麻原彰晃さんこと松本智津夫被告への東京地裁 判決文−2004.2.27

 

地裁判決が入手できました。

判決文といえども、公にしない方がいいと思われた固有名詞などは「某女」などとしました。

どなたかが大変な労力で、打ち込んでくれたのでしょう、ありがとうございます。

 

それにしても、麻原さん、主文の宣告に当たって立ち上がるのを嫌がり、
何人もの刑務官に引き立てられて、ようやく真ん中に立ったのにはガックリときました。


 

【宣告日時】 平成16年2月27日 午前10時

【裁 判 所】 東京地方裁判所刑事第7部

         裁判長裁判官  小  川   正  持     裁判官  伊名 波   宏  仁         裁判官    浅  香   竜  太

【事 件 名】 殺人,殺人未遂,死体損壊,逮捕監禁致死,武器等製造法違反,殺人予備

【被 告 人】 麻原彰晃こと     松  本   智 津 夫  (昭和30年3月2日生)

 

T 教団の設立と発展

 1 被告人は,昭和30年3月2日,熊本県八代郡金剛村で出生し,目が不自由であったことから,熊本県立盲学校の小学部に入学し,中学部,高等部,専攻科を経て,同校を卒業した。

 被告人は,昭和52年5月,東京都内の受験予備校に入り,知子と知り合い,昭和53年1月,同女と婚姻し,平成6年までに4女2男を儲けた。

 被告人は,婚姻後,鍼灸師として生計を立て,あるいは,船橋市内で薬局の開設許可を受けて医薬品の販売業を営んでいた(なお,被告人は,昭和51年6月,熊本県八代市内のホテルの客室で,被告人らの組織しているマッサージクラブに所属していた者が同クラブを辞めて元の職場に戻ったことを難詰した際,同人が返事をせず薄笑いをしたと因縁を付け,いきなり手拳で同人の側頭部を数回殴打してその場に転倒させるなどの暴行を加え傷害を負わせたとの事実により,同年9月,傷害罪で罰金刑に処せられた。また,昭和57年6月,19回にわたり,ホテルなどにおいて,疾病治療の目的で厚生大臣の許可なく製造した医薬品を業として販売したとの事実により,同年7月,薬事法違反の罪で罰金刑に処せられた。)。

 

2 被告人は,このころ既に宗教活動に入り,仙道,仏教,ヨーガ等に傾倒していたが,「麻原彰晃」を名乗り,都内でヨーガ教室を開いて指導に当たり,昭和59年ころ,オウム神仙の会を発足させ,昭和60年ころからは雑誌,書籍に自己が蓮華座を組んで空中に浮いているように見える写真を掲載させ,だれでもこの方法で修行すれば超能力者になれるなどと説き,超能力を身に着けることができるイニシエーションを被告人から受けられるセミナーを開催するなどし,超能力を身に着けたい,悟り・解脱の境地に達したいと考えて入会を希望する者が増えていった。

 被告人は,その後,次第に原始仏教やチベット密教等の宗教色を深めていき,昭和61年夏ころヒマラヤで修行し最終解脱をしたと称するようになり,その後出家制度を作り,同年9月ころには,出家者は二十数名を数えた。

 

 3 被告人は,昭和62年6月ころ,「オウム神仙の会」の名称を「オウム真理教」に変更するとともに,自らをオウムの主宰神であるシヴァ大神とコンタクトを取ることのできるグルであると称して,自己の絶対化をもくろんだ。そして,被告人は,同年中に,石井久子,岡ア一明ら10名前後の弟子たちを成就を遂げた者と認定し,大師というステージやホーリーネームを付与した。

 

 4 被告人は,昭和62年ころから,それまで説いていた小乗の教えから大乗の教えに重点を移し,これを中心として教義を説くようになり,その一環として,同年7月ころの説法では,核戦争の可能性について不安をあおりながら,3万人の解脱者を出して世界に散ることにより核戦争が起きることはなくなるなどと,オウムによる人類救済を説き,昭和63年1月ころの説法においては,「今年,私は,大乗からタントラヤーナのプロセスについて説きたい。」旨述べた。

 

 5 被告人は,以前から富士山が見える場所に大きな総本部道場の建設を考えていたが,その費用に充てるために多額の寄附を募り,昭和63年3月ころには,被告人の血を飲むと飛躍的に修行が進み,悟りや解脱に近づくと称して,100万円以上の募金をした信者約30人に対し,血のイニシエーションを実施するなどした。

 被告人は,同年6月ころ,真理に基づいた社会,理想郷を建設するなどと称して日本シャンバラ化計画を打ち出し,全国主要都市に支部などを建設し,また,衣食住,修行,医療,教育等すべて整ったオウムの村を作ろうとし,信者に対し,30万円以上の布施をすれば種々の特別イニシエーションを受けられるとして布施を募るなどし,その費用の調達に努めた。

 富士山総本部道場は,静岡県富士宮市人穴において,建設工事が進められていたが,同年8月に開設され,同年10月にはこれに隣接して4階建てのサティアンビルが竣工し,被告人及びその家族は千葉県内の自宅から同所に引っ越した。

 

 6 被告人は,同年10月ころの説法の中で,より早く成就するためにはヴァジラヤーナの教えによることが必要であるとして,グルである被告人に対する絶対的な帰依を求めるとともに,布教活動を行う教団への奉仕活動としてのワークの重要性を強調した。出家信者らは,このような被告人の説法を聞いて,日夜,修行及びワークに精を出し,立位礼拝の際には「オウム,グルとシヴァ神に帰依し奉ります。私を速やかに解脱へとお導きください。」という詞章を唱えるなどしていた。

 そのころまでに,教団は,種々の布教活動を通じて,超能力や死後の世界,解脱,悟り等に関心を寄せ,あるいは,現代社会に不安や不満を持ち,被告人の説くシャンバラ化計画や3万人の成就による人類救済計画に引かれる若者を勧誘し入信させるなどして,出家信者は約100ないし200名,在家信徒は約3000ないし4000名に達し,富士山総本部及び東京本部のほかに,大阪,福岡,名古屋,札幌,ニューヨークに支部を開設するなどして,その勢力を急速に伸ばしていった。

 そして,被告人は,同年12月ころには,ハルマゲドン(人類最終戦争)が不可避であるとして終末感をあおりながらオウムによる救済活動の重要性について説いた。

 

 7 平成元年ころまでには,オウムの出家制度は,シヴァ神及び尊師である被告人に生涯にわたって,心身及び自己の全財産を委ね,肉親,友人,知人等との直接及び間接の接触など現世における一切のかかわりを断つことであるとされ,教団への出家手続の際には,「出家中は教団に迷惑を掛けない。親族とは絶縁する。損害を与えた場合には一切の責任を取る。すべての遺産,財産は教団に寄贈する。葬儀等は被告人が執り行う。事故等で意識不明になったときはその処置を被告人に任す。慰謝料,損害賠償もすべて被告人に任す。」という趣旨の内容の誓約書,遺言書等を見本を見て書くように指導がされた。

 

 8 被告人は,オウム真理教が宗教法人となれば社会的にも認知されるほか,税制上も優遇措置を受けられることから,かねてから,オウム真理教を法人化しようと考えていたが,紆余曲折を経て同年8月25日教団の宗教法人規則認証書の交付を受け,同月下旬ころ,宗教法人登記手続をし,教団は法人格を取得した。

 また,被告人は,教団の勢力をより一層拡大するためには,政治力を付ける必要があると考え,次期衆議院議員総選挙に大師ら教団幹部と共に立候補することとし,同月16日,自らを代表者とし政治団体を真理党として政治資金規正法6条1項の規定による政治団体設立届を提出するなどし,選挙の準備を始めた。

 

 9 出家信者らは,グルである被告人に対する絶対的な帰依に努めながら,被告人の言う3万人の成就者の中に入ることを目指して,日夜修行をしながら,それぞれに課せられた信徒勧誘活動や選挙準備活動のほか各種のワークに従事していた。

 

U 田口事件
[犯行に至る経緯]

 1 田口修二は,昭和63年6月ころ教団に出家し,CSI内の電気班に所属し,電気関係のワークに従事していた。

 

 2 岡アらは,同年9月下旬ころ,富士山総本部道場で修行していた在家信徒である真島照之が奇声を発するなど異常な行動に及んだことから,被告人の指示に基づき,真島に水を掛けるなどしていたところ,誤って同人を死亡させてしまった。被告人は,この件を公にすると教団による救済活動がストップしてしまうことを恐れ,警察等に連絡しないこととし,岡アらに命じ,ドラム缶に真島の遺体を入れ護摩壇で焼却した。真島事件には,岡アのほか,村井秀夫,新實智光,早川紀代秀らがかかわり,田口も遺体の焼却に関与していた。

 

 3 被告人は,同年12月中旬ころ,オウム出版の責任者である岡アに指示し,田口をその営業に従事させた。しかし,田口が,「このような営業をやっても功徳にならない。在家信徒のままで家に帰って自分なりに修行したい。」などと不満を述べるようになったため,岡アは,平成元年1月上旬ころ,被告人にその旨報告し,被告人の指示により,サティアンビル4階の被告人のもとに連れていった。

 被告人は,会議室で,田口と二人で話をした後,岡アら居合わせた大師に対し,田口が変なことを言うなどと言い,その後,田口を富士山総本部の道路を隔てた向かいの空き地にある独房修行用に改造したコンテナ内に入れ,その両手や両足をロープで縛り,被告人の説法が録音されたテープを聞かせるなどして翻意させようとした。しかし,逆に,田口は,教団から脱会する旨主張し,被告人を殺すとまで言うようになった。

 

 4 被告人は,そのことを聞き,自分を殺すとまで言う田口に憤慨するとともに,真島事件に関与した田口をこのまま教団から脱会させると,田口により真島事件が公表されるおそれがあり,そうなれば組織を拡大しようとしている教団が多大な痛手を受けるなどと考え,田口が翻意しない以上田口を殺害するしかないと決意した。

 そこで,被告人は,同年2月上旬ころの深夜,サティアンビル4階の図書室に,岡ア,村井,早川,新實及び大内利裕らを集め,同人らに対し,田口が教団から脱会することを考え,被告人を殺すとも言っている旨説明した上,「まずいとは思わないか。田口は真島のことを知っているからな。このまま,わしを殺すことになったらとしたら,大変なことになる。もう一度,おまえたちが見にいって,わしを殺すという意思が変わらなかったり,オウムから逃げようという考えが変わらないならばポアするしかないな。」「ロープで一気に絞めろ。その後は護摩壇で燃やせ。」などと言って,田口が翻意しない場合に田口を殺害することなどを命じ,岡アらは全員これを承諾し,ここに被告人及び岡アらは,田口の殺害について共謀を遂げた。

 

 5 岡ア,村井,早川,新實及び大内利裕は,直ちに,田口の入れられているコンテナまで行き,大内利裕はコンテナの外で見張りをすることとし,他の4名はコンテナ内に入り,両手や両足を縛られたままあぐらを組んで座っている田口に対し,その意思を確認したが,田口から,教団に残って修行しようとは思わないなどと言われ,翻意する旨の回答を得ることができなかったことから,被告人の指示に従い,田口の殺害を実行することとした。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,岡ア,村井,早川,新實及び大内利裕と共謀の上,田口修二(当時21歳)を殺害しようと企て,平成元年2月上旬ころ,静岡県富士宮市上井出に設置された前記コンテナ内において,田口に対し,その頸部にロープを巻いて絞め付け,さらに,両手で同人の頸部を強くひねるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を頸髄,延髄又は脳幹部損傷による呼吸又は循環停止により死亡させて殺害した。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1 弁護人は,(1) 被告人は岡アらに田口の殺害を指示したことはなく,被告人が田口の殺害を指示したという岡アの証言は信用できない,(2) 岡アは「被告人が『田口をポアするしかないな。』と言った。」旨証言するが,被告人が言ったという「ポア」という言葉は殺害を意味するものではないなどと主張する。

 

 2 そこで判断すると,岡アは,前記犯行に至る経緯4の事実,すなわち,平成元年2月上旬ころの深夜のサティアンビル4階図書室における謀議に関する事実に沿う証言をするほか,「田口の遺体を焼却中に,被告人がやってきて,『早く燃やす方法はないのか。』『骨がなくなるまで粉々にできないのか。』などと村井に聞いたことがあった。」旨証言する。

 

 3 岡ア証言の信用性について検討すると,同証言は,田口に対する殺害の指示を受けた状況等について具体的かつ詳細に述べられたものであり,前記犯行に至る経緯中上記共謀の前後の事実関係や,被告人が,本件後しばらくして,岡アに対し,「真理を障害するものを取り除かないと真理はすたれるが,その障害を取り除くと悪業は殺生となる。私は,救済の道を歩いている。多くの人の救済のために,悪業を積むことによって地獄に至っても本望である。」などという内容のヴァジラヤーナの詞章を伝授し,これを毎日唱えるように指示したことともよく整合している。特に,真島の死亡を公にすることなくその遺体を秘密裏に焼却した経緯ないし理由や,田口をこのまま教団から脱会させると,真島事件に関与していた田口が真島事件について口外する可能性を否定することができないことに照らすと,岡ア証言の中で述べられている被告人の指示内容は自然かつ合理的である。また,岡アは,他の共犯者の供述調書等に基づく詳細な反対尋問を受けながらも,その供述は揺らぐことなく,むしろ,その供述をより具体化し根拠づけてその信用性を増幅させている。岡アは,本件殺人の実行行為を担当した者でありながら,自己の関与した行為について公判で相応に供述しており,自己の刑責を軽減させるために殊更被告人に不利益なうその供述をして被告人を無実の罪に陥れようとしている様子はうかがわれない。さらに,岡ア証言の信用性を否定し得るほどの客観的証拠や第三者供述は見当たらない。

 これらの事情等に照らすと,岡ア証言の信用性は優に認められ,同証言に沿う事実を認めることができ,したがって,被告人が岡アらに対し,田口の殺害を命じ,岡アらとの間で田口を殺害することについて共謀を遂げたことは明らかである。

 

 4 なお,被告人が謀議の際「ポア」という言葉をどのような意味で使ったかについて検討すると,まず,被告人は,昭和62年1月の丹沢セミナーでの説法では,結論的には,功徳を積むのに無難なのは,殺さない,盗まないといった禁戒を守ることであるとしているが,他方で,どのような門でどのような修行法を行うか,どのようなステージにいるかによって,功徳になることは異なるとし,場合によっては,グルの指示に従って人を殺してその者を高い世界に上昇させることで功徳を積むことができるという説明の中で,人を殺すという意味で「ポア」という言葉を用いている。次に,被告人は,昭和63年10月の富士山総本部での説法では,教団がヴァジラヤーナのプロセスに入ってきたとして,絶対的な立場にあるグルである被告人に帰依することの重要性を説き,本件後である平成元年9月の世田谷道場での説法では,ヴァジラヤーナの考え方によれば,成就者が,地獄に堕ちるほど悪業を積んだ者を殺して天界へ上昇させた場合,これは立派なポアであり,偉大な功徳となる旨述べ,殺人をポアと称し,これを容認する考え方として「ヴァジラヤーナの教え」を用いている。

 

 そして,田口事件に限らず,その後の坂本事件をはじめとする特定の人物に対する一連の殺人,殺人未遂事件において,その謀議にかかわった共犯者の多くが,被告人の上記説法に言及した上で,被告人が言ったポアとは殺害を意味する旨供述していることに照らすと,田口殺害の謀議の際被告人が言った「ポア」という言葉は殺害を意味する旨の岡ア証言の信用性に何ら疑問はないというべきであり,また,その後の殺人,殺人未遂事件における謀議の中で被告人が使った「ポア」という言葉は同様に,殺害を意味するものと認められる。

 以上のとおりであるから,弁護人の主張は採用することができない。

 

V 坂本事件

[犯行に至る経緯]

 1 坂本堤は,昭和62年4月から横浜法律事務所で弁護士業務に携わり,昭和63年5月から横浜市磯子区洋光台で妻都子と居住し,同年8月に長男龍彦が出生した。

 

 2 坂本弁護士は,平成元年5月ころから,教団に出家した信者の親たちの依頼を受け,その子供の帰宅や子供との面会等について教団と交渉するようになり,また,東京都に対し,出家信者を巡るトラブルの実情や教団の法令違反の有無等について情報を提供したい旨伝えていた。

 

 3 サンデー毎日編集部は,同年9月下旬ころ,子供の家出人捜索願を警察署に提出している者をはじめとする教団信者の家族数名から,座談会形式で,教団では,出家と称して未成年者を含め子供を親から隔離しているなどの話を取材し,さらに,同家族らが相談を持ち掛けている坂本弁護士,教団施設周辺の住民及び教団側等から取材した上,同年10月から,「オウム真理教の狂気」と題する特集記事の連載を始めた。その第1回は,教団信者の家族からの取材内容を中心としたもので,同月2日都内発売に係るサンデー毎日に掲載され,その後も7週にわたり,血のイニシエーション,布施,被告人の経歴等に言及して教団を批判する記事を連載した。記事の内容を知った被告人は,早川ら信者数名を連れてサンデー毎日編集部に押し掛けて抗議し,あるいは,岡ア,早川,上祐史浩ら幹部に指示し,サンデー毎日編集部に対し,連載を中止し謝罪文を掲載するよう抗議させ,同編集部のある毎日新聞社ビルや牧編集長の自宅付近で抗議のビラをまかせたり,街宣車を使って抗議をさせたりし,あるいは,村井と相談するなどして毎日新聞社ビルを爆破するための下見をさせるなどした。

 

 4 他方,被告人は,同年10月9日及び同月16日,文化放送のラジオ番組に電話で生出演し,サンデー毎日の特集記事に対し反論した。同月16日の同番組では,坂本弁護士も,電話で生出演し,未成年者の出家,高額な布施,血のイニシエーションなどについて批判的な意見を述べた。そして,同月21日には,教団に入信して家に帰ってこない子供の親たちが,坂本弁護士の支援の下で,オウム真理教被害者の会を結成し,永岡弘行がその会長に就いた。

 

 5 被告人は,同月28日から同月30日までの間にサティアンビルで開かれた大師会議で,村井,上祐,岡ア,早川,新實,青山伸らに対し,被害者の会の活動状況に関する情報を基に,被害者の会を組織したのは坂本弁護士であり,サンデー毎日の記事に関する情報が被害者の会から流されていることや,坂本弁護士は,被害者の会から弁護士を介して警察に事情を話し教団を捜査させるという考えを持っていることなどを話し,上祐や青山らに対し,坂本弁護士に抗議をするよう指示した。

 上祐及び青山は,同月31日夜,早川と共に,坂本弁護士の勤務する横浜法律事務所を訪れ,DNAのイニシエーションについて説明し理解を求めたが,坂本弁護士にそれでは科学的な証明とはいえないなどと言われて議論は平行線となった。また,坂本弁護士は,青山に対し,被害者の会の目的は,会員である親たちのもとに信者の子供たちが戻ることができるようにすることである旨説明し,未成年の出家信者は必ず家に帰し,他の出家信者には少なくとも家に連絡をさせることなどを申し入れるとともに,会員から教団に対し法的措置をとることも考えている旨伝えた。上祐,青山及び早川は,同日深夜,被告人に対し,同日における坂本弁護士との話合いの状況について報告した。

 また,被害者の会は,同年11月1日ころ,教団に公開質問状を送付し,被告人に対し,水中サマディや空中浮揚を公開して実演するよう要求した。

 

 6 被告人は,坂本弁護士が,教団に批判的な特集記事を掲載しているサンデー毎日編集部に教団や被告人に関する情報を提供し,公開質問状を送ってきた被害者の会の実質的リーダーとして同会を指導している人物であると考え,また,同弁護士自らもラジオ番組等で教団や被告人に批判的な意見を述べ,教団側との話合いの中でも法的措置をとる旨明言していたことから,坂本弁護士の活動をこのまま放っておくならば,勢力を伸張させようとしている教団や最終解脱者を自称する被告人自身が打撃を受け,教団からの出馬を決めている次回の総選挙に向けての選挙活動に支障を来し,総選挙の結果にも悪影響を及ぼすものと考え,坂本弁護士を殺害することを決意し,同月2日深夜ないし翌3日未明ころ,村井,早川,岡ア,新實及び中川智正の5名をサティアンビル4階の瞑想室に呼び寄せた。

 

 被告人は,村井らに対し,「もう今の世の中は汚れきっておる。もうヴァジラヤーナを取り入れていくしかないんだから,お前たちも覚悟しろよ。」などと教団による救済にとって障害となるものに対しては殺人をはじめ非合法的な手段により対処していく趣旨のことを言い,「今ポアをしなければいけない問題となる人物はだれと思う。」と述べて,教団にとって最も障害となる殺害しなければならない人物はだれかという意味の問い掛けをした後,坂本弁護士を名指しし,同弁護士について,被害者の会の実質的リーダーであり,将来教団にとって非常な障害になるから,同弁護士をポアしなければならない旨述べて,同弁護士の殺害を指示した。

 

 続いて,被告人は,あらかじめ村井らから,痕跡を残さずに人を短時間で死に至らせる薬物であると説明を受けていた塩化カリウムの薬効等について説明するなどした後,駅から自宅に帰る途中の坂本弁護士を襲い,塩化カリウムを注射して殺害するよう指示し,村井ら5名はこれを承諾した。また,被告人は,岡アに対し,坂本弁護士の住所を弁護士の在家信者から聞き出すよう指示した。さらに,被告人は,新實らの意見を聞いた上で,被告人の警護を担当する警備班に所属し教団の武道大会で優勝した端本悟が歩いている者を一撃で倒せる自信がある場合には,端本に,坂本弁護士を一撃で気絶させる役割を担当させることに決めた。早川らは,被告人の指示を受け,瞑想室を出て,端本に対し,同人から歩いている男を一撃で倒せる自信があることを聞いた上で,教団に敵対する外部の者を被告人の指示により殺害することになったことを説明し,被告人の指名で端本がその者を気絶させることに決まったのでその役割を果たすように告げ,端本の承諾を得た後,被告人にその旨を報告した。このようにして,被告人は,村井,早川,岡ア,新實,中川及び端本ら6名との間で,坂本弁護士を殺害する旨の共謀を遂げた。

 

 7(1) 岡アは,同月3日午前8時ころ,弁護士である在家信者に電話をして坂本弁護士の住所を聞き出した。

 (2) 被告人は,岡アからその旨の報告を受け「そうか,分かったか。ほかの手段を使わなくて済んだな。よしこれで決まりだ。変装していくしかないな。」と言った。そばにいた村井が,スーツを買うなら幾らくらいかかるかなと言うと,被告人は,五,六十万もあれば足りるだろうと言い,石井に金員を用意するよう指示した。

 

 8 実行犯6名は,同日午前9時ころ,いすずビッグホーンとニッサンブルーバードの2台の車に分乗して出発し,同日夕方ころ,坂本弁護士方付近に到着した。

 実行犯6名は,付近を下見した後,二手に分かれ,早川と新實は同弁護士方の最寄り駅であるJR洋光台駅前で坂本弁護士が現れるのを待ったが,同弁護士はなかなか現れなかった。岡アは,同日午後10時半過ぎころ,坂本弁護士方の様子を探り,村井に玄関ドアの錠が掛けられていないことを伝え,坂本弁護士が帰宅しているかもしれない旨話し,村井と共に,無線でその旨を早川に連絡した。

 

 9(1) 早川は,同日午後11時ころ,被告人に,電話で,岡アらから聞いた坂本弁護士方の状況を説明し,どうすればいいか指示を仰ぐと,被告人は「じゃ,入ればいいじゃないか。家族も一緒にやるしかないだろう。」と言い,さらに,「人数的にもそんなに多くはいないだろうし,大きな大人はそんなにいないだろうから,おまえたちの今の人数でいけるだろう。今でなくても,遅い方がいいだろう。」などと言って,夜遅くまで待っても坂本弁護士が現れない場合には,帰宅途中の坂本弁護士を襲う従前の計画を変更し,坂本弁護士方に侵入し家族以外の者がいなければ坂本弁護士をその家族もろとも殺害するよう命じた。

 

 早川は,その電話を終え,被告人から坂本弁護士方に入れと言われた旨を新實に伝えた後,新實と共にビッグホーンのところに戻り,車外で村井及び岡アに対し,被告人からの指示であることを明示してその指示内容を言われたとおり説明した。

 (2) そして,早川,村井,岡ア及び新實の4名は,最終電車まで坂本弁護士を待ちそれでも同弁護士が現れない場合には,午前3時ころに坂本弁護士方に入り同弁護士及びその家族を殺害することを決めた。中川及び端本もこれを承諾した。

 (3) このようにして,被告人は,実行犯6名との間で,夜遅くまで待っても坂本弁護士が現れない場合には,従前の計画を変更し,坂本弁護士方に侵入し家族以外の者がいなければ坂本弁護士をその家族もろとも殺害する旨の共謀を遂げた。

 

 10 実行犯6名は,再び二手に分かれ,早川と新實はブルーバードでJR洋光台駅前に行き,村井ら他の実行犯4名はそのまま坂本弁護士方付近路上に駐車したビッグホーンに乗車し,それぞれ待機した。

 実行犯6名は,最終電車まで待ったが,坂本弁護士が現れなかったため,坂本弁護士方に侵入して家族以外の者がいなければ坂本弁護士を家族もろとも殺害するようにとの被告人の指示を実行することとし,中川において塩化カリウム飽和溶液の入った注射器3本を携帯し,岡ア,新實,端本及び中川において手袋を着用するなどして,実行犯6名は,坂本弁護士方に向かい,同月4日午前3時過ぎころ,坂本弁護士方に侵入した。

 早川は,坂本弁護士方寝室で坂本弁護士及びその家族が就寝していること及び坂本弁護士方には他に人がいないことを確認した後,他の実行犯5名に合図し,実行犯6名は,坂本弁護士ら3名が就寝している寝室に入った。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,村井,岡ア,早川,新實,中川及び端本と共謀の上,坂本堤(当時33歳),坂本都子(当時29歳)及び坂本龍彦(当時1歳2か月)を殺害しようと企て,平成元年11月4日午前3時過ぎころ,横浜市磯子区洋光台の坂本堤方において,

第1 坂本堤の身体に馬乗りになり,その顔面を数回手拳で殴打し,坂本堤の背後からその頸部に腕を巻き付けて頸部を絞め付けるなどし,その場の状況から塩化カリウム飽和溶液の静脈注射をするには至らなかったものの,そのころ,同所において,坂本堤を窒息死させて殺害し,

第2 坂本都子の身体を押さえ付け,同女の腹部に数回両膝を落として打ち付け,同女の頸部を絞め付け,その場の状況から塩化カリウム飽和溶液の静脈注射をするには至らなかったものの,同女の右後方から右手を同女の前頸部に回してその着衣の左奥襟辺りをつかみ自己の左腰部との間に同女の頸部を挟んだ上右手を強く引いて同女の頸部を絞め付けるなどし,そのころ,同所において,坂本都子を窒息死させて殺害し,

第3 坂本龍彦の鼻口部を押さえて閉塞するなどし,そのころ,同所において,坂本龍彦を窒息死させて殺害した。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1 弁護人は,被告人は坂本弁護士殺害の共謀をしていないばかりか,坂本弁護士一家3人の殺害の指示もしていないと主張する。

 

 2 そこで判断すると,早川は,前記犯行に至る経緯6,9(1) の事実,すなわち,平成元年11月2日深夜又は同月3日未明ころの瞑想室における謀議の事実及び同月3日坂本弁護士一家を殺害するよう計画が変更された際の電話による謀議の事実に沿う証言をするので,早川証言の信用性について検討する。

 

 (1) まず,早川証言は,瞑想室での謀議の際,被告人が,村井ら実行犯に対し,坂本弁護士の殺害を指示した経緯等や,電話謀議の際,被告人が,早川に対し,従前の計画を変更して坂本弁護士一家の殺害を指示するに至った経緯等について,具体的かつ詳細に供述されている。

 次に,@被告人が,教団の勢力を伸ばすために,教団を宗教法人とし,次期総選挙に教団幹部らと共に出馬するために選挙の準備を進めていたこと,Aその過程で,マスコミ各社が教団や被告人に批判的な報道をし,教団に入信して家に帰ってこない子供の親たちが結成した被害者の会や坂本弁護士が,マスコミを通して,同様に教団や被告人を批判する意見を述べてきたこと,Bこれに対し,被告人は,自らあるいは教団幹部に指示して,マスコミ各社や坂本弁護士に抗議をしたが,坂本弁護士は,教団に対する法的措置をとっていく旨の意思を表明し,被害者の会は,被告人に空中浮揚等を公開して実演するよう要求するなどしてきたこと,C被告人は,被害者の会からマスコミに教団に関する情報が流されており,その被害者の会を組織化したのは坂本弁護士であることも知らされていたことなど証拠によって認められる事実関係は,被告人が,将来教団にとって最も障害になる人物として坂本弁護士を名指しし,同人を殺害しなければならないと考え,その殺害を実行犯に指示した経緯等についての早川証言と整合し,よくこれを裏付けている。

 

 さらに,D実行犯6名が坂本弁護士方付近で数時間待ち伏せていても同弁護士が現れなかったこと,Eそこで,岡アが同弁護士方の様子を探るなどし,早川らに対し,同弁護士方の室内の明かりがついていて,玄関の錠が掛けられていない旨伝えたこと,F実行犯が坂本弁護士一家を殺害した後における被告人の言動,特に,被告人が実行犯に対し,坂本弁護士一家3人の死体の遺棄その他種々の証拠隠滅を指示し,坂本弁護士一家の転生先について答えたことなど証拠によって認められる事実関係は,被告人が,実行犯に対し,当初の計画を変更し,坂本弁護士方に侵入して同弁護士を家族もろとも殺害することを指示した経緯等についての早川証言と整合し,よくこれを裏付けている。

 また,被告人は,それまでの説法の中で,教団がヴァジラヤーナのプロセスに入ってきたとして殺人をポアと称し,これを容認する考え方としてヴァジラヤーナの教えを説いてきたものであるが,早川証言はそのような事実関係ともよく整合する。

 

 (2) そして,瞑想室での謀議の状況については,岡アが,公判で,同趣旨の証言をしており,しかも,岡アは,坂本弁護士殺害計画を前提として,岡アが坂本弁護士の住所を調べて被告人に報告した旨の事実の経緯に沿う証言をしている。また,中川も,この謀議の際に,被告人の方から,坂本弁護士を殺害するのはどうかという意味のことを言ってきた旨証言している。さらに,電話謀議の状況については,岡アが,同趣旨の証言をしている。これら岡ア証言及び中川証言は上記早川証言を支えるものといえる。

 

 (3) これに加えて,早川は「被告人は,坂本弁護士一家殺害事件後に,実行犯数名が集まり,石井に六法全書の条文を読ませた際に『指示をしたわしも同じ罪だな。3人殺せば死刑だな。』と言った。」旨証言し,岡アは,これと同旨の証言をするほか,「事件後,中川が,被告人に対し,坂本弁護士方でプルシャを落としたことについて謝っていたことがあり,また,被告人が,村井や早川が手袋を着け忘れたことや,私が井上嘉浩の名前を使って坂本弁護士の住所を聞いたことについて質した後,『一家3人が突然いなくなっても,家出したか蒸発したかと普通思われるだろう。そんなに問題にならないだろう。』と言っていたことがあった。」旨証言している。これらの証言は,瞑想室での謀議や電話謀議の内容とよく符合し,作り話とは思われない具体的なエピソードに係るものであり,早川証言及び謀議に関する岡アらの証言と相まって瞑想室での謀議及び電話謀議に関する同人らの供述全体の信用性を高めている。

