主な式典におけるおことば(平成19年)

天皇陛下のおことば

第166回国会開会式
平成19年1月26日(金)(国会議事堂)

本日,第166回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

国賓 スウェーデン国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成19年3月26日(月)(宮殿)

この度,国王陛下が,王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

まず始めに,今朝お目にかかった際に,国王陛下から昨日の能登半島地震について御見舞いの言葉を頂いたことに対し,私どもの深い感謝の意を表したいと思います。不幸にしてこの度の地震により,1名の死亡者と多数の負傷者が生じ,さらに多くの人々が家屋を失い避難生活に入りました。余震がいまだ続く被災地で人々の生活と安全が確保されることを,心より念願しております。

国王陛下には,皇太子時代,大阪で万国博覧会が開かれた機会に,初めて我が国をお訪ねになり,御即位後,1980年には,王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりました。その後も度々我が国へおいでになり,私の父昭和天皇の大喪の礼や私の即位の礼にも御参列いただきました。御厚情に深く感謝しております。

私が初めて貴国を訪れましたのは,英国女王陛下の(たい)冠式に参列後,欧州の国々を回った時のことであり,今から50年以上も前のことになります。その折に,ソフィエロの離宮に御滞在中の陛下の祖父君,グスタフ六世アドルフ国王をお訪ねし,温かいおもてなしを頂きました。国民のひたすらな努力によって,戦後の荒廃から立ち直りつつあった我が国から来た私にとって,一人一人が豊かに暮らしている貴国の姿は深く心に残るものでありました。その後,1985年には,国王,王妃両陛下の御訪日に対する答訪のために,昭和天皇の名代として皇太子妃と共に貴国を訪問し,さらに,2000年には,国賓として皇后と共に貴国を訪問いたしました。2度にわたり,国王,王妃両陛下に心の込もったおもてなしを頂き,また,貴国の人々から温かい歓迎を受けたことを懐かしく思い起こし,深く感謝しております。

本年は,18世紀のスウェーデンに生まれ,ウプサラ大学の医学と植物学の教授であったカール・フォン・リンネの生誕300周年に当たります。リンネは,世界共通の動植物名として今日使われている二名法の学名の創始者であり,この学名によって動植物の分類と,それぞれの種類の類縁関係,分布を始め,様々な研究が世界共通の基盤の上に行われるようになりました。分類学の研究に携わっているものとして,リンネは念頭を離れない存在であります。明日,国立科学博物館で開催されているリンネの展覧会に国王,王妃両陛下に御同行することを楽しみにしております。

リンネの弟子カール・ペーテル・ツュンベリーは,後にリンネと同じくウプサラ大学の教授になりましたが,それ以前,1775年から6年にかけて長崎のオランダ商館の医師を務めていたことがあります。ほぼ17世紀半ばから19世紀半ばにかけて,我が国は鎖国政策を採っており,欧州諸国の中ではオランダとだけ長崎で交流が認められていました。18世紀後半になると,日本にもたらされた欧州の進んだ医学書の図を見た我が国の医師たちが,これまで自分たちが学んできた医学に疑問を持つようになり,人体の正確な知識を得るために,杉田玄白を始め江戸在住の医師が集まって,オランダの解剖書を訳すことになりました。非常な努力の末,ようやく訳し終え,「解体新書」として出版されたのは,ツュンベリー来日の前年のことであります。解体新書の訳に加わった桂川甫周と中川淳庵の2人の医師は,ツュンベリーがオランダ商館長に随行し,江戸に滞在中,長時間にわたってツュンベリーから教えを受けました。この交流はツュンベリーの帰国後も続き,ウプサラ大学には,この2人がツュンベリーにあてた書簡が残されています。20年以上前,国王,王妃両陛下と共にウプサラ大学でその書簡を見る機会を得たことは私どもにとって誠に感慨深いものでありました。

我が国は19世紀半ばに鎖国政策を廃し,諸外国と国交を開きましたが,貴国との間では,1868年修好通商航海条約が署名されました。当時我が国が世界の情勢を的確に把握し,欧米の進んだ学問を懸命に学び,国の独立を維持することができたのは,我が国が諸外国と国交を結ぶまでに,既に,我が国の人々がツュンベリーのような善意を持った外国人に接し,様々なことを学んでいた面が大きかったと思います。

