×

連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <12> 日本人として

「能のよう」 世界が評価

 日本人で初めてニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスやパリのオペラ座に出演。世界的に活躍する
 日本と海外をよく行き来していました。海外公演を終えて成田空港に到着し、そのまま公演会場の楽屋に入ったり、時差をうまく使って、海外での公演の間にいったん帰国して舞台に立ったり。飛行機では預けた荷物が出てこないと困るから、衣装とメーク道具を小さくまとめて機内に持ち込んでいましたね。

 でも海外に拠点を置きたいとは、全く思いませんでした。だから、みんな不思議がるの。欧州などに行くと「たまに日本に帰って踊ればいいじゃない」って。その方があちこち回りやすいでしょう。でも松山バレエ団という自分の居場所が、ちゃんと日本にあることが大事。軸足はきちんと日本に置いています。

 海外で踊ったときに言われたことがあります。「能を見ているようだ。『能バレリーナ』だね」と。なぜこういう言葉をいただいたのか分かりませんが、能と同じで日本人は繊細な動きの中に熱い思いを込めていますし、真面目にこつこつと稽古する。こういうことはバレエには一番必要。日本人ならではの味があるんじゃないでしょうか。だからこそ、遠いのに私をわざわざ呼んでくださるんだと思います。

 1985年の日本芸術院賞や英ローレンス・オリビエ賞…。国内外で数々の賞に輝き、多くは「最年少」「日本人初」と冠が付く
 賞のことは、全く考えたことがないですよ。でも、賞をいただいたおかげで日本のバレエが認められたことがうれしいし、ありがたい。バレエ界の先輩や先人、そして指導をしてくださった先生方のおかげ。恩返しが少しできたかなと思いました。

 広島県民栄誉賞を受け、広島市名誉市民にもなった
 古里からいただく賞は全く違う感慨があり、うれしかった。私は広島の方々に本当に励まされてきましたから。知らない人がみんな、声を掛けてくださる。「頑張って」とか「お帰りなさい」って。それだけでも本当にありがたいのに、賞までいただけるなんて。これからも感謝の気持ちを胸に、広島の皆さんに何かお返しができたらと思っています。

(2016年2月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