 

 (4) また,早川の証言内容や証言態度等に照らすと,その証言時において,被告人が実行犯に対し坂本弁護士一家殺害を指示した旨の被告人に決定的に不利益な虚偽の供述をしなければならない事情は何らうかがわれないというべきである。

 これらの点に照らすと,早川証言及びこれと同趣旨の岡アらの証言は,前記犯行に至る経緯6,7(2),9(1)に係る事実について十分信用することができるというべきであり,これらの各証言その他の関係証拠によれば,被告人が,実行犯6名との間で,夜遅くまで待っても坂本弁護士が現れない場合には,坂本弁護士方に侵入し家族以外の者がいなければ坂本弁護士をその家族もろとも殺害する旨の共謀を遂げたことは明らかである。

 以上のとおりであるから,弁護人の主張は採用することができない。

 

W 教団の武装化

 1 被告人は,平成2年の衆議院議員総選挙に真理党として教団幹部ら24名と共に立候補したが惨敗したことから,同年4月ころ,教団幹部ら二十数名を集め,「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったので,これからはヴァジラヤーナでいく。現代人は生きながらにして悪業を積むから,全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。救済の計画のために私は君たちを選んだ。」などと言って無差別大量殺人の実行を宣言して以来,ボツリヌス菌の培養,ホスゲン爆弾の製造,プラズマ兵器の製造,核兵器の開発,炭疽菌の培養等を教団幹部らに指示して教団の武装化を強力に推進し,その一環として,サリンをプラントで大量に生成するとともに,多数の自動小銃を製造しようと考えた。

 他方で,被告人は,CSIの名称を改めた広報技術部の村井らに指示し,飛行船,ホバークラフトなど一応外観上それらしいものを製作させるなどして教団には高度の科学技術がある旨宣伝し,あるいは,自ら大学での講演会等で,ハルマゲドン後に生き残るためには教団に入信して被告人の下で修行し成就するしかない旨を示唆するなどし,理科系の優秀な人材や高度の専門知識等を有する人材を多数入信,出家させることに努め,その結果,筑波大学大学院で有機化合物の合成等について研究をしていた土谷正実や,東京大学大学院で物理学を専攻していた豊田亨らが出家するに至った。

 

 2 被告人は,教団の武装化の一環として武器を製造することを考え,平成5年2月上旬ころ,広報技術部の村井,渡部和実,豊田及び廣瀬健一に対し,教団で実際に造ることができるようにロシアに武器の情報収集に行くよう指示し,村井らは,ロシア連邦に赴き,軍の施設や大学,研究所等を訪れ,銃やロケット等について種々の説明を受けるなどし,教団自らが設計製造するために,旧ソ連軍に採用された自動小銃AK−74を1丁入手し,これを分解してその一部を持ち帰った。被告人は,その報告を受け,横山を自動小銃製造の責任者に指名して,AK−74を模倣した自動小銃の製造作業を進めるよう指示した。さらに,渡部及び廣瀬は,被告人の指示により,同年5月ころ,ロシア連邦に赴き,弾丸の製造法や自動小銃の金属部品の表面を硬くし耐摩耗性を強める窒化処理の方法について調査し,窒化炉の図面等を入手するなどし,帰国後,渡部が中心となって窒化炉の設計を始めた。

 

 3(1) 被告人は,同年6月ころ,教団の武装化の一環として化学兵器の中でもサリンをしかもプラントで大量に生成しようと考え,土谷にその生成方法について研究するよう指示した。土谷は,同年8月ころ,フラスコ内で少量のサリンの生成に成功し,引き続きプラントにおけるサリンの大量生成の方法について研究を進めた。

 

 (2) 被告人は,そのころ,自分の部屋で,石井や井上の前で「私の今生の目標は最終完全解脱と世界統一である。」という話をし,また,第7サティアンに70tのサリンを生成するプラントを造ろうと考え,同年8月末か9月初めころ,上祐,村井,新實らの同席する被告人の部屋で,滝澤和義に対し,「70tのサリンプラントを造ってくれ。いきなり大きいのでいこう。」などと言って70tのサリンを生成できるプラントの設計をするよう指示した。

 

 (3) 滝澤は,土谷に聞いたり文献等を調査したりするなどし化学的知識を吸収してサリンプラントの設計に取り掛かった。村井は,同年夏ころ,被告人の意を受け,新實に対し,責任者としてサリン生成の原料となる化学薬品を購入する手続を進めるよう指示した。新實は,土谷が計算したサリンの大量生成に要する化学薬品の数量に基づいて,サリンの大量生成に要する原料であるフッ化ナトリウム,イソプロピルアルコール等の化学薬品を購入する手続を進めた。

 

 (4) 被告人は,サリンをヘリコプターで上空から散布することも考え,ヘリコプターの購入を図り,ヘリコプターの操縦免許を取らせるために出家信者らをアメリカ合衆国やロシア連邦に派遣した。

 

 (5) 土谷は,村井,中川及び滝澤らと相談するなどした上,同年11月ころ,サリンプラントにおける5工程から成るサリンの大量生成の方法を決めた。

 

 4(1) 被告人は,かねてから創価学会の池田大作名誉会長を敵対視していたが,サリンの大量生成の方法についてめどがついたことから,その製法によって生成されたサリンで池田を暗殺するよう村井らに指示した。

 

 村井らは,被告人の指示に基づき,2回にわたり,前記の方法に基づき生成されたサリンを創価学会の施設に噴霧した。1回目は同年11月中旬ころ,乗用車に設置した農薬用噴霧器を使って約600gのサリン溶液を噴霧し,2回目は同年12月中旬ころ,熱した鉄板の上にサリンを滴下して気化させそれを大型ファンで上方に排気する構造の噴霧装置を設置したサリン噴霧車を使用して約3kgのサリン溶液を噴霧したが,いずれも池田に被害を与えるに至らなかった。しかし,特に2回目の際には,サリン噴霧車に乗車していた村井及び新實は,当初,ビニール袋を頭から被り酸素ボンベからエアラインを通して酸素を送り込む方式の防毒酸素マスクを着用していたが,警備員に不審を抱かれ逃走した際,サリン噴霧車を運転していた新實が,酸素マスクを外すなどしたため,サリンに被ばくし,次第に視界が暗くなり,呼吸困難に陥り,やがてひん死の状態に至った。医療役として待機していた中川らは,合流して,新實に対しパム等を注射し,村井と共に人工呼吸を施すなどの救急救命措置をとりながら,教団附属医院に新實を搬送した。被告人もその報告を受けて同医院に赴き,医師である林郁夫に対し,サリンで池田を殺害しようとして新實がサリンに被ばくした旨の説明をしてその治療をするよう指示した。新實は一命を取り留め,症状は回復した。このような新實の症状を目の当たりにした被告人及び村井ら教団幹部らは,これを契機に,土谷らが生成したサリンを加熱し気化させて噴霧した場合に相当な殺傷能力を有すること及びサリン中毒を避けるために前記防毒酸素マスクが有効であることなどを認識した。

 

 (2) 被告人は,そのころ,信徒対応に当たっている井上,某男出家者らに対し「サリンができた。あと3万人いれば何とかなる。だから,何としてでも3万人のサマナを作らないといけないんだ。」などと大量の出家信者の獲得を指示した。

 

 5(1) 村井は,同月終わりころ,被告人の意を受け,中川に対し,サリンを50kg造るよう指示した。中川は,平成6年1月,滝澤に依頼してクシティガルバ棟内に強力な排気装置を備えた実験室であるスーパーハウスを造らせ,土谷と共に佐々木香世子らに指示しながら,同所で,前記の5工程の生成方法により,第4工程まで生成を済ませた後,同年2月中旬ころ,グラスライニング製反応釜などを使用して第5工程の作業を行い,サリンを含む溶液約30kgを生成した。同工程において,中川らは,当初予定していた量を超えてイソプロピルアルコールを加えたため,サリンのほかメチルホスホン酸ジイソプロピルも生成されてサリンの含有率は約70%となり,さらに,反応釜の内部のグラスライニングされているコバルトを含有するガラスが溶け出て,生成されたサリンを含有する溶液は青色を帯びた(青色サリン溶液)。ほどなくして,被告人は,約30kgの青色サリン溶液が生成された旨の報告を受けた。

 

 (2) 中川は,青色サリン溶液約30kgを滝澤らと3個のテフロン容器に小分けし,同年4月にその容器をクシティガルバ棟内に移し土谷の下で保管するに至った。

 

 6(1) 被告人は,かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが,同年2月22日から数日間,村井,新實,井上,早川,遠藤,中川ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約80名を引き連れて中国に旅行し,前世を探る旅として朱元璋ゆかりの地を巡った。被告人は,その旅の途中,ホテルの一室で,約80名の同行した出家信者に対し,タントラ・ヴァジラヤーナにおける五仏の法則について,「アクショーブヤの法則とは,例えば毎日悪業を積んでいる魂は長く生きれば生きるほど地獄で長く生きねばならずその苦しみは大きくなるので,早くその命を絶つべきであるという教えである。アモーガシッディの法則とは,結果のために手段を選ばないという教えである。」などと体系的に説いた上,「1997年,私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早く殺さなければならない。」旨の説法をし,武力によって国家権力を打倒し日本にオウム国家を建設して自らがその王となる意図を明らかにした。

 

 (2) 被告人は,そのために,サリンプラント製造計画と自動小銃製造計画を軸とする教団の武装化をより一層早める必要があると考え,中国旅行から帰国した直後である平成6年2月27日ころ,都内のホテルオークラにおいて,中国旅行に同行したメンバーらの前で,「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70tぶちまくしかない。」などと言い,村井,早川,井上らの前で,サリンによる壊滅後,日本を立て直して支配するが,オウムが生き延びるためにも食糧事情等の調査もしなければならないという趣旨のことを話した。また,被告人は,同ホテルで,サリンプラントの設計担当者である滝澤ら真理科学技術研究所のメンバーを集め,設計担当者を新たに追加し,その設計を急ぐよう発破を掛けた。

 

 (3) 被告人は,その翌日,千葉市内のホテル「ザ・マンハッタン」に移動し,同所に呼び寄せた廣瀬及び豊田に対し,自動小銃の製造チームに加わり,自動小銃1000丁を一,二か月で完成させるよう指示し,青山,某男出家者や富永らのグループに対しては,自衛隊を取り込むために自衛隊員の意識調査をし,また,東京が壊滅した後に理想的な社会を作っていくための作業として,現代の日本の矛盾点について1か月で調査するよう指示した。

 

 (4) 他方,被告人は,一般信者には,教団支部等での説法等を通じて,教団がサリンの大量生成や自動小銃の製造などの武装化を進めていることを秘し,教団が国家権力から毒ガス攻撃を受け続け危機的状況にあることを強調して国家権力に対する敵愾心をあおった。

 

 7 被告人は,同年3月中旬ころ,新實,井上,中村昇らに対し,「もうこれからはテロしかない。」などと言い,新實をリーダーとして,自衛隊出身あるいは武道のできる出家信者十数名に軍事訓練のキャンプをさせ,同年4月上旬ころには,そのうち約10名をロシア連邦に派遣し,数日間,軍の施設で自動小銃等による射撃の訓練をさせ,同年9月下旬ころにも,異なるメンバーで,多種の武器による射撃訓練が実施された。

 

 8 被告人は,平成5年12月ころから,信者らに電極付きの帽子を被らせて被告人の脳波をその脳に送り込むというイニシエーション(PSI)を始め,これにより修行が飛躍的に進むなどとして,在家信徒に対して,PSIの対価として高額の金員を徴収していたが,平成6年6月ころからは,幻覚剤であるLSDの入った液体を飲ませるキリストのイニシエーションを教団信者に実施してLSDのもたらす作用により神秘的な幻覚体験をさせ,被告人に対する帰依を強めるとともに,その対価として高額な金員を徴収し,また,同年秋ころからは,LSDと覚せい剤の入った液体を飲ませるルドラチャクリンのイニシエーションを実施した。

 

 9 被告人は,同年5月ころ,青山らのグループに対し,オウムでも日本やアメリカのような省庁制度を作るので,その国家制度について調査するように指示し,また,日本を壊滅した後の将来の国家体制を担うオウム国家の憲法草案を起草するよう指示した。同年6月ころの段階での憲法草案には,主権は神聖法皇である被告人に属することや神聖法皇に国家権力を集中することなどが規定されていた。

 

 さらに,被告人は,日本やアメリカの行政組織を模した省庁制を採用し,教祖である被告人を頂点とし,その下に,被告人が直轄する法皇官房(実質的責任者は 某男),武装化に向けて兵器等を開発するなどしていた真理科学技術研究所が改編された科学技術省(大臣は村井),被告人やその家族の警護や軍事訓練,スパイの摘発等を担当する自治省(大臣は新實),信徒からの情報収集その他の諜報活動等を行う諜報省(CHS,大臣は井上)等の省庁を設け,大臣や次官には教団幹部を任命した。

 

X サリンプラント事件

[罪となるべき事実]

 被告人は,村井らと共謀の上,サリンを生成し,これを発散させて不特定多数の者を殺害する目的で,平成5年11月ころから平成6年12月下旬ころまでの間,山梨県西八代郡上九一色村の第7サティアン及びその周辺の教団施設等において,(1) @ 同サティアン内に設置するサリン生成化学プラント工程等の設計図書類の作成,A 同プラントの施工に要する資材,器材及び部品類の調達,その据付け及び組立て並びに配管,配電作業を行うなどして同プラントをほぼ完成させ,さらに,(2) サリン生成に要する原料であるフッ化ナトリウム,イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し,これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入し,これを作動させてサリンの生成を企て,もって,殺人の予備をした。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,サリンプラントは,平成5年11月の段階のみならず平成6年12月の時点でもサリンを生成できる見込みは全くなく,法益侵害の相当の危険性がなかったから,殺人予備罪は成立しない,また,本件公訴事実に罪となるべき事実が包含されていないから,公訴棄却の決定がされるべきであると主張する。

 

 (2) そこで検討すると,殺人予備は,殺人の実行の着手に至らない段階における,殺人罪の構成要件実現に向けられた準備行為であるが,殺人予備罪の成否については,当該準備行為が,殺人罪の構成要件実現のために実質的に重要な意味を持ち,殺人罪の構成要件実現の現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性を有するものであるか否かという観点から判断すべきである。

 そして,平成5年11月ころまでに,@土谷らによる研究,検討の結果,少量で多数の者を殺傷し得る化学兵器であるサリンを大量生成するための工程がほぼ確立され,その工程に基づき実際にサリンを含有する600gサリン溶液が生成されたこと,Aその工程によりサリンを大量生成するために必要な化学薬品等が,教団のダミー会社を介して大量に購入され始めたこと,Bサリンプラントが造られる予定の第7サティアンが建設されたこと,C滝澤がサリンプラントに用いる機械装置類の設計を始めたことなど証拠によって認められる事実関係に照らすと,平成5年11月ころには既にサリンの大量生成工程がほぼ確立し,それに必要な大量の化学薬品等の購入が開始され,サリンプラントを設置する工場も完成するなどサリンの大量生成に向けての態勢が整えられていたのであるから,その時点以降の準備行為である,(ア)@第7サティアン内に設置するサリンプラントの工程等に係る設計図書類の作成,A同プラントの施工に要する資材,器材及び部品類の調達,その据付け及び組立て並びに配管,配電作業を行うなどして同プラントをほぼ完成させ,(イ)サリン生成に要する原料であるフッ化ナトリウム,イソプロピルアルコール等の化学薬品を調達し,これらをサリンの生成工程に応じて同プラントに投入しこれを作動させてサリンの生成を企てる行為は,大量殺人を実行するために実質的に重要な意味を有するものであり,また,大量殺人が実行される現実的危険性を発生させ得る程度に客観的に相当の危険性を有するものであって,殺人予備罪に該当するものと解される。

 

 (3) サリンプラントにおける第1ないし第4工程が思うように機能せず当初予定した70tという生成能力にははるかに及ばず,同第5工程においてサリンが生成されたことがないにしても,実際に,平成6年12月末までの間に,サリンプラントにおいて,第4工程まで稼働させて50ないし80?のジクロを2回にわたり生成し,そのうち1回分のジクロからジフロを生成することにも成功しているのであり,後は,第5工程関係の部屋や配管等について気密テストをするなどした上で,生成済みのジクロ及びジフロに調達済みのイソプロピルアルコールを加えて反応させれば相当量のサリンを生成させることができるまでの状態に至っているのであって,サリンプラントで生成されるサリンにより大量殺人が実行される現実的危険性を発生させ得る程度の客観的な相当の危険性は平成5年11月ころ以降徐々に高まりこそすれ,決して減少してはいないのであるから,平成5年11月ころから平成6年12月下旬ころまでの間のサリンの大量生成に向けてされた前記一連の行為は殺人予備行為というに何ら妨げないというべきである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2(1) 弁護人は,教団で生成したサリンは,最終戦争が起きたときに教団を防衛する手段として利用するにとどまるから,具体的な殺人の目的があったとはいえないと主張する。

 

 (2) しかしながら,前記「W 教団の武装化」で述べた事実関係のほか,@被告人は,サリンプラント建設の進ちょくがはかばかしくないことから,平成6年4月中ごろ,滝澤に対し,「4月25日までに完成させろ。グルの絶対命令だ。必ず完成しろ。そうしないとおまえは無間地獄行きだ。」などと脅し付けるなどして,サリンプラントの早期完成を命じるとともに,早川を現場の監督者に指名したこと,A被告人は,同年7月,第7サティアンにおける2回にわたる異臭騒ぎが起きた際警察官もやってくるなどしたため強制捜査を受けるかもしれないなどの不安を抱き動揺していた滝澤に対し,「もうプラントをやめるか。私はシヴァ大神の意思,真理に背くことは嫌だ。このまま続けないとおまえは後で絶対後悔するぞ。大丈夫だから。」などと言って,プラントの建設を続けさせたこと,B被告人は,同年6,7月ころ及び同年10月ころ,村井,渡部及び滝澤と話合いをした末,第4工程又は第5工程の各反応釜の形状,材質等について決定し,また,同年8月ころ,五塩化リン生成装置について,当初の方法を変更し,滝澤の意見のとおり,塩素ガス中に三塩化リンを投入し反応させて五塩化リンを生成する方法を採用することを決めたこと,C被告人は,同年7月末ころ,サリンプラントの稼働要員となるメンバーに対し,「これから第7サティアンでプラントのオペレーターをやってもらうが,そのボタン操作を誤ると富士山麓が壊滅する。このワークを40日間ずっと第7サティアン内に詰め込んで作業をやる。これは死を見つめる修行だ。全員菩長にする。」などと話したこと,D被告人は,平成7年1月1日,上九一色村でサリン残留物質が検出された旨の新聞報道がされたことから,強制捜査を恐れ,サリンプラントの稼働を停止して神殿化などの偽装工作をするよう村井らに指示したことなど証拠によって認められる一連の事実関係に照らすと,被告人は,東京に大量のサリンを散布して首都を壊滅しその後にオウム国家を建設して自ら日本を支配することなどを企て,ヘリコプターの購入及び出家信者によるヘリコプターの操縦免許の取得を図るとともに,大量のサリンを生成するサリンプラントの建設を教団幹部らに指示したものというべきであるから,被告人が,最終戦争が起こったときに教団を防衛する手段としてサリンを使用するためにサリンプラントの建設を指示したものとは到底考えられない。

 

 したがって,本件公訴事実に係る行為に具体的な殺人の目的が認められることは明らかであり,この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 3(1) 弁護人は,サリンプラントは,村井が提案した荒唐無稽な企画の一つであり,被告人は,その実現は不可能と考えたが,村井らのマハームドラーの修行にもなると考え,村井のなすがままに任せたにすぎず,被告人には殺人の目的も殺人予備の共謀もないと主張する。

 

 (2) しかしながら,被告人は,サリンプラントの早期完成に向けて,@1年以上もの期間にわたり多額の金員と多数の人員をサリンプラントの建設に充てるなどし,Aその進ちょくがはかばかしくないことにいら立って,随時人材を投入してサリンプラント建設担当者の増強を図ったり,滝澤に対し,グルの絶対命令だ,無間地獄行きだなどと脅し付けてサリンプラントの早期完成を命じたり,新たに現場の監督者を置いたりするなどし,Bサリンプラントの稼働要員に対してはステージを上げることを約束するなどして危険な業務に従事させ,C他方で,サリンプラントで使用する反応釜の形状,材質等や五塩化リン生成方法など技術的な細部についても自ら裁定するなどし,D平成7年1月1日付けの前記新聞報道がされるや強制捜査を受けることを恐れ,サリンプラントを停止させて偽装工作をさせるなどしたものである上,実際にサリンプラントにおいてジクロ及びジフロを生成することができているのであるから,被告人がサリンプラントによるサリンの生成が実現可能であると考えていたものと認められるし,被告人が村井らのマハームドラーの修行にもなると考えて村井のなすがままに任せたものとは到底認め難い。

 

 したがって,被告人に殺人の目的及び殺人予備の共謀が認められることはもとより明らかであり,この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

Y 滝本サリン事件

[犯行に至る経緯]

 1 滝本太郎は,昭和58年4月から弁護士業務に携わり,昭和63年4月には自宅のある神奈川県大和市内に法律事務所を開設し,平成元年11月,オウム真理教被害対策弁護団に入り,平成2年以降,教団を相手方とする民事訴訟等の代理人として活動し,平成5年7月ころから,教団信者の親族から依頼を受け,信者の出家阻止・脱会のために,オウム真理教被害者の会の永岡会長の長男である元出家信者の永岡辰哉らの協力を得るなどして信者に対するカウンセリング活動を行い,平成6年5月ころまでの間に12人くらいの教団信者にカウンセリングを行い,ほぼ全員が脱会した。滝本弁護士は,教団の実態や教えの矛盾に関する様々な話をした上で,同弁護士自身が実際に蓮華座を組んだまま跳び上がった瞬間を撮影した,いかにも空中浮揚をしているように見える写真を示し,被告人の空中浮揚の正体を暴いて被告人が最終解脱者ではないことを分からせるようにするなどした。

 

 教団出家信者と上九一色村の住民とのトラブルに関する民事訴訟について,教団幹部である弁護士の青山が教団信者側の,滝本弁護士が住民側の各訴訟代理人となって,甲府地裁での審理が進められ,第8回口頭弁論期日が平成6年5月9日午後1時15分に指定された。

 

 2 被告人は,青山らから,このような滝本弁護士の訴訟活動や教団信者に対する出家阻止・脱会のためのカウンセリング活動等について報告を受けていたが,大量の出家信者の獲得に精力的に努めている時期に,滝本弁護士自身の空中浮揚の写真により被告人自身の空中浮揚の正体を暴き教団の実態等を明らかにするなどして信者の出家阻止・脱会のための活動を活発化させている滝本弁護士をこのまま放置することはできず,教団の活動の妨げとなる同弁護士を排除する必要があるものと考え,平成6年5月上旬までに,同弁護士の殺害を決意するに至った。

 

 3 被告人は,同月7日ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に青山,遠藤誠一,中川らを呼び,青山から,同月9日午後1時15分に甲府地裁で滝本弁護士を相手方訴訟代理人とする口頭弁論期日があるが,同弁護士はいつも自動車を運転してきているから同期日も自動車で来るであろうと聞いた。そこで,被告人は,青山,遠藤及び中川に対し,サリンの隠語である「魔法」という言葉を用いて「滝本の車に魔法を使う。」と言い,さらに,1回目の池田事件で噴霧したサリンが乗用車内に流入してきた経験を踏まえ,滝本の運転してくる自動車の外部,ボンネットなどにサリンを滴下して外気の導入口を通じて車内に気化したサリンを流入させ,これを滝本に吸入させるなどして滝本を殺害することを命じ,青山,遠藤及び中川はこれを了承した。被告人は,その際,遠藤及び中川に対し,サリンの代わりにアンモニアを使って実際に普通乗用自動車の外部に滴下して気化したものが車内に流入するのか試してみるよう指示した。

 

 4 その後,遠藤及び中川は,滝本の自動車が相模ナンバーの三菱ギャランであることを知り,遠藤が,被告人に滝本車両が某女性出家者の車と同じ車種であることを伝えると,被告人は,某女性出家者のギャランを実験に使うよう指示した。

 

 遠藤及び中川は,某女性出家者のギャランを借り受けた上,山道で,アンモニア水を同車のボンネットの先端付近とフロントウインドー付近にそれぞれ滴下し,空気循環を外気導入の状態にして同車を走行させるなどして比較した結果,フロントウインドー付近の方が車内でのアンモニア臭が強いことを確認し,同日昼ころ,被告人にその旨を報告すると,被告人は「よし,そこでいい。」と言った。

 その場にいた青山が,遠藤及び中川に,滝本弁護士は甲府地裁の表の駐車場に駐車させるであろうことを説明すると,被告人は,遠藤及び中川に対し,「おまえらは,裏の駐車場に停めろ。裏の駐車場から歩いていって滝本の車に掛ければいい。掛けた人を後で回収しろ。」などと具体的手順を指示するとともに,サリンを滝本車両に滴下する実行役について,「某女にやらせる。B型女性はいったんやると決めたらためらわないから。わしの方から某女に話しておく。」などと話し,さらに,滝本車両の駐車位置を某女らに教える役を青山の運転手である富永昌宏に割り当てる旨話した。

 

 5 被告人は,同日夜,青山の同席する第6サティアン1階の被告人の部屋で,中川や遠藤の話を聞き,遠藤の持っているテフロン製の遠沈管にサリンを入れるよう指示し,某女の服装等について,「裁判所にふさわしい服を着せろ。お布施のものがあるだろう。倉庫のかぎを開けてそこから借りればいい。マスクとサングラスを掛けさせろ。化粧もさせろ。」などと話した上,自動車にサリンを掛ける練習を某女にさせるよう指示し,さらに,甲府地裁に乗っていく自動車について,「教団にお布施された車の中でまだ名義変更のされていないものを使え。ナンバーは不自然ではない近県のナンバーを用意しろ。」などと指示した。また,被告人は,遠藤から某女の化粧や服を選ぶことなどに関して佐々木を使っていいか聞かれ,これを了承した。

 

 6 被告人は,同日夜,第6サティアン1階の被告人の部屋に富永を呼び,同人に対し,「サマナを無理やり下向させている滝本という弁護士がいる。明日もその関係で甲府で裁判がある。滝本に魔法を使う。君にはアパーヤージャハ(青山)の車を運転してもらう。詳しいことはジーヴァカ(遠藤)たちに聞いてくれ。」と言って,滝本弁護士の殺害に加担するよう命じ,富永はこれを承諾した。

 

 7 その後,青山,遠藤,中川及び富永の4名は,第6サティアン1階のリビングで,打合せをし,翌9日の行動について確認した。

 

 8 被告人は,同月8日夜,第6サティアン1階の被告人の部屋に某女を呼び,同人に対し,「やってほしい仕事があるんだが,やる気はあるか。」と聞いたところ,同人から「ぜひやらせてください。」と言われ,「ちょっと危険なワークだけれども,できるかな。ある人物をポアしようと思うんだよ。」などと述べて,滝本弁護士の殺害に加担するよう命じ,某女はこれを承諾した。

 

 9 中川は,前記リビングでの打合せ後,予防薬のメスチノン,治療薬の硫酸アトロピンやパム,注射器等を準備した上,富永に対し,2時間前にこれを1錠飲むように指示して青山の分を含めた2人分のメスチノン2錠を渡したが,その際,研修医の経験を有する富永に対し,遠藤や中川がサリン中毒になった場合には代わりにパムを注射してくれるように頼んだ。中川は,池田事件のときのように重症のサリン中毒者が出た場合のことなどを考え,教団附属医院の医師である林郁夫に手伝ってもらおうと考え,被告人の了解を得た後,林郁夫に,サリンの中毒患者が出た場合に対処できるように午後2時ころ甲府南インターで待機してくれるよう頼んだ。

 

10      中川は,同月9日早朝,遠藤から,直径3ないし5p,長さ12,3pの試験管のような形でねじ込み式のふたの付いているテフロン製46t用遠沈管を3本くらい受け取り,クシティガルバ棟スーパーハウス内のドラフトにおいて,防毒マスク及び合成樹脂製の手袋を着用した上で,青色サリン溶液の一部を各遠沈管に30ないし40tずつ移し入れてふたをし,溶液が漏れないようにしてサリンを準備した。

 

11      遠藤及び中川は,某女がサリンを吸い込まないで所定の場所にサリンを掛けることができるように,同日午前7時か8時ころ,遠沈管と同種の容器にサリンの代わりに水を入れ,某女に,自動車に水を掛ける練習をさせた。その際,中川が「掛けるときには顔を背けて,息は止めるように。手や服に付かないように気を付けるように。付いたらすぐに言うように。」などと注意した。

 

 12 遠藤,中川及び某女は,同日午前9時ないし10時ころ,遠藤運転のニッサン・パルサーで出発し,甲府地裁に向かう車中で,遠藤は,某女に対し,甲府地裁で,指示した車に練習してもらったとおりやってもらう旨話した。

 他方,青山及び富永も,そのころ,富永運転のトヨタ・クラウンで甲府地裁に向けて出発し,その後,青山が,予防薬を飲むのを忘れていた富永に注意し,車を停めて二人共メスチノンを1錠ずつ飲んだ。

 遠藤らと青山らは,いったん合流して打合せをした後,甲府地裁に向かったが,そのころ,中川は,某女に予防薬だから飲むようにと言って某女にメスチノンを1錠飲ませた。また,遠藤及び中川もメスチノンを1錠ずつ服用した。

 

13 滝本弁護士は,ギャランを運転して,同日午後零時15分ころ,甲府地裁に到着し,表側(西側)駐車場の正門より南側のスペースに駐車し,車内の空調はオートエアコンで内気循環のままエンジンを停止し,窓は全部閉め,ドアも施錠した状態で車を離れ,相代理人の弁護士の事務所に歩いて行き,その後同日午後1時15分ころ,甲府地裁における前記口頭弁論に出廷した。

 

14 遠藤ら及び青山らは,同日正午ないし午後零時半ころ,甲府地裁に到着し,遠藤らのパルサーは同地裁の裏側(東側)駐車場に駐車し,青山らのクラウンは表側(西側)駐車場の正門より北側のスペースに裁判所の建物に背を向ける態勢で駐車した。青山は,南側に既に駐車してあるギャランに気付き,富永に指示して,同車が滝本車両であることを確認させた上,滝本車両の駐車位置を遠藤らに知らせるよう指示した。富永は,裏側駐車場にいる遠藤,中川及び某女に,滝本車両の駐車位置を記した図面を見せて滝本車両の位置を教え,表側駐車場のクラウンに戻った。

 

15 青山は,同日午後1時15分前ころ,クラウンの窓を閉め,富永に「裁判は5分くらいで終わる。危険だから窓を開けるなよ。」と言って,クラウンを降り,同裁判所の建物の中に入っていき,前記の口頭弁論に出廷した。

 

16 一方,パルサー内で,遠藤は,某女に対し,やるべき行為を指示するなどし,中川は,サリン中毒防止のために,某女に合成樹脂製の手袋を渡し,ヤオハンで購入した手袋の下にその手袋を着用するよう指示し,某女はそれに従った。某女は,中川から,青色サリン溶液30ないし40t入りの遠沈管1本を受け取って上着ポケットに入れ,遠藤から,使用後の遠沈管を入れるためのチャック付きビニール袋を受け取って上着の反対側ポケットに入れて,同日午後1時15分ころ,パルサーを降り,西側駐車場に行き,駐車中の滝本車両を見つけ,同車両に近づいた。