国交が樹立してからは,多くの先人たちの努力により,両国間の友好関係はほとんど途切れることなく順調に発展してきました。今日,基本的な価値観を共に信奉する両国民が,人道的な諸問題への対応,社会福祉,さらには文化,科学技術,産業など様々な分野について関心を分かち合い,協力を進めていることは誠に喜ばしいことであります。

今年は冬が暖かく,ちょうど桜が咲き始めているこの時期に,国王,王妃両陛下をお迎えすることができました。両陛下が各地で春の風物をお楽しみになり,この御訪問が実り多いものとなることを期待しております。

ここに杯を挙げて,国王,王妃両陛下の御健勝とスウェーデン国民の幸せを祈ります。

スウェーデン国王陛下のご答辞

2007年(第23回)日本国際賞授賞式
平成19年4月19日(木)(国立劇場)

第23回日本国際賞の授賞式に当たり,「基礎研究が発信する革新的デバイス」の分野において,アルベール・フェール博士とペーター・グリュンベルク博士が,また「共生の科学と技術」の分野において,ピーター・ショウ・アシュトン博士が,それぞれ受賞されたことを心からお祝いいたします。

フェール博士とグリュンベルク博士はそれぞれに,金属の薄膜を交互に重ねると,わずかな磁界を加えるだけで電気抵抗が大きく変化する巨大磁気抵抗効果のあることを発見されました。この効果を用いた読取装置により,極めて高い密度の磁気記録が可能になり,これが小型大容量のハードディスクとしてパソコンや家庭電化製品に広く利用され,情報化社会の発展に大きく寄与しております。

アシュトン博士は,長年にわたり東南アジアの熱帯林に数多く見られるフタバガキ科の樹木などの分類と生態について詳細な研究を進めてこられました。現在,博士の御研究などを基にして,世界の14か国の熱帯林で5年に1度,大面積長期継続観察計画が実施されています。伐採などで消失の進んでいる熱帯林を良好な状態に保ち,持続的に利用していくには,今後,このような研究が大きく寄与していくものと思います。この度,アシュトン博士がフタバガキ科の樹木について研究を進められてきたことを知り,私ども2人が1970年マレーシアを訪問した折,クアラルンプール近郊の森林にフタバガキ科の樹木を見に行った時のことを懐かしく思い出したことでした。

ここに,3博士の優れた業績に対し深く敬意を表します。

科学技術が人類社会に与える恩恵は計り知れないものがあります。これからも科学技術が国境を越えて,人々の協力によって発展し,人々に恩恵をもたらすよう,皆で努めていくことが大切と思います。

日本国際賞が,今後ますます,人々に真の幸せをもたらす科学技術の発展に寄与することを願い,お祝いの言葉といたします。

第1回みどりの式典
平成19年4月27日(金)(憲政記念館)

本日ここに第1回みどりの式典が開催され,関係者と一堂に会することを誠に喜ばしく思います。

緑は私どもにとってかけがえのない存在であります。太古,緑の植物が地球上に現れ,その葉緑体の働きで私どもが生きていく上に必要な酸素や食物が直接に,あるいは間接に作られるようになりました。緑の果たす役割の大きさに深く思いを致すものであります。

森林は緑の担い手として誠に重要であり,林産物の利用を始め,様々な働きを持っています。我が国には急(しゅん)な山々が多く,大雨や台風により,今日でもしばしば人命が失われる災害が起こることは非常に残念なことです。戦後の人々のたゆみない植林の努力により,森林の持つ防災機能は充実してきましたが,更にその機能を高めていくことが大切と思います。また森林の持つ貯水機能により,森林を通った水はおおむね恒常的に流れ,その中に含まれる栄養によって,動物の(えさ)となる沿海の植物プランクトンがはぐくまれ,水産業に寄与しています。

