“ストーンズをつくった男”ブライアン・ジョーンズの人生を映画化。

2006/04/05 18:53 Written by コジマ

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先月22日から日本公演をスタートさせたザ・ローリング・ストーンズ。平均年齢61歳ながらそのパフォーマンスは衰えることを知らず、今回の世界ツアーでも多くの観客を熱狂させている。そんな世界一の大物バンドも、44年の歴史のなかではさまざまな事件や出来事が起きているのだ。そのなかでも「オルタモントの悲劇」*と並んで最大なのが、バンド草創期のリーダーで名付け親でもあるブライアン・ジョーンズの死ではないだろうか。自殺、他殺、事故など多くの憶測を呼んだ死因を含め、彼の人生を描いた映画「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」(原題「STONED: The Original Rolling Stone」、スティーブン・ウーリー監督)の今年の夏から日本でも公開されるのだ。

ザ・ローリング・ストーンズのデビュー前、ブライアン・ジョーンズとミック・ジャガー、キース・リチャーズは同じアパートで暮らし、バンド活動だけでなく、盗み、ドラッグ、女遊びなどさまざまな悪さをしていたのだ。このときリーダー格だったのがブライアン。ミックやキースより1つ年上だったこともあるけど、端正なルックスや楽器演奏技術が優れていたことも2人に一目置かれた要因だろう。実際、キースはのちに「(別のバンドのステージにゲスト出演していた)ブライアンのスライド・ギターを初めて聴いたときは腰を抜かした」と語っているのだ。

ブライアンはギターだけでなく、ピアノやクラリネット、ハーモニカ、シタール、タブラ、ダルシマー、マリンバ、そして当時最新鋭の楽器だったメロトロンまで、少しいじっただけで弾きこなせたのだそう。ビートルズのシングル「レット・イット・ビー」のB面曲「ユー・ノウ・マイ・ネーム(ルック・アップ・ザ・ナンバー)」ではサックスで参加しているのは有名な話で、彼の高く幅広い演奏技術がストーンズの音楽性を広げていった。デビュー前、音楽活動に本気だったのもブライアンだけというし、そもそも、ザ・ローリング・ストーンズという名前自体、ブライアンがブルースの神様マディ・ウォーターズの名曲「ローリン・ストーン」から命名したのだ。

こうしてブライアンの牽引により瞬く間にトップスターにのぼっていったストーンズだけど、ビートルズの宣伝担当をしていたマネジャーのアンドリュー・オールダムは、ビートルズの成功からオリジナル曲の必要性を考え、ソングライティングをメンバーに促した。作曲の才能を開花させていくミックとキースの「グリマー・ツインズ」に対し、あくまで「本物のR&Bを白人に聴かせたい」としてオリジナル曲を書かないブライアンは、次第にバンド内での権力を失っていったのだ。

ブライアンの存在を苦々しく思っていたアンドリューと、もともと自己顕示欲や支配欲が強いミック、ポップ志向の強いキースへと主導権が移っていったことで、ブライアンは活躍の場を失い、バンド内でも孤立、ドラッグに溺れるようになった。さらに、恋人のアニータ・パレンバーグがキースに奪われたことにより、キースとの仲が悪化。これが彼のドラッグ中毒を加速させたのだ。

その後、バンドの方向性に合わない重症ドラッグ中毒のブライアンは、メンバーのお荷物になっていった。ストーンズのメンバーはドラッグ関係で何度も逮捕されているし、キースものちに深刻なドラッグ中毒になるのだけれど、ブライアンの場合はもっと重症だった。その様子は、映画「ワン・プラス・ワン」(ジャン・リュック・ゴダール監督)に収められている。

1969年、ついにブライアンはストーンズを正式に脱退した。新バンド結成を目論んでいたというから自分の意思もあったのだろうけど、要するに、ミックとキース、アンドリューがクビにしたのだ。ストーンズはブライアンなくして成功しなかったのに……。これについて、ミックやキースはごまかそうとしているフシが随所に見られるのだけれど、ドラムのチャーリー・ワッツは「ブライアンにとってかけがえのないものを奪ってしまった」と語っているのだとか。

そしてその年の7月2日、「くまのプーさん」の作者であるアラン・アレクサンダー・ミルンの邸宅を買い取った英サセックスにある自宅のプールで溺死しているのを発見された。27歳だった。3日後、ストーンズはブライアンの後任のミック・テイラーを迎えてロンドンのハイド・パークで「ブライアン追悼」のフリーコンサートを行ったのだけれど、7月10日に行われた葬儀に出席したメンバーは、チャーリーとベースのビル・ワイマンだけだった。

ブライアンの死に関して、当時の検視官はアルコールとドラッグの過剰摂取で溺死したと「事故死」の発表をしたのだけれど、実際に検出されたアルコールとドラッグは微量だったことから、他殺説や自殺説が浮上したのだ。そして、2階で寝ていた恋人のアンナ・ウォーリンが証言した「あの晩にあのプールにいたのはブライアンを含めて4人」のなかの1人で、ブライアンの自宅を改築した友人のフランク・サラグッドが、93年の亡くなる直前に殺害を認めたのだ。

このような、ストーンズを取り仕切っていた時代からアンドリューとの確執、そして“サラグッドによる殺害”までを描いた映画が、「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」なのだ。入念な調査とアンナの協力を得て、「007」シリーズなどを手掛けた脚本家チームが執筆したのだとか。英国ではすでに昨年11月に公開されており、スティーブン・ウーリーは今回が初監督作品ながら、各界から高い評価を得ている。この映画を観た人の話では、「時系列がバラバラで難解だけど、60年代のサイケ映画の雰囲気を見事に醸しだしている」とのこと。ブライアン役にレオ・グレゴリー、キース役にベン・ウィショーなどの新進気鋭の若手俳優を起用し、GQ誌は「レオ・グレゴリーは英国のデ・ニーロだ」と絶賛している。

ブライアンの話題になると、ストーンズのダークサイドが強調されるのだけれど、バンドの長い歴史のなか、そして粗野だった時代のなか、こういうことが起こっても仕方ない気がするのだ。バンドやってるヤツなんてチンピラみたいな人が多いし(笑)。でも、ブライアンの墓に「僕に冷たくしないでくれ」と刻まれているのは、涙を誘う。

それにしても、ブライアンだけでなく、ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーンと、27歳はミュージシャンにとって厄年なのだろうか。


*オルタモントの悲劇……1969年、米東海岸で行われて大成功したウッド・ストックに対抗して、西海岸のカリフォルニア州オルタモントで行われたフリーコンサートで、ザ・ローリング・ストーンズが演奏中、警備に雇った暴走族ヘルズ・エンジェルスが拳銃を手にした観客の黒人青年をナイフで刺し撲殺した事件。ウッド・ストックでかなえられた「愛と平和」の夢に対し、オルタモントでは「暴力と殺戮」の現実を見せつけられた。このコンサートの様子は、リンチシーンも含めて70年に公開された映画「ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター」に収められている。

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