安定同位体を用いたタンガニイカ湖シクリッドの食物網の解明

武山智博(理学研究科・COE研究員)

 

アフリカ大陸の東部を南北に走る大地溝帯には、東アフリカ大湖沼群(East African Great Lakes)が広がっている。一般的な湖は、河川が運ぶ堆積物によって徐々に埋まってしまうのだが、これら大地溝帯の古代湖は、現在も地殻が少しずつ裂け続けている割れ目に形成されたため、長い歴史を持っている。これらの湖は、カワスズメ科魚類(シクリッド)が適応放散した「進化の実験場」として、多くの研究者の注目を集めてきた。このような湖の一つタンガニイカ湖には、様々な形態と生態をもつ170種以上に分化した固有のシクリッドが生息し、全魚種の半数以上を本グループが占めている。とりわけ、沿岸域は種の多様性が高く、藻類食・ベントス食・動物プランクトン食・魚食・鱗食といった様々な餌ギルドが発達している。さらに、ギルド内では近縁種がニッチをめぐって争っている。こうした複雑な生物間相互作用である食物網が、数個の系統群によって形成されたことはタンガニイカ湖生態系の大きな特徴である。

      私は2003・2005年のタンガニイカ湖調査隊に参加させて頂く機会があり、脊椎動物で他に例のない一夫多妻的な協同繁殖を行うシクリッドを研究しています。また、2005年からは21COEプロジェクト「古代湖の生物多様性と生態系機能に与える人為影響の定量的評価」のメンバーと共に、安定同位体を用いた琵琶湖とタンガニイカ湖の沿岸生態系における食物網構造の解明を進めています。ここでは、タンガニイカ湖沿岸食物網の高次機能群を構成するシクリッドの餌資源利用様式について、安定同位体分析の結果を紹介します。また、その結果を最近の分子系統解析と照合しながら、食物網形成の進化的プロセスについても考えてみようと思います。

      従来の魚類の食物網研究では、胃内容物の分析からそれぞれの種の資源利用様式を記載する方法が用いられてきた。タンガニイカ湖沿岸のシクリッド群集でも、この方法で食物網が明らかにされ(堀1993; Hori et al. 1993)、群集全体では幅広い餌資源を利用している一方で、同じ餌資源を複数の種が利用しているという、複雑な食物網構造が見て取れる。胃内容分析は餌生物を直接的に把握できるが、いくつかの問題点もある。例えば、餌の同定に熟練と多大な労力が必要なこと、栄養段階やニッチなどを連続的・定量的パラメータとして扱うことが難しいこと、実際に同化された正味の餌資源利用に関する情報が得られないこと、などがある。近年、これらの問題点を解消する食物網解析ツールとして安定同位体分析が用いられるようになった。この方法では、生物体を構成する主要元素である炭素と窒素の安定同位体比を測定することにより、餌資源利用を定量的に評価し2次元平面上に食物網構造を視覚的に表現すること、栄養段階を推定することなどが可能となる。なお、炭素安定同位体比(δ13C)は一次生産者の種類を、窒素同位対比(δ15N)は栄養段階をそれぞれ示す。

      安定同位体分析用のサンプリングは、タンガニイカ湖南端に接する国ZambiaのMpulunguという町の近くにあるKasengaというポイントで、2005年の11月に実施された(写真1)。岩礁域と砂域からなるKasengaポイントは、タンガニイカ湖の中でも沿岸性のシクリッドの密度・多様度とも比較的高い場所である(Hori et al. 1993)。本研究では、シクリッド53種、餌生物として10種類を対象にした。

シクリッドと餌生物の炭素・窒素同位体比の平均値の分布を図1に示す。シクリッドは学名で、餌生物は日本語でそれぞれ示す。炭素安定同位体比から見ても、沿岸性シクリッドは多様な餌資源を利用していた。また、いくつかの種間で見られたプロットの隣接や重複は、餌資源の利用様式が種間でそれほど違わない、すなわち餌ニッチがかなり近いことを示している。似たような餌資源を利用する複数の種が共存できているのは、例えば襲い分け(堀1993)のような採餌行動の種間差や、微生息場所を違えていることによると考えられる。また、胃内容分析の結果と比較すると、一部の藻食シクリッドを除き、胃内容分析と同位体分析の結果はそれほど一致せず、複数の餌資源を利用していると考えられる。

