.8%の2.4倍に拡大した。04年度にデザインを変更する前の「旧札」の回収は遅れている。最高額面の一万円札については9月末現在、総残高の14%にあたる10兆円分(10億枚)がなお旧札のままだ。みずほ総合研究所のシニアエコノミスト、野口雄裕さん(41)は「未回収の旧札の大半は個人が退蔵する『たんす預金』でしょう」と推定する。
日銀によると、3月の東日本大震災に伴う津波などで傷み、交換された紙幣や硬貨は10月21日までに東北6県で計35億円。95年の阪神大震災後の半年間で交換された8億円の4倍を超える。その一部は個人が持ち込んだ「旧札」だった。銀行を不安視する個人が預金を避け手元に現金を積み上げている。
(編集委員 加賀谷和樹)