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日本をよくする小冊子 第一弾

平成17年7月
衆議院議員 船田 元
はじめに
 今から10年ほど前、私は『日本をよくする本』という、ちょっと変わった名前の本を出しました。間もなく21世紀を迎える日本が、このまま惰性で過ごしたら、本当にだめになってしまう、何とかしなければ、というのがメインテーマでした。そして日本を救う道として、「自己責任の原則」とか「自律的市民国家の形成」という言葉をキーワードとして、本のあちこちにちりばめました。
 それから10年、ようやく日本経済はバブル崩壊の後遺症を脱け出し、かつての巡航速度に戻りつつあります。しかし社会秩序とか人の心の有り様は、かえって悪い方向にむかっていると、だれもが感じています。この間、政界では枠組みをどのようにするか、壮大な社会実験を繰り返し、結局は混沌を残しただけでした。私もこの激流に巻き込まれ、『日本をよくする本』で述べていたような政策を実現し、腰を据えて建て直しをはかる余裕がなかったことを、残念に思うとともに大いに反省しています。
 いま日本は、当時と比べても一段と厳しい環境におかれています。そうした中、かつては比較的柔軟だった日本の保守政治に異変が起こっていると感じているのは、私だけではないと思います。国内外のさまざまな問題に対して、とても怒りっぽくなり、こらえ性がなくなってきているのです。典型的な老化現象といってもいいのですが、若い保守政治家にもそれは起こっています。
 ここで私は、もう一度『日本をよくする本』の精神をふり返り、硬直した保守政治の危うさに警鐘を鳴らすべきと考え、この小冊子をつくりました。みなさまのご批判をいただければ幸いに存じます。

1.保守政治の右旋回は日本を危うくする

◆こらえ性がなくなりつつある保守政治◆
 今年は、戦後60年の節目を迎えます。戦後50年のときは、自社さ連立で社会党党首の村山富一総理でした。またバブル経済の崩壊で日本中がショック状態だったためか、過去の歴史認識について、政府も国民も比較的謙虚な態度でいたようです。新進党に所属していた当時の私ですら、あのときの「村山談話」は戦前の我が国の行為に対して、必要以上に謝罪の意を表したのではないかと危惧していましたが、当時の自民党はいとも簡単に受け入れてしまいました。
 にもかかわらず、最近の自民党内の議論に加わっていますと、さまざまな分野で勇ましい議論が次第に顕著になってきました。「村山談話」の受け入れは実は本心ではなく、単に自社さ連立政権維持のためのポーズに過ぎなかったのか、とさえ疑いたくもなります。
 私たち政治家は、昨今の治安の悪化や教育力の低下という現実を目の当たりにして、新たな秩序を必死で探し続さなければと、だれもが焦っています。そうした中で、右旋回の議論に安易に飛びつき、自分のぼんやりした考えやアンビバレントな態度に終止符を打って、居場所を早く決めてしまおうという傾向が目立ちます。しかもそれが流行(はやり)のようになってきているので、よけいに心配せざるをえません。
 いま私たちのまわりでワークしている図式は、「国家が国民を統制する」という古いものでなく、「国家と国民が役割を分担しあう」という柔軟で多様な関係です。個人の自己責任において、ほとんどのことが処理される時代なのです。ことさらに国家を前面に出して国民をコントロールしたり、国民の心の中に入り込もうとしたりするのは、時計の針を逆に戻す行為です。
一方、東西冷戦という強力な箍(たが)がはずれてから、もう15年あまり経過していますが、それにかわる新しい世界秩序は、残念ながらいまだに構築されていません。しかし少なくともたしかなことは、冷戦後の世界各地で起こった数々の紛争を見ても分かるように、各国が自分の利益やエゴを打ち出しぶつけ合っただけでは、なにも生み出さないばかりか、失うものが大きいという現実です。
 ここでもう一度、私たちは日本がたどってきた歴史を冷静に見つめなおす時がきたと思います。もちろん卑屈になる必要はありませんが、有力な政治家がいったからとか、マスコミで報道されたからと、それになびくことだけはやめましょう。自分の頭で善悪を判断し、行動には責任を持つというのが「自律的市民」です。そういう人々の集合体として、「自律的市民国家」が成り立つのです。国家の利益ばかりを強調しようとする硬直した保守政治は、自律的市民国家にとって有害です。みなさんの心の中にも、それぞれ小さな警鐘を持ってもらいたいと思います。

