高校教師、サッカースクールコーチ、サッカー審判員、スポーツトレーナー、鍼灸師、フットサル場運営スタッフ、テレビ解説者、雑誌編集者、新聞記者。さらには生命保険会社営業、不動産屋、ウェブプランナー、引っ越し屋、大道具制作、焼き肉屋店主……。
これらは、元Jリーガーの再就職先のほんの一部である。生命保険会社が実施した調査で「男の子のなりたい職業ナンバーワン」だったプロサッカー選手。だが、現役引退の平均年齢は「26歳」で、ピッチで注目を浴びる期間は、人生に比べると残酷なほど短く、その後はみんな何か別の職業に就いている。
Jリーグの契約更新は毎年11月末。Jリーガーの華やかな部分だけでなく、その「引退後」を伝えていくことも私たちの責任だろう。サッカー選手にあこがれる子どもたちに対する、「大人の責任」でもある。
まずは実態の把握から。国内に約800人いるJリーガーのうち、例年「戦力外」を告げられるのは約150人。このうち約50人はJ2やJFLへ移籍し、移籍できなかったうちの約30人が、12月からの合同トライアウトで他チームに救済される。
だが、残る約70人は「転職組」となる。スタッフとして、クラブに残れるケースはまれで、大半は畑違いの業界に明日の生計の糧を求めて移っていく。Jリーグ選手協会の加藤富朗事務局長は「JリーグはOB組織がなく、クラブも引退選手全員をフォローできているわけじゃない。やめたらバラバラ。消息をつかめない元選手もいる」と話す。
Jリーグは02年4月、引退選手のセカンドキャリア探しを支援する「キャリアサポートセンター」を開設した。
同センターは「オフ・ザ・ピッチ」というJリーガー向けの求人情報誌を毎年11月に発行。全国から募った約400件の求人情報や、Jリーガーの経験をどう面接で表現するかなどのノウハウが詰まった約140ページの就職指南書だ。
「民間クラブコーチになるために」のページには、「(1)クラブの一員として方針に合った指導を心がける(2)事務作業もこなせること。パソコンは必須(3)裏方の仕事も求められる。何でもやる覚悟をする」などのアドバイスが書かれている。毎年1月には、一般企業に就職を希望する選手に、企業で体験労働してもらう「インターンシップ」を実施するなど、支援態勢も強化してきた。リーダーの八田茂さんは、「攻守で行きつ戻りつするサッカー選手は、もともと状況判断能力や課題解決能力に優れている。Jリーガーとしての経験は、セカンドキャリアでも応用できる」と話す。
そんなキャリアサポートセンターが、「数少ない成功モデル」という元Jリーガーに会った。
帝京高からヴェルディ川崎(当時)に入団、その後、浦和レッズのMFとしてもプレーし、96年に引退した保坂信之さん(34)だ。
保坂さんは03年フットサル日本代表。今も現役のフットサルプレーヤーだ。小学生にサッカーを指導するコーチ業で主に生計を立てているが、特定クラブには属さないフリーランス業。現役時代から人脈を築き、人を説得する話術に長けている保坂さんには、近頃「元Jリーガー」という理由で、副業もどんどん舞い込んでくるという。
例えば、サッカー選手が出演するテレビCM現場の仕事もその一つ。現在オンエア中の浦和FW田中達が出演しているスポーツ飲料のCMや、柏のFW玉田が出演している大手自動車メーカーのCMの撮影現場で、保坂さんは「コーディネーター」を務めた。
元Jリーガーをエキストラとして数名集め、主役の動きとカメラワークに合わせて、正確なパスを出す役目を務めた。スポーツメーカーとの交渉窓口となり、衣装の発注もした。CM監督が意図するプレーを、出演選手に「演技指導」したりもした。
「元JリーガーをCMに起用することは、リアルなプレーを再現するための『保険』。現役Jリーガーの相手は、大学サッカー選手では務まらない」と保坂さん。仕事を依頼した広告会社の担当者も、その手際の良さや交渉スキル、衰えを見せないボール扱いに、「さすが元Jリーガー」と感心していた。
キャリアサポートセンターの依頼で、現役選手に体験談を披露することもある保坂さんは言う。
「Jリーガーであったことは今の仕事をする上でも誇り。Jリーグがもっと良くなるためには、引退した僕らが、それぞれの道で成功の道筋を示して行くことが大事」。
そのまっすぐなまなざしには、引退後の様々な不安や困難を自らの力で解決してきた力強さがあった。Jリーガーは、やっぱり引退後も「強い」のだ。「セカンドキャリア」として新聞記者になった自分まで勇気づけられるほどに。 (原田 亜紀夫)
(11/04 17:02)
|