[罪となるべき事実]

 被告人は,青山,遠藤,中川,富永及び某女と共謀の上,サリンを発散させて滝本太郎(当時37歳)を殺害しようと企て,平成6年5月9日午後1時15分ころ,甲府地方裁判所西側駐車場において,某女が,同所に駐車中の滝本所有の普通乗用自動車の運転席側のフロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に,所携の遠沈管内のサリンを含有する溶液30ないし40tを滴下し,サリンを気化・発散させて同車両内に流入させるなどし,同駐車場及びその後の走行中の同車両内などにおいて,前記口頭弁論などを終え同日午後1時30分ころ同車両に運転席側ドアを開けて乗り込み同車両を運転し走行させた滝本をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,滝本にサリン中毒症の傷害を負わせたにとどまり,殺害の

目的を遂げなかった。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,青色サリン溶液を滝本車両に滴下した某女の本件行為は人を死に至らせる危険性がなく,殺人の実行行為に該当しないと主張する。

 (2) そこで,本件行為に殺人の実行行為性があるかどうかについて検討すると,本件行為は,化学兵器である強い殺傷能力を有するサリンを相当程度含有する青色サリン溶液30ないし40tを滝本車両の運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に滴下することにより,その後,同車両に乗り込んで同車両を運転し走行させる者に気化・発散したサリンを吸入させ,その結果,同人をサリン中毒により直接的に又は交通事故等を介して間接的に死亡させる現実的危険性を有するものであり,現に滝本弁護士は気化したサリンを吸入してサリン中毒症にかかるなど死の危険にさらされたものであるから,本件行為が殺人の実行行為性を有することは明らかである。

 

 (3) ア 弁護人は,青色サリン溶液がサリンであるか疑問であると主張する。

 しかしながら,@某女が青色サリン溶液を滴下した滝本車両の運転席側のフロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に対応するフロントウインドーアンダーパネル運転席側の表の面及びカウル右側水抜き穴の付着物から,いずれもサリンの第一次加水分解物であり,比較的安定性を有するメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたこと,A青色サリン溶液は,その生成時である平成6年2月において,サリンを70%くらい含有していたものであること,B青色サリン溶液は平成6年6月下旬に実行された松本サリン事件にも使用されたものであるが,後述のとおり,犯行現場周辺や被害者の生体資料等からサリンやその第一次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル,第二次加水分解物であるメチルホスホン酸,サリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されていること,Cサリンは自然界には存在せず,かつ,他の化合物からサリンの分解物と同一物が得られることはなく,サリンの分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル及びメチルホスホン酸が検出され,副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたということは,実際にサリンが存在した化学的証拠となるとされていること,Dその他後記のとおり青色サリン溶液の気化ガスを吸入してサリン中毒と同様の症状に陥った者が少なくないことなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると,本件で使用された青色サリン溶液がサリンを相当程度含有するものであることは明らかである。

 

 イ これに対し,弁護人は,土谷の公判供述等に基づき,かなりの量のイソプロピルアルコールが反応しないまま残っていたことから,サリンは,生成後2か月の間に,イソプロピルアルコールの中ですべて分解された可能性があると主張する。

 しかしながら,@滝澤は,青色サリン溶液の最終工程において,当初予定された量のイソプロピルアルコールを投入した後,中川の指示を受け,目算で当初の予定量の4分の1ないし3分の1くらいの量のイソプロピルアルコールを追加して投入したものであること,Aジクロ1モルとジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとサリン2モルが生成されること,Bジクロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとメチルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成され,ジフロ1モルとイソプロピルアルコール2モルを反応させるとメチルホスホン酸ジイソプロピル1モルが生成されること,Cメチルホスホン酸ジイソプロピルがサリンの分解物である可能性は低く,むしろサリン合成の際の副生成物と考えられていることなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと,イソプロピルアルコールを2モルを超えて投入した場合,例えば,予定量の4分の1を更に追加した2.5モルのイソプロピルアルコールを投入した場合には,ジクロとジフロ合わせて1.5モル分が1.5モルのイソプロピルアルコールと反応して1.5モルのサリンが生成され,残りのジクロとジフロ合わせて0.5モル分が残りの1モルのイソプロピルアルコールと反応して0.5モルのメチルホスホン酸ジイソプロピルが副生されるものと認められる。分子量は,サリンが140,メチルホスホン酸ジイソプロピルが180であるから,青色サリン溶液内でのそれらの質量比は7対3となるが,このことは,青色サリン溶液がサリンを70%くらい含有する事実とよく整合する。そうすると,追加投入されたイソプロピルアルコールはほぼジクロ及びジフロと反応し,サリンを70%くらい,メチルホスホン酸ジイソプロピルを30%くらいそれぞれ含有する青色サリン溶液が生成されたものであり,その後の時間経過等を考慮しても本件行為時及び松本サリン事件の際にはなお相当程度サリンを含有するものというべきである。

 

 そうであるならば,本件行為及び松本サリン事件の際には青色サリン溶液中のサリンはイソプロピルアルコール下ですべて分解されてメチルホスホン酸ジイソプロピルとなった旨の土谷の公判供述は信用することができず,これに依拠する弁護人の主張は,その前提を欠くものであるから,採用することができない。そして,このことは,松本サリン事件において,犯行現場周辺等からサリンやメチルホスホン酸ジイソプロピルが検出されたことをよく説明し得ている。

 

 (4) ア 次に,弁護人は,青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力はそれほど強いものではないと主張する。

 しかしながら,@青色サリン溶液中には,1‰中にそれが0.1g存在する中にヒトが1分間さらされるとその半数が死に至るほどの強い殺傷力を持つサリンが相当程度含まれていること,A池田事件において,青色サリン溶液を生成した方法と同様の方法により生成したサリンを噴霧した際,サリン噴霧車を運転していた新實がサリンに被ばくして,視界が暗くなり,呼吸困難に陥り,やがてひん死の状態に陥り,パムの注射その他の救急救命措置等により一命を取り留めたこと,B某女が本件行為の際滝本車両に滴下した青色サリン溶液の気化したガスを吸い,次第に目の前が暗くなる,気持ちが悪くなるなどのサリン中毒の症状を呈したが,パムの注射により事なきを得たこと,C本件行為後某女を乗せた乗用車内にいた遠藤や中川も目の前が少し暗くなるなどのサリンによる症状が出たこと,D松本サリン事件において,青色サリン溶液が使用され,サリン中毒により住民7人が死亡するなどの重大な結果が生じたことなど証拠によって認められる事実関係等を併せ考慮すると,青色サリン溶液中のサリンが強い殺傷能力を有するものであることは明らかである。

 

 イ これに対し,弁護人は,サリンの予防薬とされている臭化ピリドスチグミンは通常1回当たり30rを投与することとされているが,メスチノン(1錠は臭化ピリドスチグミン60r含有)は,それ自体アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害するというサリンと同様の効果を持ち,これを服用するとサリンとの相乗効果により,重い中毒症状が出るものであり,池田事件における新實の症状は,新實が臭化ピリドスチグミン60rを含有するメスチノン1錠を服用してサリンに被ばくしたことによるもの,すなわち,過剰投与した臭化ピリドスチグミンとサリンの相乗効果により生じたものであって,新實の症状をもって教団で造った青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力が高いとまではいえない旨を主張し,その根拠として,臭化ピリドスチグミンの過剰投与が有機リン系化合物被害の防御又は治療に逆効果となる旨の学術報告(弁71)があることを挙げる。

 

 しかしながら,@同報告ではモルモットの場合で明らかに保護率が低下しているとみられるピリドスチグミンの投与量(アセチルコリンエステラーゼのおよそ60%を阻害する量)は,同30%を阻害する量の4倍以上であること,Aアセチルコリンエステラーゼと可逆的に結合しサリンの予防薬とされている臭化ピリドスチグミンは通常1日3回1回当たり30rを投与することとされており,ヒトが臭化ピリドスチグミン30rを服用すると体内の20ないし40%のアセチルコリンエステラーゼが臭化ピリドスチグミンと結合することとされていること,Bメスチノンは1錠中臭化ピリドスチグミン60rを含む重症筋無力症の治療薬で,1日180rを3回に分けて服用することとされ,ペンチを使用しても分割することの難しい錠剤であり,その投与が過剰な場合に,ムスカリン様作用として縮瞳等が現れることがあるとされているにとどまることなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと,30rの2倍にすぎない60rの臭化ピリドスチグミンを含有するメスチノン1錠を1回服用しただけで,前記の新實のようなひん死の状態に至るほどのサリンとの相乗効果が生じたとは考え難いというべきである。また,松本サリン事件において,青色サリン溶液が使用された結果,サリン中毒により住民7人が死亡するなどの重大な結果が生じたことなどを併せ考慮すると,青色サリン溶液中のサリンがそれほど殺傷能力がないにもかかわらず過剰に投与したメスチノンとの相乗効果ゆえに新實に前記の重い中毒症状が生じたなどといえないことは明らかであり,この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 ウ また,サリンに光学異性体としてプラス体のものとマイナス体のものとがあり,そのいずれかによってその効力が極端に異なることがあるにしても,青色サリン溶液中のサリンあるいは教団においてこれと同様の生成方法で生成したサリンの殺傷能力は,これまでみてきたとおり,極めて強力なものであると認められるのであり,光学異性体の性質に言及して教団で生成した青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力が極めて弱いものであったとする弁護人の主張は採用することができない。

 

 (5) ア 弁護人は,サリン少量を滝本車両のボンネットのフロントウインドー部分付近に滴下しただけでは,同車両内へのサリンの流入可能性にも疑問があり,人を死に至らせる危険性はないと主張する。

 

 イ しかしながら,@滝本車両を使用しての外気流入実験の結果や,A遠藤及び中川が,事前に,滝本車両と同車種の車両を使用して,アンモニア水を同車のフロントグリル付近とフロントウインドー付近にそれぞれ滴下し,空気循環を外気導入の状態にして同車を走行させたところ,前者よりも後者の方が車内でのアンモニア臭が強いことを確認したことなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると,サリンと上記各実験で用いられたイソプロピルアルコール,ドライアイス,アンモニア,コーヒーとの化学的性質の種々の違い等を考慮に入れても,滝本車両のドア,窓,ダンパー(外気取り入れ用)を閉め,オートエアコンを外気導入にした場合はもちろんのこと,それを内気循環にした状態でも,滝本車両を走行させた場合,運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝部分に滴下したサリンの気化したガスが外気と共に車内に流入し得るものであること及び,滝本車両の同部分にサリン30tを滴下した場合,その一部は車両右側前部のタイヤの後方地面に流れ落ちて同所で揮発し,運転席側ドアの開閉により気化したサリンが車内に流入する可能性があることを認めることができる。

 

 ウ そして,前記のとおりサリンの場合ヒトの経気道半数致死量が0.1g分/‰であることを考慮すると,サリンを相当程度含有する青色サリン溶液30tを滝本車両の運転席側フロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近に滴下しただけでも,その場で及び走行中に気化したサリンガスを吸入させることなどにより,人を死に至らせる現実的危険性は大きいものと認められる。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 (6) ア 弁護人は,滝本弁護士の目の前が暗くなったという症状には疑問があるし,それは青色サリン溶液中のサリンによるものではないと主張する。

 

 イ しかしながら,滝本弁護士は,視野全体が暗くなる症状について具体的かつ詳細に証言している上,証拠によれば,同弁護士は,本件行為が行われたことさえ知らない平成6年5月11日に脳神経外科を専門とする医師の診察を受けた際,同月9日車を300q運転したがその後視野全体が暗くなった旨の話をしていたのであり,同弁護士の証言の信用性を疑う余地はないというべきである。

 

 ウ そして,@滝本弁護士は,本件行為の約15分くらい後である平成6年5月9日午後1時30分過ぎころに滝本車両の運転席側のドアを開けて乗り込んでその運転を開始し,同日午後5時前に帰途につくまでには,既に視野全体が暗くなる症状が出始めており,同日午後6時ころ,相模湖インターチェンジの料金所付近で更にその症状が進んでこれを自覚するに至ったこと,A滝本弁護士は,本件行為時前に視野全体が暗くなる症状が出たことはそれまでなかったし,同症状は,同月11日には既に消失しその後そのような症状が出たことはなく,同月11日の診察においてもそのような症状を呈する脳疾患等の異常は何ら発見されなかったこと,B視野全体が暗くなるのはサリンを吸入した場合の症状の一つであること,本件行為後滝本弁護士が滝本車両に乗車して同車両を運転し走行させたが,その際,同車両内にサリンを流入させ,同弁護士にこれを吸入させることは物理的に可能であることなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると,滝本弁護士の視野全体が暗くなったという症状は青色サリン溶液中のサリンによるものと認められるから,この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2(1) 弁護人は,被告人は,青色サリン溶液の殺傷能力に対する認識がなく,指示どおりの成果が出ないことを承知の上でマハームドラーの修行として,某女らに対し,滝本車両に青色サリン溶液を滴下するよう指示したにすぎないから,滝本弁護士に対する殺意も,殺人についての共謀もなかったと主張する。

 

 (2) しかしながら,@被告人は,サリンの殺傷能力について繰り返し説法等に及び,また,教団の武装化の一環として,平成5年6月ころ以降,村井や土谷,滝澤,中川らに対し,直接又は間接的に,サリンの生成を指示し,教団でサリンの生成に成功するとこれを使用して2回にわたり池田を殺害するよう村井らに指示し,平成6年2月に青色サリン溶液30kgが生成された旨の報告を受けた後は,村井らに対し,東京に70tのサリンをまいて壊滅すると言うなどして,サリンプラントの設計を急がせたこと,A被告人は,池田事件の際,新實が3kgサリン溶液中のサリンに被ばくし,ひん死の状態に陥った旨の報告を受け,新實が搬送された教団附属医院に赴き,同医院の医師である林郁夫に対し,サリンで池田を殺害しようとして新實がサリンに被ばくした旨の説明をしてその治療をするよう指示したこと,B被告人は,平成6年5月8日夜,某女に対し,ある人物をポアすることに加担するよう指示した際,その方法が某女にとって「ちょっと危険なワークだ。」と説明したこと,C中川が,本件行為を実行するに当たって,池田事件のときのように重症のサリン中毒者が出た場合などを案じて,林郁夫に手伝ってもらおうとした際,被告人がこれを了解したこと,D被告人は,本件行為後,中川から,某女が臭いをかいでしまったようなので某女にパムを注射した旨の報告を受けた際,某女に大丈夫かと尋ねたこと,E被告人は,本件行為の数日後,滝本弁護士が元気であることを確認し,「結果が出なかったな。」などと言ったことなど証拠によって認められる事実関係を総合すれば,被告人が青色サリン溶液中のサリンの殺傷能力や本件行為の現実的危険性を認識した上で,青山,遠藤,中川,富永及び某女の5名に対し,滝本弁護士の殺害を指示し,同弁護士を殺害する旨の共謀を遂げたことは優に認められ,もとより,被告人がその指示どおりの成果が出ないことを承知の上でマハームドラーの一環として遠藤らに本件行為を指示したものでないことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

Z 松本サリン事件

[犯行に至る経緯]

 1(1) 教団は,長野県松本市に教団松本支部及び食品工場を建設することを計画し,その敷地の使用権を取得するため,賃貸借契約に基づき使用する部分と売買契約により取得する部分とに分け,賃貸借部分については地主との間で株式会社オウム名義で賃借し,売買部分については仲介不動産業者を中間に入れ教団等が買い受けるなどして教団が本件土地全体を使用することとし,平成3年6月,賃貸借契約及び売買契約が締結された。

 しかしながら,地元住民は教団の進出に対する反対運動を起こし,地主は,同年10月,株式会社オウムに対し,同社が賃貸借契約の際,教団が道場として使用することを秘した詐欺を理由として賃貸借契約を取り消すなどの通知をした。これに対し,教団は,本件土地に食品工場及び事務所を建築する計画を維持したまま,同年11月下旬ころ,建築主事による建築確認を受けた。

 

 (2) 教団は,同年12月9日,長野地方裁判所松本支部に対し,町会長を相手方として,建築工事妨害禁止等の仮処分の申立てをし,一方,地主も,同月10日,同裁判所に対し,教団及び株式会社オウムを相手方として,賃貸借部分の建築工事禁止等の仮処分の申立てをした。これに対し,地裁松本支部は,平成4年1月17日,教団をめぐって道場における未就学児童問題,国土利用計画法違反問題等から各地で地元住民や信者の家族らとの間でトラブルが多発し,社会的な関心を呼んでいたことから実質的な借主が教団であるとの事情は,地主が土地賃貸借契約という継続的な契約関係を結ぶか否かの判断に影響を与えかねず,これを意図的に誤らせるような言動は取引上の信義則に反するとして,地主の主張に係る詐欺を理由とする賃貸借契約の取消しを認めた上で,教団の申立てをいずれも却下する旨の決定及び地主の申立てを担保を立てることを条件に認容する旨の決定をした。

 

 教団は,認容決定に対し,仮処分異議を申し立てるとともに,却下決定に対し,東京高等裁判所に抗告したが,同年3月13日,抗告を棄却する旨の決定がされた。

 

 (3) そこで,教団は,賃貸借部分をも使用して教団松本支部及び食品工場を造ることをあきらめ,当初の計画を縮小して,売買部分に教団松本支部を建築することとし,同月23日,教会を建築する計画について,建築主事による建築確認を受けた。

 これに対し,地主は,同年4月3日,地裁松本支部に対し,教団及び株式会社オウムを相手方として,賃貸借契約の詐欺による取消しと同様に売買契約の詐欺による取消しを主張し,売買部分の建築禁止等の仮処分の申立てをしたが,地裁松本支部は,同年5月20日,売買契約における仲介不動産業者の説明等が,売買の取引慣行,信義則に照らして違法性があるとはいえず,詐欺を認めるだけの疎明がない上,詐欺を理由として取り消された賃貸借契約と売買契約が経済的には密接な関係を有しているとしても,両者の契約が運命を共にすべき理由はないなどとして,地主の申立てを却下する旨の決定をした。

 

 そこで,地主は,同月27日,地裁松本支部に対し,教団等を被告として,売買部分の所有権移転登記の抹消登記手続,売買部分の明渡し,本件土地における建物の建築禁止等の判決を求める旨の訴えを提起した。地主側は,訴訟の中で,教団をめぐる様々な問題を取り上げて教団の反社会性を強調し,詐欺を理由とする賃貸借部分の賃貸借契約の取消しや売買部分の売買契約の取消しの有効性を基礎づける立証活動を行うとともに,仮処分事件で詐欺を理由とする取消しが認められた賃貸借契約と売買契約は取引の目的も契約締結も密接不可分で二者一体の関係にあり,観念的に分けて考えることは全く無意味であるなどと主張した。

 

 (4) 教団の代理人を務めていた青山は,これらの仮処分事件や訴訟の経過及び結果については要所要所でポイントとなる部分を被告人に逐一報告していた。

 教団は,訴訟の係属中に教団松本支部を完成させたものの,被告人は,教団を非難する地主を含む反対派住民やその申立てを認めて教団松本支部の建物の規模を縮小させた地裁松本支部裁判官に反感を抱き,同年12月18日,教団松本支部の開設式において,「この松本支部道場は,初めはこの道場の約3倍ぐらいの大きさの道場ができる予定であった。しかし,地主,それから絡んだ不動産会社,そして裁判所,これらが一蓮托生となり,平気でうそをつき,そしてそれによって今の道場の大きさとなった。…この社会的な圧力というものは,修行者の目から見ると,大変ありがたい…しかし,…これがもし逆にその圧力を加えている側から見た場合,どのような現象になるのかを考えると,私は恐怖のために身のすくむ思いである。」などと言い,地裁松本支部裁判官や地主ら反対派住民を敵対視し,これらの者には将来恐るべき危害が加えられることを予言する旨の説法をした。

 

 (5) 地裁松本支部は,平成6年5月10日,同事件の弁論を終結し,判決言渡し期日を同年7月19日と指定した。

 青山は,そのころ,被告人に対し,いよいよ弁論が終結して判決になる旨を報告し,その際,判決の見通しについて,仮処分時と特に状況は変わっていない旨話したものの,仮処分事件で教団側の主張が認められた売買部分について勝訴するとまでの断定的な言い方は控えるなど,賃貸借部分は無理でも売買部分については確実に勝訴できる旨の誤解を被告人に与えないように慎重に言葉を選びながら意見を述べた。

 

 2 被告人は,70tのサリンを東京に散布して首都を壊滅し,国家権力を打倒して日本にオウム国家を建設し自らその王となってこれを支配することをもくろみ,既に,サリンの大量生成やサリンプラントの建設を教団幹部らに指示してその計画を着々と進行させ,自らが敵対視してきた池田や滝本弁護士に対し,教団で生成したサリンを使用するなどし,その過程で生成したサリンの殺傷能力を確認するとともに,その効果を最大限に引き出すためのサリンの噴霧方法やサリン中毒を防止する方法等について試行錯誤を繰り返していたものであるが,同年6月ころ,村井と相談した上,新たに造る加熱式噴霧装置の性能ないしこれにより噴霧するサリンの殺傷能力を実験的に確かめておこうと考え,その使用する対象として,反対派住民である地主の仮処分の申立てを認めて教団松本支部の建物を当初の予定よりも縮小させる原因を作り,本案訴訟においても,賃貸借部分についてはもちろんのこと,売買部分についても教団に不利な判決をする可能性もないとはいえない地裁松本支部を選び,新たに造る噴霧装置を搭載したサリン噴霧車により,昼間地裁松本支部を目標にしてサリンを噴霧し,自ら敵対視していた同支部裁判官のみならず同支部周辺の住民を殺害することを決意した。

 

 3 被告人は,同月20日ころ,村井が同席していた第6サティアン1階の被告人の部屋に,新實,遠藤及び中川を呼び集め,同人ら3名に「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて,サリンが実際に効くかどうかやってみろ。」と言った。続いて,村井が「昼間,裁判所にまくことになる。サリン噴霧車ができ次第すぐにやる。」と言った。新實は,池田事件の際加熱用のガスバーナーの火が噴霧装置搭載部分に燃え移ったことに起因してサリンに被ばくしひん死の状態に陥ったことから,村井に対し,噴霧方法や防御のマスクについて聞くと,村井は,ガスバーナーではなく電気ヒーターで加熱するので大丈夫である旨及び池田事件のときの防毒酸素マスクが有効であったのでそれと同じものを着用する旨の返答をし,被告人もそのマスクを使用することを了解し,中川がその防毒酸素マスクを準備することとなった。

 

 また,新實は,池田事件の際警備関係者に不審を抱かれ追跡されたことから,警察官や通行人に目撃された場合の対応策について聞くと,被告人は,「警察等の排除はミラレパ(新實)に任せる。武道にたけたウパーリ(中村昇),シーハ(富田隆),ガフヴァ(端本)の3人を使え。」と指示し,また,サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言った。

 このようにして,被告人は,村井,新實,遠藤及び中川に対し,地裁松本支部を目標としてサリンを噴霧し,同支部の裁判官ほか多数の者を殺害することを指示し,村井ら4名はこれを承諾して,ここに被告人ら5名はその旨の謀議を遂げ,サリン噴霧車の準備ができ次第すぐにその計画を実行することとなり,最後に,被告人が「後はおまえたちに任せる。」と言って,具体的な準備や実行は村井や新實に任せる旨を伝えた。

 

 4 村井は,渡部,藤永孝三らに対し,2tアルミトラックを改造してその後部のアルミコンテナ部分に加熱式噴霧装置,すなわち,運転席からの遠隔操作により,コンテナ上部のタンク内の液体を,電気ヒーターで加熱した銅容器内に落下させ,これを加熱して気化させ,それを大型送風扇で外部に噴霧することができる装置を設けるよう指示し,同月27日朝までに,サリン噴霧車を完成させた。

 

 5 防毒酸素マスクを準備するよう指示を受けた中川は,池田事件のときに使用した防毒酸素マスクと同じ方式のものに,さらに,首の部分をひもで絞れるようにして脱げにくくしたものの製作に取り掛かり,防毒酸素マスク用及び被ばくした際の治療用の酸素ボンベを準備した。

 

 6 新實は,同月25日,サリン噴霧車の運転手を務める端本と共に,地裁松本支部周辺の下見に行った際,端本に対し,地裁松本支部に向けてサリンを噴霧する計画を打ち明け,端本がサリン噴霧車を運転することになっていることなどを伝え,端本はこれを承諾した。新實らは,タバコの煙で風向きを調べながら,サリン噴霧車を駐車してサリンを噴霧することのできそうな場所を見つけて,上九一色村の教団施設に戻った。

 

 7 村井は,同月26日,中川に対し,「明日実行する。」旨伝えるとともに,「クシティガルバ棟でサリンを噴霧車に注入してくれ。」と指示した。中川は,サリン中毒の予防・治療のために,予防薬のメスチノンや,治療薬のパム,硫酸アトロピン等の医薬品や注射器,注射針等の器具を準備し,さらに,クシティガルバ棟に保管していた青色サリン溶液の入った容器をスーパーハウス内に集めた。

 

 8 同月26日から同月27日にわたる深夜ないし未明にかけて,都内にある教団経営の飲食店で,省庁制の発足式が開かれ,各省庁の大臣,次官100人くらいが出席し,被告人の前で決意表明をし,村井,新實,遠藤,中川及び中村昇もこれに出席して決意を述べ上九一色村の教団施設に戻った。

 新實は,そのころ,村井から,サリン噴霧車が同月27日午前中に準備でき,昼ころ出発するので第7サティアンの前に集まるように言われ,同日早朝までに上九一色村の教団施設に戻り,第6サティアン2階の新實の部屋に中村昇,端本及び富田隆を呼び集め,3人に対し,地裁松本支部に向けてサリンを噴霧し多数の者を殺害する計画を打ち明け,サリン噴霧車の運転は端本がすること,サリンを噴霧している最中に警察官等がくるなど妨害があった場合は3人でこれを排除することなどを話し,既にその話を聞いていた端本のほか中村昇及び富田隆もこれを承諾した。

 

 9 中川は,省庁制の発足式から上九一色村の教団施設に戻り,同日午前10時ないし11時ころ,サリン噴霧車がクシティガルバ棟内に運び込まれた際,村井から指示を受け,サリン中毒に備えて遠藤をジーヴァカ棟に待機させ,エアラインを通して空気が供給される防毒マスクと手袋を着用してサリン噴霧車のコンテナ上部にあるタンクにサリンを約12?注入した。

 

 10 こうして実行メンバー7名は,当初の予定より遅れて同日午後3時半ないし午後4時ころ,第7サティアン前に集合し,出発の準備を終え,端本の運転するサリン噴霧車の助手席に村井が,富田隆の運転するワゴン車に新實,遠藤,中川及び中村昇がそれぞれ乗り込み,松本市に向かって出発した。

 中川は,途中実行メンバーに予防薬のメスチノンを1錠ずつ飲ませたほか,富田隆及び中村昇に,噴霧したガスを吸ったら視界が暗くなり呼吸が困難になって頭痛,腹痛,下痢等の症状が出てくるから症状が出たら治療薬を準備しているのですぐ申し出るように言い,非常に危険なガスで吸ったら死ぬ可能性がある旨注意した。

 

 11 村井,新實ら実行メンバーは,同日午後8時ころ,長野県塩尻市内のドライブイン「八望」前の駐車場に2台の車両を入れて休憩したが,既に裁判所の閉庁時刻を過ぎ,開庁時間中にサリンを噴霧することができなくなっていたので,新實は,村井に対し,その点について相談し,地裁松本支部と裁判所宿舎が同じページにある住宅地図を見せながら,裁判官をねらうなら時間帯から考えて裁判所では意味がないのでサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更することを提案し,考えてくださいと言うと,村井は,同駐車場内の公衆電話から被告人に電話を掛けその了承を得た上でその旨新實に伝え,村井及び新實は他の実行メンバーに,サリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更する旨を伝え,その同意を得た。

 

 12 その後,実行メンバー7名は,裁判所宿舎から西方約190mの地点にあるアップルランド駐車場に2台の車両を停め,教団の犯行と発覚しないように,サリン噴霧車とワゴン車の車両ナンバーを偽装したほか,中川が中心となって防毒酸素マスクを組み立て実際に酸素が流入するかどうかのチェックをした。また,中川は,実行メンバーがサリン中毒になった場合に備え,治療薬のパムを注射器に吸い込みいつでも注射できるように準備した。

 その間,村井は,サリンを噴霧する場所を探すために裁判所宿舎の方に下見に行き,風向き等を考慮の上,裁判所宿舎の西方三十数mの地点にある松本市北深志の鶴見西駐車場を噴霧場所とすることに決め,アップルランド駐車場に戻ってきて,他の実行メンバーにその旨を伝えた。

 

 13 実行メンバー7名は,2台の車両に分乗して鶴見西駐車場に行き,サリン噴霧車はサリンを裁判所宿舎のある東方に噴霧できるように駐車し,ワゴン車はサリン噴霧車から十数mのところに駐車した。村井は,サリン噴霧車を降りて,コンテナの左右側面の開口部を開け助手席に戻るなどし,実行メンバー7名は各自防毒酸素マスクを着用した。

 同所付近は,一般住宅,マンション,社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり,東側には鶴見方の池ややぶを挟んで明治生命寮や裁判所宿舎があり,北東方には開智ハイツや松本レックスハイツが位置し,北側は河野義行方と隣接している。松本市の同日午後10時ないし午後11時ころの気温は約20ないし21度で,雨は降っておらず,相対湿度は九十数%であり,風速3.2又は0.5m毎秒の北西ないし南西の風が吹いていた。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,村井,新實,遠藤,中川,富田隆らと共謀の上,サリンを発散させて不特定多数の者を殺害しようと企て,平成6年6月27日午後10時30分過ぎころ,松本市北深志の鶴見西駐車場において,同所に駐車させた普通貨物自動車であるサリン噴霧車に設置した,サリンを含有する青色サリン溶液を充てんした加熱式噴霧装置を村井が助手席から遠隔操作により作動させてサリンを加熱・気化させた上,同噴霧装置の大型送風扇を用いてこれを周辺に発散させ,後記表1記載のとおり,同市北深志の開智ハイツ204号室などにおいて,伊藤友視(当時26歳)ほか6人をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同月28日午前0時15分ころから同日午前4時20分ころまでの間,開智ハイツ204号室ほか6か所において,サリン中毒により伊藤友視ほか6人を死亡させて殺害するとともに,後記表2記載のとおり,同市北深志の河野義行方などにおいて,河野澄子(当時46歳)ほか3人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった。

 

               

 

表1                                                                    

被害者氏名(年齢) 伊 藤 友 視 (当時26歳) 

1吸入等の場所(長野県) 松本市北深志1丁目13番5−8号 開智ハイツ204号室

死亡日時           平成6年6月28日午前0時15分ころ 

死亡場所(長野県)    吸入等の場所と同じ 

                                                                       

被害者氏名(年齢) 阿 部 裕 太 (当時19歳)

2吸入等の場所(長野県) 上記開智ハイツ306号室

死亡日時   平成6年6月28日午前0時15分ころ

死亡場所(長野県)   吸入等の場所と同じ 

                                                                        

被害者氏名(年齢) 安 元 三 井 (当時29歳)

3吸入等の場所(長野県) 上記開智ハイツ406号室

死亡日時  平成6年6月28日午前0時15分ころ

死亡場所(長野県)  吸入等の場所と同じ

                                                                        

