創価学会問題、総選挙、再編のゆくへ
これが激突の焦点だ
「一龍対決」で何が起こるか

唖然とした「勅命発言」

今年は年初に村山富市首相が退陣表明し、1月11日に自民党の橋本龍太郎総理大臣が誕生しました。一方、野党・新進党では年末に小沢一郎氏が党首に就任した。多くの国民は、これから始まる「一龍対決」の行方に期待と関心を持っているでしょう。私自身も同じ思いを抱くひとりですが、橋本総理を支える自民党幹事長の立場から言わせていただくなら、小沢一郎氏の表舞台への登場で、政治は非常にわかりやすくなったし、自民党もきりりと引き締まったように思います。

まず第一に、小沢氏が党首になったことで、新進党とは戦いやすくなった。それは、政治手法の問題が与野党対立の軸として鮮明になったということです。もし羽田孜氏や細川護煕氏が党首だったら、社会党(現社民党)や新党さきがけがあれほど結束して橋本政権実現のために動いてくれたかどうかは正直なところわからない。皮肉ではなく、小沢党首の誕生が三党の求心力を高め、宮沢政権以来2年半ぶりの自民党首相誕生の原動力となった。橋本政権実現の最大の功労者は小沢氏だとも言えます。その根底にあったのが、政治手法の問題なのです。

それをはっきりと証明したのが、新進党の議員辞職騒動でした。小沢執行部は、「橋本首班は政権のたらい回しだ。即刻解散して国民の信を問え」と叫んで、議員辞職を敢行しようとした。結局、党内の抵抗にあって断念せざるを得なかったが、独断専行の手法が早速現れたのです。

1月8日午後6時半。国会内の常任委員長室で連立与党三党首と各党幹部が会談を行い、政策合意の最終調印を行った。調印をした後、社会党の村山氏が、「党で了承を得てきた。首班には橋本氏を」と発言し、武村正義氏も、「私たちも社会党と共同歩調で橋本氏を推す」と応じました。会談が終わり、出席者が立ち上がった瞬間、私の手元にメモが届いた。「新進党の山岡賢次副幹事長から、今日中もしくは明日にも自民・新進の党首会談を開いてほしいとの申し入れがきています。『これは小沢党首の勅命である』とのことです」という内容でした。

これには唖然としました。それとほぼ同時に、議員辞職の情報も伝わってきた。解散を迫って、それが拒否されたゆえの議員辞職だと強弁するための口実として、党首会談を要求しているということは明白だった。危ない手法だなと思いました。

議員の身分にかかわる集団辞職は170人が一糸乱れずに行わなければできない。新進党がそういう体制になっていないことは、わかっていました。年末の党首選で羽田氏をかついだ自民党出身議員からも、唐突な議員辞職に対する猛烈な不満の声を聞きましたし、国民世論にも受けないことは明らかだった。支離滅裂で焦っているという印象しかありませんでした。明らかに小沢流トップダウン方式が利かなくなっているのが目に見えるのです。

小沢手法の失敗と限界

対立軸は政治手法だと言うとマスコミは、「反小沢」という個人的なキャラクターを軸にした取るに足らないテーマだと批判しますが、それはまったく認識が違う。日本は明治以来、「万機公論に決すべし」の思想を大切にし、戦後も少数意見を尊重する民主主義を中心に据えてきた。それがガラガラと崩れたのが湾岸戦争でした。当時、「コンセンサス方式では迅速な決断ができない」と多くの人が誤解し、小沢氏が唱えた軍事力行使に対応する憲法解釈と国民を引っ張っていく強いリーダーシップこそが必要だと思い込んだ。自民党の中にも、そういう意見がありました。

しかし、強力なリーダーシップを持つアメリカ大統領でも、外交政策を決定する際には必ず民主、共和両党の指導者をホワイトハウスに呼んで、議会の意思を確認しながら進んでいく。その意味では、小沢強力リーダー論は、誤解から生まれた産物だったと言えます。

冷静に考えれば、果たしてひとりや二人のリーダーで日本のような大きな国を誤らずに運営できるのかという疑問に突き当たる。たとえば、小沢氏は自民党幹事長時代にソ連を訪問し、政府や党への相談も了解もないまま北方領土返還と経済協力をバーターしようとした。湾岸戦争終結直後には突如、中東を訪問すると言いだして飛行機をチャーターしながら、相手国のスケジュール調整がつかずにキャンセルした。これも側近に相談しただけで、党内での相談もなく、外務省も振り回されました。国内政治でも、唐突に国際貢献税が出てきたり、国民福祉税構想がすぐに撤回されたこともあった。