このように緑は人々の生活に大きくかかわっていますが,緑が人の心に与える影響も重視されなければならないと思います。里山はかつて薪炭林として重要な役割を担ってきましたが,日常生活に人々が(まき)や炭を用いることがなくなったことから,薪炭林は各地で様々な用途に転用され,消滅していきました。里山は疎林で明るく,様々な生物を宿しています。近年,この里山に人々の関心が高まってきています。春は新緑,秋は紅葉,そして四季折々の花など姿を変えていく里山を訪れることに喜びを見いだす人々が多くなることはうれしいことです。今東京は桜が終わり,新緑の季節になりました。私も花の好きな皇后と共に里山の趣もある新緑の皇居の中を次々と咲く花を見ながら,朝散策するのを楽しんでいます。

この度,杉浦昌弘博士と浅野透博士が第1回「みどりの学術賞」を受賞されたことを心からお祝いいたします。杉浦博士は緑の根本にある葉緑体の遺伝子に関する研究,浅野博士は長期間にわたり森林の生態に関する研究を進められました。研究室と実地においてそれぞれ長年積み重ねられた両博士の御研究に対し,深く敬意を表します。

また,各地で緑化推進運動に尽くされた功労者の受賞を心からお祝いいたします。

終わりに臨み,この式典と「みどりの月間」を契機に多くの人々が緑に対する理解を深め,緑に関心を深めることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

原子核物理学国際会議INPC2007開会式
平成19年6月4日(月)(東京国際フォーラム)

この度,原子核物理学国際会議が,国の内外から多数の参加者を得て,東京で開かれることを誠に喜ばしく思います。

原子核物理学国際会議は1951年初めて米国のシカゴにおいて催されました。日本では東京でこれまで2回,1967年と1977年にこの会議が行われましたが,今回は30年振り3回目の開催となります。参加国数は前回の東京の会議より更に5か国多い38か国に及び,世界における原子核物理学の広がりを感じさせます。

本年は,我が国を代表する科学者の一人として大きな足跡を残した湯川秀樹博士の生誕100年に当たり,開会式に先立ち,昨日はその記念講演会も行われました。湯川博士は,1949年物理学の分野でノーベル賞を受賞されましたが,これは,日本人として初めての受賞であり,第二次世界大戦の終結から4年後,我が国がサンフランシスコ平和条約によって独立を回復する3年前のことです。戦争の大きな惨禍を受けた日本の人々が,どれほどこの受賞を誇らしく思い,喜んだか,博士の若々しい姿と共に,当時のことが思い起こされます。

原子核物理学の著しい進歩は,基礎科学として,物質の微細な構造に至るまでを明らかにするとともに,その応用面において,エネルギーの創出や医学面での利用を通して,人類社会に非常に役立つ技術の開発に貢献しています。

このような原子核物理学の進歩のために,近年,巨大な研究施設が造られてきておりますが,私どもも,これまでその幾つかを見る機会を得ました。1994年に米国を訪問した際には,カリフォルニア州のスタンフォード大学で,一直線に長く伸びた線型加速器を見ました。国内では,3年前,岐阜県の神岡鉱山の廃鉱を利用したスーパーカミオカンデを見るために,巨大な洞(くつ)を訪れ,また,昨年秋には理化学研究所で,運転開始前の円形の超伝導リングサイクロトロンを見ることができました。かつて,理化学研究所で,湯川,朝永両ノーベル物理学賞受賞者を育てた仁科芳雄博士が日本で初めて造られたサイクロトロンが,戦後海に沈められたときの仁科博士のお気持ちはいかばかりであったかと察せられます。これらの施設が必要なことは,この分野での国際的な協力が,今後ますます重要となってくることを示していると思われます。今回の会議のテーマは,「二十一世紀の原子核物理学の潮流」ということでありますが,これまでの研究成果を背景に,将来に渡っての国境を越えた協力の一層の可能性が話し合われることを期待しております。

21世紀を展望するに当たり,科学の進歩が明暗をもたらした過去の歴史にも改めて目を向けることが必要に思われます。20世紀における物理学の進歩が輝かしいものであった一方で,この同じ分野の研究から,大量破壊兵器が生み出され,多くの犠牲者が出たことは,誠に痛ましいことでありました。1945年夏,広島と長崎に落とされた2発の原子爆弾により,ほぼ20万人がその年の内に亡くなり,その後も長く多くの人々が,放射線障害によって,苦しみの内に亡くなっていきました。今後,このような悲劇が繰り返されることなく,この分野の研究成果が,世界の平和と人類の幸せに役立っていくことを,切に祈るものであります。

