My News Japan My News Japan ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

オリコンうがや訴訟5 元オリコン編集長「創業期はランキング操作をしていた」

情報提供
ReportsIMG_I1175585759738.jpg
政治ジャーナリスト渡辺正次郎氏。創業期のオリコン発行の雑誌『総合芸能市場調査』の編集長だった。当時、レコードの売り上げデータは、店主と編集長で「適当につくっていた」と証言。
 4月3日、「オリコンうがや訴訟」は第2回公判を迎えた。『サイゾー』編集部のインタビューに答え、オリコンチャートの信憑性に疑問を投げかけるコメントをした烏賀陽弘道氏に対し、オリコンが名誉毀損であると5千万円の損害賠償を求めた裁判だ。フリーランスを中心に注目されているものの、ランキング情報に敏感な音楽業界からは、この事件について論評らしいコメントはない。音楽業界に詳しく「オリコンの原型をつくった!」という元オリコン編集長の渡辺正次郎氏(ジャーナリスト)が、メディアも業界も沈黙するオリコン裁判について語った。

 第2回目の公判(2007年4月3日)から、オリコンが烏賀陽弘道氏を訴えた名誉毀損訴訟「本訴」と、この訴えそのものが違法であるとして、烏賀陽氏がオリコンを訴えた「反訴」が平行して審理されていく。

 双方の書面を予め読んでいた裁判長が、双方の弁護士に対してきびきびと質問をしていくが、傍聴席にいる者たちには何が語られているのかはわかりにくい。所要およそ10分ほどで今回の公判は終了した。法廷終了後に、烏賀陽弁護団の釜井英法弁護士によるレクチャーが開かれ、ようやく法廷闘争の内実がわかった。

 烏賀陽氏の反訴では、威嚇目的の裁判ではないか、との論点に対して、オリコン側からは「名誉毀損訴訟では判決に至らず、円満に解決することがよくある」との答弁があった。釜井弁護士は、「開き直りですね」と苦笑していた。

ReportsIMG_H1175585485825.JPG
4月3日の口頭弁論が終わった後、マスコミ向けブリーフィングにて語る烏賀陽弘道氏(東京地裁隣の弁護士会館5階)。
 雑誌を訴えずコメントした個人だけを訴えた暴挙についてオリコン側は、烏賀陽氏のジャーナリストとしての実績を高く評価したうえで、「ただの個人ではない」と答弁。これに対して烏賀陽氏は「支離滅裂だ。この程度の論理的準備で訴えたのか」と呆れていた。

 このオリコン裁判をウォッチしてきた我々としても「この程度かよ」と呆れる場面が多かった。こうしたオリコンの体質はいったいどうやって作られたのか。オリコンという会社の歴史を遡るべく、創業期を知る渡辺正次郎氏にオリコンの原点について聞いた。

 政治ジャーナリストの渡辺正次郎氏は、オリコンの創業期に、同社が発行していた「総合芸能市場調査」という業界紙の編集長をしていた人物である。

◇渡辺正次郎氏が「適当につくった」データ
ReportsIMG_G1175734628354.gif
反訴被告(つまりオリコン側)の答弁書より。「反訴原告は単なる一個人ではない」としたほか、オリコンによる訴訟が威嚇目的だとの指摘に対し反論しているが、何度読んでも意味が分からない。
--オリコンの裁判について、メディアも音楽業界も沈黙をしています。これをどう思われますか?
 誰も彼(烏賀陽弘道)の味方をしないよ。音楽業界の連中がランキングに関わっているからね。
--なぜメディアが書かないのか?

 オリコンはランキング操作をしているからだよ。
--もともとそういう会社なんですか?

 業界紙なんだから! 業界紙は業界からお金をもらっているわけだから。一般広告は入らない。だから当然ですよ。
--「芸能市場調査」を編集していたときは、渡辺さんが足でまわって、この店で何枚売れたのかをきちっと確認して出していますよね。

 いやいや。あのランキングだって、ぼくがみんな適当につくったんだから。

 「Aランク」は1週間に150枚くらい売れる。Bは130枚くらい。Cは100枚くらいかなぁ。ABCってランキングは僕がみんな勝手に作ったんだから!

 その当時のレコード店なんか在庫調べなんかしていなかった。
--あらまぁ。
 「データ出てます?」
 「忙しくてやってないよ。渡辺さん」
 「まいったなぁ。今日が締め切りなんだからちゃんとしてよ」
 「じゃあ渡辺さん、勝手につくってよ」と言うんだもの。

 「あの店ではこのレコードが1位の売り上げでしたよ」「あ、それ! うちでも売れています。それを1位にしてください」

 まったくそういう風だった!
 こうやってオリコンは創業期に渡辺正次郎氏の力で音楽業界紙「総合芸能市場調査」(現在の「OCオリジナルコンフィデンス」誌)を立ち上げて、上場企業になるまで成長していく。