被害者氏名(年齢) 室 岡 憲 二 (当時53歳)

4吸入等の場所(長野県) 松本市北深志1丁目13番18号  松本レックスハイツ307号室

死亡日時 平成6年6月28日午前0時15分ころ 

死亡場所(長野県)  吸入等の場所と同じ 

                                                                        

被害者氏名(年齢) 瀬 島 民 子 (当時35歳)

5吸入等の場所(長野県) 上記松本レックスハイツ308号室

死亡日時           平成6年6月28日午前0時15分ころ 

死亡場所(長野県)   吸入等の場所と同じ                   

                                                                         

被害者氏名(年齢) 榎 田 哲 二 (当時45歳)    

6吸入等の場所(長野県) 松本市北深志1丁目13番25号  明治生命寮302号室 

 死亡日時            平成6年6月28日午前2時19分ころ 

 死亡場所(長野県)    松本市本庄2丁目5番1号    医療法人慈泉会相澤病院    

                                                                         

被害者氏名(年齢) 小 林   豊 (当時23歳) 

7吸入等の場所(長野県) 前記松本レックスハイツ207号室 

死亡日時   平成6年6月28日午前4時20分ころ 

死亡場所(長野県)    松本市城西1丁目5番16号  医療法人城西病院  

 

表2                                                                    

被害者氏名(年齢)  河 野 澄 子 (当時46歳)     

吸入等の場所(長野県) 松本市北深志1丁目13番2号 河野義行方

加療等期間    不 詳 

                                                                       

被害者氏名(年齢) 某  男  性    (当時19歳)

2吸入等の場所(長野県) 前記開智ハイツ404号室 

加療等期間    613日間 

                                                                         

被害者氏名(年齢) 河 野 義 行 (当時44歳)

3吸入等の場所(長野県) 前記河野義行方 

加療等期間    278日間   

                                                                        

被害者氏名(年齢)某  女  性 (当時44歳)

4吸入等の場所(長野県)前記松本レックスハイツ208号室

加療等期間  200日間

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,発散現場又は被害者から採取された資料から検出されたものがサリン又はサリン関連物質であるとする各鑑定の結果には疑問があるから,サリン噴霧車から気化発散されたものがサリンであるとの立証はされていないと主張する。

 

 (2) そこで,サリン噴霧車から気化発散されたものがサリンであるかどうかについて検討すると,@負傷被害者4人の病院搬入時における縮瞳等の症状や血液中のコリンエステラーゼ値低下の程度,A死亡被害者7人の縮瞳等の状況や血液中のコリンエステラーゼ値低下の程度,B死亡被害者7人の血液又は鼻汁がサリン,サリンの第1次分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピル,第2次分解物であるメチルホスホン酸又はサリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有すること,C噴霧場所である鶴見西駐車場東側の土砂,河野方の池の水,同池に注いでいる井戸の水,鶴見方の池の水,河野方のポリバケツ内の水,明治生命寮302号室及び松本レックスハイツ3階の窓等をふき取ったガーゼが,サリン,メチルホスホン酸モノイソプロピル,メチルホスホン酸及びメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有すること,Dサリン噴霧車の噴霧装置を構成する加熱容器の付着物がメチルホスホン酸モノイソプロピル,メチルホスホン酸及びメチルホスホン酸ジイソプロピルを含有することなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと,サリン噴霧車から加熱・気化され発散された物質はサリンを含有するものであり,そのサリンに被ばくし,前記死亡被害者7人がサリン中毒により死亡し,前記負傷被害者4人がサリン中毒症の傷害を負ったものであることは明らかである。

 

 そして,上記の生体資料や現場資料等の毒物含有の有無等に関する鑑定や,被害者の血中コリンエステラーゼ値の検査,縮瞳その他被害者に見られる症状の確認は,異なる研究所や病院において,異なる研究者や医師により,本件の手段方法が明らかでない時期に行われたものであり,しかも,その結果,いずれの鑑定資料からも,サリン,サリンの分解物又はその副生成物の少なくともいずれかが検出され,どの被害者にもサリン中毒の症状である縮瞳や血中コリンエステラーゼ値の低下が認められるに至ったものであって,上記の鑑定,検査及び確認は,相互にその正確性ないし信用性を補強し合っているものといえる。

 

 2 弁護人は,(1) サリンやその関連物質が検出された上記生体資料や現場資料等の収集手続に重大な違法があるから,これらを鑑定資料とする各鑑定書の証拠能力は否定されるべきである,(2) 上記の各鑑定書及びその鑑定者の各証言並びに死亡被害者の死因や負傷被害者の傷害の状況等に関する鑑定書,診断書及び医師の各証言の正確性ないし信用性に疑問があると主張する。

 しかしながら,関係証拠に照らし子細に検討しても,(1) の鑑定資料の収集手続にその鑑定書の証拠能力を失わせるような違法はなく,(2) の鑑定判断,診断等の正確性ないし信用性に格別の問題があるとは認められない。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 3(1) 弁護人は,被告人は,村井や新實らとの間で,松本市内でサリンを発散させて不特定多数の者を殺害する松本サリン事件の共謀をしていないと主張する。

 

 (2) そこで判断すると,新實は,被告人の松本サリン事件への関与について,@平成6年6月20日ころ行われた松本サリン事件の謀議の状況,A省庁制の発足式における被告人との会話,Bサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更した際の状況,Cサリンを噴霧した後上九一色村の教団施設に帰る途中電話で被告人に報告した際の様子に関し,要旨,次のとおり証言する。

  @ 「6月20日ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に,被告人,村井,私,遠藤及び中川が集まったとき,被告人が『オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいてサリンの効果を試してみろ。』という趣旨のことを言い出した。続いて,村井が『昼間,まくことになる。サリンの噴霧車ができあがり次第,実行する。』旨言った。私は,池田事件の際警備していた車に追い掛けられてサリンに被ばくしひん死の状態に陥ったことから,そのようなことを心配し『警察とか警備の人が来たらどうしますか。』と尋ねると,被告人は『警察が来たら排除すればいいじゃないか。』と答えた。私が『どうやって,排除をすればいいのですか。』と尋ねると,被告人は『ウパーリ,シーハ,ガフヴァを使えばいい。』と言った。防毒マスクについては,村井が池田事件の際使用した防毒酸素マスクの使用を提案し,被告人もこれを了承した。被告人の指示で,サリン噴霧車の運転を端本がすることになった。そして,サリン噴霧車ができたらすぐ計画を実行するということになり,被告人が『あとはおまえたちに任せる。』と言って話合いが終わった。」

  A 「私は,省庁制の発足式の際,村井から明日昼ころ出発すると聞いた後,被告人に『あした村井さんと一緒に行きますから。』と言うと,被告人は,しっかりやってこいというような感じの激励の言葉を掛けてくれた。」

  B 「私は,八望の駐車場で休憩した際,既に裁判所が閉まっている時間であったので,村井に対し,『裁判所は閉まっているけど,どうするんですか。』と尋ね,『裁判所の官舎なら地図で調べられますよ。』と言って,裁判所と裁判所の官舎が同じページにある住宅地図を見せながら,裁判官をねらうなら時間帯から考えて裁判所では意味がないのでサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更することを暗に提案し,『考えてください。』と言うと,村井は,その地図を持って,駐車場内の公衆電話ボックスの方に歩いて行った。私は,トイレの方に行きながら,村井が電話ボックス内に入るのを見た。それを見て,私は,村井1人の判断では決断できないから,被告人の指示を仰ぐのかなと考えた。私が小用を足すなどして車の方に戻ると,村井が私に『官舎にするから。』と言って,サリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所の官舎に変更する旨を伝えた。」

  C 「上九一色村に戻る途中,被告人から電話があった際,私は,暗号で,サリンをまいて,今帰っているという趣旨の返事をした。」

 (3) また,遠藤は,被告人の松本サリン事件への関与について,D松本市内でサリンを噴霧して上九一色村の教団施設に戻った後,被告人にその旨を報告した際の状況等,E松本サリン事件の報道を聞いた際の被告人の様子等に関し,要旨,次のとおり証言する。

  D 「私は,被告人に報告するために中川と共に,第6サティアン1階の被告人の部屋に行くと,既に村井と新實がいた。私と中川は,『今戻りました。』と報告すると,被告人から『ご苦労。』と声を掛けられた。そして,私が『現場から出るとき車をぶつけてしまったんですが,どうしたらいいでしょうか。』と指示を仰ぐと,被告人が『だれが運転したんだ。』と聞くので,私は『シーハ師です。』と答えた。すると,被告人が『だれがシーハに運転させたんだ。』と聞くので,私が『ミラレパ正悟師です。』と答えると,被告人は『どうしてシーハなんかに運転させるんだ,しょうがないな。』と言った。その後被告人はワゴン車の傷について『ガンポパ(杉本)に直させろ。』と私に指示した。それで,私は,杉本にその旨を伝えにいき,杉本に修理を頼んだが傷が大きすぎて簡単な修理では手に負えないと言われたことから,その旨を被告人に伝えると,被告人から『ガンポパと東京にでも行って,同じところをぶつけて事故証明をもらって,返せ。』と指示された。それで,被告人に言われたとおり実行した後,事故証明をとったことやワゴン車を返したことを被告人に報告した。」

  E 「私が松本サリン事件の報道記事を見た前後ころ,被告人が『まだ原因がわからないみたいだな。うまくいったみたいだな。』と言っていたのを聞いて,報道自体が何者かによる行為ではなくて単なる事故として報道されているので,被告人がそのようなことを言ったのだと思った。」

 (4) 新實証言及び遠藤証言の信用性について検討すると,@ないしEの各証言は話合いや発言の内容等について具体的かつ詳細に再現されたもので,相互に符合してその信用性を互いに補強し合い,特に,新實証言@については,中川や遠藤も,被告人から裁判所にサリンをまく旨の指示があった事実を含め大筋においてこれと同旨の証言をし,新實証言Cについては,これを裏付ける遠藤の証言があり,遠藤証言Dについては,中川も同旨の証言をしている。また,新實証言及び遠藤証言は,松本サリン事件の犯行前後の状況を述べたものとして自然であるのみならず,当時,被告人が,東京に大量のサリンを散布するなどして首都を壊滅して国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,サリンプラントの早期完成を目指してそのメンバーに強く発破を掛けるなどして教団の武装化を強力に推し進めるなどしていた事実関係ともよく整合するものである。

 したがって,上記の新實証言及び遠藤証言の信用性は高いというべきであり,同証言のほか関係証拠を総合すれば,被告人が,村井や新實らとの間で,松本市内の裁判所宿舎に向けてサリンを発散させて不特定多数の者を殺害する旨の謀議を遂げたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 (5) なお,新實は,捜査段階で検察官に対し,「サリン噴霧の場所の変更を裁判所から裁判官官舎にしたことについては,自分は被告人に了解を取ったり,連絡したりしていないし,村井も報告しておくとは言っておらず,村井もしなかったと思う。」旨供述し,新實証言Bと異なる供述をしている。

 しかしながら,新實は,この点について「捜査段階では,被告人をかばい立てし,被告人の心証を少しでもよくしようと考えて,私と村井の2人が独断で噴霧目標を官舎に変更したように供述した。この部分は私しか知らない事実であり,その事実を述べるのは忍び難かった。私が証言することによって,かつての法友たちが苦しむとしたならば,それは慈悲に反するのではないかと考えて慈悲の実践として黙秘,証言拒否をしてきたが,被告人に関しては,被告人自身は迷妄に陥ってなく,無頓着の実践をしているから,私が何を言おうが苦しまない,だから,証言をすることとした。」旨証言しているところ,6月20日ころの謀議については中川や遠藤も知っていることであるのに対し,八望の駐車場で村井がサリン噴霧目標の変更に関する新實の提案を受けた後公衆電話ボックスのところに行ってボックス内に入り,その後戻ってきた際に新實にサリン噴霧目標の変更を告げたという事実関係については被告人を除けば新實しか知り得ないことであり,捜査段階ではその事実を述べることが忍び難く,被告人をかばい立てしたという新實の心情は容易に理解できるところである。また,前記認定に係る,新實が,松本市内でサリンを噴霧して帰る途中に被告人から電話を受けた際の報告内容,新實らが第6サティアン1階の被告人の部屋で被告人に報告した際の状況,被告人が松本サリン事件に関する報道記事に接した際の被告人の話の内容は,村井と新實が被告人に断りなくサリンの噴霧目標を変更したことを前提としたものとは言い難いし,前記のとおり強く教団の武装化を推進していた当時の被告人の教団幹部らに対する命令服従関係等を考慮すると,そもそもこのような重大な事柄について村井及び新實が被告人の了承を得ることなく変更すること自体不自然であることなどに照らすと,新實証言Bの信用性は高いというべきである。

 

 4(1) 弁護人は,被告人は,松本サリン事件当時,教団で生成したサリンに殺傷能力があることを認識していなかったと主張する。

 

 (2) しかしながら,被告人が滝本サリン事件当時において青色サリン溶液中のサリンに強い殺傷能力があることを認識していたことは前述のとおりであり,滝本サリン事件の後,滝本弁護士が元気であり,結果が出なかったことを確認したものの,@被告人は,サリンの使用態様が,滝本車両の外気導入口付近に少量の青色サリン溶液を滴下させそれを自然に気化・発散させてこれを吸入させるというものであると認識していたこと,A被告人は,滝本サリン事件後,青山から,滝本車両にサリンを滴下したがその後滝本が車に戻らず喫茶店に行ってしまった旨聞いたこと,B被告人は,新實が池田事件の際教団で生成したサリンに被ばくしてひん死の状態に陥ったのを目の当たりにしたことなど証拠によって認められる事実関係等に照らすと,滝本サリン事件の結果が出なかった原因としては,滝本弁護士が滝本車両に乗車した時点までにサリンが全部気化して雲散霧消したためではないかなどとまず考えるのが自然であり,滝本サリン事件の結果が出なかったとの一事をもって,直ちに被告人が青色サリン溶液中のサリンに殺傷能力がない旨認識するに至ったとは考えられない。

 

 むしろ,C被告人は,村井と相談した上で,新實がサリンに被ばくしてひん死の状態に陥った池田事件の際に使用した加熱式噴霧装置とは熱源等が異なり,電気ヒーターでサリンを加熱する新たな噴霧装置を搭載したサリン噴霧車を製作し,加熱気化したサリンガスを噴霧してどの程度の死傷の結果が発生するかを実験しようと考え,それゆえに6月20日ころの謀議の際,「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて,サリンが実際に効くかどうかやってみろ。」と村井,新實,遠藤及び中川に指示し,その際,池田事件で使用した防毒酸素マスクが有効であった旨の報告を聞いて,それと同じ防毒マスクを使用することを了承したこと,D被告人は,松本市内でサリンを噴霧して帰ってきた遠藤から,現場から出るときレンタカー業者から借りたワゴン車をぶつけて同車両に傷を付けた旨を聞いて,再度その部分を別の場所でぶつけ事故証明をもらって業者に返すように罪証隠滅工作を指示し,松本サリン事件が教団による犯行であることの発覚を防ごうとしていること,E被告人は,松本サリン事件の報道内容を知って,格別これを意外に思うことなく,「うまくいったみたいだな。」などと期待したとおりの結果であることに満足している旨の発言を遠藤の前でしていることなど証拠によって認められる事実関係は,被告人が,青色サリン溶液中のサリンに殺傷能力がある旨認識していることを物語っている。

 

 したがって,被告人が松本サリン事件当時においても青色サリン溶液中のサリンに強い殺傷能力があることを認識していたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

[ 小銃製造等事件

[罪となるべき事実]

 被告人は,横山,廣瀬らと共謀の上,通商産業大臣の許可を受けず,かつ,法定の除外事由がないのに,

第1 ロシア製自動小銃「AK−74」を模倣した自動小銃約1000丁を製造しようと企て,平成6年6月下旬ころから平成7年3月21日ころまでの間,(1) 山梨県西八代郡上九一色村の第11サティアンにおいて,マシニングセンターで鋼材を切削するなどして引き金,遊底,撃鉄など21種類の金属部品をそれぞれ製作するなどし,(2) 同村の第9サティアンにおいて,大型射出成形機で銃床,握把等のプラスチック部品をそれぞれ製作するなどし,(3) 同県南巨摩郡富沢町の清流精舎において,深穴ボール盤で丸棒に銃腔となる穴を開け,NC旋盤で銃身の外形加工を施すなどし,(4) 同村の第12サティアンにおいて,形彫り放電加工機で銃身にライフル加工を施すなどし,同自動小銃の部品多数を製作するなどして同自動小銃約1000丁を製造しようとしたが,同月22日,上記各施設が警察官による捜索を受けるなどしたため,その目的を遂げなかった

第2 平成6年12月下旬ころから平成7年1月1日までの間,清流精舎において,上記犯行により製作した小銃1丁の必要部品一式を取り揃えるなどした上,これらを組み立てて小銃1丁を製造した

ものである。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1 弁護人は,本件小銃等の押収に際し第2サティアンの建物を構成する鉄骨を破壊するなどしたが,これは検証や捜索差押えに伴い許容される物の破壊の限界を超える違法なものであり,その押収物に関する証拠には証拠能力がないと主張する。

 しかしながら,証拠によれば,捜査官は,関連被疑者がその中に武器等製造法違反の証拠品があると供述して特定した第2サティアン2階の3本の鉄骨を捜し当てた上,その鉄骨に新しい塗装痕を発見したことからその中に何かが隠匿されている可能性が高いと判断し,まず鉄骨に小さい穴を開けてスコープにより中に何かが隠匿されていることを確認し,横二十数p,縦数十pの四角の穴を上方から一つずつ開けて順次中の物を取り出し押収するとともにその隠匿状況について検証するなどしたものであって,これらの行為は,捜索差押えの執行又は検証の目的を達するために必要でかつ最小限度にとどまり,その方法も相当であったというべきであるから,その検証及び押収手続に違法があったとは認められない。便所室の仕切りや壁などを撤去した点についても,多量の薬品が隠匿されていたことから安全を確保するためにそのような行為に至ったことなどを考慮すると,そのことが,その押収手続や検証手続全体に,これらに関する証拠の証拠能力を失わせるほどの違法性をもたらすものとはいえない。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2 弁護人は,本件小銃は,発射される弾丸が殺傷能力を有するものではないから,武器に該当しないと主張する。

 しかしながら,警視庁科学捜査研究所の鑑定によれば,本件小銃の銃口から約1mの位置に置かれた弾速測定器に向かってAK−74の適合実包を発射してその弾丸の速度を測定したところ,秒速831.6mで,AK−74の初速である秒速900mには及ばないもののこれに準じる速度であり,1940年代に旧ソ連軍に採用されたAK−47の初速である秒速710mを上回るものであって,貫通力等の実験をするまでもなく,本件小銃から発射された弾丸が殺傷能力を有することは明らかであり,本件小銃は「武器」に該当するものと解される。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 3(1) 弁護人は,被告人は,弟子たちに,自動小銃の製造を指示していない,被告人は,村井の提案した自動小銃製造計画について到底実現できるはずもないと考えたが,弟子たちのマハームドラーの修行になるためあえてこれを禁じることなく村井のなすに任せていたにとどまるから,被告人には自動小銃製造の故意も共謀もないと主張する。

 

 (2) しかしながら,証拠によれば,被告人は,サリンプラント計画と並ぶ教団の武装化の柱である自動小銃製造計画を推し進めるため,第9,第11,第12各サティアンや清流精舎などの教団施設を使用し,多数の教団信者をかかわらせた上,あらかじめ武器の情報を集めるためにロシアに村井ら数名を1か月近く派遣し,1台三,四百万円もするマシニングセンターを22台,1300万円もする大型の放電加工機1台を購入するなど多額の資金を投入するなどしたものであり,その計画は,到底村井のなすに任せるような事柄とは認め難い。加えて,@被告人は,平成6年2月28日,ホテル「ザ・マンハッタン」で,廣瀬らに対し,自動小銃1000丁を造るよう指示し,その後,ミーティングで,廣瀬らから直接作業の進行状況や問題点などを聞き,自動小銃の機関部の21種類の金属部品についてはマシニングセンターで造るように言い,ライフリング作業については大型の放電加工機で穴開けと一体化してやるように言うなど技術的な指示をしたこと,A被告人は,平成7年1月1日,廣瀬らから,完成した本件小銃1丁の献上を受けた際,よくやったと言って同人らをほめ,早速次の段階として廣瀬には弾丸を造るよう指示したこと,B被告人は,同日,教団施設に対する強制捜査がされる恐れがあると考え,本件小銃や小銃部品を隠匿するよう指示したことなど証拠によって認められる事実関係を併せ考えると,被告人は,教団の武装化の一環として,自動小銃製造計画を進め,約1000丁の自動小銃を製造することを企て,弟子たちに指示して,前記第1及び第2の各犯行に及んだことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

\ 落田事件

[第1(殺人)の犯行に至る経緯]

 1 落田耕太郎は,平成2年4月,妻子と共に教団に出家し,同年夏ころから都内の教団附属医院で薬剤師の業務に従事していた。

 保田英明は,教団への入信出家や下向を繰り返し,最終的には平成4年春ころ,脱会したが,教団信者であった平成3年秋ころ,越川真一と共に,難病にかかり療養していた実母保田母に対し教団附属医院に入院するよう勧めた。保田母は,同年11月ころ,教団に入信し教団附属医院に入院して治療を受けるようになり,同所で薬剤師をしていた落田と知り合い,親しくしていた。

 

 2 被告人は,平成5年12月末ころ,落田が保田母と親密な関係になり性欲の破戒をしたとして,二人を引き離すために保田母を第6サティアン3階の医務室に移動させ,以後,保田母は,同所で投薬治療のほか,教団信者に被らせるヘッドギアの電極を通じて被告人の脳波を電流化したものを頭部に流すPSIの修行を受けるようになった。落田は,教団に不信感を抱いていた上,好意を寄せていた保田母に適切な治療がされているか疑問を持っていたことから,同女を教団施設から連れ出して薬局店を開業し自分の手で同女の病気を治そうと考え,平成6年1月20日ころ,教団施設から逃げ出し,同月24日ころまでに,保田母の夫であり保田の実父である保田英二や保田に対し,教団施設から保田母を連れ出したいのでこれに協力してくれるよう話を持ち掛けた。

 

 3 落田は,保田英二及び保田の協力を得,同月30日午前3時ころ,保田母を連れ出すために,保田と共に第6サティアンに侵入し,3階の医務室内に寝かされていた保田母を抱えて部屋から出ようとしたところ,教団信者に発見され捕まえられそうになったため,用意していた催涙スプレーを噴射するなどして抵抗したが,同所に駆け付けてきた教団信者に取り押さえられ,いずれも両手に前手錠を掛けられた。

 

 4 新實は,越川らに,落田と保田を監視するよう指示して,第6サティアン1階の被告人の部屋に行き,落田らの侵入事件について報告した。被告人は,それを聞いて,落田が破戒をして脱走したにとどまらず,保田と共に,保田母を無断で連れ出そうとし,そのために被告人の居住する第6サティアンという神聖な場所に侵入して暴れるなどの教団ないし被告人に対する敵対行為に及んだものであり,このまま落田と保田を放置するわけにはいかず,落田らを殺害するほかないと決意し,新實に対し,落田と保田を第2サティアン3階に連れていくよう指示した。被告人は,松本知子に先導させて杉本繁郎運転の被告人専用車両に乗り込み,杉本に第2サティアンに行くよう指示し,出発させた直後に「今から処刑を行う。」と言った。

 5 新實は,被告人の指示を受け,越川や丸山美智麿らと共に,落田と保田をワゴン車に乗せて第2サティアンまで搬送し,同サティアン3階のエレベータ前付近まで連れていき,同所で,丸山らに落田と保田を監視させた。

 

 6 被告人は,第2サティアンに到着後,松本知子の先導で3階の瞑想室に入って同室内の東側に置かれているソファに座り,村井,新實,井上,杉本,越川及び後藤誠も同室に入った。被告人は,村井らから落田らの持ち物等について報告を受けるなどした後,「これからポアを行うがどうだ。」と,落田及び保田を殺害するつもりであることを話した。村井や新實は「尊師のおっしゃるとおりです。」「ポアしかないですね。」などと相づちを打ち,井上は「泣いて馬謖を切る。」と言って賛意を表し,他の者も被告人に同調した。

 

 7 続いて,被告人は,「その前に保田と話がしたいから。」と言って,新實に保田を呼び入れるよう指示した。3階エレベータ前付近で保田を監視していた丸山は,新實から指示を受け,前手錠をされた保田を被告人の前まで連れていった。そのころまでに中川は被告人に呼び出され瞑想室に入っていた。

 

 8 被告人は,相対して正座している保田に対し,「なんでこんなことをしたんだ。」と聞くと,保田が「落田さんに母親のことを聞いて,心配になったので。」と答えるので,「なんで落田がこういうことをしたか分かるか。」と言って落田が教団施設に侵入し保田母を連れていこうとした理由を聞くと,保田は,落田が保田母のことを気遣ったのだろうと思ったが,とりあえず「分かりません。」と答えた。

 

 被告人は,落田が保田にこのような悪業を積ませたのであるから,保田に落田を殺害させることによりそのカルマを清算させるのがカルマの法則にかなうと説明することによって落田を殺害することを弟子たちに正当化することができるし,保田にも口封じをすることができると考え,保田に対し,「落田は,教団にいるときに,母親にイニシエーションだと偽って性的関係を持ったり,精液を飲まそうとしていたんだ。それで教団が落田と母親を引き離したが,落田はそれを不服に思って,母親を連れ出して母親と結婚しようともくろんでたんだ。もし,おまえや私がその結婚を止めるようなことがあったら,落田はおまえや私を殺すつもりでいたんだ。だから,落田の言った母親の状態というのは全く嘘っぱちなんだ。」などと言った上,「おまえは,落田のそういう思惑があるのも知らないで,落田にだまされて,ここに来て真理に対して反逆するという,ものすごい悪業を犯した。ぬぐうことができないほどの重いカルマを積んでいる。間違いなく地獄に落ちるぞ。おまえは帰してやるから安心しろ。ただし条件がある。それはおまえが落田を殺すことだ。それができなければおまえもここで殺す。」などと言って,落田を殺害することを指示した。

 

 保田が返事をしないで黙っていると,被告人は,落田が保田をだまして保田に大きな悪業を積ませ,保田母を破戒に巻き込んだのは大きな悪業であるから,ポア,すなわち殺害しなければならない旨説明した。そして,被告人は,保田から,「それはどうやってやるんですか。」と尋ねられると,「ナイフで心臓を一突きにしろ。」と言い,さらに,保田から「やったらほんとに帰してもらえるんですか。」と聞かれ,「私がうそをついたことがあるか。」と答えた。保田は,このようなやり取りを経て,悩んだ末,落田を殺害することを承諾した。

 

 9 そこで,被告人は,落田を瞑想室内に入れるよう指示した。落田は,同室内に連れてこられ,同室内の西寄りに敷かれた約2m四方のビニールシートの中央に前手錠のまま座らされた。保田が落田に目隠しをしてほしいと被告人に頼むと,被告人は,「それは構わない。ただし,自分でやれ。」と言って「だれか目隠しするものを持ってきてくれ。」と指示し,保田が,用意されたガムテープで落田に目隠しをした。その後,弟子たちによりロープが準備され,これで首を絞めて殺害する方法に変更してはどうかという提案がされ,被告人もこれを了承した。

 その際,被告人は,落田が催涙ガスを使ったことを指摘し,「それならば落田に対しても,催涙スプレーを使わないとまずいな。」と言い,催涙スプレーを落田に掛けるよう指示した。そこで,保田は,催涙ガスが拡散しないように越川と共に落田にビニール袋を被せ,その袋の中で催涙スプレーを噴射すると,落田はせき込みうめき声を上げ,体を揺すり立ち上がろうとするなど暴れ出したので,周りにいた者数名でこれを取り押さえた。このとき催涙ガスが袋の外に漏れたことから窓が開けられて換気がされたが,被告人が「なんで窓を開けるんだ。閉めろ。」と言い,直ちに窓が閉められた。保田は,新實から二つ折りにされたロープを受け取った。

 

[罪となるべき事実第1(殺人)]

 被告人は,保田らと共謀の上,落田耕太郎(当時29歳)を殺害しようと企て,平成6年1月30日未明,山梨県西八代郡上九一色村の第2サティアン3階の瞑想室において,保田が,落田に対し,その頸部に二つ折りにしたロープを巻いて頸部を絞めたものの,手錠が掛けられていたため十分に力が入らず,新實から助言を受けて,ロープの折り返し部分に右足を掛け,他方の端を両手で引っ張る方法で落田の頸部を絞め続け,その間,周囲にいた井上,越川,後藤,丸山ら数名が落田の身体を押さえ付け,被告人が,中川から落田の脈拍の有無について報告を受ける都度,保田に対し落田の頸部を更に絞め続けるよう指示するなどし,そのころ,同所において,落田を窒息死させて殺害した。

 

[第2(死体損壊)の犯行に至る経緯]

 被告人は,落田の死亡を中川に確認させた後,村井と相談の上,第2サティアン地下室にあるマイクロ波焼却装置で落田の死体を焼却することとし,村井にその焼却を指示した。被告人は,その際,村井から人手が欲しいと言われ,外で待機している警備担当の山内信一と北村浩一を瞑想室に呼び入れ,同人らに落田を殺害した経緯等について説明した上,山内,北村及び丸山の3名に対し,落田の死体を梱包して地下室に運び,村井の指示に従って落田の死体を処理するよう指示した。

 その後,被告人は,保田を呼び寄せ,「これからは,また,入信して,週1回は必ず道場に来い。おまえが今回積んだカルマはちょっとやそっとでは落とすことができないカルマだから,一生懸命修行しなさい。」と言い,最後に「おまえはこのことは知らない。」と付け加えて落田の殺害について口止めをし,保田を帰した。

 丸山ら3名は,落田の死体をビニールシートで梱包した後,同サティアン地下室にあるマイクロ波焼却装置のそばまで運んだ。

 

[罪となるべき事実第2(死体損壊)]

 被告人は,村井,丸山らと共謀の上,同日,第2サティアン地下室において,落田の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊した。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1 弁護人は,被告人の検察官調書等に依拠し,@被告人は,落田の首を素手で絞め失神させた後直ちに蘇生方法を講じれば,落田はこれに懲りて悪業を犯さなくなるだろうと考え,保田に,その意図を伏せて「素手で落田の首を絞めれば帰してやる。」と告げたにすぎず,落田の殺害を指示してはいない,A被告人は,落田の死体の取扱いについては,村井に後は任せるとだけ告げてその場から去ったのであり,被告人には死体損壊の認識も共謀も存在しないと主張する。

 

 2 そこで判断すると,保田,杉本及び丸山は,被告人が村井,新實ら弟子たちや保田に落田の殺害を指示し,村井や丸山ら弟子たちに落田の死体の焼却を指示したことについて,前記各犯行に至る経緯に係る事実に沿う証言をしている。これらの各証言は,いずれも落田の殺害及びその死体焼却を指示した状況等につき,具体的かつ詳細に述べられたものであり,事柄の核心部分についてよく合致し,相互にその信用性を補強し合っている。のみならず,そこで述べられている内容は,一連の落田事件の事実経過,すなわち,@保田は,落田に誘われ,落田と共に保田母を連れ出すために第6サティアンに侵入した際,教団信者に捕らえられ,第2サティアンに連行されたこと,A保田は,第2サティアン3階の瞑想室内において,被告人と話をした後,被告人の前で,数名の教団信者の手を借りながら落田の頸部をロープで絞め続けて殺害したが,その間その場にいた教団信者のだれからも保田の行為を制止されることもなく,その後においても,被告人から「これからは,また,入信して週1回は必ず道場に来い。一生懸命修行しなさい。」と言われにとどまり格別保田が落田を殺害したことについて叱責されることなく家に帰ることを許されたこと,B保田は,それにもかかわらず,帰宅直後,教団との接触を断つために自宅を出て行方をくらまし,そのため,教団から所在を突き止められ無理やり連れ戻されそうになったこと,C他方,落田の死体は落田が殺害された後,直ちに,第2サティアン地下室でマイクロ波焼却装置により焼却されたことなどの事態の推移について,非常によく説明し得ている自然で合理的なものである。したがって,上記保田,杉本及び丸山の各証言の信用性は高いというべきである。