こうしたことから国民は、「やっぱり話し合いのほうが間違いが少ない」と思い始め、社会党やさきがげが小沢氏から離れていまの連立政権ができた。新進党内でも羽田氏たちが距離を置き、トップダウン派は孤立する形になっている。経済力もあり、個人の教育水準も高い日本では、号令一下、「おれについてこい」というやり方はなじまないのです。

それに拍車をかけたのは、新進党が創価学会と組んだことです。学会は、池田大作名誉会長が絶対的な権力を握る宗教団体で、学会の内部に詳しい人から、「No.1は池田名誉会長で、No.2もNo.5もいなくて、No.10ぐらいが秋谷栄之助会長だ」と聞いている。党の中枢に入り込んで政治をコントロールしたいという野望をもつ宗教団体が存在し、しかもそういう組織と手を結んだ党では、党首の一声で右にも左にも動くという手法がまかり通っている。池田氏と小沢氏のコンビネーションに、国民の多くは不安を抱いでいる。ここに対立の軸が明確になったのです。

創価学会追及は今後も続く

学会の危険さを私がはっきりと認識したのは、細川内閣発足直前の池田氏の「デエジン発言」でした。学会員を前にして池田氏は、当時の公明党から大臣が誕生することを明言し、「みんな、みなさん方の部下だ」と言ったという。また昨年はイギリスBBC放送のインタビューで、「私が新進党は政権が取れるというと彼らは慢心するし、取れないというと意気消沈する」と発言をしている。これが政教一致でなくて何なのか。

こうした危倶を一層強くしたのが昨年の佐賀県参議院補欠選挙でした。私は選挙の責任者として何度も現地入りしたが、新進党と戦ったという意識はまったくなかった。創価学会の組織とがっぷり四つで戦わされたという印象しか残っていない。連日、数百台に上る学会関係者の車、山奥にまで二人一組で歩いて回る数百人の県内外の信者。やはり、特定の宗教団体が政党を作ってはいけない。それを目指して失敗したのが、オウム真理党です。まして政治の中枢を握ることは絶対に許してはならないのです。

1月5日、首相官邸で昼から行われた与党党首・首脳会談で村山氏は正式に退陣を表明したのですが、その席で村山氏は、「三党の連立は守ってほしい。それが自分の希望だ。この国を創価学会の支配下にあるような政党に任せることはできないからだ」と言いきりました。「小沢・池田体制に政権は渡せない」と断言したのです。武村氏も同意していた。

橋本氏に対しては、日本遺族会の会長を務めていた関係からタカ派のイメージがあって、社会党やさきがげにはやや敬遠する空気もありましたが、宗教法人法改正案を巡って特別委員長を監禁状態にするなど、参議院での騒ぎや、小沢党首出現によって、「橋本さんのほうがリーズナブルだ」という意識に変わっていった。すんなりと橋本政権が誕生したのは、両党が新進党と創価学会の関係を不健全だと感じたことも大きな要因だったと思います。

臨時国会で秋谷会長に参考人として出ていただきたいとき、秋谷氏は公明党と学会の関係を否定せず、政党は権力を求めるものだという定義も否定しなかった。これは今後、大きな論争点となる。通常国会でも宗教と政治についての議論は続けていきます。日本の政治を特定宗教から守るためには、徹底的に戦うつもりです。

「一龍」との違いはどこにあるか

新進党内に羽田グルーブができたのも、手法の問題が大きく影を投げかけているからでしょう。小沢執行部の党運営についての不満の現れではないでしょうか。そして、57人もの議員がそこに参加したのだから、彼らの行動が小沢新進党の進路に大きな影響を与えるのは避けられないと思います。

では新進党も、自民党のようにオープンでコンセンサス重視の党に変わるかというと、そうはならない。新進党はみんなで議論すると党の個性が消えてしまう。権力集中、強力リーダーシップが売り物ですから、羽田グループの意見を尊重して体質を変えると存在意義がなくなる。新進党はそういうジレンマを抱えていると思います。