◆拉致事件がすべてではない◆
北朝鮮による拉致事件では、これまでにようやく5人の被害者とその家族が帰国されました。しかしその全容はいまだに不明なことが多く、度重なる日本政府の要求にもかかわらず、生存者の情報も出さないばかりか、捏造されたデータで時間稼ぎする始末です。日本側に不安と動揺を引き起こし、世論の分断を図ろうとさえしています。
一方、生還された被害者の方々は、人生の長い空白を取り戻そうとしていますが、失われた青春は誰にも取りもどせません。本当に心痛みます。北朝鮮の卑劣な行為に対しては、国家としても一人の人間としても決して許すことは出来ません。個人の感情としては、かれらにどのような制裁を加えようと、加え過ぎることはないと思います。
北朝鮮はかつての核開発疑惑から、米国などとの厳しい交渉の末、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の枠組の中で、代替エネルギーの供給に我慢してきました。ところがその後かれらは、NPT(核不拡散条約)からの脱退、KEDO体制からの離脱を宣言し、さらに最近では核実験の可能性すらほのめかす始末です。事態の打開をめざす「6カ国協議」も、残念ながら1年以上も中断したままとなっています。
もちろん北朝鮮の「瀬戸際外交」や強硬な態度が、協議を遅らせている最大の要因に間違いありません。しかし同時に、拉致問題の解決を強硬に迫る日本政府の対応に、かれらの態度を堅くさせる原因が含まれていることも否定できません。6カ国協議で絡まった糸を、さらに複雑にしているのかも知れません。我が国の領土から無辜(むこ)の市民を拉致するという、明らかな主権侵害、に対して強硬に抗議することは、国益を守るうえできわめて重要です。その一方、6カ国協議を一日も早く再開することによって、北の核開発の野望を止めさせ、東アジアの安全保障を確保することも、死活的に重要な国益なのです。
昨今、拉致被害家族のみなさんや自民党内部でも、北朝鮮に対して早期に経済制裁を与えろという声が大きくなっています。拉致事件の解決が一向に見えてこないため、ご家族の怒りと焦りは限界に近づいているのだと思います。心ある日本人なら誰もが、「制裁は当然」と考えるでしょう。しかし私は次のような理由で、慎重にすべきだと考えます。ひとつは日本だけが制裁を行っても中国や韓国、ロシアなどが同調してくれなければ、ほとんど効果はないからです。また、6カ国協議がようやく再開しそうになっているときに、制裁発動によって北朝鮮の態度を堅くして、ぶち壊しにする恐れがあるからです。利害関係が複雑に絡み合っている国際政治においては、個人的感情を少しがまんしなければならないことも、時としてあるようです。
誤解のないように申し上げますが、私は決して拉致事件追及をやめろというのではありません。重要なことは、拉致事件を解決するという国益と、北の核開発をあきらめさせるという国益とのバランスの問題だということです。最近の国内のマスコミや、マスコミによって作られる国民世論が、拉致事件を感情的に取り扱いすぎているために、冷静に国益同士のバランスに配慮することが出来ないのです。ここはじっくり両者をよく見つめながら、いまはまず北の核を押さえ込むことを優先すべきではないのでしょうか。

