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  【 会津の天才連歌師TOP 】
 野口英世の父・佐代助 
 
 ”天才”の血受け継ぐ人物


 ところで、猪苗代が生んだ世界的医聖・野口英世を知らない日本人は少ないだろう。青少年に読まれる偉人伝の常にベストテンを飾る、いわば我(わ)が国を代表する偉人の一人である。

 貧しい農家に生まれ、一歳半の時に囲炉裏(いろり)に落ちて左手に大火傷を負った野口英世は、その身体的ハンディーをばねに変えて、強靭(きょうじん)な肉体と精神力で勉学に励み、様々(さまざま)な知遇を得て医学の高みに昇りつめるのである。その英世を支え、一家の暮らしを一身に支えたのが母シカだと言われている。

 だが、平成16(2004)年に千円紙幣の顔としてお札が世に出た頃(ころ)から、野口英世にまつわる伝記も今までにない見方がされるようになってきた。英世の父、佐代助にも日の目が当たるようになってきたのである。

 野口英世の父、佐代助は耶麻郡中小松村(現、猪苗代町小平潟(こひらがた))小桧山惣平の長男として、嘉永4(1851)年に生まれた。

 小桧山六郎氏著『野口英世を育てた人々』には、「佐代助が生まれた小桧山家は、室町時代の連歌師・猪苗代兼載と同じ紋所を持つ佐藤家の分家に当たり、佐代助には兼載の血が流れている」と記されている。

 また、北篤氏著『正伝野口英世』によると、「小桧山家は代々学者組と呼ばれる優秀な家系で、この家から出た役場の戸籍係をした人は、一村全体の戸籍をすべて暗記していたというほどの驚くべき記憶力だった」と言う。

 そして英世の母シカは、夫佐代助のことを、「おとっつあは、天神様を背負ってきたんだべ」と、英世の頭の良さは、夫に似ていると例えたそうだ。

 英世の恩師であった小林栄氏は、その著書『博士の父』で、佐代助について、
 多くの人は、父が酒飲みで家人に難儀をさせたことを悪く言うが、それではあまりにも気の毒だと思う。父上は決して悪い人ではない。まことにさっぱりとした良い人で無邪気な人である。その体は小作りで、博士は父に似ていると思う。手先の器用な人で、農業などしても巧者な人であった。感心なことに、博士の自慢話は少しもしたことがない。それに月に一度は必ず自分の生まれた村にある小平潟天満宮に参拝して、博士の成功を祈っていた。
と、記している。

 これらのことから、野口英世は、小桧山家の優秀な頭脳を受け継いだと考えられるし、ひいては猪苗代兼載の血をひく人物だとも言えるのである。

 さらに、父佐代助に即して英世を捉えると、兼載そして小平潟天満宮というラインが見えては来ないだろうか。

 さて前述したように、囲炉裏に落ちて大火傷を負った英世の左手は、四指が癒着(ゆちゃく)し、幼い頃周りから「てんぼう」とからかわれた。

 この不幸は彼にとって、後の世界的医聖への発奮を動機づける大きな要因となった。

 この事と、前節で述べたように、かつて猪苗代兼載が諏訪社の連歌の席に臨むことを嫉(そね)み阻(はば)まれ、誤って折られた指から志を立てた「兼載の一指憤」を想起すれば、英世と兼載は両者とも、自らに襲いかかった不運を、後の大成へと飛躍するバネに変えたという点でも重なりはしないだろうか。


会津の天才連歌師 猪苗代兼載没後500年記念

戸田 純子

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野口英世の父・佐代助
野口英世の父佐代助は、兼載の血筋の可能性がある=野口英世記念館提供

【2009年10月7日付】
 

 

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