芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
5月初めにハワイのゴルフ場で不慮の事故死を遂げた“演歌界のドン”「長良プロダクション」会長の長良じゅん氏の葬儀が同22日、港区の青山斎場で行われた。本葬に出席したビートたけしは、26日に放送されたc『情報7days ニュースキャスター』(TBS系)の中で、長良会長との生前のエピソードを紹介した。
氷川がデビューする前、長良プロは赤坂の氷川神社の近くにあったことから、長良会長が考えたのが「氷川きよし」という名前だった。それを、長良会長が「たけし、お前が付けたことにしてくれ」と承諾させて、宣伝活動にまで協力させたのだ。超多忙なたけしもそれに付き合ったのだから、長良会長は尊敬に値する人物だったのだろう。
たけしだけではない。笑福亭鶴瓶や明石家さんまも、長良会長には頭が上がらなかった。
長良会長は、正月とゴールデンウィーク、それに夏休みをハワイで過ごすことが恒例になっていた。鶴瓶も年末年始を家族とハワイで過ごしていたことから、長良会長とは自然と顔なじみになった。ある時、鶴瓶が子どもを連れてワイキキを散歩していると、バッタリ長良会長と会って長話を始めたことがあった。すると、一緒にいた鶴瓶の子どもは貫禄ある長良会長の風貌を勘違いして、「パパが怖いおじさんに捕まった」と、周囲に助けを求めてしまったという。
長良会長はその後、筆者に「俺は鶴瓶の子どもに、誘拐犯か何かに間違えられた」と、笑えるエピソードとして語ったのを覚えている。この子どもの誤解がキッカケで、鶴瓶との関係は深まったともいうから、鶴瓶も家族の非礼を寛容に受け入れてくれた長良会長の懐の深さに惚れたのかもしれない。
長良会長とさんまとの関係は、さんまの“東京妻スキャンダル”がキッカケだった。さんまが東京でブレークしたての頃、銀座のホステスだった女性が、“東京妻”として週刊誌に登場し、さんまとの関係を暴露。慰謝料を取ろうとしたスキャンダルがあった。
この女性はさんまの名前を利用して、北海道で競走馬を購入しようとした。この時、競走馬の売り主A氏も女性とグルだと思い込んださんまは、生番組で「北海道からAさんが攻めてくる」と口走ってしまったのだ。さもA氏が、さんまを陥れようとしているかのような発言に事が大きくなりかけたが、たまたま売り主と長良会長が知り合いだったことから、さんまを呼んで、売り主も女性の被害者であることを説明。
その長良会長が亡くなった日、長良プロを継いだ長男の神林義弘社長から「何かあったら、親父が本多圭に連絡しろと言われていたんです」と、訃報を知らせてくれた。筆者は微力で何もできないが、長良会長が骨身を削って作り上げた長良プロの米びつに手を入れる不届き者がいないか、その監視だけは続けるつもりだ。日本の芸能界を支えてきた長良会長に、改めて合掌!
(文=本多圭)