◆靖国問題は大人の智慧で解決を◆
 東京九段の靖国神社は、明治以来、国の戦役に殉じた多くの御霊を鎮めるために建立された宗教施設です。戦前は国家神道の下で手厚く護持されていましたが、戦後は一宗教法人として公的援助を受けずに維持されています。特に太平洋戦争で散華された多くの英霊は、「靖国で会おう」の合言葉と「天皇陛下万歳」という心からの叫びにより、尊い生命を捧げられました。この限りにおいては靖国神社に戻られた英霊に対して、国家としても国民としても敬意と感謝を表すことはごく自然な行為ですし、総理大臣が公式参拝することもむしろ当然の行為です。
 しかし問題は、中国政府も指摘するように、やはりA級戦犯が合祀されていることです。敗戦後開かれた東京裁判は、戦勝国(連合国)が敗戦国を裁くという極めて不平等な裁判でした。ただそれは世界の歴史ではしばしばあることであって、いまさら「東京裁判は不当だ」などと異議を唱えても意味はありません。ここで判決の出たA級戦犯をはじめ戦犯者は、遺憾ながらその罪を対外的にも消し去ることは出来ないのです。したがって、A級戦犯合祀のままで総理大臣が公式参拝することは、国際社会とりわけ中国・韓国など近隣諸国の反発を招くことが、どうしても避けられないのです。
 もちろん今回の反日デモ騒動は、日本の問題だけではありません。中国や韓国では、戦後一貫して反日的な「愛国教育」が続けてられています。学校の教科書や独立記念館では、戦前の日本軍の行為を厳しく糾弾する内容が述べられています。「反日思想の再生産が国家レベルで続けられている」といっても過言ではありません。もう少し、未来志向の関係が築かれるような教育を施してほしいと正直思いますが、やはり「足を踏んだほうは忘れても、足を踏まれたほうは忘れない」というように、彼らの立場やものの考え方をまず理解すべきなのでしょう。 
一方、日本政府が長年の悲願としてきた国連安保理常任理事国入りが、実現に向けて最終段階に入ろうとしています。当初の予定では7月に決まるだろうと思われましたが、どうも9月の国連総会直前までずれ込みそうです。状況はかなり厳しくなってきました。まず米国は、日本などと協調関係で進もうとしていたドイツに不快感を示していますし、中国とのギクシャクした関係がこのまま続くのであれば、中国は日本の新規参入に賛成しないでしょう。中国をはじめ近隣諸国との摩擦をきちんと解消しなければ、日本は国力に見合った国際的地位を得ることはまず不可能です。
 数年前、靖国問題の解決策のひとつとして、新たな慰霊施設の建設が考えられました。福田康夫前官房長官が諮問機関を作って、精力的に検討してきたのですが、現実的ではないとして立ち消えになりました。より現実的な解決策は、A級戦犯の分祀や、靖国神社としての宗教的色彩を出来るだけ弱めることですが、これには靖国神社そのものが猛烈に反対しています。根本的解決策ではありませんが、当面はやはり、総理大臣の公式参拝を見合わせる以外に方法はないのだと思います。

◆戦後60年の節目に歴史の再定義を◆
もうひとつの摩擦解消策は、戦後50年の節目に村山富一総理が発表した、謝罪の色が濃い「村山談話」を、今度は小泉総理の言葉できちんと表現することです。また一歩進めて、日本と中国や韓国など近隣諸国の間で、共通の歴史観や歴史認識の共有をめざして、共同研究を地道に続けることも大切です。先日の日韓共同研究の中間結果では、かなり歴史認識が食い違ったと報じられましたが、まだまだこれからだと思います。場合によっては共通の教科書を作成するくらいのことがあってもよいと思いますが、当面は研究の成果をそれぞれの国の教科書に反映させるべきでしょう。
戦後はじめて、教科書問題が発生した昭和57年、私は駆け出しの文教委員でした。当時の中学校教科書において、戦前の日本が中国を「侵略した」という文字が、検定によってみな「進出した」に換えられたという、日本側マスコミの報道がことの発端です。しかし実はそうした事実はなく、それ以前の検定ですでに「進出」に代わっていたのに、担当記者が誤解して記者クラブに報告したのです。事態打開のために、検定基準に「近隣諸国に配慮すること」という条項が付け加えられました。不幸なアクシデントとはいえ、些細なことでも火がついてしまうほど、近隣諸国は歴史認識にナイーブであることに、私たちはもっと注意を払うべきです。
 一方ドイツは、近隣諸国との戦後処理をたいへんうまくやってきました。つまり、戦前のヒットラー政権はきわめて特殊な現象であって、戦後のドイツにはその片鱗も受け継がれていないという態度です。天皇制が継続していて、戦前と戦後が明確に切り分けられない日本から見て、大変巧妙で「うまくやったな」という印象です。もちろん戦後ドイツは、ことあるごとに近隣諸国に対して、徹底的に謝罪を繰り返してきたことはいうまでもありません。私たちは戦前と戦後の連続性の中で近隣諸国との摩擦を防ぎ、未来につなげていくという難しさがあります。しかしそれが日本の宿命であって、この困難な命題を私たちは逃げることなく、正面から取り組んでいくべきでしょう。