原子核物理学と,それに関連する様々な分野の研究者が,国の内外から一堂に会するこの機会に,実り多い討議が行われ,研究者相互の理解が深まり,会議の成果が世界の人々の役立つものとなることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第58回全国植樹祭
平成19年6月24日(日)(「つた森山林」隣接地(北海道))

第58回全国植樹祭に当たり,苫小牧市において,全国から参加された皆さんと共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

北海道においては,46年前の昭和36年,全国植樹祭の前身,第12回「植樹行事ならびに国土緑化大会」が,ここからほど遠からぬ支笏(しこつ)湖畔のモーラップで開催されました。私どもは昭和62年野幌(のっぽろ)森林公園で行われた第11回全国育樹祭の折,この植樹祭会場を訪れ,昭和天皇,香淳皇后のお手植え樹の枝打ちをしました。当時植栽されたアカエゾマツが26年を経,立派な林に育っていたことが深く印象に残っております。今回,その森から()り出された間伐材がこの会場の用材として活用されていると聞きました。間伐材として利用されるまでに育ててきた関係者の長年にわたる努力が察せられます。

我が国の森林は国土の3分の2を占めており,その果たしている役割は,木材の利用を始め,災害や温暖化の防止など誠に大きなものがあります。

昨年は札幌で開催された国際顕微鏡学会議への出席の機会に,えりも岬を訪れ,地域の人々が苦労の末植林に成功してできた林を見てきました。この地域は強風にさらされ,以前,森林が()り払われた後は土砂の流出により,海は濁り,魚は減少し,昆布も採れなくなり,人々の生活も大変困難になりました。このような環境を改善したいと営林署の職員と地元の住民が協力して緑化事業に取り組みましたが,強風により,砂や種子などが飛んでしまうという問題の解決には長い年月を要したと聞いております。様々な工夫を重ねた結果,打ち上げられた海藻で砂や種子を覆う方法により,ようやく緑化に成功したということでした。林の生長につれて土砂の流出がなくなり,不漁だった沿岸の昆布も立派に育つようになったと聞きました。

かつてはこのような役割を果たす魚付林が各地の沿岸にあり,そこでは森林の伐採が禁じられていましたが,明治以降,魚付林は顧みられず,その多くは消滅しました。しかし近年,川の上流域の森林から流れ出る栄養分を含んだ水によって,河口付近の沿岸がプランクトンなどの生物を育む豊かな海になることが認識されるようになってきました。その結果,林業と水産業に携わる人々の交流が生まれ,協力して川の上流に植樹を行う姿が見られるようになりました。森林は水系を通して,これまで考えられていた以上に沿岸の環境に重要な役割を担っていることが分かってきました。このように,森林は様々な機能を有しており,人々がそれらの機能に対する理解を深め,生かしていくことが極めて大切なことと思います。

今回の植樹祭では,道民の協力によって育てられた多くの種類の苗木が植樹されると聞いております。将来ここを訪れる人々が,様々な木々に触れ,木のことを学び,色とりどりの木々の美しさを楽しむことを期待しています。

全国植樹祭が森林や木々を愛する心を培う契機となることを切に願い,式典に寄せる言葉といたします。

民生委員制度創設90周年記念全国民生委員児童委員大会
平成19年7月5日(木)(日本武道館)

本日,民生委員制度創設90周年を記念する全国民生委員児童委員大会が開催されることを,誠に喜ばしく思います。

本年は,大正6年笠井信一岡山県知事が,当時の県民の1割が悲惨な生活状態にあることを深く憂慮し,これらの人々の救済策として,済世顧問制度を創設してからちょうど90周年になります。またこの制度がつくられた翌年には林市蔵大阪府知事が貧しい人々の生活状況の調査や救済に当たる方面委員制度を発足させました。この方面委員制度は,昭和11年,全国的制度に発展し,戦後は民生委員制度として今日に受け継がれています。これらの制度が始められたころは福祉に対する社会の関心がまだ低く,恵まれない人々を救おうとした関係者の努力はいかばかりであったかと察せられます。