 そして,これらの各証言によれば,被告人が前記のとおり落田の殺害及びその死体の焼却を指示したことを優に認定することができる。

 

 3 被告人は,その検察官調書や公判手続の更新時において,弁護人の主張に沿う供述をするが,被告人が捜査段階で自認するとおり,このとき現場にいた最高責任者は被告人であり,被告人の指示以外のことをやるのであれば,当然被告人の許可を受けなければならないのであるから,被告人が,保田に対し,素手で落田の首を絞めるよう指示したのであれば,なぜ保田がロープで落田の首を絞めて殺害したのか,しかも,なぜそばにいた弟子たちはだれ一人としてこれを止めようとせずむしろ保田にロープを渡しこれに加勢したのか甚だ疑問である。被告人が落田の死亡を確認した後も,被告人の指示に反してロープで落田の首を絞めて殺害した保田や弟子たちを叱責することがなかったのも不自然である。したがって,被告人の弁解は,落田事件の一連の事実経過に照らし,不自然不合理といわざるを得ず,信用性の高い保田,杉本及び丸山の各証言に照らし,信用することができない。被告人から落田殺害の指示はなかったなどと供述する越川や後藤の各証言もまた同様に信用することができない。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 

] 冨田事件

[犯行に至る経緯]

 1 被告人は,平成5年10月以降,説法等で,教団施設が敵対組織から,イペリットやサリンなどによる毒ガス攻撃を受け,家族や弟子に頭痛,吐き気などの症状が出ているなどと述べ,自らサリン等の化学兵器や炭疽菌等の生物兵器の研究,製造等について弟子たちに指示しておきながら,教団施設内で生じた信者らの症状について敵対組織から毒ガス攻撃を受けた結果であるなどとうそを言い,教団の武装化に向けて教団信者らの危機感や国家権力等に対する敵愾心をあおるとともに,教団による化学兵器や生物兵器の研究,製造等を隠ぺいすることに努めていた。

 

 2 被告人は,サリンのほか,皮膚,粘膜をただれさせ呼吸器を冒し死に至らしめるびらん性の毒ガスであるイペリットの生成についても土谷に指示していたところ,平成6年7月8日,女性信者が第6サティアン内の浴室で,熱傷を負い意識を失う事件が発生するや,土谷に浴室内の水を分析させ,イペリット関連物質が検出された旨の報告を受けると,この機会に,公安警察等の教団施設に対する毒ガス攻撃の一環としてそのスパイが教団信者の生活用の水にイペリットを混入させたということにし,教団におけるイペリットの生成を隠ぺいするとともに,教団信者の国家権力等への敵愾心をより一層あおろうと考え,教団防衛庁を通じて,同月9日,教団信者に井戸水や水道水の使用を禁じ,教団幹部にそのスパイ捜しを指示した。

 

 3 その後,被告人は,当時タンクローリーで第6サティアンに教団の生活用の水を運搬していた教団車両省所属の冨田俊男の名前がスパイとして挙がってきたことから,林郁夫に対し,タンクローリーで生活用の水を運ぶ仕事をしている車両省の冨田が第6サティアンの生活用の水に毒を混入したスパイである,冨田がタンクローリーから第6サティアンの貯水槽に水を入れるときに毒を混入したと思われるなどと伝えて,冨田に対するスパイチェックを実施するよう指示した。

 林郁夫は,冨田に対し,スパイチェックとしてポリグラフ検査とイソミタールインタビューを実施し,ポリグラフ検査では毒を混入したスパイであることについて陽性反応を示したが,イソミタールインタビューでは,スパイであるかどうか,水に毒を入れた事実があるのかどうか,そのようなスパイを働くような背景事情があるのかどうかを聞いても,被告人が疑うような事実を冨田が答えることはなかった。

 

 4 被告人は,林郁夫からスパイチェックの結果について報告を受け,ポリグラフ検査における陽性反応の結果が出たことを奇貨として,無理強いをしてでも冨田にイペリットを混入したスパイであると自白させ,スパイに仕立て上げれば,教団が毒ガス攻撃を受けているといううその話をもっともらしくすることができるなどと考え,平成6年7月10日ころ,スパイの摘発を所管する自治省の大臣である新實を第6サティアン1階の被告人の部屋に呼び,新實に対し,第6サティアンの浴室内の水からイペリットが検出されたこと,その水を運んでいた冨田にスパイチェックをしたところ陽性の結果が出たこと,したがって冨田がイペリットを混入させたスパイであることなどを説明した上,同省次官の中村昇及び杉本並びに同省所属の山内を使い,第2サティアンにおいて,強制的にでも教団の生活用の水に毒ガスを混入したことやその背後関係について冨田を自白させるよう指示し,新實はこれを承諾した。その際,被告人は,「ガンポパ(杉本)の状態が悪い。」と言い,杉本の被告人に対する帰依心が揺らいでいる趣旨の話をした。

 

 5 新實は,被告人からの指示内容を伝えた杉本と共に,富士山総本部道場にいる冨田を第2サティアンに連れてきた後,冨田に,被告人の警備をしてもらうかもしれないからそのためのテストを行うなどとうそを言い,冨田を連れて第2サティアン地下室に入り,まず体力をみると言って,冨田にヒンズースクワットをさせた。新實は,厳しく責め立てるヤマ役と優しく語り掛けるダルマパーラ役が組んで相手方をざんげさせる「バルドーの導き」を装い拷問により冨田を自白させようと考え,既にヒンズースクワットを300回くらいして息があがっていた冨田に「体力があるのは分かった。これから精神面をみる。」などと言って,冨田をパイプいすに座らせ,中村昇,杉本及び山内と共に,手錠やベルトを使用して冨田の両手,腰及び両足をそれぞれいすに固定し,ガムテープで冨田に目隠しをした上,新實と杉本がヤマ役,中村昇と山内がダルマパーラ役となり,冨田への尋問を始めた。

 

 6 被告人は,そのころ,同サティアン3階の被告人の部屋にいたが,新實を呼んで,冨田の件について「今,どういう状況だ。」と尋ねた。新實が「まだ尋問を始めていません。これからする予定です。」と答えると,被告人は,被告人に対する信の揺らいでいる杉本が被告人の指示に従えるかどうかを試すとともに,その指示の実行を通じて杉本の信仰心を高めさせようと考え,「ガンポパにやらせればいい。」と言って,強制的に冨田を自白させるのを杉本に担当させるように指示した。

 

 7 同サティアンの地下室に戻った新實は,杉本に対し,竹刀を手渡し,「尊師からガンポパにやらせろと言われています。」などと言って拷問を行うように指示した。そこで,杉本は,冨田に対し,なぜ毒を入れたなどと尋問しながら竹刀で背中等を殴り付け,冨田がこれを否定すると,ではなぜスパイチェックで反応が出たんだと尋問しながら竹刀で冨田を殴り付け,新實も,尋問しながら竹刀で,冨田の背中,肩,腕,足等をめった打ちし,他方で,中村昇や山内は,ダルマパーラ役として,冨田に対し,「何かざんげするようなことがあるんじゃないですか。」などと聞いた。杉本や新實は,冨田が毒を入れたスパイであることを認めようとしないことから,待ち針を冨田の足の爪の間に何本も刺したり,バーナーで熱した鉄製の火かき棒を冨田の腕や背中に押し当てたりするなどの拷問を加え続けたが,冨田は,自己の潔白を訴え続け,新實に「ミラレパ正悟師は人の心が読めるはずですから,私の心を読んでください。そしたら私が毒なんか入れていないことを理解してもらえると思います。」と哀願するように何度も言ったが,やがて力尽き意識を失った。

 

 8 新實は,このような拷問を加えても冨田が毒を混入したスパイであることを自白しようとしないことから,今後の対処について被告人の指示を仰ぐため,既に被告人が移動していた第6サティアン3階の被告人の部屋に行き,村井が同席する下で,被告人に対し,「冨田は自白しませんが,どうしましょうか。」と尋ねた。

 被告人は,無理にでも冨田を自白させてイペリットを教団の生活用の水に混入したスパイに仕立て上げようとしたがそれがかなわず,さりとて,自白させるために冨田に拷問を加えてしまった以上このまま冨田を生かしておくと後々教団の発展にとって障害となるおそれがあることから,口封じのため冨田を殺害することを決意し,村井とも相談した上,新實に対し,マイクロ波焼却装置を使い冨田を焼却するように言って,同人を殺害した上その死体を損壊するよう指示するとともに,「ガンポパにやらせればいい。」と言って杉本にその焼却をさせるよう指示した。

 

 9 新實は,第2サティアン地下室に戻り,杉本,中村昇及び山内に対し,「自白をしようがしまいが,どちらにしろ,ポアだ。」と言って被告人の指示内容を伝えるとともに,冨田をマイクロ波焼却装置により焼却する方法で殺害するのにはちゅうちょを覚えたことから,落田事件と同様にロープで絞殺した後マイクロ波焼却装置で焼却しようと考え,杉本にロープを渡しながら「尊師がガンポパにやらせろと言っていました。」と言ってこれで冨田を絞殺するよう指示した。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,新實,杉本,中村昇及び山内と共謀の上,

第1 冨田俊男(当時27歳)を殺害しようと企て,平成6年7月10日ころ,山梨県西八代郡上九一色村の第2サティアンにおいて,新實及び杉本が,冨田に対し,その頸部をロープで巻いて絞め付け,その間,中村昇及び山内が,冨田の脈が止まるまでその脈を確認し,冨田の身体やいすを押さえるなどし,よって,そのころ,同所において,冨田を窒息死させて殺害した

第2 その後直ちに,同所において,冨田の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊した

ものである。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1 弁護人は,被告人は教団が毒ガス攻撃を受けていたと信じていた旨主張する。

 しかしながら,被告人は,以前から,ボツリヌス菌や炭疽菌等の細菌兵器や,サリン,イペリット等の化学兵器の研究,培養・生成等を指示し,その進ちょく状況等について報告を受け,種々の細菌類,中間生成物やサリン等が教団施設で培養,生成されて存在していることや,教団施設においてそれらの菌類や化学物質に由来する種々の異臭事件が発生したことなどを熟知しており,上九一色村の教団施設内の教団信者らに体調の変化が見られたならば,まずもって,上記の培養,生成等に由来するのではないかと疑ってしかるべきである。そうであるのに教団が国家権力等をはじめとする敵対組織から毒ガス攻撃を受けているなどという到底信用できない説法をしたのは,教団の武装化を推進していた被告人が,信者らに体調の変化が見られたことを逆手にとり,教団における生物兵器や化学兵器の製造等を隠ぺいするとともに,教団信者の危機意識を高め,国家権力等に対する敵愾心をあおるために話をすりかえたものと見るのが自然である。また,仮に第6サティアンの生活用の水にイペリットが混入されたのであれば,女性信者熱傷事件だけでなく第6サティアンに居住する多数の教団信者に同様の被害が生じたであろうことは,被告人においても容易に思い及ぶことであるにもかかわらず,なお,女性信者熱傷事件の原因が,タンクローリーで第6サティアンに水を運搬する作業に従事していた冨田がスパイとして第6サティアンの生活用の水にイペリットを混入したことであると考えるのは,教団が毒ガス攻撃を受けていたと信じる者の発想としても不自然かつ不合理といわざるを得ない。そうすると,被告人が教団が毒ガス攻撃を受けていたと信じていた事実もなく,教団が毒ガス攻撃を受けているというのは被告人の創作したうその話であることは明らかであり,弁護人の主張は採用することができない。

 

 そして,被告人は,教団に敵対する組織等のスパイが毒ガスを教団施設の生活用の水に混入したものではないことを認識していたのであるから,冨田をそのようなスパイであると真実考えたこともなかったのであり,したがって,被告人は,冨田が教団施設の生活用の水にイペリットを混入したスパイでないにもかかわらず,前記の理由からそのようなスパイに仕立て上げようと考え,拷問をしてでも冨田を自白させようとしたことを優に認めることができる。

 

 2 弁護人は,被告人は拷問により冨田を自白させることや冨田の殺害,その死体焼却について一切指示したことはないと主張する。

 しかしながら,新實は,@被告人が新實に,強制的にでも教団の生活用の水に毒ガスを混入したことやその背後関係について冨田を自白させるよう指示したこと,A被告人が,バルドーの導きが始まった後,新實を呼んで進ちょく状況を尋ね,強制的に冨田を自白させるのを杉本に担当させるよう指示するなどしたこと,B被告人は,新實から「冨田は自白しませんが,どうしましょうか。」と聞かれ,新實に,冨田をマイクロ波焼却装置を使って焼却するように指示したことについて前記犯行に至る経緯の事実に沿う証言をしたほか,C新實は,冨田殺害後,被告人に「終わりました。」と報告すると,被告人から「どうだったんだ。」と聞かれ,「ロープ使ってしまいました。」と答えると,被告人から「ああそうか。何でロープを使ったんだ。」と言われ,謝ったこと,Dその際,冨田を下向したことにして,車両省大臣にその旨申し出ることや当時冨田と親しかった女性信者が冨田の下向に不審を抱く懸念があったため,同女に冨田の死を知られないように,同女をロシア支部に転属させることが話し合われたことなどについて証言する。

 

 新實証言の信用性について検討すると,新實証言の中で被告人について述べられている部分は,冨田を教団に敵対する組織のスパイに仕立て上げ,そのスパイが教団の生活用の水にイペリットを混入したといううその話を教団信者に知らしめることにより,教団が毒ガス攻撃を受けているという嘘の話をもっともらしくすることができるなどと考えていた被告人がとるべき行動として,あるいは,冨田をスパイに仕立て上げることに失敗した場合に被告人がとるべき事後措置として,極めて自然で合理的な内容を含む具体的なものである。また,新實証言中,新實が杉本に対し被告人の指示内容を伝えて指示した部分は,杉本が冨田を拷問し殺害する際に新實から受けた指示に関する杉本の証言ともよく符合し,さらに,新實証言は,事件後被告人のところに赴いた際に,被告人が,冨田がポアされてしまったと解釈できるような動作をした旨の林郁夫の証言とも合致している。そして,新實は,証言時においても被告人に対する帰依を維持しながらも,被告人の面前でためらいながらではあるがあえて被告人に不利益な事実を内容とする証言をしたものである。これらの点に照らすと,新實証言の信用性は高く,被告人が冨田の殺害及びその死体の損壊を指示したことを優に認めることができる。罪証隠滅のために死体を焼却する必要があることや落田事件で死体焼却の指示がされたことなどに照らすと,冨田にマイクロ波焼却装置を使うとの被告人の新實に対する指示は,同装置により冨田を殺害するのみならず殺害後はその装置で死体を焼却することまでをも含んだものとしてされたことは明らかである。

 以上のとおりであるから,弁護人の主張は採用することができない。

 

]T VX3事件(水野VX事件,M口VX事件,永岡VX事件)

第1 VX事件に至る経緯

 1(1) 被告人は,松本サリン事件後,現場からサリンが検出された旨の報道がされ,同事件が教団の犯行によるものであることが発覚しないよう,しばらくサリンの使用を控えることとし,それに代わるものとして,皮膚に付いた場合の浸透性が強く,毒性がサリンの100倍とも1000倍とも言われ,サリンと同様コリンエステラーゼ活性を阻害するなどしてヒトを死に至らしめる最強の神経剤と言われるVXを教団で生成することとし,平成6年8月ころ,遠藤を介して土谷に対し,1sを目標としてVXを生成するよう指示した。土谷は,クシティガルバ棟で,実験の末,A工程,B工程及びその両者の生成物をヘキサン又はベンゼンを溶媒としトリエチルアミンを反応促進剤としてそれぞれ用いて反応させVXを生成する最終工程の3工程からなる生成法に基づき,同年9月上旬ころ,VX約20gを生成し,GC/MS等でもこれを確認した。被告人や新實,井上らVX関係者は,VXを「神通」又は「神通力」と呼ぶようになった。

 

 (2) 教団の武装化の一環として,法皇官房に指示して信徒の拡大と出家者の大量獲得をもくろんでいた被告人は,在家信徒の出家阻止・脱会等のための活動を精力的に行っている滝本弁護士に対し,平成6年5月には滝本サリン事件に及ぶなどその排除の必要性を以前から感じていたが,VXが生成された旨の報告を受け,滝本弁護士にVXを付着させその殺傷能力を確かめようと考え,同年9月中旬ころ,新實や遠藤に対し,滝本弁護士の使用する自動車のドアの取っ手にVXを付けるよう指示した。しかし,VXを付着させる方法等に問題があったため,VXの効果を確かめることはできなかった。

 

 (3) 土谷は,同月下旬ころ,VX約20gを生成し,GC/MS等でもこれを確認した。被告人は,同年10月中旬ころ,井上に対し,「滝本の乗っている車にVXを付けてこい。VXは土谷から受け取れ。」と指示した。井上は,土谷から,土谷の生成したVXを受け取り,中川及び平田悟と共に,滝本弁護士方付近に行ったが,同所に警察官がいたため,実行しなかった。

 

 2 水野昇は,平成6年当時,東京都中野区本町の自宅で一人暮らしをしていたが,N女とは約20年来の知り合いであり,同女の美容院開業の際にも保証人になるなど親しい関係にあった。

 N女は,平成6年8月には家族と共に出家するなどし,その間,数千万円の金品を教団に拠出したが,同月中旬ころ,家族と共に教団施設を出て水野方に逃げ込んだ。教団信者がN女らを連れ戻しに水野方に押し掛けてきたが,水野はこれを追い返した。N女は,教団から財産を取り戻すことを考え,水野から弁護士の紹介を受けるなどして,同年11月4日,東京地方裁判所に対し,教団を被告として数千万円の金品の返還請求訴訟を提起した。水野は,その弁護士費用やN女がマンションに居住するのに要する費用を立て替えるなどした。

 

 3 被告人は,青山らから上記訴訟等の報告を受け,水野がN女を背後から操っているのではないかと考え,同月21日ころ,井上に,水野の身辺等の調査を指示した。井上は,CHSによる調査の結果,水野が朝ごみを出したり散歩したりし,夕方もよく散歩することや,N女親子が水野方近くのマンションに住み水野方に出入りしていることなどが分かり,被告人に報告した。

 被告人は,それを聞き,N女に訴訟を提起させたのは水野であり,水野がいなくなればN女親子は教団に戻ってくると考え,VXで水野を殺害しようと企て,同月下旬ころ,村井を介して土谷に対し,100gのVXを至急生成するよう指示した。

 土谷は,VXの生成を試みたが,最終工程において,反応促進剤としてトリエチルアミンではなくNNジエチルアニリンを使用したため,VXではなく毒性のないVX塩酸塩を生成してしまった。

 

 4 被告人は,同月26日ころの朝,第6サティアン1階の被告人の部屋で,新實,井上及び遠藤に対し,「水野は悪業を積んでいる。N女の布施の返還請求は,すべて水野が陰で入れ知恵をしている。水野にVXを掛けてポアしろ。そうすれば,N女親子は目覚めてオウムに戻ってくるだろう。これはVXの実験でもある。水野にVXを掛けて確かめろ。」などと言って,水野にVXを掛けて殺害することを指示し,さらに,具体的な殺害方法としてはVXを注射器に入れて水野に掛けること,役割分担については,VXを掛ける役割は井上が務め,それが失敗した場合には自治省所属の山形明に実行させること,実行役等がVX中毒になった場合の治療役として遠藤と中川が同行すること,さらに遠藤はVXを注射器に入れて用意すること,CHSに所属する平田悟及び高橋克也も犯行に加えること,現場指揮は井上が務め,新實がこれを補助することなどを指示し,井上,新實及び遠藤はこれを承諾した。ここに,被告人は,井上,新實及び遠藤との間で,水野にVXを掛けて殺害する旨の共謀を遂げた。

 

 5 井上らは,中川,平田悟及び高橋克也に被告人の指示を伝え,井上,新實,遠藤,中川,平田悟及び高橋克也の6名は,同月26日夕方,水野方付近に赴き,井上が,VX塩酸塩入りの注射器を持って,水野に近づいたが,これを掛けるタイミングを失い,失敗した(第1次水野事件)。新實は,井上が実行役を降りたい旨言い出したことから,実行役を山形に変更することについて念のために被告人の了解を得た上で,上九一色村にいる山形に迎えをやった。

 

 6 井上,新實,中川,山形,平田悟及び高橋克也は,同月27日朝,水野方付近に赴いた。山形は,井上,中川及び新實らから,水野という老人の後頭部をねらって,皮膚に付くと強い殺傷能力を有する注射器内の液体を掛けるように指示されるとともに実行の際に注意すべき点などについて説明を受け,また,被告人の指示で山形が実行役を務めることになったことを聞かされた。実行メンバーは,同日午後10時ころまで待ったが水野が出てこなかったため,翌朝出直すこととした。

 実行メンバー6名は,同月28日朝,水野方付近に赴き,水野が自宅から出てくるのを待っていたところ,同日午前8時30分過ぎころ,水野がゴミを出しに自宅から出てきたことから,山形と新實が水野に近づき,新實が水野に声を掛けて注意をそらしている間に,山形が水野の後方から注射器でVX塩酸塩を水野の後頭部付近に掛けた(第2次水野事件)。

 

 7 実行メンバー6名のうち平田悟を除く5名は,上九一色村の教団施設に戻り,第2サティアン3階の被告人の部屋に行き,被告人に第2次水野事件について報告をしたところ,被告人は,「よくやった。」などとねぎらいの言葉を掛け,山形に対し,「この毒液はVXという最新の化学兵器だ。こういうことはガル(山形)が適任だな。今日からガルは菩師だ。」などと言って,山形のステージを師補から菩師に昇格させ,高橋克也のステージも愛師から愛師長補に昇格させた。

 しかし,被告人は,井上らが水野にVXを掛けた結果について確認していないことを知ってそのことをしかり,至急水野の状態について確認するよう井上らに指示した。井上らが調査をした結果,水野が普段と変わらない生活をしていることが分かり,その旨被告人に報告した。

 

 8 被告人は,その後,水野に掛けた物質がVXとは化学的性質が異なるVX塩酸塩であったことを知り,同月30日ころ,村井を介して土谷に対し,VX塩酸塩ではなくVXを50g至急生成するよう指示した。土谷は,クシティガルバ棟でVXの生成に取り掛かり,反応促進剤としてトリエチルアミンを使ってVX約50gを含む二百数十tの溶液(VX溶液)を生成した。

 

 9 被告人は,土谷が新たにVXを生成したことを聞き,同年12月1日ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋で,新實に対し,「新しいVXができた。これで水野をポアしろ。今度は大丈夫だろう。」などと言って,新しいVXにより水野を殺害することを指示した。新實が,VXを掛ける方法について「前と同じ方法でよいでしょうか。」と尋ねると,被告人は「それでいいんじゃないか。」と答えた。

 

 10 新實は,その足で,ジーヴァカ棟に赴いて,遠藤に対し,被告人から新しいVXができたと聞いた旨話した上,VXを注射器に詰めてほしい旨頼み,後で中川に取りにいかせる旨告げた。新實は,次に中川のところに行き,新しいVXができ,それで水野をポアすることになったことを告げ,山形と連絡が取れ次第東京に行くから準備してほしい旨及び後で遠藤のところにVX入りの注射器を取りにいってほしい旨頼んだ。遠藤は,VX溶液の中から若干量を注射器2本に吸引しこれを中川に渡した。

 新實は,電話で井上に対し,東京に行くから待機していてほしい旨伝え,また,配下の出家信者に山形を東京まで連れていかせるなどした。このようにして,実行メンバー6名がCHSの東京における拠点である杉並区今川にある一軒家(今川の家)に集合した上,新實がおとりになって水野の気をそらしそのすきに山形が水野にVXを掛け,平田悟が空き家で見張りをし,中川が医療役として待機し,高橋克也はワゴン車を運転することなど各自の役割を確認するなどした。

 

 11 井上ら実行メンバー6名は,同月2日早朝,ワゴン車など2台の車両に分乗して水野方付近に行き,新實,山形及び平田悟が水野方の斜め向かいの空き家に入り,自宅から水野の出てくるのを待った。見張りをしていた平田悟が,同日午前8時30分ころ,水野がゴミを出すために自宅から出てきたのを見て,その旨新實らに知らせると,新實及び山形は空き家から外に出て水野に近づいていき,その注意を引き付けるために,新實が水野の前に立って「おはようございます。お寒いですね。」と声を掛け,山形が水野の後方に近寄った。

 

第2 水野VX事件

[罪となるべき事実]

 被告人は,新實,遠藤,井上,中川,山形及び高橋克也らと共謀の上,水野昇(当時82歳)にVXを付着,浸透させて同人を殺害することを企て,平成6年12月2日午前8時30分ころ,東京都中野区本町の水野方付近路上において,山形が,水野の後方から,あらかじめ準備していた注射器内のVXを同人の後頭部付近に掛けて体内に浸透させたが,同人に加療61日間を要するVX中毒症の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった。

 

第3 M口VX事件

[犯行に至る経緯]

 1 M口忠仁は,平成6年当時,大阪市淀川区に居住して会社に勤め,柔道二段で柔道場に通っていた。同人は,ミステリーツアーと称して上九一色村に連れていきLSD等を使って神秘体験などをさせる「ヴァジラクマーラの会」に参加したことはあったが,それ以外教団とかかわりがなかった。

 2 被告人は,平成6年11月ないし12月ころ,教団大阪支部の在家信徒である某男が信徒を下向させて自分の一派を作ろうとしているという情報を得たことから,法皇官房でその調査をさせたところ,某男と関係のある不審人物としてM口の名前が挙がってきたため,同人が某男を操るスパイであると決めつけ,VXでM口を殺害することを決意した。

 

 3 そこで,被告人は,同年12月8日から同月9日にかけての深夜,第6サティアン1階の被告人の部屋で,呼び出した井上及び新實に対し,「某男は悪業を積んでいる。某男は女性信徒に性的強要を謀ったり,教団分裂を謀った。某男を操っているのは,大阪の柔道家でヴァジラクマーラの会に参加したことのあるM口という者だ。法皇官房で調査したんだが,M口が公安のスパイであることは間違いない。VXを一滴M口にたらしてポアしろ。」と言い,さらに,実行するメンバーは,水野VX事件のメンバー,すなわち,井上,新實,中川,山形,平田悟及び高橋克也の6名でいいのではないかと言って,その6名でVXによりM口を殺害するよう指示し,井上及び新實はこれを承諾した。

 

 4 井上及び新實は,その後,2人で手分けして他のメンバーに連絡するなどした。実行メンバー6名は,同月12日午前5時ころ,大阪市内のホテルコンソルトの一室に集まり,井上や新實が,それまで収集した情報に基づき,他の4名に対し,被告人の指示でM口という公安のスパイにVXを掛けることになったこと,M口が30歳くらいの男性で,背が高く,大阪の柔道家であるらしいこと,M口は,朝自宅から新大阪駅まで歩いていき,同駅から御堂筋線とモノレールを使って会社に通勤するだろうということなどについて説明し,話合いの結果,M口が自宅から新大阪駅まで歩いていく途中,新實と山形がジョギングを装って近づき,新實がM口の注意を引き付け,山形がVXを掛けるという方法で実行すること,中川は医療役,井上及び平田悟がM口方付近にあるマンション「GSハイム新大阪」の屋上での見張り役及びその後M口を尾行し結果を確認する役,高橋克也がワゴン車の運転手役を担当することなどが決められた。

 

 5 実行メンバー6名は,ワゴン車に乗車してホテルを出発し,同日午前6時ころ,M口方付近に到着し,GSハイム新大阪の前にワゴン車を停めた。井上及び平田悟は,GSハイム新大阪の屋上に行き,M口方2階の様子を探りながら,M口が自宅から出てくるのを待っていたところ,同日午前7時過ぎころ,M口が出勤するため自宅から出てきたのを見て,ワゴン車内で待機している新實に無線機で,M口が自宅から出て新大阪駅に向かっていることやM口の服装などについて連絡した。

 新實は,間もなく,連絡を受けたとおりの服装のM口が右側の路地からワゴン車を停めた通りに出てきたのを認め,山形と共にワゴン車から降りて,ジョギングを装ってM口に近づいていき,新實がM口を追い抜いてその前方に回り込んでその進路をさえぎり,山形がM口の後方に近寄った。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,新實,井上,中川,山形及び高橋克也らと共謀の上,M口忠仁(当時28歳)にVXを付着,浸透させて同人を殺害することを企て,平成6年12月12日午前7時過ぎころ,大阪市淀川区宮原1丁目6番12号付近路上において,山形が,あらかじめ準備していた注射器内のVXをM口の後頸部付近に掛けて体内に浸透させ,よって,同月22日午後1時56分ころ,大阪大学医学部附属病院において,同人をVX中毒により死亡させて殺害した。

 

第4 永岡VX事件

[犯行に至る経緯]

 1 永岡弘行は,平成7年1月当時,妻及び長男永岡辰哉と共に,東京都港区南青山の鴻池マンションに居住していた。

 永岡は,昭和62年ころ,長男が教団にかかわっていることを知り,当初は様子を見ていたが,親子の縁を切って出家したいので120万円を生前贈与してくれと言って土下座するなど長男の言動がエスカレートしてきたことから,このまま放ってはおけないと考え,被告人の説法会に出席して被告人に疑問点を質すなどし,長男が,平成元年8月ころ,家出同然に出家した後は,同じ立場にある親同士で連絡を取り合い,同年10月ころには,坂本弁護士を紹介され,同弁護士の提案により,被害者の会を結成し,その会長に就任した。そして,永岡は,平成2年1月ころ,長男を説得して教団との関係を絶ち切らせ,その後は,スピーカーで教団施設内の信者に呼び掛けをしたり,教団施設のある自治体や住民に啓蒙活動をしたり,長男らと共に教団信者に対し脱会の説得に当たるなどし,平成5年7月ころからは,滝本弁護士らと協力し,教団信者に対し出家をやめさせ脱会させるように説得するカウンセリングを行うなどし,平成6年12月ころまでの間,そのカウンセリングを行った約30名の在家信徒のうち25名くらいが脱会した。

 

 2 被告人は,このような事情により,かねてから,永岡やその長男を敵対視していたが,平成6年12月に入り,以前永岡の長男らがある団体と共に教団松本支部の信者に対し脱会活動を行っていたことを聞き,さらに,同月24日ころ,出家しようとしていた法皇官房の信者が親族により実家に連れ戻され,新實らを動員したものの結局その信者の取り戻しをあきらめざるを得なかったことがあった際,東信徒庁の飯田エリ子から,その信者の実家には「ナガオカ」もいた旨の報告を受けるなどしていたことから,もはや永岡やその長男を放っておくことはできないと考え,VXでこれを殺害することを決意した。

 