◆憲法論議などにみる右旋回◆
 いま自民党では憲法改正や教育基本法改正など、国の基本にかかわる議論が目白押しです。
憲法改正については私自身、衆議院憲法調査会や党新憲法起草委員会で取りまとめの立場におりますが、ここでも保守的な議論が勢いを増している印象を受けます。例えば、天皇を元首とするかどうかですが、私は元首にはなじまないと思います。なぜなら象徴としての「権威」は持ち合わせていますが、政治的な「権力」は持ち合わせていないからです。しかし党内の多数は、「天皇をこの際、元首と認めるべき」という意見です。象徴天皇制が戦後長いこと定着してきましたから、いまさら元首だといわれても戸惑いますし、なにより近隣諸国の無用な誤解を招きかねません。
また国民の権利と義務については、おおむね現在の姿を維持すべきとの常識論が多かったものの、男女平等やジェンダー・フリーに関しては大変厳しい意見が集中しました。一方、外国人の人権については、ほとんど関心がなく議論が出ませんでした。在日外国人に地方参政権を与えることについては、国会に法案を提出していながら、冷静に議論できる雰囲気ではありませんでした。
教育基本法改正については、いま公明党との間で協議が続けられています。焦点は、教育の目標に「国を愛する」を入れるか、「国を大切にする」にとどめるべきかです。私は「国を愛する」というのは、目的ではなく結果だと思います。日本の美しい自然や文化に触れ、地域社会の温かい絆を享受した結果として、人々の中に「国を愛する」心が芽生えるのではないでしょうか。頭越しに「国を愛せ」というのは強制される印象があり、私たちには馴染めません。「国を大切にする」行為を積み重ねた先に、「国を愛する」感情が醸成されるほうが自然です。
ところで憲法も教育基本法も、日本の「国のかたち」を決める基本的な法律です。特にいまの憲法では、国会の総議員の3分の2以上の賛成によって、国会が国民に「発議」するとしていて、これが「硬性憲法」といわれるゆえんです。自民党内にはこの「3分の2条項」を真っ先に緩和して、過半数あればよいという意見が多いのですが、これには私は反対です。過半数では、時の政権与党の思うように、憲法が改正されてしまうからです。そして、我々がいつまでも与党であり続ける保障はどこにもないからです。
そもそも憲法や教育基本法など、国の重要な取り決めは過半数によって切り分けるべきでなく、いいかえれば政権戦略と同じレベルで議論されてはいけないと思うのです。憲法も教育基本法も、自民党単独では何も決まりません。公明党や民主党との話し合いと合意がなされなければ、決められない仕組みなのであり、またそういう心構えで望むべき仕事なのです。

◆真の国際化とは◆
一方、人権擁護法案の与党協議が暗礁に乗り上げています。主な争点はメディア規制と人権擁護委員会における国籍要件です。メディア規制は凍結することでほぼ決着しましたが、国籍要件は自民党内で行き詰っています。人権侵害案件を審議するとき、その委員会に在日外国人が入っていては、逆に日本の公権力行使に支障をきたすおそれがあるということです。しかし実際の委員会審議は合議制によって運営されるはずであり、杞憂に過ぎないのではと思います。
そもそも我が国には朝鮮半島出身の特別永住者をはじめ、多くの外国人が生活の基礎を置いています。私たちと同様にきちんと税金を払い密接なかかわりを持っているにもかかわらず、永住権者は地方の選挙権すら与えられない現状です。かれらの存在と主張を無視し続ける日本社会は、果たして本当の国際化といえるのでしょうか。自民党内には「それなら日本人に帰化すればいいじゃないか」といった意見も結構多いのですが、民族の伝統や誇りはそう簡単に捨てられるものではありません。彼らの心情を理解し、政策を修正していく柔軟さも、真の国際化のためには重要です。私たちは意識の改革を求められています。