近年高齢化に伴う社会の変化によって,家族や地域社会の(きずな)が弱まり,社会から孤立した人々の増える中で,民生委員・児童委員の仕事は,ますます重要性を増してきています。さらに,地震や台風などの災害が発生した場合の対応のために,民生委員・児童委員の日ごろの努力の積み重ねが求められています。

現在,全国で22万人を超える民生委員・児童委員が,社会奉仕の精神をもって,助けを必要とする人々のために日夜尽力していることを,誠に心強く思います。どうか,今後とも,地域の人々の生活状態をきめ細かく把握し,地域の人々の心身の支えとなって,力を尽くされるよう願っております。

この記念大会が,全国の民生委員・児童委員が一層協力し合って国民の福祉の向上に努める契機となることを希望し,大会に寄せる言葉といたします。

第167回国会開会式
平成19年8月7日(火)(国会議事堂)

本日,第167回国会の開会式に臨み,参議院議員通常選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

全国戦没者追悼式
平成19年8月15日(水)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に62年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会開会式
平成19年8月25日(土)(長居陸上競技場)

第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会の開催を祝い,ここに開会を宣言します。

第168回国会開会式
平成19年9月10日(月)(国会議事堂)

本日,第168回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第62回国民体育大会開会式
平成19年9月29日(土)(秋田県立中央公園県営陸上競技場)

第62回国民体育大会が秋田県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員並びに多くの県民と共に開会式に臨むことを,誠に喜ばしく思います。

国民体育大会は,戦争による荒廃の中にあって,スポーツの復興を願う人々の熱意と努力により,終戦の翌年に始められました。以来,国民体育大会は,各地におけるスポーツの普及と振興に大きく貢献してきました。その陰には,それぞれの大会関係者の非常な尽力があったことと思います。46年前,秋田県で開催された秋季大会では,皆が一致協力して,宿泊施設の不足を民家宿泊推進によって解決し,また輸送上の困難も克服するなど,「まごころ国体」として大きな成果を収めたと聞いております。ここに改めて,永年にわたって各地で大会を支えてきた関係者のたゆみない努力に対し,深く敬意を表します。

選手の皆さんには,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮するとともに,お互いの友情と,地元秋田県民との交流を深められるよう願っております。

本年は地震や台風,大雨により各地で大きな被害が生じました。ここ秋田県においても,先日,大雨により人命が失われ,家屋や農産物なども大きな被害を受けました。亡くなった人々の遺族や災害を受けた人々の悲しみや苦労に,深く思いを致しております。災害を受けた人々を皆が協力して支え,被災地が順調に復興することを念じています。

多くの県民に支えられて開催されるこの大会が,選手にとり,また,秋田県民にとって,心に残る実り多いものとなることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第27回全国豊かな海づくり大会
平成19年11月11日(日)(滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)

第27回全国豊かな海づくり大会が,湖では初めて,ここ滋賀県大津市の琵琶湖畔において開催されることを,誠に喜ばしく思います。

琵琶湖は永い歴史と広大で多様な環境を有し,湖に固有の多くの生物を宿しています。これら固有の生物はそれぞれ琵琶湖の環境に適応し,幾つかの種類では近似種間で生態や生育水域を異にしてすんでいます。琵琶湖には3種のナマズがすんでいますが,その中の2種ビワコオオナマズとイワトコナマズは1961年に友田淑郎博士によって新種として記載されたものです。湖岸部を住処(すみか)とするナマズに対して,ビワコオオナマズは沖合で魚を追い掛けて生活し,イワトコナマズは岩礁地帯に生息して真横に突き出た目で小魚やエビを探して食べています。かつて池でナマズとビワコオオナマズを飼ったことがありましたが,浮き()の食べ方が両者で異なり,ナマズが上方のものを食べるのに適しているのに対し,ビワコオオナマズは前方のものを食べるのに適しているように思いました。これらの環境に適応した種類を見る時,生物進化の妙を深く感じます。

