『ライナーノーツ特別編 back numberインタビューver.』
UP DATE 20121128

今週は『ライナーノーツ特別編 back numberインタビューver.』と題しまして、通算3枚目のアルバム『blues』を発表したばかりのback numberのインタビューをお届け致します。
昨年発表のメジャーデビューアルバム『スーパースター』がオリコンウィークリーチャート4位を記録し、ワンマンツアーのチケットもすべて即完させるなど、勢いを増すばかりのback numberの快進撃は、同じ群馬から東京へ出てきた者として、とても誇らしく、かつ励みになります。
今回はニューアルバム『blues』の話題を中心に、故郷・群馬への思いや、音楽的ルーツなどをフォーカスしながら、そんなback numberの今を切り取ってみました。

〜『blues』…葛藤と光の間で〜
●AKB48の峯岸みなみさんがback number推しなのは有名な話ですが、以前この番組で特集したAKB48の藤江れいなさんのインタビューの中でもback numberの名前が挙がりました。そんな若い世代の女性から支持されていることについて清水依与吏さんは、
清水依与吏「ありがたいですよね。若い世代の方、若い女の子…僕らよりも随分と年下ですが、そういった方にも、共感をもって聴いて頂けるのは。どんな角度か分からないですけど、『いいな』と思ってもらえるのは凄く嬉しいです」
●元々男性側の失恋を描いていた音楽が女性のリスナーに響いていることについて、歌っている側はどのように捉えているのでしょうか。
清水依与吏「最初は僕自身もビックリしたんですけど、色々(リスナーさんの)話を聴いていくと、不甲斐ない男の目線で歌っている歌でも、一生懸命歌うことによって…(歌の主人公の)相手になっている気分になるのかもしれませんね。僕は真っ直ぐに自分の気持ちを歌っているんですけど、『こんなふうに思ってくれていたんだ』とか、『あの時のあの人にも、こういうふうに言ってもらいたかった』と思ってもらえたり、それは嬉しい誤算です」
●メジャーデビューアルバム『スーパースター』がオリコンウィークリーチャートの4位を記録するなど、より幅広いリスナーから支持されるようになった昨今、バンドを取り巻く環境は徐々に変わってきているのでしょうか。
清水依与吏「メジャーデビューさせて頂いてからは、音楽を作る上で凄く集中できるし、それでいて怠けることもできないし、凄くいい環境でやらせて頂いています。ものを作る上での環境の変化はそこまでなくて、強いて言うなら、タイアップお話を色々と頂けるようになって、その中で自分達が新しい刺激を受けるようになり、『よりよい方向に向かっているな』というのは実感としてあります」
●『スーパースター』以降、back numberは約1年で4枚のシングルを発表してきました。今Jポップ・シーンでバンドが1年に4枚のシングルを量産するのは異例のことですが、この1年、どのようなスタンスで曲作りに取り組んでいたのでしょうか。
清水依与吏「元々『曲を作らなきゃ』と作る方ではないんですよ。常に作っている感じで、メロディとか言葉を探しているので、今が『一番溢れてきているんです』というわけではないんですけど、あるものを形にしていく作業——アレンジとか編曲という部分で、バンドが凄くスムーズに自分達のやりたいことをすぐに見つけられる状態だと思っているので、そういう意味で(バンドが)いい状態だなと思っていますね」
●今回のアルバム『blues』でアレンジ面での新しい試みは?
清水依与吏「初めてのセルフプロデュース・シングルの『青い春』という曲は、このアルバムの柱になっていると思うのですが、『新しいことをしているか』と言うと、『どうなんだろう』ということになるかもしれないですね。プロデューサーのいない中で、純粋に自分達だけで、音のひとつひとつだったりとか、厚みも含めて、シングルの表題曲として世に出せるクオリティまで持っていけたというのは、自信にも繋がりましたし、『あの手法で、この感じならもっと出来るよね』という次のアレンジみたいなものも見えてきた感じはあります」
●セルフプロデュースはどのような感じで行われたのでしょう。
清水依与吏「まあ、いつもどおりですね。タイアップのドラマ(『高校入試』)の脚本を読ませて頂き、僕が色々とやりとりをして、その中でふたりには普段どおりのことをやってもらいたかったので。スタジオには3日間籠って、その中でいつもどおり組み立てていった感じですね」
●スタジオに籠った際の印象深いエピソードについて伺ったところ、
小島和也「1日目に清水依与吏が速攻で帰るぐらいですかね、事件的には。始まって4時間ぐらいで」
清水依与吏「6〜7時間ぐらい居ましたよ。ただ、アレンジが出てこなかったので。『なんか帰りたいな』と思って帰りました。ダメそうだったので(笑)」
●取り残されたおふたりはその時?