2.夢の喪失は日本の衰退につながる

◆「40年周期説」に縛られるな◆
 現代の著名な歴史家である半藤一利氏は、明治維新以来の日本の近現代史を、「40年周期」で説明しています。
最初の40年間は、維新(西暦1867年)から日露戦争の勝利(1905年)までです。この頃の政府は欧米列強に一日も早く追いつこうと、富国強兵策を強力に推し進め、義務教育の全国的普及により人的資源のレベルアップに力を入れました。作家の司馬遼太郎さんが好んで使った、『坂の上の雲』という言葉が最もあてはまった時代で、まさに右肩上がりの40年でした。
次の40年間は、国家戦略を巧みに操縦していた明治の元勲たちも次第に姿を消し、代わって台頭してきた「わからずや」の軍部が、国内はもとより近隣諸国も引っかきまわしてしまいました。本土防衛の目的を拡大解釈し、朝鮮半島や中国大陸などに進出(侵略)し、多くの国民が戦争により甚大な犠牲を払うこととなりました。終戦を迎えた1945年までの、右肩下がりの40年でした。
次の40年間は、また日本の復活です。敗戦の廃墟から立ち上がり、世界に例を見ないスピードで復興を成し遂げ、世界第2位の経済大国を築きあげた、まさに右肩上がりの40年でしたが、最後はバブル経済の崩壊(1991年)という憂き目を味わいました。
それからの40年は、いったいどうなるのでしょうか。いまはまだ半分も経過していませんが、回復しつつあるとはいえ、かつての経済繁栄は望むべくもなく、世界一安全といわれていた治安もどんどん悪化しています。明らかに右肩下がりの時代を迎えています。40年周期説にしたがえば、あと20年以上は何をやっても駄目という理屈になりますが、いまを生きる私たちとしては「はい、そうですか」と認めるわけにはいきません。どうすれば40年周期を克服して、右肩上がりの日本を取り戻せるか、真剣に考えるときです。
 私たちはいま、行政や経済分野での構造改革、具体的には郵政民営化や地方分権の三位一体改革など、行政コストの削減や民間の役割拡大を目指しています。社会の活力を維持する上では、それぞれが大切な取り組みには違いありませんが、特別に元気の出る手段ではありません。国民みんなが元気を出すためには、やはり明治以来追い求めていた「坂の上の雲」を、国のレベルでも個人のレベルでももう一度設定しなおすことではないでしょうか。
もちろんいますぐに、それが何かを決めるだけの準備はありませんし、それを決めたからといって、戦後の驚異的な経済成長を実現した、「追いつき追い越せ」という猛烈精神は勘弁してほしいのです。しかし新しい「坂の上の雲」を現代において設定することこそ、政治の本当の役割だと思います。