我々からみても、羽田グループの人たちは、小沢グループの議員よりもはるかに話しやすい。世代的な感覚を共有できる人がたくさんいる。たとえば船田元氏と話していてもまったく違和感がありません。羽田氏と私は農林関係で昔から親しく、いまでも会合などではよく意見交換をする。明らかに小沢執行部と羽田グループは異質の存在だと感じます。

さらに、先ほど触れた山岡氏の「小沢党首の勅命だ」という発言を例に取れば、そういう感覚は自民党にはない。自民党は、総裁に対しても文句を言ったり揶揄したりすることが平然と行われる政党ですから、側近政治をやれば評判が悪くなって、党にいることさえできなくなる雰囲気がある。そういう健全な伝統は、自民党の誇りでもあります。

さて、小選挙区制では、従来以上に党の顔である党首の個性が党の運命を左右します。では、小沢氏と橋本氏の違いはどこにあるのか。

まず、小沢氏は、自分自身で党首よりも幹事長が性にあっていると分析していたし、事実、細かい政策よりも党運営や政局に関心を持っている人だが、そのために必要とされる根回しが決してうまくない。ものぐさで事前説明がないから、失敗することのほうが 多い。むしろ本質は、遠い彼方の理念を夢見て、その幹のところだけを考える政治家だと思います。「レッセ・フェール(自由放任)」で、「小さな政府」。日米関係重視で、アジアのことをあまり語りたがらない。本を書いて自分の考えを世に問う。理念型という点では、若い頃の宮沢喜一さんとよく似ているし、その意味では党首向きです。

ただ、掲げた理念を実現できるかどうかは関係ないという印象もある。党首選の時に公約にした「所得税半減・消費税10%」などがいい例で、いったいどこに行くのかわからないという不安もある。  対照的なのが橋本氏です。ロマンを語るよりも実務の人で、理念だけでなく政策の細かい枝ぶりまで気にかかる。総理大臣になっても、本来爆発的な人気の出るタイプではないが、きまじめな政策マンだけに、大きく間違った方向には行かない。国民には安心感を与える。さわやかで若々しくハンサム。平成元年夏の参院選挙では、反消費税の嵐の中、幹事長として大変な苦労をされたという共感も世間にはあるように思います。

もうひとつの軸は「アジア」

こうした二人の「一龍対決」の決戦となるのは、もちろん次期総選挙です。我々は、総選挙は急ぐべきでないと考えています。選挙は、与党側にとっては権力を固める手段、野党にとっては権力奪取の手段ですから、それなりの戦略をもって臨まなければならない。

自民党の描くビジョンの基本は、橋本総裁が主張した「元気を出そう日本」。それを具体的に提示して、単に永田町の政治家、霞が関の官僚、マスメディアといった一部の人に理解されるだけでなく、国民のサブリーダークラスの方々が、自民党の政策を納得できる共有財産として認識してくれた段階で解散を打つべきだと思います。そうするためには、早くても今年の秋、ことによると任期が満了する来年7月まではかかります。

次期総選挙で自民党はもちろん過半数獲得を目指す。現在、客観的には選挙準備が最も進んでいるのがわが党です。また、小選挙区制に対する批判はあるものの、この制度のもとでの選挙は党にとって算盤のあうものになりつつある。

それなら、「社民党とさきがけはもう要らない」という議論も出てくるが、そうはならない。安定した政治を行うには、常任委員長を我々から出しても、各委員会で過半数を占めている必要がある。それには285議席ぐらいが下限で、自民党以外の同志をしっかりと固めておかなくてはならない。

その共通項は何か。万機公論に決するかどうかという軸以外に、強引な軍事貢献を含む国際貢献は考えないことでしょう。また、戦後の新憲法教育を受けている我々の中で、「アジアにおける戦争は正しかった」と言い切れる人は少ない。太平洋戦争の認識と、アジアとの連帯の視点。それを共通してもつ世代感覚が、もう一つの軸になると思います。そしてこの点で、与党三党は極めて近い認識を持っている。外から見る以上に、三党の信頼関係は固いのです。

