- (二) オウム真理教の宣伝に「文化人」「有名人」らが果たした役割
オウム真理教は、マスコミを使って疑惑否定の宣伝を行い、教団の宣伝を行うことにことさら熱心であったが、その方法として「宗教学者」「文化人」「有名人」を利用することを意図的に追求していた。そしてそのオウム真理教の方針に結果的に乗せられた「宗教学者」「文化人」「有名人」もいた。
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その中では、特に坂本事件発生直後、「宗教学者」中沢新一氏の果たした役割が大きい。
- 松本智津夫らがドイツのボンに集団脱出する直前、中沢氏は、松本智津夫と2時間語り合ったとして、その対談を雑誌週刊SPAに「狂気がなければ宗教じゃない オウム真理教教祖が全てを告発」と題して掲載している。また、週刊ポスト12月8日号では、「オウム真理教のどこが悪いのか」という見出しのインタビュー記事で、オウム真理教や松本智津夫の人物像を語っている。
- そして週刊SPAの中で、中沢氏は
- 「例の弁護士さん一家失踪事件という不可解な事件のことです。これについて本当のところをお聞かせ願えませんか。オウム真理教を今の時期、弁護しなきゃならないという義務を感じているものですから(笑い)その点だけはっきりしていないと、どうも腰のすわりが悪いのです。」
- と松本智津夫に言い、松本智津夫に
- 「それについては、私たちの方こそ、狐につままれたような気分なのです。先日の記者会見で説明しましたように、あの事件についてはオウム真理教は全く関係がないとしか、言いようがないのですよ。それというのも、失踪された坂本弁護士は、確かに『被害者の会』というのの顧問弁護士ではある方なのですが、彼だけが特別な能力をもった弁護士というわけでもなく、ほかにも弁護士はたくさんおりますからね。たとえその人がいなくなったとしても『被害者の会』がなくなることもありません。だとすると、オウム真理教が(そんな事件を)やる意味は全く見あたらないのです。」
- と言わせている。
- そしてさらに中沢氏は
- 「では『尊師』は、『先生』を前に、はっきり否定なさるわけですね。」
- と念を押し、松本智津夫に
- 「はい。もちろん否定します。」
- と答えさせている。
- さらに中沢氏は
- 「それなら、『弁護士』としても気が楽になりますけどね。くどいようですけど、仮に若い連中が麻原さんの気づかないところでやっちゃったということも、ないですよね(笑い)。」
- と念を押し、松本智津夫に
- 「もちろんですよ。」
- と答えさせて、そして最後に坂本弁護士一家事件について
- 「わかりました。もうこの問題には立ち入りません。」
- と締めくくっているのである。
- また週刊ポストの中では、中沢氏は松本智津夫について
- 「僕は彼が顔に似合わずとても高度なことを考えている人で高い意識状態を体験している人だと認めています。日本のいまいるいろいろな宗教家の中でも知性においてかなり上等なレベルにいる人だとおもいました」「僕が実際に麻原さんに会った印象でも彼はウソをついている人じゃないと思った。むしろ今の日本で宗教をやっている人の中で、まれにみる素直な人なんじゃないかな。子供みたいというか、恐ろしいほど捨て身な楽天家の印象ですね」
- と語っている。
- 更に、坂本弁護士一家事件についても
- 「さっきもちらっと言いましたけど、今問題になっている横浜の弁護士失跡事件で、もし、万が一、オウム真理教の組織の末端が、家族ごと拉致するというバカな犯罪行為を犯していたとしたら『困るんだなあ』と麻原さん無邪気に語ってましたけど、そうなるとオウム・バッシングは正義を得て致命的なものになってしまうでしょうね。これは、僕にとっても日本の社会にとっても非常に残念で、困ったことなんですよねエ。」
- と語っているのである。