小島和也「『残ってやれることをやって』ということだったので、普通にリズムの話をしながら作業を進めていました」
栗原寿「別に『どうしよう』という感じではなかったですね」
●そこは酸いも甘いも知っている者同士の呼吸みたいなものでしょうか。
小島和也「やれることを探しながらというか、目の前の曲で使えなくても、『こういうリズムでやりたいね』という話が次に繋がることもありますから」
清水依与吏「あと、純粋に(ふたりが)慣れているという(笑)。気持ちの部分で、僕が走り出すことに慣れているんですよ。だから別に動じないんじゃないですかね」
●ある意味、親の目線で清水さんを見ているわけですね。
清水依与吏「産んでもらった覚えはないのですが(笑)、リズム隊ということもありますし、ふたりの方がどっしりと構えている感じはありますね」
●では作業の2日以降は?
清水依与吏「まあ、2日目以降は調子よく、いい感じに色々やっていけた感はありますね。色々工夫しながら、やれたと思います。」
●アルバムではセルフプロデュース以外に、FUNKY MONKY BABYS などを手がけたsoundbreakers、いきものがかりなどを手がけた島田昌典さん、スピッツなどを手がけた亀田誠治さんなどの多彩なプロデューサーが迎えられていますが、プロデューサーの違いは映画でいう監督が異なる感覚と一緒なのでしょうか。
清水依与吏「自分達のやりたいようにやっているので、引っ張っていってもらえるというのは、凄く心地よくて、多分あれはプロデューサー・マジックだと思いますね。引っ張り方とか、優しいですし、だけど強い意志を持ってみたいな…それは凄いと思いますよね。だから監督…多分そういういうものなのかな。監督を変えて映画を撮って…ああ、でも俺らが監督なのか、もしくは俳優?」
栗原寿「俳優さんってこと」
清水依与吏「どっちが正しいんだろう」
栗原寿「俺らそういう意味で、脚本なんじゃない」
清水依与吏「脚本?」
栗原寿「これはやめよう(笑)」
清水依与吏「これは難しいですね、はい」
●話が袋小路に入りそうだったので、「どちらかというかプロデューサーはカメラマンに近い感じなのでしょうか」とお伝えしたところ、
清水依与吏「そういう感じかもしれませんね。実際、監督も演者も自分達で用意したとしても、実際に撮れている画はカメラマンさん次第だったりするので、そっちの方がしっくりくるのかもしれませんね。やっぱり上手だと思います。『この音はこういう方がいいんだよ』とか、カメラで言ったら物凄くアップで撮る感じですよね。俺らはそこまで気を遣っていなかったというか、そういうことに気づかせてもらえるのは、凄いなと思いました」
●シングルでも発表された「日曜日」は、SMAPの「夜空ノムコウ」を手がけたことでも知られる川村結花さんとの共作曲です。清水さんにとって共作というスタイルは初の試みだったのでしょうか。
清水依与吏「そうですね。サビのメロディはほぼ川村結花さんに作って頂いて、やっぱりピアノで曲を作る方の凄まじさは、本当にファンタスティックなんですよ。ギターでは絶対いかないようなコードとか、『指が何本あっても足らない』というところを弾いてくるので。ギターで実際使える指は4本なんですけど、それをどう配置して、どういうふうにピアノの音を再現するか、みたいなところは、凄く気を遣ってやっていました。だから本当にいい刺激にもなりましたし、それを歌って、歌詞と自分なりのメロディに少しだけ変えることで、清水依与吏というか、back numberの曲に出来たというのは、自信に繋がりましたね」
●監督、演者をすべて用意するというところで、清水さんは具体的な風景を見ながら曲を作られているのでしょうか。
清水依与吏「自分の実際にその場で起こったことのプラスαというか、『もっとこうしたらよかったんじゃないか』とか、そういういのを混ぜながら書いているので、結構自分の中では具体的に(風景が)浮かんでいます。だから多分、『実際に画が浮かぶようだ』と言って頂けるようなものが出来るんだと思うんですよ。自分の中で浮かんでいなかったら、多分聴いた人も浮かばないと思うんですけど、それは凄く好きな手法なので、(今後も)やっていきたいですよね」
●アルバムも3枚目というところで、逆に実体験が枯れそうな危機とかなかったのでしょうか。
清水依与吏「実体験枯渇現象のことですね(笑)。でも男女で一緒に居たりとか、人生を葛藤して生きていれば、歌えない場面はないなと凄く思うので、多分大丈夫だと思います」