橋本氏が総裁になった昨年九月末、各党への挨拶まわりに私が同行しました。実を言うとこの時、橋本氏が最もアットホームに感じていたのは、新進党のように見えた。反対に、社会党への挨拶では共産党よりも緊張していたものです。しかし、日々一緒に仕事をする中から生まれる連帯感は何ものにも代え難く、橋本氏は一日ごとに変化していった。社会、さきがけへの理解が、日を追うごとに深まり、だからこそ橋本総理が誕生したのです。三党は今後じっくりと腰を落ち着けて、橋本内閣を本格政権にしていくことになる。これは確信しています。

新進党は怖くない

ところで、新進党は次期総選挙で自民党の脅威となるか。これはすべて、今後の自民党の態度にかかっています。私たちが謙虚であり続ける限り、新進党は脅威ではない。羽田グループの存在に象徴されるように、新進党内の統一はとれていないし、ブームで当選した旧日本新党の議員はしっかりした選挙地盤を持っていない。つまり、創価学会の集票能力に頼らなければならないというのが実態です。しかし、学会が2万票出す行動をとれば、一般有権者の票が1万5千逃げる。これは佐賀の補選で証明された。その意味では、新進党は怖くない。

本当に怖いのは、「自民党はイヤだ」という空気が一般国民のあいだに広がることです。自民党首相が誕生したからといって、強引なことをしたり、傲慢になったり、絵に描いたような族議員的な振る舞いをすれば、あっという間に流れは新進党に傾く。謙虚でいるというのはそういうことです。政策で自民党らしさを出すことと、傲慢になることとは別問題だと考えています。

橋本氏が首相になったことで、しきりと語られるようになった保・保連合についても、小沢氏の考えとも重なるような保・保連合は軍事的国際貢献も視野に入れてのものであるがゆえに、それについていく人は自民党内でも少 ないと思います。またこの保・保連合には、自民党のよき時代の再現という「逆戻り保・保」というイメージもある。こうした「ノスタルジー保・保」、もしくは「自民復活保・保」、がベストだとしたら、この2年あまりの政界の離合集散は、いったい何だったのかということになる。

私は、保・保連合が部分的にあるとしても、新しいものが生まれたことが見えるような、「世代交代保・保」みたいなものでなければいけないと考えている。先ほど述べた、共通する世代感覚を軸とする再編成でなければ意味がない。橋本総理の感覚も、私と同じものだと思います。

予算委での対決を望む

国民が注目している「一龍対決」はまず1月24日、小沢氏の通常国会での代表質問で火蓋を切りました。私も興味深く聞かせていただきましたが、率直な感想を言うと、小沢氏の質問は刺激が少なく、丁寧に答弁した分、橋本総理の勝ちだったと思います。

もっとも、代表質問は言いっ放し、聞きっ放しで実のところ面白くない。やはり、小沢氏が予算委員会に出て、橋本首相に丁々発止の論戦を挑んでほしい。それこそが国民の望んでいることだし、国会が注目され、無党派層と言われる人たちの関心を政治に呼び戻すことにつながる。

アメリカではかつてのニクソン対ケネディのテレビ討論が伝説になっている。最近では88年の大統領選で、共和党のブッシュが民主党のデュカキスを論破したのが印象に残っています。これまで日本の政治家の評価は、どれだけ舞台回しが巧みかという運営の妙を競ってきましたが、これからはアメリカのように、表の論争、真剣勝負が重要になってくる。テレビ時代になり、政治家のメッセージ、すなわち語る言葉、そして迫力が大事なポイントになってきます。

小沢氏はその点、一対一のインタビューでは天才的なうまさをもっていると思います。ただし、論争ということになると、どうでしょうか。小沢氏の話をよく聞くと、論理が飛躍することがある。それでも物事をあえて四捨五入して話を進めていくため、非常に割り切った表現になっていく。そこがわかりやすく、強いインパクトがあるとして世間で評価されることにもなる。

一方の橋本氏は、極めて緻密な人ですから、論争になれば論理の飛躍をひとつひとつ突いていくことになると思います。たとえば小沢氏が党首選で打ち上げた消費税10%論などで、是非とも論争をしていただきたい。一見ダイナミックな小沢氏か緻密な橋本氏か。面白い取り組みになることは間違いない。

ともに昭和ニケタ、慶応出身。演歌系の小沢氏とポップス系の橋本氏。国会の場での真剣な論争をこそ、「一龍対決」には望みたいと思います。