 いま二代目の小池恒社長は、創業者聰行氏の息子。この小池社長が、ジャーナリスト烏賀陽弘道のオリコンチャートの信頼性に疑問を投げかけるコメントが名誉毀損であるとして、訴えてきたのだ。

 このように、渡辺正次郎氏は、創業者の小池聰行(故人)とともに働いた経験から、「オリコン創業期のレコード売り上げデータの信頼性はまったくない」と証言している。音楽業界ではそれは周知の事実であるという。

◇創業者小池聰行は音楽を知らず
 渡辺氏に立ち上げの経緯を聞いた。

 僕は、ある会社の秘書をやめて、国際ニュース社に入社した。その会社の専務が小池(聰行)だった。

 入ったとたんに、小池がこれからは「音楽をやる」と言ったんだ。昭和30年代でしたかね。国際ニュース社はラジオ専門の業界紙を発行していた。音楽の業界紙を出したいという。

 僕は詩を書いていた。作詞もおもしろいなぁ、と思っていたから。やることにしたんだ。

 小池は音楽のオの字も知らないんだからね。曲どころかレコード会社の存在自体も知らない。コロンビアとビクターは知っていたかなぁ。

 入社して半年くらいしたら小池が「渡辺君、レコード会社の歴史を知っているか?」と言う。僕は歴史に興味がない。小池は「コ・ビ・キ・テ・ト」と言った。
--それは、どういう意味ですか?

 「コロンビア、ビクター、キング、テイチク、東芝」と言うんだよ。「そんなことを覚えてきたんですか? ぼくは歴史なんかどうでもいい」と呆れていた。

 僕は当時22、23歳で、「芸能市場調査」という業界紙の編集長をすることになった。

 業界紙がよく分からなかった。やたら専門用語で書いてある。こんな記事売れないんじゃないか。文語体で書いてあるわけ。だから口語体で書いた。当時売れていた芸能雑誌「週刊明星」のタッチにあわせて書いたんだ。その書き方が、業界紙のなかで驚かれちゃった!

 「こんなレコード売れるわけないでしょ!」と書いたからね。ものすごく反響を呼んだんですよ。

 ランキング情報をワラ半紙で3枚,4人でつくった。これが「芸能市場調査」の原型です。

 でもわら半紙だから、「明星」「平凡」の下に置かれてしまって目立たないわけ。僕は悔しかった。ゴミ箱に捨てられてましたからね。そこで僕は小池に「ワラ半紙を広げたサイズにしよう」と言った。いまでいうとA4よりも大きいサイズ。片面に3200字入った。

 でも、載せる記事がない。しょうがないから、レコード店4店舗の売り上げランキングを20位まで載せた。これに店長の感想文を付け加えた。裏は白紙。そうしたら「明星」「平凡」の下に置いても、サイズが大きいからじゃまになって、目につくようになって、宣伝担当者が机の上に置くようになった。

 そこで僕は小池に「紙をオレンジにしましょう」と言った。いまもオリコンの雑誌の色はオレンジでしょ。みんな僕が決めたんだから!

 「芸能市場調査」が、「オリジナル・コンフィデンス」と名前を変えても、みんな雑誌の名前を知らない。僕が自分でレコード店にアポをとって、店長と親しくなって売り上げデータをもらうわけですよ。
ReportsIMG_J1175734630198.gif
上:渡辺正次郎さんの著作。『この国の恥ずかしい人々』では、テレビ、マスコミ、政治家、財界、官僚を徹底批判。渡辺さんは「過去を振り返らない男」だと言う。今回、過去を振り返ってもらった。

下:オリコン創業者の故・小池聰行の著作。『オリコンデータ私書箱』(1991年 オリジナルコンフィデンス発行)で、オリコンチャートの算出方法について詳述している。レコード売り上げ枚数に「季節変動などの要素を加えながら」「オリコン独自の係数をかける」作業をしてチャートができるという。やはり「適当」という印象がぬぐえない。

◇辞めるときに保証人10人求められた
 僕はオリコンを辞めるとき、保証人の署名10人とられたんだから。

 「会社を辞める」と言ったら、小池が「保証人10人出せ」と言った。最初は意味が分からなかった。

この先は会員限定です。

会員の方は下記よりログインいただくとお読みいただけます。
ログインすると画像が拡大可能です。

  • ・本文文字数:残り1,413字/全文4,464字
公式SNSはこちら

はてなブックマークコメント

もっと見る
閉じる

facebookコメント

読者コメント

沢口2008/02/01 02:51
※. コメントは会員ユーザのみ受け付けております。
もっと見る
閉じる
※注意事項

記者からの追加情報

本文:全約5,300字のうち約1,550字が
会員登録をご希望の方は ここでご登録下さい

新着のお知らせをメールで受けたい方は ここでご登録下さい (無料)

■オリコン訴訟の詳細は、うがやジャーナル
■オリコンうがや裁判のトップページはこちら
■第3回公判:2007年6月12日11時~。東京地裁709号法廷