●「助演女優症」では女性目線で書かれていますが、ある意味、フィクションのような感覚で書かれたのでしょうか。
清水依与吏「(これまでに)タイアップをやらせて頂いたことで、自分の言いたいこと発信でなく、誰かの作品に寄り添いながら、その中で自分を見つけて表現するというのが、自分の中でしっくり来ているので、『作家として何が出来るか』という集大成がその『助演女優症』だと思います。元々女性目線の曲はあったんですけど、こういう女性のディープな、心の弱い部分みたいなところを歌えたのは、かなり自分の中の女々しさがグレードアップしたというか、女性が目覚め始めている感じですね」
●清水さんの中で目覚め始めた女性の部分について伺ったところ。
清水依与吏「気持ちの部分ではやっぱり、女々しいというのは、結果的に女性の気持ちというか、一概には言えないですけど、そういう部分も理解出来ているんだと思います。その意味で、そろそろガールズトークにも入っていけるんじゃないかなって(笑)。そういう自負はありますけどね」
●逆に客観的な視点から清水さんの中で飼いならされている女性の部分について伺ってみました。
清水依与吏「僕の中に実はもうひとりの僕が居て、“いよみちゃん”みたいな感じが垣間見えたりする?」
栗原寿「そういうのはないです。“いよみちゃん”的にはあれですけど(笑)、結構繊細というか、色んなことに目が行っていると思うし、かと思えば男らしい一面もあるし、繊細な部分が凝縮して出たのは、この『助演女優症』なんじゃないかなと思いますね」
●では男らしさが出ている曲とは?
栗原寿「『青い春』なんかは、男としてというか、人間としてというか、そういう面で、強い意志みたいなものが感じられますね」
清水依与吏「いつかベスト盤を出す時に、それこそ槙原敬之さんやJUJUさんのように“LIFE”アルバムと“LOVE”アルバムみたいな感じで、分けて出せるかもしれませんね。“依与吏”アルバムと“いよみ”アルバムみたいな感じで。僕の中の“いよみちゃん”の部分…例えば『スーパースター』に入っている「幸せ」であるとか、『助演女優症』であるとか(アルバム『あとのまつり』収録の)『stay with me』であるとか、女性目線のものアルバムみたいな感じにしていく?」
栗原寿「それはその時考えようか(笑)」
●先ほど「青い春」がアルバムの柱になるというお話が出て、またアルバムのタイトルに音楽のブルースと青色も掛かっているとイメージさせる『blues』が持ってこられたというところで、今回青という色に対して特別な思いとかあったのでしょうか。
清水依与吏「“blues”という言葉は、辞書で引いたりすると、『日常の葛藤、苦悩を歌った歌』という感じで出て来るんですよ。実際、このアルバムも本当にそういうものだと思いますし、特に『青い春』は。青春と言ってしまうと、若い世代の青い感情というか、若い葛藤みたいな感じにとられがちなんですけど、決してそういうことじゃなくて、世代、性別問わず、自分の人生を自分の意志で生きていても不安になったりするじゃないですか。でも葛藤しながらも、前に進んでいくというか、一生懸命頑張って生きている人は、ずっと青いままだと思うので、葛藤という言葉と青という言葉は、結果的に大きく結びついているんですよね。このアルバムはそんな青の集合体だと思うので、色んな意味で、この“blues”という言葉は、今の自分達のやっていることに凄く近いと思います」
●ちなみに母のお腹の中で胎児の視神経が形成されるとき、初めて反応する色彩が青色だと言います。つまり青は人間にとってすべての始まりの色であり、宮沢賢治は青色を幸せの象徴として描いていました。同時に宮沢賢治は不吉さの象徴としても青色を差し出していることをお伝えしたところ、
清水依与吏「ま、そうですよね。寂しさの象徴でもありますけど、でも大きさも感じるし、(青って)凄いですよね。人生に根づいた色だったり言葉だったりするので、そういう意味でも、bluesというのは大事なんじゃないですかね」
●清水さん自身は、音楽ジャンルとしてのブルースには馴染みがないということですが、“blues”という言葉には音楽に対するback numberの向き合い方が込められているようです。
清水依与吏「ジャンル分けの概念を、サウンドの質感でなく、音楽の目的意識——その音楽を使って何をしたいのかという、歌う人の目的意識の中にきっとジャンルは宿っているんじゃないかなと思っているんですよ。そういう意味では、ポップスでもありロックでもあるんですけど、僕らはブルースなんじゃないか、という感じですね」