◆ODAの減額は日本の価値を下げる◆
 日本はいまでは「ODA大国」といわれますが、かつてはODAをもらっていた時代もあったのです。戦後の発展の原動力となった、米国からの「ガリオア・エロア資金」や世界銀行からの低利融資もありました。竹下蔵相当時でしたから、そう昔のことではありませんが、東海道新幹線建設工事に充てられていた世銀融資を完済して、記念式典が挙行されたエピソードはあまり知られていません。そんな時代もあったのです。
その後高度経済成長を遂げる過程で、日本も国力に見合ったODA(政府開発援助)を急速に拡大しました。資源の少ない日本としては、資源保有国との友好関係を築く必要に迫られます。貿易立国の日本としては、貿易相手国の経済もよくしなければなりません。このように、ODAは何らかの見返りを期待して行われてきたことを否定するものではありません。しかし多くのODAは、「世界から貧困をなくそう」とか「世界のために汗をかこう」というスローガンのように、具体的な見返りを求めない、まさに「国際貢献」の気持ちで実施されたものでした。国民世論も「ODA総額が世界一になった」という報道に感動したり、誇りさえ覚えたりしたこともありました。
 ところが残念なことに、平成の時代になった頃からODAにまつわる不祥事が相次ぎ、インドのダム建設援助などで地域住民の反対運動が起こるといった、ミスマッチが目立つようになりました。国民の間でも、本当に日本のODAがその国の人々に役立っているのかどうかわからない、しっかり検証しろという声が強くなりました。私が自民党の外交部会長をやっているとき、そのような内外の声にも促されて、環境保護や政治的民主化などに役立つODAであるかどうかをあらかじめ評価する、「ODA4原則」を導入しました。また事後評価を厳格に実施すること、相手国からいわれるがままの「要請主義」ではなく、日本側からもこうすべきではないかと注文を付ける「提案型ODA」に改善しました。おかげさまでその後、ODAへの批判はかなり収まったかに思えました。
ところが今度は国の財政危機のあおりを受け、ODAであっても予算上は聖域とはみなされず、毎年削られることとなりました。日本のODA予算総額は平成9年(1995年)に1兆2千億円のピークに達しましたが、その後は連続して減少、8年間に33パーセント以上削減されました。このまま推移すると数年のうちに、仏英独の3カ国に間違いなく追い抜かれます。EUのODA共通目標が、今後10年以内にGNP比0.7パーセントを実現することですから、日本も同じようにやらないと確実に抜かれます。
また中身を見ますと、ODAの中でもっとも純粋な部分である無償資金協力を、世界123カ国に供与していますが、平成10年から5年間でその半数が半額以上削減されています。具体的な見返りは求めないという精神ですが、これではさすがに国連安保理常任理事国への支持は減ってしまうでしょう。もっと心配なのはODAの実施を支え、JICA事業など国際協力に従事している、現地の日本人職員の士気が、急速に萎えるのではないかという点です。小泉総理は最近、ODAの重要な役割に遅まきながら気づいた様子ですが、「国際貢献日本」の屋台骨が崩れないように、ここはもう一歩踏ん張らなければなりません。
米国の代わりに、世界から貧困や飢餓を一掃する役割を担おうという、かつての大きな夢は確かに崩れました。しかし国力に見合った援助をきちんと積み重ね、「きらりと光る国」として世界から尊敬されるという夢は、せめて持ち続けたいと思います。

◆宇宙開発の夢しぼむ◆
 夢といえば、私は子供の頃天文学者になりたかったのです。ところが数学がちょっと苦手になり、やむなく文科系に転じました。しかし夢はそう簡単に捨てられるものではなく、国会議員になってから「大型光学望遠鏡推進議員連盟」を同好の士とともに組織して、10年越しでハワイに世界最高性能の「すばる望遠鏡」を実現させることができました。ここからは宇宙の話を少しさせてください。
1963年にケネディ大統領は、議会の一般教書演説で、「1960年代の終わりまでに人類を月に送る」と述べました。国内外からは大風呂敷との批判もありましたが、とうとう60年代最後の年に、アポロ11号に乗り込んだアームストロング船長の足跡が、人類史上初めて月面に印されました。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」という有名な言葉は、かれからそのとき発せられました。
一説では、泥沼化の一途をたどっていたベトナム戦争から、国民の目をそらす役割も担ったようですが、月の地平線から出てきた青く丸い地球が、漆黒の宇宙のなかにぽっかりと浮かぶ写真は、私たちに「宇宙船地球号」という強烈なメッセージを与えました。そして我々人類はこの狭い地球のうえで、手を携えるべきだという意識の改革をもたらしました。
 また宇宙開発は、意識の変化ばかりでなく、コンピュータの小型化や通信技術の進歩、さらには「レトルト」食品などの加工技術の開発を積極的に推進して、私たちの生活の便利さを飛躍的に向上させたことは間違いありません。
 一方、日本の宇宙開発はどうかといえば、かつて実用衛星を打ち上げてきた宇宙開発事業団と、研究を旨としていた宇宙科学研究所が合併して、宇宙航空研究機構(JAXA)という新組織で開発を進めています。しかし同機構が頼みの綱としているH2Aロケットの相次ぐ打ち上げ失敗で、その信頼性が揺らいでいます。現在策定作業が進んでいる「科学技術基本計画」の重点4分野から宇宙開発がはずされたのも、このことと無関係ではないようです。
もちろん重点分野に指定された環境やナノテクノロジーなどは、人類の幸福ために不可欠の分野であることは疑う余地はありません。しかし宇宙開発ほど大人から子供まで誰にでも理解しやすく、夢とロマンを満載した分野はほかにないと思うのですがどうでしょうか。またこの分野で将来取り組むべき課題は、月面天文台の建設や有人宇宙飛行など目白押しです。それらを実現し国民に夢を与え続けていくためには、時々の財政事情によって、予算をぎりぎり削っていいとは思えません。