 3 被告人は,同月30日昼ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋で,新實に対し,永岡やその長男がこれまで教団や教団信者に対し行ってきたことなどを話した上,「どんな方法でもいいから永岡にVXを掛けろ。幾らお金を使ってもいい。VXを掛けるためにはマンションを借りてもいい。息子の辰哉の方が行動力があるから,永岡ができなければ辰哉でもいい。井上としっかり打合せをするように。」という趣旨のことなどを言って,永岡かそれができなければその長男をVXを使って殺害するよう指示し,新實はこれを了承した。なお,そのころ,被告人は,新實に対し,「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。1週間に1人ぐらいはノルマにしよう。」などと言ったことがあった。

 

 4 新實は,東京に行き,井上に対し,被告人の指示を伝えた。井上は,平田悟及び高橋克也に対し,被告人の指示で永岡かその長男にVXを掛けることになったことを伝え,CHSの信者に対し,永岡方を監視するよう指示した。

 

 5(1) 井上及び新實が,同月30日から同月31日にかけての深夜,第6サティアン1階の被告人の部屋を訪れ,井上が,被告人に対し,現在永岡の調査をしている旨報告するとともに,永岡にVXを掛ける件についてメンバーはいつもどおりでいいのかどうかを尋ねると,被告人は,中川の精神状態が不安定であると感じていたことから,中川を現場に連れていかないように指示し,VXがメンバーの身体に付着した場合の治療については,ネブライザーにパムを入れて吸えば治療ができるのではないかなどと言った。

 

 (2) 新實及び井上は,いったん被告人の部屋を出たが,なお治療の点について不安があったことから,中川を連れて被告人に再度確認するために被告人の部屋に行った。中川が被告人に対し「私は現場に行かなくてもよいのでしょうか。」と尋ねると,被告人が,「治療が必要ならAHIを使えばいい。東京だから,AHIが近いからAHIを使えばいい。」と答え,続けて「おまえは医者だから,人を潜在的に助けようと思っているから,ポアが成功しないで人を助けてしまう。だから現場に行くな。」などと説明し,新實らを納得させた。

 

 6 中川は,井上及び新實と話合いをした結果,現場に行かないことになった中川が永岡に掛けるVXを準備することとなり,土谷のいるクシティガルバ棟に赴き,神通力をくれと言ってVX溶液又は純粋VX入りの容器を受け取り,その中からそれぞれ若干量を注射器2本に吸引するなどしてこれを準備した。

 山形は,新實から今度は永岡をVXで殺害する旨の指示を受け,新實と共に,中川から上記のVX入り注射器2本を受け取るなどして自動車で東京に向かったが,その車中で,新實から「尊師が『教団に反対している者が100人くらいいなくなったら,だれも逆らうやつはいなくなるんじゃないか。』というようなことを言っていた。」旨を聞かされた。新實及び山形は,同月31日夕方ころ,今川の家に到着して,井上,平田悟及び高橋克也と合流し,VX入り注射器2本を今川の家の冷蔵庫内に入れた。しかし,永岡一家が帰宅したとの連絡がなかったため,結局,新實は山形及び高橋克也を連れて上九一色村の教団施設に帰った。

 

 7 井上は,平成7年1月3日夕方ころ,永岡方を監視させていた信者から,永岡一家が帰宅したとの報告を受け,新實にその旨連絡した。実行メンバー5名は,同日夜,今川の家に集合し,永岡方周辺の住宅地図を見ながら,翌1月4日朝から永岡方のある鴻池マンションを見張り,永岡が同マンションから出てきた機会に永岡にVXを掛けること,山形が永岡にVXを掛けること,高橋克也が,永岡にもその長男にも顔を知られている新實に代わりおとり役を務めること,井上及び平田悟が,鴻池マンションから人が出てくるのが見える位置に乗用車を停めて同所から永岡が出てくるのを見張り,永岡が出てきたら無線を使い,暗号で新實に知らせること,新實は,実行役及びおとり役が待機するワゴン車の運転手役を務め,見張り役からの連絡を受けて最終的に実行するか否かを決めることなどを確認し合った。

 

 8 実行メンバー5名は,同月4日朝,冷蔵庫に保管中のVX入り注射器,酸素ボンベ,ネブライザー等を用意するなどし,ワゴン車及び見張り用乗用車に分乗して今川の家を出発し,同日午前8時半ころ,鴻池マンション付近に到着し,永岡が同マンションから出てくるのを待った。

 永岡は,東京都港区南青山の路上に設置されている郵便ポストに年賀状を投函するため,同日午前10時30分ころ,雨が降っていたことから傘をさして鴻池マンションを出て郵便ポストに向かった。これを見た井上らが暗号を間違えて新實に知らせたため,新實らが不思議に思って周囲を見ていると永岡が歩道上を歩いてくるのを発見した。山形と高橋克也はワゴン車から降りて永岡の後を追うなどし,郵便ポストに年賀状を投函した後向きを変えて自宅に帰ろうとする永岡の背後に,注射器を握った山形と傘を広げた高橋克也の二人が並んで近づいた。

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,新實,井上,中川,山形及び高橋克也らと共謀の上,永岡弘行(当時56歳)にVXを付着,浸透させて同人を殺害することを企て,平成7年1月4日午前10時30分ころ,東京都港区南青山6丁目7番5号付近路上において,山形が,永岡の後方から,あらかじめ準備していた注射器内のVXを永岡の後頸部付近に掛けて体内に浸透させたが,同人に加療69日間を要するVX中毒症の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった。

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,山形が水野,M口及び永岡に掛けた液体はVXではなく,殺傷能力を有するものでもないと主張するので,以下,検討を加える。

 (2) 永岡VX事件において永岡に掛けられた液体について検討すると,@山形に液体を掛けられた後永岡に現れた種々の症状やそれに対する治療の内容,効果等は,その症状がVX中毒によるものと考えると非常によく説明し得ること,A山形に液体を掛けられた永岡のジャンパーの襟部分からVXの加水分解物であるメチルホスホン酸モノエチルやその加水分解物であるメチルホスホン酸が検出されたこと,Bその液体は,土谷が前記の3工程から構成されるVXの生成方法に基づきVXを造ろうとして生成した物質であること,Cその液体は,永岡にVXを掛けろという被告人の指示に基づき,中川が用意して山形が永岡に掛けたものであることなど証拠によって認められる事実関係等を併せ考えると,山形が永岡に掛けた液体は,後述のとおり,VXを含有する溶液か純粋なVXのいずれかであり,しかも,殺傷能力を有するものであることを優に認めることができる。

 

 なお,関係証拠によれば,平成6年12月31日の時点では,クシティガルバ棟にはVXについては同年11月30日ころ生成されたVX溶液入りのねじ口瓶と同年12月25日ころ分留生成された四十数gの純粋VX入りねじ口瓶の両方があったか,純粋VX入りねじ口瓶があったかのいずれかであるところ,中川は,同日,土谷のいるクシティガルバ棟に赴き,土谷又は森脇佳子に対し,VXをくれということが分かるような言い方で神通力をくれなどと言って,渡された瓶の中に入っている液体から若干量を注射器に吸引するなどし,それが永岡VX事件に使用されたことが認められる。そして,土谷も森脇もいずれもVX溶液及び純粋VXの両方の生成にかかわったものであることからすると,中川からVXをくれということが分かるように言われて同人に渡した物は,渡した者が土谷であろうと森脇であろうと,VX溶液入りねじ口瓶か純粋VX入りねじ口瓶のいずれかであり,いずれにしても少なくとも殺傷能力を有するVXを含有するものであったことは明らかである。

 

 (3) 水野VX事件において水野に掛けられた液体について検討すると,@水野は,山形に液体を掛けられた後,短時間のうちに急激に種々の症状が生じ,直ちに適切な処置がとられていなかったならば死亡していた可能性のある重篤な状態に至ったこと,Aそのような症状は,VX中毒によるものと考えると非常によく説明し得ること,Bその液体は,土谷が,VX塩酸塩ではなくVXを造れと指示されて,前記の3工程から構成されるVXの生成方法に基づきVXを造ろうとして生成したVX溶液であり,永岡VX事件に使用されたものと同じものか,少なくとも,永岡VX事件に使用されたものと同じ工程(分留前)で生成されたものであること,C水野にVXを掛けろという被告人の指示に基づき,中川や遠藤が用意して山形が水野に掛けたものであることなど証拠によって認められる事実関係等を併せ考えると,山形が水野に掛けた液体は,殺傷能力を有するVXを含有する溶液であることは明らかである。

 

 (4) M口VX事件においてM口に掛けられた液体について検討すると,@山形に液体を掛けられた後M口に現れた種々の症状は,その症状がVX中毒によるものと考えると非常によく説明し得ること,AM口の血清から生体内におけるVXの解毒的代謝産物である2−(ジイソプロピルアミノ)エチルメチルサルファイド及びメチルホスホン酸モノエチルの二つの化合物が検出されたこと,Bその液体は,土谷が前記の3工程から構成されるVXの生成方法に基づきVXを造ろうとして生成した物質であるVX溶液である可能性が極めて高いこと,Cその液体は,M口にVXを掛けろという被告人の指示に基づき,中川が用意して山形がM口に掛けたものであることなど証拠によって認められる事実関係等を併せ考えると,山形がM口に掛けた液体は,殺傷能力を有するVXを含有する溶液であることは明らかである。

 (5) なお,弁護人は,生体資料や着衣からVXの関連物質が検出された旨の鑑定判断や死亡被害者の死因,負傷被害者の傷害の状況等に関する医師の判断の正確性ないし信用性等について疑問がある旨主張するが,証拠を子細に検討しても,これらの判断の過程又は結果に格別疑問を差し挟むような事情があるとは認められない。永岡の血清中からフェニトロチオンが検出された旨の有機リン系農薬検査成績についても,関係証拠を総合すれば,鑑定作業の過程で鑑定資料中にフェニトロチオンが混入汚染し,それゆえに,元々鑑定資料中にフェニトロチオンが含有されないにもかかわらずこれが検出されるに至ったものと認められる。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2(1) 弁護人は,被告人は,教団で生成したVXに殺傷能力があることを認識しておらず,井上や新實ら弟子たちに対し,水野,M口及び永岡を殺害する旨を指示してはいないと主張する。

 

 (2) しかしながら,井上,新實及び山形は,被告人が井上及び新實らに対し,水野,M口及び永岡にVXを掛けて同人らを殺害する旨を指示したことについて前記各犯行に至る経緯の事実に沿う証言をし,あるいは,これを裏付ける犯行前後の被告人の言動について証言している。

 そこで,井上,新實及び山形の各証言の信用性について検討すると,まず,これらの各証言は,いずれも,被告人から指示を受けた状況や,事件実行後に被告人に報告した状況等につき,具体的かつ詳細に述べられたものであり,出来事の核心部分についてよく合致し,相互にその信用性を補強し合っている。特に,被告人に対する帰依心を失ってはいない一方で井上をかばうのをやめて同人の事件への関与や役割を明らかにしようという気持ちで証言に臨んでいる新實と,かつてのグルである被告人に対する気持ちの整理をした上で被告人の事件への関与を明らかにしようという思いで証言している井上と,被告人に対し井上に責任を被せるようなまねは余りにもひきょうでありやめてもらいたいなどと呼び掛ける山形の三者が,被告人の指示等について一致した供述をしていることはより一層その三者の証言の信用性を高めているといえる。さらに,井上,新實及び山形の各証言は,その述べられている一連のVX事件の事実経過それ自体に不自然さがないのみならず,教団の武装化の一環として信徒の拡大と出家者の大量獲得をもくろんでいた被告人が,教団信者の出家阻止・脱会に向けて行動している滝本弁護士,水野及び永岡並びに教団の分派活動にかかわっている公安のスパイと誤信したM口らをこれ以上放ってはおけないと考え,同人らを相手としてとるであろう行動について述べたものとして,極めて自然である。むしろ,平成6年11月には教団施設に強制捜査が入るとのうわさがあり,平成7年1月1日には,新聞に,上九一色村からサリンの残留物が検出され警察が松本サリン事件との関連を捜査している旨の記事が掲載されたという状況の中で,教団信者の出家阻止・脱会に向けて行動し,あるいは,教団に批判的な立場にある者に対する暗殺事件を次から次へと企てることは,弟子の立場からすれば,これらの事件が教団による犯行であると疑われ,ひいては教団施設が強制捜査を受けるに至るおそれがあって教団の存続に重大な影響を及ぼすものではないかと容易に思い及ぶ事柄であって,教団の代表者であり,教団幹部らのグルでもある被告人に何の断りもなく,弟子である教団幹部らが独断でこれを決定し実行することは合理性を欠き,考え難いというべきであり,その点からも,被告人の指示,関与等を認めている井上,新實及び山形の各証言の信用性は高いというべきである。

 

 これらの証言によれば,被告人が,井上及び新實らに対し,水野,M口及び永岡にVXを掛けて同人らを殺害する旨を指示したことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

]U 假谷事件

[第1(逮捕監禁致死)の犯行に至る経緯]

 1 假谷清志は,平成7年2月当時,東京都江東区内の自宅に居住し,東京都品川区の目黒公証役場に事務長として勤めていた。假谷の実妹であるN女は,昭和62年,夫から公証役場が1階にある建物及びその敷地等を相続し,その2階に居住していた。

 

 2 N女は,平成5年10月ころ,ヨーガ教室で知り合った教団信者のヨーガ指導者に誘われ,健康のためにヨーガ修行をすることとし,教団の在家信徒となり,東京総本部道場に通うようになった。N女は,東信徒庁長官の飯田エリ子らから布施を勧められ,平成7年1月20日ころまでに教団に合計約6000万円の布施をし,そのうち4000万円は同月20日ころ直接被告人に手渡し,その際,被告人から,早く出家するよう言われた。飯田や加賀原宏太朗は,被告人の意を受け,N女を出家させてN女方土地建物を含む資産すべてを布施として教団に拠出させるため,N女に対し執ように出家を勧め,薬物を使用したイニシエーションを施すなどして,出家することを同年2月中旬ころ承諾させ,その後は,N女を出家前の信者として東京総本部道場に寝泊まりさせ,信徒対応の上手な中村昇にN女と面談させるなどして全財産を教団に拠出するよう働き掛けた。N女は,假谷やその家族らに譲るつもりであったN女方土地建物を含めすべての財産を教団に取り上げられてしまうことを危惧するなどしていたところ,同月24日,友人を入信させるために強羅に行くと言い置いて東京総本部道場を出,教団に連絡することなくその日は知人方に,25日と26日は假谷方に,27日は別の知人方に泊まり,その間假谷や知人らと話合いをするなどして悩んだ末,後記のとおり,同月28日午後5時ころ,東京総本部道場に電話し,教団に出家するのをやめる旨加賀原に伝えた。

 

 3 加賀原は,同月26日,N女が2日間も東京総本部道場に戻らず連絡もないため,中村昇や飯田にそのことを報告した。中村昇及び飯田は,N女から従前N女方土地建物を実兄ら親族に譲渡する約束があると聞いていたことから,N女の親族がN女方土地建物を布施されるのを阻止するためにN女を拉致した可能性があると考え,CHS大臣の井上にN女を捜す手伝いを頼んで井上の配下の松本剛や平田悟をよこしてもらい,同日から翌27日にかけての深夜,公証役場の様子を見にいくなどしたがN女の所在を突き止めることができず,被告人に電話でその旨連絡した。

 

 中村昇,飯田及び加賀原らは,同月27日昼ころ,公証役場の付近まで車で行き,加賀原が,様子を探るために公証役場に行った。加賀原は,公証役場から戻ってきて,中村昇や飯田に「N女さんはいますかと聞くと,N女の兄と名乗る人が出てきて『ここにはN女はいません。随分前から帰っていない。何の用ですか。』と言って,不審がるような感じで話をしてきた。その人の態度は不自然だった。」などと報告した。中村昇と飯田は,それを聞いて,假谷がN女の居場所を知っている可能性が高いと考え,假谷を見張っていたところ,假谷がボディガードらしい男性と公証役場から出てきたのを見て,これを尾行したが見失った。

 中村昇と飯田は,その後合流した井上にそれまでの事情を説明した上,假谷の様子から,假谷がN女を監禁している可能性が高いなどと訴え,假谷からN女の居場所を聞き出すためにどうしたらいいかなど今後の対応について協議した。井上は,公証役場を案内された後,中村昇を車で東京総本部道場に送ったが,遅くともそれまでに,中村昇は,井上との間で,假谷をらちしてN女の居場所を聞き出すしかないのではないかという話をした。

 

 4(1) 被告人は,同月27日から翌28日にかけての深夜,第2サティアン3階の第2瞑想室において,村井,新實,井上,中村昇,飯田や各支部の支部長ら数十名を集めて信徒対応責任者会議を開いた。飯田と中村昇は,その会議が終了した直後,被告人にN女の居場所は分からなかったと伝え,假谷を尾行した状況やその際の假谷の不審な行動,すなわち,加賀原が公証役場に行った際N女の兄と名乗る假谷が出てきて愛子はいないと言って不自然な態度であったこと,その後假谷は銀行や喫茶店に立ち寄ったが喫茶店では何も注文をせず電話をしただけで店から出るなど不自然な行動をとっていたこと,假谷は公証役場から帰る際女性とボディガードらしい暴力団員風の男性を連れていたこと,假谷がN女を監禁している可能性があることなどについて説明した後,N女の居場所を聞き出すため假谷をらちして聞き出す方法もあると思う旨報告した。被告人は,N女が出家して多額の布施をすることになっていたのに同女がいなくなりそれが難しくなったことから怒り,飯田に,「おまえがたるんでいるからこんなことになるんじゃないか。東信徒庁の活動も落ちているじゃないか。」と言って叱責し,さらに「そんなに悪業を積んでいるんだったらポアするしかないんじゃないか。」などと言って飯田らの言う假谷のらちだけでは済まされず,同人を殺害しなければならないほどの重大な問題であることを指摘した。被告人は,その際村井から耳打ちされるなどして,これまで違法行為に関与したことのない信者も周りにいたことに気づき,「ポア」という言葉を撤回する趣旨で「じゃ,おまえたちの言うようにらちするしかないんじゃないか。」と言い,さらに「らち」という言葉も適当でないと直ちに思い直して「ほかしておこうか。」などとぼやくように言って部屋を出ていき,関係者だけでN女の件について話を続けるため,隣の「尊師の部屋」と呼ばれている瞑想室に移動し,村井,井上,中村昇及び飯田らも被告人に続いて尊師の部屋に入った。

 

 (2) 被告人は,假谷を拉致し,麻酔薬を投与して半覚せい状態にし潜在意識に働き掛けて会話をする「ナルコ」を假谷に実施してN女の居場所を聞き出そうと考え,尊師の部屋において,井上及び中村昇に対し,假谷をらちしてナルコを実施しN女の居場所を聞き出すように命じた上,更に具体的に,武道の得意な中村昇と井田喜広が中心となって假谷をらちすること,假谷のボディガードに対しては村井の開発したレーザー銃を使って目をくらませることとし,その役は以前レーザー銃を使ったことのある平田信にさせること,そのほかCHSの信者にも手伝わせること,医師資格のある中川が假谷に麻酔薬を注射して眠らせ上九一色村まで連れてくることなどを指示し,井上及び中村昇はこれを承諾した。

 

 5 その後,中村昇は,電話で平田信を呼び,村井や井上を交えてらち計画について話をし,レーザー銃のバッテリーの充電に時間がかかることから,平田信はそれを終えて東京で合流することとした。また,中村昇は,井田が早川の部下で自分で運転のできる中田清秀の運転手をしていることを知り,その旨被告人に報告したところ,被告人は早川を呼び,運転手を中田に付けたことをしかり,井田を早く戻して中村昇に渡すよう指示した。

 井上は,第6サティアン2階で被告人の指示に基づき修行に入っていた中川にらち計画を説明し,東京でらちを実行する際相手を麻酔で眠らせてくれるよう頼んだ。中川はこれを了承し,全身麻酔薬である筋肉注射用のケタラールと静脈注射用のチオペンタールナトリウムのほか,注射器,点滴セット等を用意して東京に向かった。

 

 6 井上,中村昇,中川及び平田信のほか,らち計画について説明を受けたCHSの平田悟,高橋克也及び松本剛は,同月28日午前11時ころ,ワゴン車(デリカ)及び普通乗用自動車(ギャラン)に分乗して公証役場付近に到着し,しばらくして井田も合流し,らち計画について説明を受けた。

 その後,井上は,平田信にレーザー銃を操作させ,通行人にレーザーを照射してレーザー銃の効果を実験したが,目くらましの効果がないことが判明したため,らち計画を練り直すこととし,井上と中村昇が中心となり実行メンバー8名全員で話合いをした結果,假谷が公証役場から出てJR目黒駅に向かって歩いているところを襲うこととし,松本剛がワゴン車で假谷の進路を塞ぎ,中村昇,井田及び高橋克也の3人が後ろから假谷を抱き込むようにしてワゴン車内に押し込み,平田悟がワゴン車内から假谷を引っ張り込み,中川が假谷に麻酔薬を注射して眠らせること,その後,松本剛がそのままワゴン車を,平田信はギャランを運転して現場から逃走し,井上は現場指揮をとることなどのらちの方法と各自の役割分担が決められ,実行メンバー8名は,假谷が公証役場から出てくるのを待った。

 

 7 中村昇は,同日午後4時30分ころ,假谷が公証役場から1人で出てきたのを発見し,井田及び高橋克也と共に,JR目黒駅に歩いて向かう假谷に近づいた。

[罪となるべき事実第1(逮捕監禁致死)]

 被告人は,教団への出家を案じ身を隠した信徒N女の所在を聞き出すため,同人の実兄假谷清志(当時68歳)をらちすることを企て,井上,中川及び中村昇らと共謀の上,平成7年2月28日午後4時30分ころ,東京都品川区の路上において,同所を歩行中の假谷に対し,中村昇がその背後から假谷の身体に抱きついて転倒させ,大声で助けを求める同人の身体を井田及び高橋克也と共に抱えるなどして,同所付近に停車させていたワゴン車(デリカ)の後部座席に假谷を押し込むと同時に,同車内から平田悟が假谷の身体を引っ張り込むなどして假谷を逮捕した上,直ちに松本剛が同車を発進させて,假谷を自らの支配下に置き,同車内において,中川が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態に陥らせ,その後飯田から電話で,N女から出家を取りやめるとの連絡が入った旨知らされたものの,N女の居場所が分からないままであったし,被告人から新たな指示がない限り自分たちの判断で勝手に假谷を解放することもできなかったことから,井上らにおいて,假谷を上九一色村の教団施設に連れていきN女の居場所を聞き出すしかないと考えた上このまま計画を続行することとし,さらに,同日午後8時ころ,東京都世田谷区の芦花公園付近路上において,意識喪失状態のままの假谷の身体を中村昇らが別の普通乗用自動車(マークU)に移し替えた上,高橋克也が同車を運転し中川及び平田悟がこれに乗車して假谷を上九一色村の教団施設まで運ぶこととし,同車内において,中川が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させながら,同日午後10時ころ,山梨県西八代郡上九一色村の第2サティアンに同人を連れ込み,そのころから同年3月1日午前11時ころまでの間,同サティアン1階の瞑想室において,中川及び林郁夫が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させるなどして假谷を同所から脱出不能な状態に置き,もって,同人を不法に逮捕監禁し,同日午前11時ころ,同所において,大量投与した全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制,循環抑制等による心不全により同人を死亡させた。

[第2(死体損壊)の犯行に至る経緯]

 1 中川は,上記監禁中である同年2月28日午後10時ころ,第2サティアンに着いた後,第6サティアン3階に行き,林郁夫に対し,「尊師が『クリシュナナンダに手伝ってもらえ。』と言われたので,一緒にやってください。」と言ってナルコに協力するよう依頼した。林郁夫は,第2サティアンに行き,中川及び平田悟から假谷が同所に連れてこられた事情や状況,それまでの全身麻酔薬の投与状況等について説明を受けた後,医療器具等を用意し,同サティアン1階瞑想室で,假谷を診察した上,点滴を始めるなどしてその呼吸・循環等の管理に当たった。

 

 2 林郁夫は,同年3月1日午前3時ころ,井上から,N女の居場所を聞き出すよう言われて中川と共に1階瞑想室で假谷にナルコを実施し,次いで井上自らも加わり再度假谷にナルコを実施したが,N女の居場所を聞き出すことができなかった。井上と中村昇は,今後の假谷の処置について被告人の指示を仰ぐため,被告人のいる東京に向かったが,上九一色村に戻る被告人と行き違いになり,会えなかった。

 

 3 村井は,同日午前4時ころ,第2サティアンにきて,中川らから,假谷にナルコを実施した結果N女の居場所を聞き出すことができなかったことや,頭部に電気刺激を与えて記憶を消すニューナルコでは,教団に拉致されたという假谷の記憶を消すことができないことなどを聞いて,「そうか,帰せないかな。塩化カリウムでも打つか。」などと假谷を殺害する趣旨のことをほのめかし,さらに被告人は昼近くまで帰ってこないなどと言って帰っていった。

 

 4 その後,村井は,被告人に,中川らから聞いた話を報告し,今後の假谷の処置について指示を仰いだところ,被告人から,口封じのために假

谷を殺害して従前と同様に証拠隠滅のためにその死体をマイクロ波焼却装置で焼却し,假谷の殺害に当たっては井田に假谷の首を絞めさせるという旨の指示を受けた。

 

 5 中川は,同日午前9時30分ころ,それまで假谷を意識喪失状態で管理していた林郁夫からその引き継ぎを受け,以後,第2サティアンの1階瞑想室で,假谷の意識喪失状態を保持したままその管理を続けた。

 

 その後,村井は,同日午前10時ころ,第2サティアンを訪れ,中川に,「やっぱりポア。井田に首を絞めさせろ。井田にポアさせることによって徳を積ませる。井田を今後ヴァジラヤーナで使うから。」などと言い,自分の言ったとおり假谷を殺害することになったという趣旨の発言をした上,塩化カリウムの注射ではなく,首を絞めることによって假谷を殺害し,しかも,井田を今後教団の違法行為に関与させるために,実行役を井田にさせる旨の指示をした。そこで,中川は,まだ都内にいた井上に電話をし,井田を連れてくるように頼んだ。

 中川は,その後も,假谷の様子をみていたが,部屋の外にいた平田悟に被告人からの指示内容を伝えるために1階瞑想室から出て假谷から目を離した同日午前11時ころ,前記のとおり,假谷は死亡した。

 井上及び中村昇は,中川からの依頼を受けて,そのころ,都内のファミリーレストランの駐車場で井田を乗せて上九一色村の教団施設に向かい,同日昼過ぎころ,第2サティアンに到着し,その際,中川から,假谷が死亡したことや被告人からの指示内容について聞いた。

 中川らは,被告人の指示に従い,井田に假谷の死亡を知らせないまま,既に死亡していた假谷の首を絞めさせた。その後,中川や中村昇らは,假谷の死体を焼却するためにこれをマイクロ波焼却装置のある第2サティアン地下室に移動した。

 

 6 その後,後記のとおり,假谷の死体がマイクロ波焼却装置のドラム缶の中に入れられ,その焼却が開始された後,井上,中川及び中村昇は,2,3日間を要する死体焼却の監視にだれが立ち会うかについて被告人に指示を仰ぐため,同日夕方ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。すると,被告人は,それまでに飯田から「假谷さんが車で連れ去られたことで,大崎警察署からあなたがたは知らないかという電話が入りました。」などと報告を受けており,レーザー銃をうまく使わなかったために通行人に現場を目撃され警察に通報されてしまったと思い込んでいたことから,井上ら3人に対し,「なぜ,無理してやったんだ。警察が動いてるじゃないか。レーザーを使わなかったんだろう。」と叱責し,これに対し,井上が,「レーザーは実験しましたが,使えませんでした。」などと弁明した。その後,中川が,被告人に,假谷の死体の焼却にはだれが立ち会えばいいか尋ねると,被告人は,「おまえたちでやるしかないんじゃないか。」と言って,假谷のらちを実行した者で責任を持って遺体を処理するように指示した。

 

 7 そこで,井上や中川らは,中村昇,中川,井田及び高橋克也の4人が交替で假谷の死体の焼却作業の監視に当たることにした。

[罪となるべき事実第2(死体損壊)]

 被告人は,井上,中川及び中村昇らと共謀の上,同年3月1日ころから同月4日ころまでの間,第2サティアン地下室において,假谷の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊した。

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,假谷の死因は不明で特定することができず,少なくともチオペンタールナトリウムの過剰投与が原因でないことを明らかであるから,逮捕監禁行為と假谷の死亡との間に因果関係は認められないと主張する。

 

 (2) しかしながら,証拠によって認められる中川や林郁夫が假谷に全身麻酔薬を投与しその管理をした状況に係る事実関係や昭和大学医学部麻酔学教室の増田豊助教授及び林郁夫の各証言に係るその知見内容を総合すると,(ア) 一般的に,全身麻酔薬であるチオペンタールナトリウムを投与する場合には,被投与者がその副作用である呼吸抑制及び循環抑制による危険な状態に陥るのを予防するために,揺り動かせば応答する程度の不完全な覚せい状態までのみならず,完全に覚せいするまで被投与者の状態を管理し,完全に覚せいするまでのいつでも起こり得る呼吸抑制及び循環抑制の副作用に対し適切な処置をとらないと被投与者を死亡させる可能性があること,(イ) チオペンタールナトリウムの投与許容量は,一機会にせいぜい2gであるから,假谷に対するチオペンタールナトリウムの投与(約2.8gないし約3.4g)は過剰投与であり,假谷に対し,その副作用である呼吸抑制及び循環抑制に対する適切な処置をしなければ,危険な状態を招くおそれがあったこと,(ウ) 假谷は,平成7年3月1日午前11時ころの時点において,意識喪失状態にあり,麻酔状態が遷延し,呼吸抑制及び循環抑制の状態にあったこと,(エ) それゆえに,假谷は,@呼吸中枢が抑制されて呼吸が停止した,Aエアウェイの装着が不完全であり,舌根沈下により気道が閉塞した,B合わないエアウェイの装着を契機として,呼吸抑制に起因する喉頭けいれんを誘発し,声帯が閉塞し呼吸ができない状態になった,C循環中枢が抑制され心停止に至った,D循環抑制により心筋そのものに抑制作用が働くなどして心停止に至った,E循環抑制が呼吸抑制を引き起こし呼吸が停止した,以上の@ないしEの機序のいずれか又はその複合により心不全に陥り死亡したことが認められる。

 したがって,假谷が死に至った具体的な過程は必ずしも特定することはできないものの,いずれにしても,假谷は,大量の全身麻酔薬を投与され呼吸抑制及び循環抑制の状態に陥り,それが原因で心不全により死亡したと認められるから,假谷を監禁するための手段である全身麻酔薬の投与と假谷の死亡との間に因果関係があることは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2(1) 弁護人は,被告人は,井上らに対し,假谷のらちやその死体の焼却を指示したことはないと主張する。

 

 (2) そこで判断すると,井上は,被告人が假谷をらちしナルコを実施してN女の居場所を聞き出すように井上らに指示した際の状況やだれがその死体焼却に立ち会うかについて井上らが被告人の指示を仰いだ際の状況について,前記第1の犯行に至る経緯4及び第2の犯行に至る経緯6の各事実に沿う証言をし,中村昇は,捜査段階において検察官に対し,文脈から被告人を指すことが明らかな「最高幹部」という言葉を使い,「最高幹部」から假谷のらち等や死体焼却に関して指示があった旨の供述をし,中川は,前記第2の犯行に至る経緯6の事実に沿う証言をしている。