この琵琶湖において,近年,集水域や湖畔での経済活動により水が汚染し,魚類の産卵繁殖場が減少するなど環境の悪化が進んできました。外来魚やカワウの異常繁殖などにより,琵琶湖の漁獲量は,大きく減ってきています。外来魚の中のブルーギルは50年近く前,私が米国より持ち帰り,水産庁の研究所に寄贈したものであり,当初,食用魚としての期待が大きく,養殖が開始されましたが,今,このような結果になったことに心を痛めています。

昭和52年に,初めて大規模な淡水赤潮が発生したことを契機として,琵琶湖の環境保全のための真剣な取組が開始され,以来,産卵繁殖の場であるヨシの生い茂る地帯の造成や,湖岸の清掃,周辺の山々の植林など,多くの人々が協力して,最近は湖の環境は良くなってきていると聞きます。再び魚影豊かな湖となることを期待しています。

永い時を経て琵琶湖に適応して生息している生物は,皆かけがえのない存在です。かつて琵琶湖にいたニッポンバラタナゴが絶滅してしまったようなことが二度と起こらないように,琵琶湖の生物を注意深く見守っていくことが大切と思います。

この大会が河川,湖沼の生物を愛する心を培い,皆で豊かな(うみ)づくりに励む契機となることを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第23回国際生物学賞授賞式
平成19年11月19日(月)(日本学士院会館)

デビッド・スウェンソン・ホグネス博士が第23回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

博士はショウジョウバエを研究材料として高等真核生物の遺伝子の構造と機能に関する研究を推し進められ,発現制御機構の解明に数多くの業績を挙げられました。これらの研究は今日のゲノム科学研究へとつながる重要な貢献であり,深く敬意を表します。

ゲノム科学研究の進歩は極めて著しく,それが生命科学に及ぼす影響は計り知れないものがあります。私が研究に携わってきた分類学の分野においても,ゲノム科学研究の発展は目覚ましく,系統に基づいた分類を行う上に極めて重要になってきています。博士によってまかれた種が,様々な学問やその応用の分野で発展し,大きな実りをもたらしていることを感じます。

博士には今後ともお元気に遺伝子科学の発展に力を尽くされることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

地方自治法施行60周年記念式典
平成19年11月20日(火)(東京国際フォーラム)

地方自治法施行60周年に当たり,全国の地方公共団体関係者の皆さんと共にこの記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

地方自治法が,日本国憲法に示された地方自治の本旨に基づき,制定,施行されたのは,戦後間もなく,社会情勢の極めて困難な時代でありました。我が国の将来に思いを致し,新しい地方自治制度を作り上げるべく力を傾けられた当時の関係者の労苦が察せられます。

()来60年,地方公共団体の関係者を始めとする国民の努力により,地方自治は国民生活に深く根付いて来ました。国内各地を訪れる折々に,各地で住民の福祉の増進を図る観点から,地域の実情に即した施策が,地方公共団体と住民との協力によって講じられている状況に接することは,誠に心強いことであります。ここに,長年にわたる地方自治の歩みを顧み,関係者の払われた努力に深く敬意を表する次第です。

地方自治は,住民に対してきめ細やかな施策を講じていく上に極めて大切なものであります。科学技術の著しい進歩や住民の高齢化など,社会が様々な面で変わっていく時,住民に身近な行政については,地方公共団体が責任を持つことが一層重要になってきています。地方公共団体の関係者が常に住民の安全と福祉に意を注ぎ,住民と協力してより良い社会を築いていくよう願っています。

本日の式典を契機として,地方公共団体の関係者はもとより,全国民が協力して,地方自治の理念の実現のため,一層努められるよう希望いたします。

国賓 ベトナム主席閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
平成19年11月26日(月)(宮殿)

この度,ベトナム社会主義共和国主席グエン・ミン・チエット閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。

国家主席閣下は,2004年5月,ホーチミン市の指導者として我が国をお訪ねになり,発展著しいホーチミン市への我が国企業の進出を自ら呼びかけられたと聞いております。このように,貴国と我が国の間の関係強化のために,これまで大きな役割を果たしてこられた閣下をお迎えできたことをうれしく思います。