3.人間力の低下は日本を滅ぼす

◆人間力の低下とは◆
 最近の交通機関をめぐる事故やトラブルには、目を覆うものがあります。去る4月25日、JR西日本の福知山線で発生した脱線転覆事故では、107名という多くの尊い生命が失われました。戦後4番目に大きい事故ということですが、あらためて心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。脱線転覆の原因は未だ特定されていませんが、運転手の焦りや操作ミスに加えて、並行して走る他の私鉄との競争に勝つため、無理なダイヤ編成と、少しの遅れでも糾弾されるという、苛酷な勤務環境があったことも指摘されています。個人レベルと組織レベルの双方にまたがった、「ヒューマンエラー」が起こした事故であったのでしょう。
 一方、大事故にはつながらなかったものの、管制官の指示を無視して離陸を始めようとした日航機や、管制官全員が勘違いして、閉鎖中の滑走路に着陸許可を出すなど、一歩間違えば大事故につながりかねないトラブルが次々と明らかになっています。事故調査の専門家の間では「ハインリッヒの法則」というのがあるそうです。「重大事故1件の陰にかすり傷29件、そのまた陰にヒヤリ体験300件」という統計上の経験則です。ですから重大事故防止のためにはヒヤリ体験を放置せず、徹底的に分析する地道な取り組みが必要だということです。
 話が少しそれましたが、事故の多発の背景には日本人全体の「人間力」、すなわち自己と他人の安全を確保するために将来起こりうることを予測し、たしかなコミュニケーションを行い、危険が発生しないように的確に手を打つという能力が下がっていることが指摘されます。つまり想像力とコミュニケーション能力、行動力が不足している日本人が、目下急増中ということでしょう。このような事態を改善するには、やはり教育のはたらきに待つところ大だと思います。ただし今のような教育では、人間力のもともと弱い人間が若い人間を教えていることが多く、そういう人間を再生産するだけですから、よほどの改革を行う覚悟が必要です。

◆ゆとりと学力は両立する◆
 文部科学省はもう10年以上前から、「学校5日制」の完全実施や「2学期制」の導入、さらには「総合的学習の時間」の導入など、いわゆる「ゆとり教育」の実現に向けて、省を挙げて取り組んできました。ところが数年前から子供たちの学力の低下が意識されるようになり、基礎学力の国際比較PISAの結果が、世論に火をつけました。「学力の低下は、ゆとり教育が元凶だ」という意見が沸騰しました。
私は昭和62年から63年にかけて文部政務次官をしていましたが、在任中に「ゆとり教育」のはしりとなる政策を実行に移しましたから、その意味では戦犯の一人かもしれません。
 しかしその当時、我々が役所の内外で議論していたことは、基礎学力はしっかり身につけさせるものの、決して知識の詰め込みではなく、自分の頭でじっくり考えさせる時間を増やすことでした。専門用語でいうと「問題解決学習」を増やしていこうということです。ですから、「ゆとり教育」を導入しても学力は低下せず、両者はトレードオフの関係ではないというのが当時の認識であり、現在もそう信じています。
 教育問題を語るとき、日本人の多くが陥る過ちは、二者択一の手法だと思います。例えば、本来教育には「伝統」を子供たちに教えることによって、社会秩序や文化を維持継承していく機能を持つと同時に、現状を打ち破る「革新」のエネルギーを注入する機能も持っています。どちらを選択するかの問題ではなく、いずれも重要な役割であって、渾然一体となった姿が本当の教育であるともいえるのです。教育の現場は常に両者が混在していて、子供たちは常にそれらの中間にいるのです。現実を無視した教育論議は不毛であるばかりか、有害とさえいえます。「ゆとりか学力か」ではなく、「ゆとりも学力も」なのです。