 (3) 井上証言は,被告人が假谷のらちやその死体の焼却に関して指示したことについて,中村昇供述や中川証言とよく合致し,相互にその信用性を補強している上,そこで述べられている内容についてみても,これまで違法行為に関与したことのない教団信者のいるところで「ポア」という言葉を使ったことについて弟子から注意されて「らち」と言い換え,さらに「ほかしておこうか。」とぼやくに至ったくだりは,被告人がN女を放っておこうという趣旨のことを言いながらその直後別室でN女の実兄をらちしてN女の居場所を聞き出すよう指示した経緯をよく説明し得ているし,假谷らちの現場を目撃され警察が動き出している旨の報告を既に受けていた被告人が,レーザー銃の使用に関して井上と交わした一連の会話の内容も相応の具体性と現実性を有するなど,その前後における事態の推移ともよく符合し自然で合理的である。また,教団においては,平成7年1月1日以来,教団施設に対する強制捜査は相当の関心事となっていたものであり,出家を約束した資産家の教団信者が教団から布施を強要されるあまり所在不明となっていた状況で,その信者の実兄をらちした場合,同人がその前日にはボディガードらしき人物を付けるなど教団の違法行為に対して警戒をしていたふしがあることなどを併せ考慮すると,まずもって警察から疑われるのは教団であり,ひいては,教団施設が強制捜査を受けることにもなりかねず,このような教団の存続にも影響を及ぼしかねない行為を,弟子たちが教団の代表者であり弟子たちのグルでもある被告人に無断で計画し実行するとは到底考え難い。さらに,井上は,かつてのグルである被告人に対する気持ちの整理をした上で被告人の事件への関与を明らかにしようという思いで被告人の面前で証言し,しかも,被告人に対する信仰心に特に変化はないと公判で明言する中村昇が,捜査段階において,最高幹部という言葉を用いながらではあるが被告人から假谷の拉致やその死体の焼却に関して指示があったことについて井上証言と合致する供述をしていることに照らすと,井上が,自己の刑事責任を軽減するために無実の被告人を引き込もうとして被告人に不利益なうその供述をしたとは認められない。

 

 これらの点に照らすと,井上証言,中村昇供述及び中川証言の信用性は高く,これらの証言や供述をはじめ関係証拠を総合すれば,被告人が井上らに対し,假谷のらち等やその死体焼却の指示をしたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

]V 地下鉄サリン事件

[犯行に至る経緯]

 1(1) 平成7年1月1日,読売新聞朝刊に,上九一色村で平成6年7月に悪臭騒ぎがあった際に現場から採取された土壌からサリンの残留物が検出され,警察当局が松本サリン事件との関連などの解明に当たることになった旨の記事が掲載された。被告人は,教団施設に対する捜索が近々行われるのではないかと考え,村井らに,サリンプラントを停止して神殿化などの偽装工作をし,保管中のサリンやその中間生成物等を処分又は隠匿するよう指示した。

 

 (2) 中川は,クシティガルバ棟において,残っていた青色サリン溶液等の中和処理作業をしていた土谷がサリン中毒になったため,これを引き継ぎ中和処理作業を進めたが,処理すべき化学物質のうちサリン生成の前段階の物質であるジフロについて,これを造るには手間がかかり,サリンプラントも使用できない状態になるとサリンを造ることができなくなることを慮り,ジフロ入り容器を持ち出して教団施設内に隠匿保管し,村井や井上にジフロないしサリンの原料を隠していることを話した。

 

 2(1) 被告人は,間近と思われた強制捜査が平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の影響により立ち消えになったものと考えていたが,井上らに実行させた假谷らち事件がその事件直後から教団による犯行と疑われるに至り,警視庁による強制捜査の可能性がにわかに現実味を帯びてきたことから,これを避けるため,警視庁に近い帝都高速度交通営団地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそうと企て,井上らに指示して,同年3月15日に同駅にアタッシュケース型噴霧装置を置いてボツリヌストキシン様の液体を噴霧させたが,人を殺傷させることができず,その計画は失敗に終わった。

 

 (2) 同年3月16日には,読売新聞に,假谷事件に使われたワゴン車の車体から事件関係者のものとみられる指紋が検出された旨の記事が掲載されたため,被告人や村井,井上ら教団幹部は,捜査の進展に危機感を抱き,教団施設に対する大規模な強制捜査に備え,自動小銃の部品等を隠したり,假谷事件にかかわった信者に対し,その記憶を消去するためにニューナルコを実施したりするなどした。

 

 3(1) 被告人は,同月18日午前零時過ぎころから,都内にある教団経営の飲食店において,新たに正悟師に昇格した井上や某男出家者ら教団幹部ら約20名を集めて祝いの食事会を開いた。被告人は,その際,井上や青山らに対し,「エックス・デーが来るみたいだぞ。」「なあ,アパーヤージャハ(青山),さっきマスコミの動きが波野村の強制捜査のときと一緒だって言ったよな。」などと間近に迫ったと思われる警視庁による教団施設に対する強制捜査を話題にしていたが,同日午前2時過ぎに食事会を終え,上九一色村の教団施設への帰途その強制捜査への対応について検討しようと考え,村井,青山,井上,遠藤及び某男出家者に対し,被告人専用のリムジンに乗るよう指示した。

 

 (2) 上九一色村に向かうリムジン車内において,被告人が,村井らに,間近に迫っている強制捜査にどのように対応すればいいかについて意見を求めると,村井が,阪神大震災が起きたから強制捜査が来なかったと以前被告人が話していたことに言及し,これに相当するほどの事件を引き起こす必要があることを示唆するとともに,アタッシュケース事件が失敗した原因は,噴霧口が目立たないようにメッシュを付けたために噴霧されたボツリヌストキシンがこれに当たって噴霧されなかったことにあるのではないかなどと言った。被告人が,井上に何かないのかと聞いたところ,井上は,ボツリヌス菌ではなくてサリンであれば失敗しなかったということなんでしょうかという趣旨の意見を述べ,村井もこれに呼応して地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないかと発言し,地下鉄電車内にサリンを散布することを提案した。被告人は,首都の地下を走る密閉空間である電車内にサリンを散布するという無差別テロを実行すれば阪神大震災に匹敵する大惨事となり,間近に迫った教団に対する強制捜査もなくなるであろうと考え「それはパニックになるかもしれないなあ。」と言ってその提案を容れ,村井に,総指揮を執るよう命じた。

 

 続いて,村井が,被告人に,地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として,近く正悟師になる林泰男,廣瀬,横山真人及び豊田を使うことを提案すると,被告人は,これを了承するとともに林郁夫も実行役に加えるよう指示した。

 さらに,地下鉄電車内に散布するサリンを生成することができるか否かについても話がされ,被告人が,遠藤に対し,「サリン造れるか。」と聞くと,遠藤は「条件が整えば造れると思います。」と答え,サリンの生成に携わることを承諾した。

 

 (3) リムジン車内では,そのほかに,地下鉄電車内におけるサリンの散布が教団によるものであることが発覚するのを防ぐために,教団が,敵対勢力に攻撃されたように見せ掛けてテロの被害者を装い,世間の同情を買うことなどについても話合いがされ,その自作自演の具体案として,青山が,教団に好意的な学者の自宅に爆弾を仕掛けることを,井上が,より直截に教団東京総本部道場を爆破することをそれぞれ提案したところ,被告人は,その双方を採用し,学者の自宅に爆弾を仕掛け,東京総本部道場には火炎瓶を投げるよう指示した。

 

 (4) また,被告人は,リムジン車内で,井上に対しても,東京における現場指揮を命じ,このようにして,被告人は,東京の地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りく計画について,村井には総指揮を,遠藤にはサリンの生成を,井上には現場指揮をそれぞれ指示してその了承を得,同人ら3名との間でその共謀を遂げた。

 

 4 被告人らは,同月18日午前4時ころ,上九一色村の教団施設に到着した。

 村井は,同日午前8時か9時ころ,第6サティアン3階の村井の部屋に呼び集めた林泰男,林郁夫,廣瀬及び横山に「君たちにやってもらいたいことがある。」と言って被告人からの指示であることを仕草で示しながら「近く強制捜査がある。騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく。」と言うと,4名共それが被告人の指示によるものと認識した上その実行役となることを承諾した。

 

 村井は,引き続き,「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は,公安警察,検察,裁判所に勤務する者であり,これらの者は霞ヶ関駅で降りる。実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば,密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう。」と言い,さらに,林泰男らに対し,サリン散布の方法について,被告人の案であると断った上で,ジュース等の容器にサリンを入れてふたをし,散布するときにふたを開けて転がしてサリンを流出させるという方法を挙げ,他にいい考えがあれば考えておくように言った。また,村井は,実行役はかつらで変装する旨の被告人の指示や,実行役一人当たりのサリン散布量が約200?であること,豊田も実行役の一員であり,井上もこの計画に加わることなどを伝え,林泰男に対し井上との連絡役を務めるよう指示した。

 

 5 同月18日夕方ころ,第6サティアン3階の村井の部屋で,村井並びに集まった廣瀬,横山,井上及び林泰男が,営団地下鉄千代田線,丸ノ内線,日比谷線の各霞ヶ関駅について駅付近の略図,各駅からの所要時間,出口に近い車両等を示した図等が記載されている井上の持参した「地下鉄最新ガイドマップ」等を見ながら,サリンを散布する地下鉄の路線や散布する時刻等について検討した結果,日比谷線,丸ノ内線及び千代田線の3路線5方面の電車内で,同月20日の乗客の多い時間帯である午前8時に一斉にサリンを散布することなどが決定された。

 その際,井上は,村井らに対し,実行役らが都内で集まる場所としてCHSの部屋を提供する旨申し出たほか,実行役の乗車駅までの搬送及び降車駅からの逃走のために自動車5台及び運転手5人が必要であることを説明し,村井も納得してその件は被告人に聞いてみる旨述べた。

 

 6(1) ところで,村井は,リムジン謀議後,第6サティアン2階の中川の部屋に行き,中川に対し,「できるだけ早くサリンを造ってくれ。造れるだけ造ってくれ。地下鉄でサリンを使うんだ。」などと言って,中川の隠匿しているジフロを使って遠藤らと共にサリンを生成するよう指示していたが,中川は,同月18日夕方までに,隠匿していたジフロをジーヴァカ棟に持参し,遠藤に渡した。遠藤は,青色サリン溶液をはじめこれまで教団で造ったサリンは最終工程においてジフロとジクロにイソプロピルアルコールを反応させて生成していたが今回はジクロがないことからジクロを使わないでジフロからサリンを生成せざるを得ず,そのためにはジフロにイソプロピルアルコールを加えればよいとされているものの,具体的な生成方法をも含めて検討する必要があると考え,土谷に対し,ジフロからサリンを生成する方法について尋ねるとともに,中川から渡されたジフロが本当にジフロであるかどうかについて分析を依頼した。

 

 (2) 遠藤は,同日午後11時ころ,村井に連れられて第6サティアン1階の被告人の部屋を訪れた。その際,被告人は,遠藤に対し,「ジーヴァカ,サリン造れよ。」などと言い,責任をもってサリンの生成に取り組むよう念を押した。

 

 (3) 遠藤は,中川を呼び出し,土谷から教わった生成方法に基づき,さらに具体的に議論を交わし,土谷に相談するなどした上で,ヘキサンを溶媒として,NNジエチルアニリンを反応促進剤としてそれぞれ使いジフロにイソプロピルアルコールを滴下するという方法でサリンを生成することを決め,土谷に,ジフロからサリンを生成するために必要な薬品等の量に関する物質収支メモを作成するよう依頼した。

 

 7 前日の夜責任をもってサリン生成に取り組むよう念を押された遠藤は,同月19日正午前ころ,村井に連れられて第6サティアン1階の被告人の部屋を訪れた際,被告人から,「まだ,やっていないんだろう。」と言われて早くサリンの生成に着手するよう暗に指示され,部屋を出た後,村井からも「早くやってくれ。今日中にやってくれ。」などと督促された。

 

 8 一方,村井及び井上は,同日午後1時過ぎころ,被告人に運転手役の人選や実行役との組合せ等について指示を仰ぐため,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。被告人は,サリンの生成など犯行の準備が進んでいないことにいら立ち,村井及び井上に対し,同人らの覚悟を確かめるため,「おまえら,やる気ないみたいだから,今回はやめにしようか。」と言い,同人らが黙っていると,被告人は,さらに「アーナンダ(井上),どうだ。」と聞いた。これに対し,井上は,「尊師の指示に従います。」と答え,村井も「サンジャヤ師(廣瀬)たちもやる気満々で,みんな下見に出掛けています。」などと答え,計画を実行する意思の強いことを示したので,被告人は,「じゃ,おまえたちに任せる。」と言った。

 その後,村井が,被告人に対し,実行役の搬送及び逃走用の車の運転手役等について指示を仰いだところ,被告人は,新實,杉本,外ア,北村及び高橋克也を運転手役として人選した上,林郁夫と新實,林泰男と杉本,横山と外ア,廣瀬と北村,豊田と高橋克也をそれぞれ組み合わせて実行するよう指示した。

 

 9 井上は,同日午後7時ころ今川の家に到着し,待機していた林泰男らに対し,被告人の指示により運転手役が新實,杉本,外ア,北村及び高橋克也の5名に決まったことなどを告げ,実行役及び運転手役に対しCHSの東京における拠点である東京都渋谷区内の渋谷ホームズに移動するよう指示した。

 その後,井上は,リムジン謀議に基づき,同日午後7時25分ころ,配下の信者らと共に,前記2件の自作自演事件を実行し,各現場に教団を誹謗する犯行声明文を置き,教団の敵対勢力による教団を対象としたテロであるように装った。

 

10      村井や井上の指示を受けた実行役の林泰男,豊田,廣瀬,横山及び林郁夫並びに運転手役の杉本,高橋克也,北村,外崎及び新實に井

上を加えた合計11名は,同日午後9時過ぎころまでに,渋谷ホームズに集結した。

 

 井上は,同日午後10時ころまでの間に,同所において,実行役及び運転手役計10名に対し,散布するサリンの量が実行役1人につき2つ?になったことを伝えたほか,日比谷線中目黒方面行きは林泰男と杉本,同線北千住方面行きは豊田と高橋,丸ノ内線荻窪方面行きは廣瀬と北村,同線池袋方面行きは横山と外ア,千代田線代々木上原方面行きは林郁夫と新實がそれぞれ担当すること,サリン散布後降車する駅については,林泰男が秋葉原駅,豊田が恵比寿駅,廣瀬が御茶ノ水駅,横山が四ッ谷駅,林郁夫が新御茶ノ水駅であること,サリンを散布する時刻はいずれの路線も同月20日午前8時とし,降車駅で降車する直前に電車内でサリンを散布すること,実行役は降車駅の二つか三つ手前の駅で乗車することとするが,午前8時にサリンを散布してその直後に降車駅で降車できるような電車を選び,しかも,霞ヶ関駅において警視庁への出口に近い車両に乗車することなどを指示した。

 その後,実行役及び運転手役らは,同日午後10時ころ,数台の自動車に分乗して,それぞれの担当する路線の乗降駅に行って下見をし,乗車駅で乗車すべき電車の発車時刻や,サリン散布後の降車駅における待ち合わせ場所等を確認するなどし,渋谷ホームズに戻った。

 

 11(1) 一方,被告人や村井から早くサリンを生成するよう言われた遠藤は,中川らと共に,土谷の作成した物質収支メモ等に基づき,3月19日夕方ころ,強制排気装置が残されているジーヴァカ棟内のドラフトルームで,ジフロ,ヘキサン,NNジエチルアニリンの溶液にイソプロピルアルコールの滴下を始めてサリンの生成を開始し,その溶液を加熱するなどしてこれを反応させ,同日午後8時ころ,ヘキサン,NNジエチルアニリンのほかサリンを約30%含有する約5ないし6?の溶液(サリン混合液)を生成した。サリン混合液は上下2層に分かれたが,土谷がGC/MSにより分析した結果,いずれもサリンを含有することを確認した。

 

 (2) 遠藤は,サリン混合液からサリンだけを分留することを考えたが,土谷から1日くらいかかると言われたことから,被告人の指示を仰ぐため,同日午後10時30分ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行き,被告人に対し,「できたみたいです。ただし,まだ純粋な形ではなく,混合物です。」と報告すると,被告人は,「ジーヴァカ,いいよ,それで。それ以上やらなくていいから。」と,サリンを分留することなくそのまま使って構わない旨答えた。

 

 (3) 被告人は,そのころまでに,サリンの散布方法について,村井と検討した上,サリンを袋詰めにし,これを先のとがった傘で突き刺してサリンを流出し気化させる方法を採用することにし,その意を受けた村井の指示により,中川は,既に約20p四方の四角形の密閉ビニール袋の一角が切り取られ注入口となっている五角形のビニール袋を作っていた。

 

 (4) 遠藤及び中川は,サリンの分留が不要になったことから,村井の指示に基づき,その五角形のビニール袋に,1袋当たりサリン混合液を約500gないし約600gずつ注入した上注入口をシーラーで圧着するなどして,サリン混合液入りのビニール袋(サリン入りビニール袋)を11個作り,さらに,村井の指示を受け,実行時までのサリンの漏出に備え,いずれも新たに作った一回り大きいビニール袋に入れてビニール袋を二重にした後,段ボール箱に入れた。

 

 12(1) 井上は,同月20日午前零時ころ,まだサリンが渋谷ホームズに届けられていなかったことから,サリンを受け取るために上九一色村の教団施設に向かった。

 

 (2) 被告人は,実行役にサリン散布方法について練習をさせておくことが必要であると考え,村井にその旨指示した。村井は,井上に連絡して実行役全員を上九一色村の教団施設に呼び戻させようとしたが,井上となかなか連絡がとれなかったため,林泰男に直接,実行役5名全員で第7サティアンに戻ってくるよう指示した。林泰男ら実行役5名は,同日午前2時ころ,普通乗用自動車2台に分乗して渋谷ホームズを出発して第7サティアンに向かった。

 

 (3) 井上は,同日午前2時ころ,上九一色村の教団施設に到着し,第6サティアン1階の被告人の部屋に行き,被告人に自作自演事件を実行したことを報告した。被告人は,村井から井上が上九一色村の教団施設に向かっていて連絡がとれないことを聞いていたため,井上に対し,「何でおまえは勝手に動くんだ。」と怒った。そのとき,村井が同所にきて被告人に対し,1時間余りで実行役が第7サティアンにやってくることなどを伝えた。

 

 (4) その後,遠藤が前記サリン入りビニール袋11個を入れた段ボール箱を持って同所に来て,被告人に対し,中にサリンが入っていることを説明し,被告人のエネルギーを注入することによってその物の効果を高める儀式である修法を求めてきたことから,被告人は,遠藤にそれを持たせたまま,段ボールの下に手を触れて瞑想をし修法を終えた。

 

 13(1) 林泰男ら実行役5名は,同日午前3時ころ,第7サティアンに到着した。村井は,第7サティアン1階で,実行役5名に対し,先をとがらせた傘の先端でサリン入りビニール袋を突き刺してサリンを流出させ,気化させる方法でサリンを散布することを説明した上,サリン入りビニール袋はビニール袋が二重になっているので,実行前に外側のビニール袋を取り外すこと,傘の先端に付いたサリンは水で洗い流し,傘は持ち帰ることなどを注意した。実行役5名は,水入りビニール袋をビニール傘の先端で突き刺す練習をした。その結果,乗客に不審を抱かれないようサリン入りビニール袋は新聞紙で包み,それを傘の先端で突き刺すことになった。

 

 (2) 続いて,実行役5名は,村井から,サリン入りビニール袋が11個ある旨の説明を受け,林泰男が3個,他の4名の実行役が2個ずつを引き受けることになり,村井から,サリン入りビニール袋11個及び前記ビニール傘5本を受け取った。

 

 (3) 林泰男ら実行役5名は,普通乗用自動車2台に分乗して,同日午前5時ころ,渋谷ホームズに戻った。

 

14      実行役5名は,同日午前6時前後ころ,サリン入りビニール袋及びビニール傘等を用意するなど準備を終えた者から相前後して,それぞれの運転手役と共に,普通乗用自動車5台に分乗し,渋谷ホームズを出発した。

 

 15(1) 林泰男は,杉本の運転する普通乗用自動車で,日比谷線上野駅まで送られ,上野駅か仲御徒町駅から中目黒行き日比谷線A720S電車の第3車両に乗車し,次の秋葉原駅に到着するまでに,新聞紙で包んだサリン入りビニール袋3個を車両床上に落とした。

 

 (2) 豊田は,高橋克也の運転する普通乗用自動車で,日比谷線中目黒駅まで送られ,東武動物公園行き日比谷線B711T電車の第1車両に乗車し,次の恵比寿駅に到着するまでに,新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に置いた。

 

 (3) 廣瀬は,北村の運転する普通乗用自動車で,丸ノ内線四ッ谷駅まで送られ,丸ノ内線,JR線で池袋駅に行き,荻窪行き丸ノ内線A777電車に乗車し,御茶ノ水駅に到着するまでに,その第3車両でサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

 

 (4) 林郁夫は,新實の運転する普通乗用自動車で,千代田線千駄木駅まで送られ同線北千住駅から代々木上原行き千代田線A725K電車の第1車両に乗車し,新御茶ノ水駅に到着するまでに,新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

 

 (5) 横山は,外アの運転する普通乗用自動車で送られ,池袋行き丸ノ内線B701電車に四ッ谷駅手前の駅で乗車し,四ッ谷駅に到着するまでに,その第5車両で,新聞紙に包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に移動させた。

 

 

[罪となるべき事実]

 被告人は,村井,井上,遠藤,土谷,中川,林泰男,豊田,廣瀬,林郁夫,横山,杉本,高橋克也,北村,新實,外アと共謀の上,いずれも東京都千代田区の営団地下鉄霞ヶ関駅に停車する日比谷線,千代田線及び丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客等を殺害しようと企て,

 

第1 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都千代田区の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住始発中目黒行きA720S電車内において,林泰男が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋3個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記秋葉原駅から東京都中央区の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において,後記の表1番号1ないし8記載のとおり,岩田孝子(当時33歳)ほか7人をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前8時2分ころないし同日午前8時30分ころから平成8年6月11日午前10時40分ころまでの間,同区の同線小伝馬町駅構内又はその付近ほか7か所において,同表番号1ないし7記載の岩田孝子ほか6人をサリン中毒により,同表番号8記載の岡田三夫(当時51歳)をサリン中毒に起因する敗血症により,それぞれ死亡させて殺害するとともに,後記の表2−1記載のとおり,某男性(当時35歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった

 

第2 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都渋谷区の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒始発東武動物公園行きB711T電車内において,豊田が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記恵比寿駅から前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内又は東京都港区の同線神谷町駅構内において,表1番号9記載のとおり,渡邉春吉(当時92歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前8時11分ころないし同日午前8時43分ころ,上記神谷町駅構内において,同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2−2記載のとおり,某男性(当時61歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった

 

第3 平成7年3月20日午前7時59分ころ,東京都文京区の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋始発荻窪行きA777電車内において,廣瀬が,サリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記御茶ノ水駅から東京都中野区の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は上記中野坂上駅構内において,表1番号10記載のとおり,中越辰雄(当時54歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同月21日午前6時35分ころ,東京女子医科大学病院において,同人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2−3記載のとおり,某女性(当時31歳)ほか2人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった

 

第4 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都千代田区の千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子始発代々木上原行きA725K電車内において,林郁夫が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記新御茶ノ水駅から同区の同線国会議事堂前駅に至る間の同電車内又は前記の同線霞ヶ関駅構内において,表1番号11及び12記載のとおり,高橋一正(当時50歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどし,よって,同日午前9時23分ころから同月21日午前4時46分ころまでの間,同区所在の日比谷病院ほか1か所において,高橋一正ほか1人をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに,後記の表2−4記載のとおり,某女性(旧姓某,当時25歳)ほか1人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった

 

第5 平成7年3月20日午前8時ころ,東京都新宿区の丸ノ内線四ッ谷駅直前付近を走行中の荻窪始発池袋行きB701電車内において,横山が,新聞紙に包まれたサリン入りビニール袋2個を所携の先端をとがらせた傘で突き刺し,サリンを流出気化させて同電車内等に発散させ,上記四ッ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記の同線霞ヶ関駅に至る間の同電車(A801)内において,後記の表2−5記載のとおり,某男性(当時37歳)ほか3人をしてサリンガスを吸入させるなどしたが,同人らに対し,同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった

ものである。

 

               記

表1                                                                    

被害者氏名(年齢) 岩 田 孝 子 (当時33歳)           

1吸入等の場所     第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内        

死亡日時            平成7年3月20日午前8時2分ころないし同日午前8時30分ころ                       

死亡場所            上記小伝馬町駅構内又はその付近           

                                                                       

被害者氏名(年齢) 和 田 栄 二 (当時29歳)           

2吸入等の場所     第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内       

死亡日時            平成7年3月20日午前10時2分ころ     

死亡場所(東京都)    中央区日本橋兜町所在の中島クリニック     

                                                                        

被害者氏名(年齢) 坂 井 津 那 (当時50歳)           

3吸入等の場所(東京都) 第1記載の電車内又は中央区八丁堀2丁目22番5号所在の営団地下鉄日比谷線八丁堀駅構内 

死亡日時            平成7年3月20日午前10時30分ころ   

死亡場所(東京都)    新宿区所在の慶應義塾大学病院             

                                                                      

被害者氏名(年齢) 小 島   肇 (当時42歳)           

4吸入等の場所     第1記載の電車内又は築地駅構内           

死亡日時            平成7年3月20日午前10時30分ころ   

死亡場所(東京都)    渋谷区所在の東京都立広尾病院             

                                                                        

被害者氏名(年齢) 藤 本 武 男 (当時64歳)           

5吸入等の場所     第1記載の電車内又は築地駅構内           

死亡日時            平成7年3月22日午前7時10分ころ     

死亡場所(東京都)    千代田区所在の駿河台日本大学病院         

                                                                        

被害者氏名(年齢) 田 中 克 明 (当時53歳)           

6吸入等の場所     第1記載の電車内又は小伝馬町駅構内       

死亡日時            平成7年4月1日午後10時52分ころ     

死亡場所(東京都)    千代田区神田和泉町1番地 三井記念病院   

                                                                      

被害者氏名(年齢) 伊 藤   愛 (当時21歳)           

7吸入等の場所     第1記載の電車内又は小伝馬町駅,人形町駅若しくは茅場町駅のいずれかの駅構内           

死亡日時            平成7年4月16日午後2時16分ころ     

死亡場所(東京都)    中央区所在の聖路加国際病院                

                                                                        

被害者氏名(年齢) 岡 田 三 夫 (当時51歳)           

8吸入等の場所     第1記載の電車内又は築地駅構内           

死亡日時            平成8年6月11日午前10時40分ころ   

死亡場所            千葉県松戸市新松戸1丁目380番地    新松戸中央病院

                       

被害者氏名(年齢) 渡 邉 春 吉 (当時92歳)          

9吸入等の場所     第2記載の電車内又は神谷町駅構内         

死亡日時            平成7年3月20日午前8時11分ころないし

                  同日午前8時43分ころ                     

死亡場所           上記神谷町駅構内                         

                                                                         

被害者氏名(年齢) 中 越 辰 雄 (当時54歳)           

10吸入等の場所      第3記載の電車内又は中野坂上駅構内     

死亡日時            平成7年3月21日午前6時35分ころ    

死亡場所            第3記載の東京女子医科大学病院          

                                                                         

被害者氏名(年齢)高 橋 一 正 (当時50歳)           

11吸入等の場所      第4記載の霞ヶ関駅構内                 

死亡日時            平成7年3月20日午前9時23分ころ

死亡場所            第4記載の日比谷病院                    

                                                                         

被害者氏名(年齢) 菱 沼 恒 夫 (当時51歳)           

12吸入等の場所   第4記載の霞ヶ関駅構内                   

死亡日時            平成7年3月21日午前4時46分ころ    

死亡場所            前記駿河台日本大学病院                  

 

 

表2−1                                                                

被害者氏名(年齢) 某  男  性 (当時35歳)          

1吸入等の場所      第1記載の電車内又は築地駅構内        

加療等期間          不 詳                                 

                                                                      

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時51歳)          

2吸入等の場所      第1記載の小伝馬町駅構内              

加療等期間          104日間                             

                                                                        

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時59歳)          

3吸入等の場所      第1記載の電車内                      

加療等期間          103日間                              

 

表2−2                                                                

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時61歳)          

1吸入等の場所     第2記載の電車内                        

加療等期間          58日間                               

                                                                       

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時23歳)          

2吸入等の場所     第2記載の電車内                        

加療等期間          36日間                               

 

表2−3                                                                

被害者氏名(年齢)某  女  性 (当時31歳)          

1吸入等の場所     第3記載の電車内又は中野坂上駅構内      

加療等期間          不 詳                                 

                                                                        

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時53歳)          

2吸入等の場所      第3記載の電車内                       

加療等期間          67日間                                                                                                        

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時60歳)           

3吸入等の場所      第3記載の電車内                       

加療等期間       61日間                                  

 

表2−4                                                                

被害者氏名(年齢) 某  女  性 (旧姓某,当時25歳) 

1吸入等の場所     第4記載の電車内                       

加療等期間         73日間                                

                                                                         

被害者氏名(年齢) 某   女  性  (旧姓某,当時23歳)

2吸入等の場所     第4記載の電車内                         

加療等期間          73日間                                 

 

表2−5                                                                

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時37歳)           

1吸入等の場所     第5記載の電車内                         

加療等期間         60日間                                 

                                                                       

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時51歳)           

2吸入等の場所     第5記載の電車内                          

加療等期間         43日間                                 

                                                                        

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時25歳)           

3吸入等の場所     第5記載の電車内                         

加療等期間         37日間                                  

                                                                      

被害者氏名(年齢)某  男  性 (当時25歳)           

4吸入等の場所     第5記載の電車内                         

加療等期間         37日間                                 

 

 

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]

 1(1) 弁護人は,地下鉄サリン事件において散布された物質がサリンであることについては重大な疑問がある,すなわち,現場遺留品であるビニール袋内等の液体についてサリンを含有するとの鑑定結果があるが,その現場遺留品と鑑定資料との同一性について証明がされていないし,その鑑定方法も鑑定資料からサリンが検出されたと結論づけるには十分なものとはいえないと主張する。

 

 (2) しかしながら,関係証拠によれば,地下鉄サリン事件の実行担当者が地下鉄車両内に持ち込み傘で突き刺したビニール袋の中にあった液体又はそのビニール袋から流れ出た液体について警視庁科学捜査研究所において鑑定がされ,いずれもサリンを含有する又はサリンが検出されたとの鑑定結果が得られた事実を優に認めることができる。そのことは,地下鉄サリン事件の実行に使用されたビニール袋を製作した中川が,鑑定資料の一部であるビニール袋の写真を見て自分が作った袋であると証言していることや,鑑定結果の内容も,サリンの生成にかかわった遠藤,中川及び土谷の認識とも格別異なるものではないことからも明らかであり,したがって,現場遺留物と鑑定資料の同一性が証明されていない旨の弁護人の主張は採用することができない。

 