- 総じて、これらの発言、対談は、オウム真理教に対する坂本事件への疑惑を打ち消す方向でなされ、かつ松本智津夫及びオウム真理教を非常に高く評価しているものとなっている。 この記事が載った雑誌が出版されたのは、坂本事件が起きてわずか一ヶ月の時期であり、オウム真理教に対する疑惑で、世間が騒然としていた時期である。この時期に、中沢氏が敢えてこのようなオウム真理教・松本智津夫を認知し、擁護する発言を行った意味は大きい。
- しかも、中沢氏はチベット仏教をもとにした著書もある「宗教学者」であるだけに、社会に一定の影響を与えると共に、オウム的なものに興味を持つ人たちに、「オウムは間違ったことをしていない」という誤った印象を与え、現にこの記事を読んでオウム真理教に興味を持ち、入信したという者も現れた。そして、オウム真理教が坂本事件、坂本事件による疑惑自体を「弾圧」と称して攻撃する上で大きな根拠を与えたことを忘れることはできない。
この中沢氏の記事の後、オウム真理教を肯定的にとらえる論評や、松本智津夫らの弁解、宣伝をそのままのせる報道が増えることとなった。そのオウム真理教の疑惑隠しに結果として利用されたのが、島田裕巳氏であり、吉本隆明氏、荒俣宏氏、栗本慎一郎氏、ビートたけし氏らであった。国土法違反事件以降になると、更に池田昭氏らが加わってきた。
- 島田氏は、「オウムは特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる(週刊朝日1991年10月11日号)」「非常に東洋的なね、宗教の伝統の上にあるというのは間違いなくって、今はオウム真理教というスタイルをとってはいるけれども、非常に伝統的であると。そこで、非常にわかりやすいんですよ。(朝まで生テレビ)」などと発言し、オウム真理教擁護の役割を果たしてきたし、さらに、1995年に入って松本サリン事件に関するオウム真理教への疑惑が高まっていた時期に、オウム真理教の第七サティアンに招き入れられ、その後、これを単なる宗教施設であるとして、オウム真理教の弁解をそのまま繰り返していた。
- 吉本氏は、「この本(「生死を超える」)を読んでいるとヨーガの肉体的な修練が、なぜ仏教的な世界観である生死を超える理念をつくるところにたどりつくかが、一個のヨーガ修熟者の記述を介して『普通の人間』にも実感的にわからせるところがある。この記述は貴重なものというべきだ(CUT,1992年5月号)」などと述べ、荒俣氏も「私は麻原尊師に限りない好感を抱いた。恐らく解脱した者は幼児のように他愛もないか、あるいは阿修羅のように熱狂的であるかの、どちらかだろう。・・・麻原彰晃がほんものの解脱者として、彼が示す寛大な姿勢は、明らかに前者の例と言えるだろう(ゼロサン、1991年6月号)」と述べている。
- 栗本慎一郎氏は「麻原さんのように煩悩を越えられた方は非常に素晴らしいし、そこからの教えを説いていっていただきたいと思います。(サンサーラ、1992年1月号)」と述べ、ビートたけし氏は、「ビートたけしのテレビタックル(1991年12月30日放映)」で松本智津夫と対談した後、さらに「Bart」誌でも対談した。 そして、オウム真理教は、これら「文化人」「有名人」の発言を最大限に利用し、オウム真理教が発行する「ヴァジラヤーナ・サッチャ」「本物の時代」「選択」などにおいて、「知識人・有名人も認めるオウム真理教の真理」「尊師対談ハイライト」などと称して繰り返し紹介した。
- もちろん、これらの人々は、オウム真理教が破壊的なカルト教団であると知りつつ、あえてこのような言動を行った訳ではない。しかし、これらの人々の言動によって、坂本弁護士一家事件はオウム真理教とは無関係ではないかと思う人が増えたことは事実であるし、特に若い人たちのオウム真理教に対する警戒心を解き、結果としてオウム真理教へ入信した者も現れたことは事実である。このように、これら「文化人」「有名人」の言動は大きな社会的影響を持つこと、そして、坂本弁護士一家事件のオウム真理教に対する疑惑解明にとっても、これらオウム真理教「擁護」の論調が大きな障害となったことを、これらの人々には十分認識してもらう必要があろう。