●ここで余談にはなるのですが、今から20年前に、ブルースを聴かせる酒場が高崎にあり、お店のマスターが元々ロック喫茶営んでいたということをお伝えしたところ、話は清水さんがイメージする妄想ロック喫茶へと転がっていきました。
清水依与吏「それは凄いですね。もう“ロック喫茶”という言葉があまり存在しないですもんね。でも『あったらいいのにな』とは思います。逆に今は流行るかもしれませんし——無口なおやじさんがやっている、美味しいコーヒーが飲めるロック喫茶。で、『おやじさんあれないですか』とリクエストすると、『あるよ』とも言わずに、バックヤードへ行ったなと思ったら、その曲が流れてきて、その曲の繋ぎがまた完璧なんですよ。ちゃんと前の曲を聴かせてから、リクエストに応えてくれる感じで」
栗原寿「DJとして完璧な感じで」
清水依与吏「もう完璧ですよ。『ロック喫茶 MIYOSHI』という名前のお店で。結婚してすぐに奥さんが亡くなってしまったんですけど、その人を救ってくれたのがロックだったんですよ。その思いを色んな人と共有したいと、お店を始めるんですけど、あまり口がうまくないので、美味しいコーヒーの中にお客さんを大事にする思いを込めているんです。で、そのバックにロックも流れているという、ホッコリするエピソードもあったりして…すべて架空の話なんですけど(笑)、そんなお店があるといいですよね」

〜原点であり帰ってくる場所としての群馬〜
●ご存知のとおりback numberはFMぐんま主催のアマチュア音楽祭「ROKERS 2007」で準ベストロッカーズを獲得しました。色々な意味で、その「ROCKERS」での経験は今のback numberの大きな糧になっているようです。
清水依与吏「予選、決勝と2回ライヴがあって、予選では僕らも納得のいくライヴが出来て楽しかったんですよ。でも、決勝の時に『なんであの時はあんなふうに歌えたのに、今回はこんなふうにしか歌えないんだ』と、僕個人としては凄く悔しい思いをしたんですよ。だからライヴが終わって、優勝を逃して、準ベストロッカーズという賞は頂いたんですけど、凄く納得ないかなくて…それは『なんで俺らが優勝出来ないだ』ということでなく、純粋にそこで力を発揮できなかった自分に悔しくて、『こういう思いは絶対にしたくない』と、泣きながら誓ったのは覚えています。そこでもし優勝してしまっていたら、逆に今はないんじゃないかなと思っていますね。自分自身に負けたからこういう結果になるんだ、と自分達が感じられたので、多分、本当の意味での原点だと思います」
●「ROCKERS」を振り出しに今や日本全国に歌を届けるようになった今、故郷の群馬にはどのような思いを抱いているのでしょうか。
清水依与吏「色んな場所へ行って思うのは、悔しいなということですかね。それこそ四国に行ったりすると、誇りをもってうどんを食べていたりとか、北海道にはまた美味しい料理、ジンギスカンやスープカレーがあったり、色んな場所に個性があって魅力的だと思うんですけど、群馬の特色みたいなものが、なかなかアピール出来ていないと思うんですよ。結果的に魅力的な都道府県最下位みたいになっちゃっているのは、俺達も凄く悔しいので、『何か出来ないかなと』とは思っています。もちろん僕らも群馬に対しては恩返ししたいというか、自分達が育った街なので、もしかしたら自分達が頑張ることで、少しは群馬に興味を持ってもらえたらと思っています。大それたことは出来ないですけど、結果的に錦を飾れるというか、そういうふうになっていったら、凄く嬉しいですね。お二方はどう思いますか」
小島和也「今でも普通に帰るんですよ。この間も帰ったりして…。だから逆に『変わらないでいてもらいたいな』という感じはあります。例えば、久々に通る道が全然違う景色になっていたりすると寂しい感じがするんですよね。だから、いつでも戻れるところであってもらいたいという願望みたいなものがあります。『東京に居るんだぜ』と誰かに自慢するようなこともないし、出来ることなら、群馬に居て(音楽活動を)やりたいと思っているくらいなので、特に群馬との距離感とかは感じていないです」
栗原寿「帰れる場所があるというのは一番の強みだと思います。だから他へ行っても色々と頑張れると思いますし、心の拠り所ですようね、群馬は」
●見慣れた風景が変わってしまうということで、以前私が数年ぶりに群馬へ帰った時、聞き慣れない駅名を電車のアナウンスで聞いてと戸惑ったというお話をしたところ、
