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1000年、市民が裁く水法廷 暮らしの知恵―上

2010年10月18日15時36分

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写真スペイン・バレンシアの水法廷。周囲を取り囲むのは、本来なら農民たちだが、近年は観光客の方が多い=国末写す

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 地中海に面したスペイン第3の都市バレンシアの中心部、大聖堂の軒先に毎週木曜日、法衣に似た黒い衣装の男性8人が集う。正午の鐘の音とともに、1人がおもむろに告げる。「裁判を始めます」

 8人は、この地方の農家が選んだ裁判官役の総代。農業用水を巡る係争を処理する伝統裁判所「バレンシア平野の水法廷」の開廷だ。

 執行役が集まった人々に向かい、平野の上流から下流の順に灌漑(かんがい)水路の名を一つひとつ挙げ、訴訟の有無を尋ねる。訴えの申し出があると、水路ごとに決められた規則に照らし合わせて総代が公開で審理する。1回で判決が出る場合もあれば、数回審理を重ねることもある。

 訴訟は年間十数件程度。「ただ、事前の調停で解決されるケースが多いので、係争自体はもっと多い」と法廷にかかわる弁護士ハビエル・パストルさん(48)は説明する。この法廷は、司法への市民参加の一形態として憲法で認められている「慣習的裁判所」とされ、判決は一般の裁判所のものと同等の効力を持つとみなされている。

 法廷の会員1万1691世帯の多くは、オレンジやトマトなどをつくる小規模農家。係争も「順番の日に水が来ない」「隣家の水があふれてうちの畑が水浸し」など、日常の農作業に密着したものだ。「それに、最近は水質汚染を問う訴えも増えました」と、レタス農家出身のビセンテ・ナチェル裁判長(75)。最近とは? 「19世紀ごろからですかな」

 法廷の歴史は、先進的な水利技術を持っていたイスラム勢力統治下の9世紀に起源がさかのぼるとも言われる。大聖堂の中でなく軒先で開くのは、13世紀にアラゴン王ハイメ1世がこの地方を奪還してキリスト教化した後、イスラム教農民も参加できるよう配慮して以来のこと。伝統は受け継がれ、同国南部ムルシア地方の同様の法廷とともに昨年、「地中海岸の灌漑法廷」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産代表リストに登録された。

 「水資源問題が最近話題になりますが、我々バレンシア人は千年も前から、貴重な水を配分するすべを知っていたのです」とナチェル裁判長は胸を張る。

 法廷は、水路や水門などの施設、水利技術や管理法といった知恵と、密接に結びついている。地元にとっての将来に伝えられるべき遺産は、これら有形無形の伝統を合わせた総体だ。法廷に来ていたミゲル・ビセンさん(60)は、水の配分を監視し、水路の保全も担う管理人を29年間務めている。「このような伝統を守ることに誇りを感じています」と話した。(バレンシア=国末憲人)

     ◇

 歌、踊りや祭り行事ばかりが無形文化遺産ではない。一つの社会が時代の変化を取り入れつつ受け継いできた技術、制度、対処法も、形なき人類の遺産だ。このように生活の中から生まれた知恵を、各地に追った。

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