炭素・窒素同位体比に基づきクラスター分析を行うと4つのクラスターに分類された(図1の楕円A〜D)。最近の分子系統解析の結果(Salzburger et al. 2002)と併せて検討すると、それぞれの種の値は系統(Tribe:族)ごとにまとまったクラスターを形成しなかった。これは、系統関係の近いTribe内のシクリッドで異なる餌機能群が出現したことを示す。さらに、種数の多い2つの系統(LamprologiniとTropheni)において、各種の体サイズと栄養段階(窒素同位体比)の関係を検討した(図2)。Lamprologiniでは、様々な餌資源を利用しているが、体サイズが大きいほど、栄養段階が高くなる傾向があった。これは、小型の種では植物食、中型の種では動物食(エビや水生昆虫)、大型の種では魚食という、体サイズと利用餌資源との対応関係によると考えられた。このTribeでは、ギルド内捕食に有利に作用する肉食・大型化という進化的傾向があると推測された。Tropheniでは、小型で藻類食のものから、サイズはそのままで動物食化、あるいは捕食回避に有利な藻類食で大型化という進化的傾向があると推測された。分子系統学的解析によりタンガニイカシクリッドのTribe間の系統関係はほぼ明らかになっているが、Tribe内についてはまだ十分なデータがない。上記2つのTribeにおける詳細な分子系統データが得られれば、推測されたような体サイズと栄養段階の進化的傾向が、実際に系統関係と一致するのかどうか検討することが可能となるだろう。

沿岸性シクリッドの窒素同位体比は、おおよそ3から9程度の範囲に分布していた。約3‰の窒素同位体比の変化で栄養段階が一つ上がるとすると、シクリッド群集のみで形成される食物網の栄養段階は、2程度であると推定された。コイ科魚類が適応放散した古代湖として知られる琵琶湖では、コイ科魚類により形成される食物網の栄養段階は1程度であり、タンガニイカシクリッドの高次餌機能群の複雑さがうかがえる。この違いは、コイ科とカワスズメ科の系統的な違いを反映しているだけかもしれないが、おそらく2つの湖の歴史の違い(琵琶湖:約200万年、タンガニイカ湖:約500-2000万年;遊磨1993)も関係しているだろう。東アフリカの古代湖の一つビクトリア湖では、過去1万数千年の間に、現在見られるシクリッドの多くが適応放散したと考えられている(種数はタンガニイカ湖と同程度)。タンガニイカ湖に比べかなり短い期間に進化したビクトリア湖のシクリッド群集では、どのような食物網が構築されているのか興味が持たれる。

      以上のように、安定同位体分析によって、沿岸性シクリッド群集が構成する食物網の構造と栄養段階を定量的に評価し、さらに分子系統のデータを組み合わせることによって、餌資源利用様式の進化的傾向を推測することができた。しかし、古典的な胃内容分析もやはり重要である。例えば、体サイズと栄養段階の関係が分かったとしても、それがどういった餌資源を利用したことに起因するのかは、胃内容物の情報によって補完されるからである。

 

 

参考文献

Hori, M., Gashagaza, M. M., Nshombo, M. and Kawanabe, H. (1993) Littoral fish communities in Lake Tanganyika; irreplaceable diversity supported by intricate interactions among species. Conservation Biology, 7, 657-666.

Salzburger, W., Meyer, A., Baric, S., Verheyen, E. and Strumbauer, C. (2002) Phylogeny of the Lake Tanganyika cichlid species flock and its relationship to the central and east African Haplochromine cichlid fish faunas. Systematic Biology, 51, 113-135.

堀道雄 (1993) 群衆内の多様な種間関係と他種共存. 堀道雄編:タンガニイカ湖の魚たちー多様性の謎を探る(シリーズ地球共生系6) 平凡社, 120-142.

遊磨正秀(1993) タンガニイカ湖の自然保護. 堀道雄編:タンガニイカ湖の魚たちー多様性の謎を探る(シリーズ地球共生系6) 平凡社, 224-239.

 

写真1

Kasengaポイントの岩礁帯。大型の藻類食シクリッドが隙間のないほどのナワバリを張っている。

 

 

1

シクリッドと餌生物の安定同位体比の分布

 

 

2 Tribeごとの体サイズと窒素同位対比(栄養段階)の関係