貴国と我が国との間には昔から人々の交流が行われておりました。我が国には古くから伝わる雅楽がありますが,これは我が国古来の歌舞や外国伝来の器楽と舞であり,この中には貴国の中部にあった林邑(りんゆう)国出身の僧侶(そうりょ)仏哲によって我が国に伝えられた林邑(りんゆう)国の舞楽も含まれています。仏哲は林邑(りんゆう)国から来日し,752年奈良の東大寺の大仏開眼式に林邑(りんゆう)楽の舞を奉納したとの記録が残っています。

本日午前には,我が国の雅楽と源を分かち合っている貴国のニャーニャックを聞き,2つの雅楽がたどってきた長い歴史を思い,貴国の音楽への理解を深め得たことはうれしいことでした。

16世紀から17世紀にかけて,当時東西交易の拠点として栄えた貴国中部の港町ホイアンには,我が国の商人も訪れ,日本人町がつくられました。ホイアンに残る日本橋という橋の名や日本人の墓により,当時の交流の跡がしのばれます。しかし,17世紀以降,我が国は鎖国政策を採り,日本人の外国への渡航が禁じられたため,両国民が直接接触することはなくなりました。

ベトナム社会主義共和国と我が国が,外交関係を樹立したのは1973年のことであります。来年はその35周年に当たり,両国の間で様々な記念の行事が行われると聞いております。戦争による大きな痛手と長きにわたる幾多の困難を乗り越え,活気に満ちた国づくりに勤(いそ)しんでいる貴国の人々と,今日様々な分野で協力が行われていることを誠に喜ばしく思います。

私事にわたりますが,私がベトナム社会主義共和国とかかわりを持ったのは,ベトナム産のハゼを新種として記載し,その副基準標本をハノイ大学に寄贈したときのことです。このハゼはベトナム共和国と日本との共同調査により,カントー川支流で採集されたものでした。しかし新種として本種を記載しようとしたときには,ベトナムは,当時のベトナム民主共和国によってほぼ統一される状況にありました。私は新種の記載に用いた標本は,その一部が採集地の近くに保管され,研究者が種を同定するときに比べられることが望ましいと考えておりましたので,1976年に魚類学雑誌に論文を提出し,記載に用いた標本を副基準標本としてハノイ大学に寄贈しました。

貴国と我が国の人々は古くから稲作を行い,漢字を取り入れ,それぞれの文化を培ってきました。雅楽という言葉も両国で発音こそ違いますが,同じ漢字を使っていました。このような相通ずる歴史を持った両国民が今後ますます交流と友好の絆(きずな)を深めていくことは両国民にとって誠に意義深いことと思います。

今,東京は秋が深まり,日々紅葉が色を増してきております。明後日閣下並びに令夫人がいらっしゃる京都は紅葉の美しい所です。お忙しい日程とは思いますが,紅葉をお楽しみいただければうれしいことと思います。

この度の御訪問が,両国間の相互理解と友好関係の増進に資する実り多いものとなることを,心から願い,ここに杯を挙げて,国家主席閣下並びに令夫人の御健勝とベトナム国民の幸せを祈ります。

ベトナム主席閣下のご答辞

日本遺族会創立60周年記念式典
平成19年11月27日(火)(九段会館)

日本遺族会が創立されて60年,本日,全国の戦没者遺族代表と共に,記念式典に臨み,往時をしのぶことに深い感慨を覚えます。

先の戦争において,国のために尽くし,戦火により,あるいは病を得て亡くなった多くの戦没者のことを思うと,戦後60有余年を経た今日もなお心が痛みます。かけがえのない家族を失った遺族の長い年月にわたる苦労には,計り知れないものがあったことと察しています。

先の戦争のことが次第に人々の心から遠くなっていく今日,戦争による深い悲しみを経験した遺族の持つ,戦のない平和な世界実現への強い希求を,戦後に育った人々に伝えていくことは,誠に大切なことと思います。皆さんには,どうか,くれぐれも体を大切にされ,これからの日々を元気に過ごされることを願っております。

日本遺族会が,将来にわたり,遺族皆の支えとなり,遺族の福祉の一層の充実に寄与していくことを希望し,式典に寄せる言葉といたします。