◆リアリティのある教育を◆
 「ゆとり教育」と同時に、「リアリティのある教育」も大切です。放課後に、近所の子供たちが一斉に原っぱに飛び出して、夕方暗くなるまで遊び放ける光景など、ほとんど見られなくなってしまいました。またたとえ「ゆとり教育」で原っぱに子どもたちを「解放」しても、自然とのつきあい方や友達との遊び方がわからず、立ち往生する子どもが続出するでしょう。
一方、しばしば先生たちも自然の一部を切り取って教室に持ちこんだり、本物そっくりのイミテーションを教材として使ったりします。子どもたちもまるで本物の自然に触れたかのように思い込み、それで全てを済ませてしまうようでしたら、とても危険なことです。
星空をドームに映し出すプラネタリウムは、どんなに精密になっても本物の星空にはかないません。大自然を忠実に映し出すデジタル・ハイビジョンも、実際の自然にはかなわないのです。そういうものには自然の息づかいとか厳しさが含まれていませんから、子どもたちに「何だ、自然なんてこんなものか」と思い込ませてしまうのです。これでは感動もへったくれもありません。感動のないところには、所詮興味や関心も沸きません。「リアリティのある教育」をもう一度学校に戻す努力が必要です。

◆少子化で子どもを甘やかすな◆
 先日、厚生労働省から発表された昨年の合計特殊出生率は、過去最低の1.29になってしまいました。日本の総人口も2008年から確実に減りはじめます。人口減少が意味するのは、ものを買う人も作る人も減っていくということです。このままでは日本経済の縮小は避けられません。そうならないためには、国・地方・民間企業・地域社会が一体となった、総合的で徹底的な少子化対策を展開することが第一。第二は個人や個々の企業の生産性を飛躍的に上昇させ、国力が弱まることを必死で抑えることです。
一方、少子化は子どもたちの教育にも少なからず影響を与えます。過疎地の学校ばかりでなく、都市部においてもクラスの人数がどんどん減っています。「40人学級の実現」などというスローガンを高々と掲げていた時代は過去のものになりました。いまや小中学校では30人や25人が主流になっているのです。政治家や一部の識者の中には、クラスの人数をもっと減らして、子どもたち一人ひとりに目が届くようにしなさいという人もいますが、私はこれには反対です。
人数を減らしたからといって、果たして教室でいじめが減ったでしょうか。明確な因果関係はないようです。よい教育ができるかどうかは、まず教員の能力ややる気にかかっているのです。さらにはクラスの人数が減ってくると、いい意味での競争がなくなります。「切磋琢磨」という言葉はほとんど死語になってしまいました。またいじめられた子どもの逃げ場がなくなり、厳しい結果に結びつきがちです。いわゆる「集団による教育」の効果を、私たちは軽く見過ぎていたのではないでしょうか。
また少子化は、少ない子どもたちを大事に育てようという風潮を生み、家庭・学校・社会のあらゆる場面で、子どもたちを必要以上に甘やかすことが起こっています。甘やかされれば自分に甘くなるのは当然です。人の迷惑などおかまいなしに振舞う子どもと大人が、確実に増えています。こういうときだからこそ私たちは、子どもを意識的に厳しい自然に触れさせ、集団の中で切磋琢磨させ、甘やかさないことがとても大切なのです。30年、40年ほど前には日本中どこでもやっていた厳しくもあたたかい教育に戻ることこそ、日本の将来を救う早道なのです。




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