4. 広島県 咽声忠左衛門(のどごえちゅうざえもん)
【生没年不詳】
咽声忠左衛門は、現在は土師(はじ)ダムの湖底になっている安芸高田(あきたかた)市八千代町の土師地域の農民で、江戸時代の初め、この地に用水路を引くため、尽力した人物です。
土師地域は、水量の多い土師川が流れているにもかかわらず、土地が高く、川から水を引くことができなかったため、谷から出るわずかな水で農業を行っていました。例年、干ばつの被害もひどく、忠左衛門は、仲間の農民たちに、上流の矢櫃(やびつ)に井堰を築き、水路を開削するよう呼びかけます。1662年、工事が始められましたが、岩盤を掘りぬく難工事のため、思うようには進まず、ついには、仲間たちも諦め、庄屋からは村の人数でできる工事ではないと中止の命令まで出されてしまいます。
しかし、忠左衛門は、一人になっても工事を続け、庄屋の命令に従わないことで、罪人として、手枷(かせ)、足枷、首枷まで付けられてしまいます。それでも工事を続ける忠左衛門は、骨と皮とにやつれ、飛び散る石の粉で首に傷を作り、とうとう声も出なくなってしまいました。村人は彼を「咽声忠左衛門」と呼ぶようになり、この話を聞いた隣村の庄屋・五郎右衛門が、工事費用と人員の援助を申し出たことで、三年後の1665年、ついに8キロメートルにおよぶ水路が完成しました。
土師ダム沿いには、忠左衛門に感謝した村人たちによって、咽声神社と記念碑が建てられており、忠左衛門の功績を今に伝えています。
【写真】咽声神社
写真提供:広島県農業基盤室
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