清水依与吏「もちろん新しくなるのは喜ばしいことだと思うんですけどね。それこそ東京へ来る時に、僕は太田なので東武伊勢崎を使うんですけど、ある区間が“スカイツリーライン“と呼ばれるようになって、『“東武伊勢崎線”という言葉自体がなくなってしまうかも』と思ったことがあるんですよ。もしそうなら、反対しようと思ったくらいだったんですけど、実際、『スーパースター』というアルバムの中に『電車の窓から』という曲があって、その電車の中で思ったことを歌っていたので、凄く愛着があるんです。都合のいい要望というか思い込みなのかもしれませんが、『変わらないでいてほしい』という思いが自分の中にもあるんだなあと、その時は思いましたね」
●今でも曲作りの舞台として群馬の風景がイメージされるのでしょうか。
清水依与吏「その時に居る場所が物凄く出てくると思うんですよね。28才で東京に引っ越して…となると、モデルとなった場所も、28才以降のことは東京感が多少出てくるんじゃないかなと思います。前は本当に車の曲ばかり書いていたんですよ。実際に群馬は車社会ですからね。最近は電車で会いに行くというか、まだ音源になっていないですけど、終電のことを歌ってみたりとか、居る環境で出てくる言葉だったり思うことも違うから、そこは素直に歌っていきたいですね」

〜音楽の履歴書 back number篇〜
●このコーナーでは「音楽の履歴書」と題しまして、バンドを始めるきっかけの音楽について伺ってみました。
清水依与吏「僕はアーティストになるのに憧れて始めたという感じはないんですよ。自分の好きな女の子がバンドをやっている男の子に持っていかれたので、(バンドを)始めたという、割とのっぴきならない理由があったので…。ふたりの方が音楽に憧れてバンドを始めたという感じが強いんじゃないですかね」
栗原寿「僕が楽器を始めた時は、インディーズ・シーンが盛り上がっている時期で、そういう音楽を友達から教えてもらったりとか、自分達でも『じゃあコピーしてみよう』というところから入っているので。そこら辺がルーツなのかな、という感じです」
●インディーズ・シーンというとHi-STANDARDあたりを思い浮かべてしまうのですが、ハイスタを聴いていたのは清水さんと小島さんの方で、栗原さんはもう少し後の世代のバンドに触発されたようです。
栗原寿「GOING STEADYであったりとか、THE STAND UPとかSTANCE PUNKSとか、BRAHMANも当時(僕達の間で)人気がありましたね」
●では小島さんのルーツは?
小島和也「僕は小学校の時にLUNA SEAを観て、バンドをやりたいと思い、ずっと続けている感じです」

〜自分を救う歌から誰かを救う歌へ〜
●メジャーデビュー以降、作品を発表する度に、より多くの人へ歌が届くようになった今、back numberにとっての歌のあり方は変わってきているのでしょうか。
清水依与吏「本当に『スーパースター』以前のものというのは、自分を救うために必至に音楽をやっている感が強かったですね。でもこの『blues』は、十分救われていることに気づいてしまった人間が誰かを救おうと手を延ばしている感があるんですよね。自分を守るために使っていた両手を誰かに手を延ばしているイメージが、自分で聴いていても浮かんでくるので、多分そういう質のものなんですよね。多分そういう変化の仕方はしているんだなというふうに思います」
●2013年1月からはワンマンツアー『back to the blues 2013』がスタートし、なんとバレンタインデーの2月14日には高崎CLUB FLEEZでのライヴが予定されています。そんなツアーの青写真について伺ってみました。
清水依与吏「もちろんこのアルバム中心になるとは思うのですが…人を救うと言うと、大げさですけど、アルバムを1枚聴いて頂けると少しだけポジティヴになれるような仕上がりになっているので、それと同じような気持ちになってもらえたらいいですね。もちろん悲しい曲もあるし、人生の葛藤みたいな部分も歌っている曲もあるんですけど、その中で光を見つけてもらえるような1日にしたいなと思っています。だからちゃんと準備して、よく寝て、よく食べて、いっぱい練習して、あとは一生懸命やるだけなので、是非来て頂きたいと思っています」

お送りしましたのは
back numberで「青い春」、「助演女優症」、「電車の窓から」
GOING STEADYで「BABY BABY」
LUNA SEAで「ROSIER」
back numberで「ささえる人の歌」でした。