 (3) 次に,関係証拠(主として鑑定関係の証拠等)によれば,(ア) 警視庁科学捜査研究所において,@全鑑定資料について,GC/MS(EI法)による分析を行い,信頼性の置けるNISTのライブラリーにあるサリンのスペクトルや他のサリンのデータとも照合した上で,サリンと同定したこと,A霞ヶ関駅物件及び本郷3丁目物件について,CI法による分析を行い,サリンの分子量と一致するスペクトルを得たこと,B霞ヶ関駅物件に関し,水素とリン31について核磁気共鳴法(NMR)を実施し,同物件がメチルホスホン酸タイプのリン化合物でリンとフッ素が結合している旨の結果を得たこと,C霞ヶ関駅物件について水酸化カリウム水溶液により加水分解したところ,メチルホスホン酸モノイソプロピルエステルを確認することができ,また,同物件を,エタノールに金属ナトリウムを溶かした物に加えたところ,メチルホスホン酸エチルイソプロピルエステルを確認することができるなど,同物件がサリンであることの裏付けを得たこと,D全鑑定資料について,サリンのほかに,サリンの副生成物であるメチルホスホン酸ジイソプロピルエステル及びジフロからサリンを生成する際に発生するフッ化水素をトラップすると同時に反応促進剤の役割を果たすNNジエチルアニリンを検出したこと,E数個の鑑定資料から,工業用ノルマルヘキサンの成分であるノルマルヘキサン,2−メチルペンタン,3−メチルペンタン及びメチルシクロペンタンを検出したこと,F霞ヶ関駅物件についてNMRにより分析した結果,同物件中にサリンが約35%の割合で含まれている旨の結果を得たこと,(イ) 科学警察研究所においては,GC/MSによる分析がされ,霞ヶ関駅物件中にサリンが約30%含まれている旨の鑑定結果を得たことなどが認められる。

 

 そして,証拠によって認められる上記の鑑定の経過ないし方法に照らすと,鑑定資料である液体にサリンが含有されている,又は,同液体からサリンを検出した旨の鑑定結果は十分に首肯するに足りるものというべきである。さらに,その鑑定結果は,教団において,そのサリンが,ヘキサンを溶媒としNNジエチルアニリンを反応促進剤として使い,ジフロにイソプロピルアルコールを滴下させて生成されたものであること,サリン生成後に,土谷がGC/MSなどにより,生成した液体にサリンが約30%含有されていることを確認したこと,サリンに被ばくした被害者のうち数人の血液中からサリンの第1次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたことともよく整合している。

 したがって,地下鉄サリン事件の実行担当者が地下鉄車両内に流出させた液体はサリンを含有するものであったことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 2(1) 弁護人は,サリンに被ばくしたとされる被害者らが,実際にサリンに被ばくし,その結果サリン中毒により死傷したことの証明がされていない上,地下鉄サリン事件の実行行為が殺人の実行行為とあるといえるためには,大気中のサリンの量が人を殺すに足りる一定濃度以上存在し,あるいは,人が一定時間以上その場に留まっていることが必要であるが,その点の証明がなく,地下鉄サリン事件の実行行為が殺人の実行行為であることには疑問があると主張する。

 

 (2) しかしながら,死傷被害者らがサリンが流出した地下鉄電車内又は駅構内にいたこと,死傷被害者らがサリン中毒の症状を呈し,数人の被害者の血液中からサリンの第1次加水分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されたことなど証拠によって認められる事実関係に照らすと,死亡した被害者12人はサリンが流出し気化した電車内又は地下鉄駅構内においてサリンガスを吸入してサリン中毒により又はサリン中毒に起因する敗血症により死亡し,サリン中毒症の傷害を負った被害者14人も同様にサリンが流出し気化した電車内又は地下鉄駅構内においてサリンガスを吸入して縮瞳,コリンエステラーゼ値の低下をはじめ重いサリン中毒症の傷害を負ったものであることを優に認めることができ,また,本件サリン散布の各実行行為が,死亡被害者12人に対する関係はもとより負傷被害者14人に対する関係においても,人の死という結果発生の危険性のある行為として殺人の実行行為性を有することは明らかである。

 

 3(1) 弁護人は,地下鉄サリン事件は,教団に対する強制捜査が迫ったことに危機感を抱いた村井及び井上が,被告人を差し置いて,計画し実行役に実行させたものであり,被告人が,村井,井上及び遠藤らに対し,地下鉄電車内にサリンを散布するよう指示したことはないと主張する。

 

 (2) 井上は,@被告人の指示により井上が地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシン様の液体を噴霧したこと,A被告人が食事会の際教団施設に対する強制捜査について話していた内容,Bリムジン内における地下鉄サリン事件に関する被告人らの会話の内容,C村井及び井上が運転手役の人選や実行役との組合せについて被告人に指示を仰ぎにいった際の被告人と村井及び井上の話の内容,D井上が平成7年3月20日午前2時ころ上九一色村の教団施設に戻った際の被告人と村井及び井上の話の内容や,被告人がサリンを修法した際の状況について,前記犯行に至る経緯に係る事実に沿う証言をし,遠藤は,Eリムジン内での被告人と遠藤の会話の内容,F同月18日午後11時ころ被告人が遠藤に話した内容,G同月19日正午前ころ被告人や村井が遠藤に話した内容,H同月19日午後10時30分ころの被告人と遠藤との会話の内容について,前記犯行に至る経緯に係る事実に沿う証言をしているが,井上及び遠藤の各証言の信用性は優にこれを認めることができる。その理由は次のとおりである。

 

 (2) これまでみてきたとおり,被告人は,国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが,このような被告人が最も恐れるのは,教団の武装化が完成する前に,教団施設に対する強制捜査が行われることであり,平成7年に入り,上九一色村の土壌からサリンの残留物が検出された旨の新聞報道がされ,さらに,被告人が井上らに実行させた假谷らち事件がその事件直後から教団の犯行と疑われ,同事件に使用された車両から事件関係者のものとみられる指紋も検出された旨の新聞報道がされるに至っては,現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ,被告人の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認されるのであって,阪神大震災が発生したため間近と思われた教団施設に対する強制捜査が立ち消えになった旨認識し,かつ,東京にサリン70tを散布することまでも考えこれまでも松本サリン事件等の実行を指示してきた被告人が,阪神大震災に匹敵する大惨事を人為的に引き起こすことをもくろむことなく,教団に対する世間の同情を引くためだけの自作自演事件だけを井上らに指示するということは考え難い。また,教団施設でサリンの生成に取り掛かった後に強制捜査があった場合,あるいは,地下鉄サリン事件が失敗しそれが教団による犯行であることが発覚した場合には教団は多大な打撃を受けるに至るのであり,そのような教団の存続にかかわる重大な事柄について,被告人の弟子である村井や井上らが,グルである被告人に無断で事を進めることもまた考えられない。その意味で,上記井上証言及び遠藤証言は,このような当時の被告人を取り巻く教団における内部事情をよく説明し得ている上,犯行に至る経緯として述べるところは自然であり,のみならず,相互に符合し,互いにその信用性を補強し合っている。また,上記井上証言及び遠藤証言は,地下鉄サリン事件の犯行後,実行役5名と運転手役2名が被告人に同犯行について報告した際の,被告人と実行役及び運転手役との会話の内容ともよく整合している。

 

 (3) ア 井上は,平成7年5月から同年6月にかけての捜査段階では,被告人とはグルと弟子の関係にあり9年間くらい被告人を信仰していたことから,被告人が出てくる場面については一切供述せず,それ以外の差し障りのないことについては供述していたが,同年10月ころ,被告人の落田事件に関する供述調書で弟子が勝手にやった趣旨の供述がされている旨の新聞報道に接し,被告人への信仰が揺らぎ始め,検察官に対し,リムジン車内での話の概要だけ供述し,その後,気持ちの整理をした上で,被告人の面前で上記の証言をし,しかも,被告人の不規則発言にもその証言内容は動揺しなかったものであり,このような事情等に照らすと,井上が,地下鉄サリン事件について被告人の指示がないのに被告人から種々の指示が出された旨のうその供述をあえてしたものとは認め難い。

 

 イ ところで,関係証拠に照らすと,井上は,地下鉄サリン事件の犯行において東京における現場指揮者という村井に次ぐ重要な立場にあったにもかかわらず,公判では,地下鉄サリン事件の実行については,村井が総指揮を執り,井上は自動車を手配したり,実行役と運転手役の組合せを渋谷ホームズに伝えたりするなどの手伝いをしたにすぎず,むしろ,自分は自作自演事件を主に担当していたという趣旨の供述をするなど,自己の刑責を軽減させるために既に死亡している村井や逃亡中であった林泰男に一部責任を転嫁し,自己の役割をわい小化する不自然不合理な供述をしている。しかしながら,自己の刑責を軽減させるために死亡した者や逃亡中の者に一部責任を転嫁する供述がみられることから直ちに,長い間グルとして信仰してきた被告人の面前で供述した,地下鉄サリン事件に被告人が関与している旨の井上証言の信用性が左右されるものではなく,その信用性が高いことはこれまで説示してきた理由から明らかというべきである。

 

 (4) 以上のとおり信用性の高い井上証言及び遠藤証言その他関係証拠によれば,被告人は,上九一色村に向かうリムジン車内で,村井,遠藤及び井上に対し,地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りくを指示し,同人らとの間でその共謀を遂げたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 (5) 弁護人は,被告人が同席していたリムジン車内では,地下鉄サリン事件の実行については何ら決定されていないから,同車内において地下鉄サリン事件の共謀は成立していないと主張する。

 

 しかしながら,リムジン車内では,地下鉄サリン事件の犯行の目的,方法,役割分担など犯行の重要部分が決定されているほか,リムジン謀議後地下鉄サリン事件の実行に至るまでの被告人の村井,井上及び遠藤に対する種々の指示内容や,実際にリムジン車内で決められたとおりに犯行の準備がされ実行されたことなどに照らすと,リムジン車内において,被告人と村井,井上及び遠藤の間で,地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りくについて共謀が成立していたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 

 

量 刑 の 理 由 

 1(1) 被告人は,自分が解脱したとして多数の弟子を得てオウム真理教(教団)を設立し,その勢力の拡大を図ろうとして国政選挙に打って出たものの惨敗したことから,今度は教団の武装化により教団の勢力の拡大を図ろうとし,ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想し,多数の出家信者を獲得するとともに布施の名目でその資産を根こそぎ吸い上げて資金を確保する一方で,多額の資金を投下して教団の武装化を進め,無差別大量殺りくを目的とする化学兵器サリンを大量に製造してこれを首都東京に散布するとともに自動小銃等の火器で武装した多数の出家信者により首都を制圧することを考え,サリンの大掛かりな製造プラントをほぼ完成し作動させて殺人の予備をし(サリンプラント事件),約1000丁の自動小銃を製造しようとしてその部品を製作するなどしたがその目的を遂げず,また,小銃1丁を製造した(小銃製造等事件)。

 

 (2) そして,被告人は,このような自分の思い描いた空想の妨げとなるとみなした者は教団の内外を問わずこれを敵対視し,その悪業をこれ以上積ませないようにポアするすなわち殺害するという身勝手な教義の解釈の下に,その命を奪ってまでも排斥しようと考え,しかも,その一部の者に対しては,教団で製造した無差別大量殺りく目的の化学兵器であるサリンあるいは暗殺目的の最強の化学兵器であるVXを用いることとしてその殺傷能力の効果を測るための実験台とみなし,弟子たちに指示し,以下のとおり,一連の殺人,殺人未遂等の犯行を敢行した。

 

 すなわち,被告人は,教団からの脱会を表明しこれを阻止しようとする被告人を殺すとまで言うようになった信者や教団から脱走した上教団信者を連れ出すために教団施設に侵入した信者を,被告人に離反したり背いたりしたとの理由で殺害し(田口事件,落田事件。落田事件では更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。),自己に敵対する者であるとの理由で,オウム真理教被害者の会を支援する弁護士業務に従事していた弁護士をその妻及び幼子ともども殺害し(坂本事件),オウム真理教被害対策弁護団の一員として教団信者の出家阻止・脱会活動に精力的に取り組んでいた弁護士をサリンを吸入させて殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げず(滝本サリン事件),同弁護士らと協力して教団信者に対する出家阻止・脱会に向けたカウンセリングをしていた,オウム真理教被害者の会の代表者に対し,あるいは,教団から脱会しようとした信者を支援していた男性に対し,それぞれVXを掛けて殺害しようとしたがいずれもVX中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げなかった(永岡VX事件,水野VX事件)。

 

 のみならず,被告人は,ある男性が警察のスパイではないのに一方的にそのように疑った上,VXを掛けてその男性を殺害し(M口VX事件),さらには,ある信者がスパイでないことを知りながら教団が敵対組織から毒ガス攻撃を受けているという話を真実味のあるものとし教団の武装化に向けて信者らの危機意識や国家権力等に対する敵愾心をあおるためにその信者をスパイに仕立て上げようと拷問を加えた上,その信者を殺害した(冨田事件。更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。)。

 

 また,被告人は,多額の布施を引き出す目的で資産家である信者の所在を聞き出そうとしてその兄をらち監禁し自白を強要するため麻酔薬を注射するなどして死亡するに至らせた(假谷事件。更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。)。

 

 被告人の犯罪は,以上のような特定の者に対する殺害等にとどまらず,化学兵器であるサリンを使用した不特定多数の者に対する無差別テロにまで及ぶ。すなわち,被告人は,弟子たちに指示し,教団で新たに造った加熱式噴霧装置の性能ないしこれにより噴霧するサリンの殺傷能力を実験的に確かめておこうと考え,その実験台として仮処分事件で教団松本支部の建物を当初の予定より縮小させる原因を作ったなどとして敵対視してきた長野地裁松本支部の裁判官を選び,同支部裁判所宿舎を標的として同宿舎及びその周辺にサリンを発散させ,住民ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げず(7人を殺害し,4人に重傷を負わせた。松本サリン事件),また,阪神大震災に匹敵する大惨事を引き起こせば,間近に迫った教団に対する強制捜査を阻止できると考え,東京都心部を大混乱に陥れようと企て,地下鉄3路線5方面の電車内等にサリンを発散させて乗客,駅員ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げなかった(12人を殺害し,14人に重傷を負わせた。地下鉄サリン事件)。

 

 松本サリン事件及び地下鉄サリン事件で多数の訴因が撤回された後においても死亡被害者27人,負傷被害者21人に上るこの13件の誠に凶悪かつ重大な一連の犯罪は,自分が解脱したものと空想してその旨周囲にも虚言を弄し,被告人に傾倒する多数の取り巻きの者らを得ると,更に自分が神仏にも等しい絶対的な存在である旨その空想を膨らませていき,自ら率いる宗教団体を名乗る集団の勢力の拡大を図り,ついには救済の名の下に日本国を支配しようと考えた,被告人の悪質極まりない空想虚言のもたらしたもの,換言すれば,被告人の自己を顕示し人を支配しようとする欲望の極度の発現の結果であり,多数の生命を奪い,奪おうとした犯行の動機・目的はあまりにもあさましく愚かしい限りというほかなく,極限ともいうべき非難に値する。

 

 2 そして,本件は,これまでみてきたとおり,その被害が誠に膨大で悲惨極まりないこと,犯行の態様が人命の重さや人間の尊厳を一顧だにしない無慈悲かつ冷酷非情で残酷極まりないこと,長期間にわたって多数の犯罪を繰り返しついには無差別大量殺人に至るまで止めどなく暴走を続けたこと,多数の配下の者を統制して組織的・計画的に敢行し更に一層大掛かりなものへとその規模を拡大させたこと,宗教団体の装いを隠れ蓑として被告人に都合のいいようにねじ曲げあるいは短絡化させた宗教の解釈によって犯行を正当化しつつ更に凶悪化させていったこと,犯行により被害者,その家族近親者ら及び被害を生じさせた地域の人々はもとより広く我が国や諸外国の人々を極度の恐怖に陥れたもので人間社会に与えた影響が甚大かつ深刻で広範に及ぶことにおいて,これまで我々が知ることのなかった誠に凶悪かつ重大な一連の犯罪である。

 

 3 被告人の犯行によって命を奪われ,また,奪われようとした多数の人々は,誰一人としてそのような被害に遭わなければならないような落ち度等は一切なかった。そうであるのに,3人の信者は,いずれも教団の密室内等に身体を拘束され取り囲まれて助けを求めることが不可能な状況に追い込まれた上,あるいは首をロープで絞められた挙げ句両手でひねられて殺害され,あるいは爪の間に待ち針を差し込まれるなど手ひどい拷問を受けた挙げ句ロープで首を絞められて殺害され,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊され,また頭からビニール袋をかぶせられ催涙ガスを吹き込まれた挙げ句ロープで首を絞められて殺害され,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊された。オウム真理教被害者の会を支援していた弁護士の一家は,深夜自宅で休息の床にあるところを突如襲われ,必死の抵抗も適わず,「子供だけはお願い。」との妻の悲痛な叫びもむなしく,幼子もろとも首を絞められるなどして殺害され,証拠隠滅の意図で一家はばらばらに遠く人里離れた山中に埋められた。オウム真理教被害対策弁護団の一員である弁護士は,裁判所構内に駐車した乗用車にサリンを仕掛けられ,帰途車を運転中にサリン中毒症に襲われ,交通事故死等の危険に見舞われた。VXに襲われた3人は,あるいは朝の通勤途上,路上で突然後方から注射器でVXを身体に掛けられ,犯人を追跡しようとしたもののごく短時間のうちに路上に転倒絶命させられ,あるいは朝自宅近くに家庭ゴミを出しに行った際,また,あるいは朝食を済ませた後自宅近くのポストに年賀状を投函しに行った帰り途,いずれも自宅と目と鼻の先の路上で突然後方から注射器でVXを身体に掛けられ,帰宅後重度のVX中毒症に襲われて生死の淵をさまよい,かろうじて一命を取り留めた。松本サリン事件では,一日の終わりにそれぞれの自宅で憩いや休息などの時を迎えていた多数の人々が,加熱式噴霧装置で気化発散させられたサリンの突然の侵襲を受け,まさに悶絶のうちに命を奪われ,また奪われようとし,地下鉄サリン事件では,朝の通勤時間帯に密閉空間ともいえる地下鉄内で,多数の人々が,発散させられたサリンの急襲を受け,同様悶絶のうちに命を奪われ,また奪われようとした。一時に多数の人々がサリンに襲われ極度の苦しみにあえぐその被害の有様は想像を絶するすさまじさであり目を覆うばかりである。資産家の信者の兄は,夕刻路上で手荒くらちされ麻酔薬を注射されながら教団の密室内に連れ込まれ自白強要のため更に麻酔薬を注射されるなどして命を奪われるに至り,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊された。残虐非道極まる犯行の数々というほかはない。

 

 4 被告人の犯行によって命を奪われた多数の人々は,あるいは死の恐怖を味あわされつつ絶命させられ,あるいは死への途にあることすら知ることもできずに絶命させられ,またサリン中毒症との長期にわたる闘いの果てに絶命させられたのである。将来においてさまざまな出来事や人々と巡り会いさまざまな感動に出会いながら家族,近親者,友人,仲間らとともに精一杯に充実させて生きていくはずであったその人生をことごとく無惨にも奪われたその無念さは,余りにも大きく言葉では表現できようはずもない。そして,命を奪われた被害者の遺族らの悲嘆は誠に深くその衝撃は甚大である。その心奥からの精神的苦痛はこれをわずかでもやわらげようとすることすらできようもない。

 

 かろうじて一命を取り留めた多数の人々も,今なお死にも等しい状態に置かれ苦しみ続ける人があり,重い後遺症によりその人生の実質をほとんど奪われて苦しみ続ける人があり,また心身の重い不調に苦しむ人も少なくない。その精神的肉体的苦痛は癒されようもなく大きい。そして,その家族及び近親者らの精神的苦痛やのしかかるさまざまな負担も誠に大きく耐え難いものである。

 

  命を奪われた被害者の遺族ら,命を奪われようとした被害者及びその家族,近親者らはこれまで長期間にわたって日夜苦しみ続け,今後もその苦しみは果てることがなく,まさにその心身を切りさいなまれる日々である。これらの人々の被告人に対する怒りはこのような苦しみや悲しみから発するもので,その処罰感情がこれ以上はないほど厳しいのは誠に当然である。

 

 5 そうであるのに,被告人は,かつて弟子として自分に傾倒していた配下の者らにことごとくその責任を転嫁し,自分の刑事責任を免れようとする態度に終始しているのであり,今ではその現実からも目を背け,閉じこもって隠れているのである。被告人からは,被害者及び遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない。しかも,被告人は,自分を信じて付き従ったかつての弟子たちを犯罪に巻き込みながら,その責任を語ることもなく,今なおその悪しき影響を残している。

 

 6 他方,被告人は幼い頃から視力に障害があり恵まれない生い立ちであった。将来の希望と目的を持ち,妻子とともにその人生を生き抜こうとしてきた時期もあったであろう。被告人の身を案じる者もいることであろう。

 

 しかし,これまで述べてきた本件罪質,犯行の回数・規模,その動機・目的,経緯,態様,結果の重大性,社会に与えた影響,被害感情等からすると,本件一連の犯行の淵源であり主謀者である被告人の刑事責任は極めて重大であり,被告人のために酌むべき上記の事情その他一切の事情をできる限り考慮し,かつ,極刑の選択に当たっては最大限慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても,被告人に対しては死刑をもって臨む以外に途はない。

 

判決主文 

   被告人を死刑に処する。


● 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判−1997.6.17

 オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告(42)が17日、東京地裁で開かれた林郁夫被告(50)の第14回公判に証人として出廷した。松本被告が他被告の公判に出廷したのは初めて。被告人と証人という立場を入れ替えた“師弟対決・番外編”だったが、松本被告は意味不明の英語をつぶやくばかりで宣誓を拒否、その態度に林被告が「私は非常に不満だ」と述べると、「ふざけんなよ」と大声を浴びせ、法廷は尋問に入れないまま、わずか22分で閉廷となった。  (読売新聞1997年6月18日より)


● 松本被告 オウム公判に初の証人出廷 “師弟対決”不発に

宣誓手続きに「いい加減にしろ」 I 拒否

 東京地裁104号法廷。いつもの松本公判と同じ法廷だが、この日、裁判官席に着席したのは、刑事7部の阿部文洋裁判長らではない。林被告の公判を担当する刑事5部の三上英昭裁判長ら3人の裁判官だ。
 午後1時13分、林被告が入廷。グレーのスーツ、白いシャツ。緊張した面持ちで被告人席につく。法廷と傍聴席を仕切るさくの前後には数人の法廷警備員が立ち、いつもの林被告の公判と違って、ものものしい雰囲気だ。
 1時15分。「それでは改定します」と三上裁判長が告げ、「証人を入れて下さい」と促した。
 紺のスエットスーツの松本被告が入廷。両手を看守に引かれながら不機嫌そうに背を反らせ、尋問を嫌がっている様子に見える。その姿を林被告が被告人席からじっと見つめた。
「そこに立って」と裁判長から言われ、松本被告が陳述台の前に立つ。だらりと腕を垂らした。
「名前は何と言いますか」と裁判長。 「……マイ・ネーム・イズ……」とほとんど聞き取れない小声で英語をつぶやく松本被告。
「麻原彰晃ですか」 「……」 「日本の法廷では日本語で話すことになっていますからね。あなたは日本人でしょ」
「……」 「(開廷前の)先ほど書記官が職業、住所などを確認したけど、その通りで間違いないかな」
「……」。相変わらずつぶやき続ける松本被告。時折上半身をふらふらさせ、長髪に手をやる。
「何ですって? 大きい声で」 「……」 「何言っているか、よく聞こえないよ」
 裁判長は苦笑しながら声をかけた。林被告は眼鏡をはずし、哀れむようなまなざしを向けた。
「生年月日は昭和30年3月2日で間違いないですか」 「……」 「職業はオウム真理教の代表者でいいですか」
「……」 「ちょっと聞こえない。大きな声で」  裁判長から言われた松本被告は急に声を上げ、日本語で発言を始めた。が、その内容は「君たちの要求、それはわかるが、手痛い目にあった場合、私たちの新陳代謝が起きるはずもなく……」とまったく意味不明のものだった。
「そのへんでやめておきなさい」と裁判長は不規則発言を続ける松本被告に注意し、「拘置所の職員に確認しますが、松本智津夫に間違いないですね」と、松本被告の左右に座った看守に向かって尋ねた。
 看守がうなずくと、すぐに廷吏が宣誓書を松本被告の前に持っていった。 「宣誓書を朗読できますか」と裁判長。
 松本被告は「マイ・ネーム・イズ・アサハラ……」と英語でつぶやきかけてから、「何ばかなことやってるんだ」と声を上げた。
「では宣誓書は書記官に代読させますから」  裁判長は書記官に代読を指示し、「良心に従って真実を述べ……」と、書記官が宣誓書を読み上げた。松本被告はその間もぶつぶつ独り言を続けた。
「宣誓の趣旨はわかりますね。真実を述べてうそを言わないことですが、これに署名できますか」
「ザット・イズ・ディセンバー……」と、わけのわからない英語をつぶやく松本被告。
「署名できない? 代わりに書記官に署名してもらっていいですね」  裁判長の指示で署名も書記官が行った。三上裁判長は松本被告を座らせ、「宣誓書に指印して下さい」と促した。
 刑事裁判では尋問に先立つ証人の宣誓は不可欠で、宣誓のない証言は証拠能力がないと決められている。宣誓の代読は場合によっては認められるが、刑事訴訟規則は「証人には宣誓書に署名、押印をさせなければならない」と定め、署名押印の欠けた宣誓は無効としている。
 しかし、松本被告は廷吏が朱肉を持ってきても押印しようとせず、廷吏に向かって何かつぶやいた。
「(指印を)拒否しています」と、廷吏が松本被告の発言を伝えた。 「指印はできない?」と裁判長。林被告が悲しそうな顔をした。
「正当な理由なく宣誓を拒否すると制裁を受けることになる。いいのかな」  裁判長が尋ねると、松本被告は、「いい加減にしろよ」と言い放った。
「じゃ宣誓しなさい」 「……」。また、ぶつぶつ言い続ける松本被告。 「あなたの場合、目が不自由なようだから代読してもらったが、指印はできないということですか」
「……」 「具体的に言えば10万円以下の過料という制裁があるんだけどね。拒否するのなら理由があるんですか。あれば言って下さい 」
「……」 「どうですか」 「……」 「さっきからあなたを見ていると、不誠実な態度にしか見えないな。かつての弟子がこういう場に立たされ、証言してほしいと言ってるのに、誠実に対応する気持ちはないのですか」
 再三の説得にも松本被告はまともに答えず、ぶつぶつを続けた。裁判長は左右の陪席裁判官と小声で話し合い、「最後にもう一度確認するが、指印する気はないですか」と念を押した。
 すると、松本被告は「イエス・アイ・ディナイ」と拒否を意味する英語を答えた。ただ、「ノー」と答えるべきところを「イエス」と間違えた。
「英語で『ない』と言ってるようだが、それでいいですか。それでは10万円の過料に書します」
 過料は刑事訴訟法に定められた制裁金。法定秩序を守るため、裁判所がその場で決定できるとされている。三上裁判長は法廷の最高額の支払いを命じた。

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「大声が出るなら証言すべきだ」 林郁夫被告、怒りの8分 II 諫言

「私は非常に不満です」  裁判長が10万円の過料を命じた直後、被告人席で林被告が声を上げた。
「私が(松本公判の)証人に出たときも大声で『承知しろ』とかいろいろ言って、(他の被告が証人に出たときも)『地獄に行くぞ』とも言ったのに、そんな小さな、ふだんの説法より小さな声で、しかも英語なんかで」
 三上裁判長が「立って言って下さい」と発言を促した。林被告は立ち上がって続けた。「英語というのは、あなたがばかにしていた言葉じゃないですか。あなたに対して反省を促したり、本当のことを言えと言っても、無駄なことだと私は十分承知しているけれども」
 ほんの少し、林被告はうつむいて黙り、さらに続けた。 「言ってもよろしいですか。一言、言いたいのですが」
 林被告は用意したメモを取り出した。 「(今年)5月に石井久子被告が自分の公判で次のように発言しています。『事件に教団が関与したことは否定しようがないと確信しました。なぜ命を奪うのか、教義を分析したら、オウムの教義の究極に殺人があった。自分はついて行く人を間違えた』。彼女はあなたの私生活と教団全体を把握していた人。今のあなたの態度は石井さんの心にも及ばない」
 林被告がそう述べたとき、松本被告が「いい加減にしろ。しかられてもわからないのか」と大声を上げた。
 林被告は「まだそんなことを言っているのか」と言い返した。 「それでいいだろう。どうするんだ」と松本被告。
「そんな大声が出るなら証言すればいいじゃないですか」と、林被告が気色ばんで言った。
「豊田君(亨被告)にしろ杉本君(繁郎被告)にしろ、井上君(嘉浩被告)にしても、あなたのことをむしろ哀れだなと思って見ている。私としても、あなたをつるし上げようとは思っていなくて……」
「ふざけるなよ」。  松本被告は、林被告の発言の途中で言い放った。が、林被告は臆せずに続けた。
「あなたはあなたなりの証言をすればいい。判断は裁判所や聞いている人がすることで、それができないとはどういう心境なのか。こういう人についていく人がまだいるかと思うと情けなくてしょうがない」
 松本被告はぶつぶつと、意味不明の英語のつぶやきに転じた。林被告は追い打ちをかけた。
「そうやって英語でしゃべっていると逃げていられるから、現実に向き合わなくて済むと思っているのだろうが、もしあなたが仏教や転生を信じているなら恐ろしくて生きていけないはずだが、そうでもないようなので、結局、信じていないのだ」
 そう言われた松本被告は「クリシュナナンダ!」と林被告のホーリーネームを叫んだ。が、林被告は発言をこう締めくくった。
「宗教はあなたにとって道具であり、信者は手足に過ぎなかったことになる。いろいろと一人で考えてほしいと思います」
 法廷での松本被告との距離は約2メートル。その至近距離から林被告は約8分、かつての教祖に諫言を続けた。終わると林被告は被告人席に腰を下ろし、あとはじっと目を閉じた。
 裁判長が「最後にもう一度聞くけれど、宣誓のうえ証言するつもりはないのですか」と改めて聞いた。松本被告は「アサハラ・ショーコー・アイ・ネバー」と英語の独り言を続けた。
 検察官の一人が立ち上がり、「あなたは林郁夫被告の法廷で証言する気はないのか」とただした。松本被告は「ここはアメリカだから」とわけのわからないせりふを言い、検察官が「質問に答えられないのか」とたたみかけると「バット・アサハラ……」と英語でつぶやいた。
「あなたは事実を証言するつもりはないんですか」と検察官。 「……」。ぶつぶつ言うだけの松本被告。
「あなたはきょう、この林郁夫被告の法廷に、証言するつもりで出廷しているのではないのですか」
「……」  そのやり取りを見ていた三上裁判長が、「じゃ、やめます。連れてって」と素っ気なく言った。松本被告は7人の看守に引きずられるように退廷した。林被告はじっと目をつぶったままだった。
 閉廷は1時37分。松本被告初の証人尋問は不発に終わった。  この日の公判に立ち会っていた東京地検公判部の山本信一副部長は閉廷後、「もうちょっと(証言が)出てくると思っていたんですけどねえ」と感想を述べた。傍聴席の後方に用意された国選弁護団の席で聞いていた松本被告の主任弁護人は「ノーコメントです」とだけ言った。
 やはり傍聴席にいたオウム真理教被害者の会の永岡弘行会長は「元信者の私の息子は『麻原は林郁夫被告にはかなわないと思っている』と言っていた。どん詰まりに来ているとわかってああいう態度に出たのだろう。きょうの法廷を見ていて、私は許されるものなら傍聴席から『それが最終解脱者か』と言ってやりたかった」と語った。