５：教祖　失意重ね、一線越す

「金と力」兄のように

熊本県波野村に残る教団道場跡地の目印＝２３日

　目的のためには手段を選ばず、金に固執する。科学や医学の知識を誇示し、高学歴の若者を引きつける魅力もある――。

　そんな松本智津夫に大きな影響を与えた人物が、幼少から青年期にかけて間近にいた。

　長兄である。

　実家は、熊本県金剛村（現・八代市）で畳作りを営んでいた。父母と男６人、女３人の９人きょうだい。智津夫は四男。１１歳年上の長兄は、目が不自由で、４０キロほど離れた熊本市の盲学校で寄宿舎生活をしていた。

　智津夫も目が不自由だったが、見えないのは左目だけ。右目はキャッチボールができる程度の視力があった。小学校１年の途中で長兄の元に送り出された。

　寄宿舎での長兄のあだ名は「ボス」。体が大きくて肝が据わり、「話がふとかった（大きかった）」と当時の友人は言う。熊本駅でタクシーに乗車拒否され、「そがんこつ言うと、どがんなるか知っとっとか。おれはヤクザの組長ば知っとっとぞ」とホラをまくし立て、運転手を謝らせた。

　寄宿舎と校舎は渡り廊下で結ばれ、生徒は一日の大半を敷地内で過ごす。金を持っている生徒が毎日のように外出し、近所の食堂に通った。

　兄弟は「外食組」。当時は高等部でマッサージ師、専攻科で鍼灸（しんきゅう）師の資格を取ることができた。長兄は、資格と体力を生かしてアルバイトに励んだ。

　智津夫もボスを目指す。児童会長、生徒会長、寮長。様々な選挙に立候補した。一度も当選できなかった。

　智津夫は医者になろうとした。高等部を終えた７３年春と、専攻科を卒業した７５年春、熊本大医学部の願書を取り寄せた。受験はしなかった。今は視覚障害があっても医師免許を取れるが、当時は無理だった。

　静岡や大阪で腕を磨いた長兄は里帰りして熊本駅前のビルに鍼灸院の看板を掲げた。失意の智津夫もかり出された。繁盛した。長兄は、熊本大薬学部を卒業したばかりの薬剤師を何人か雇った。

　「何百万円もする」医療用マッサージ器が長兄の自慢だった。１回５００円で患者に使わせた。「体内を浄化する薬」も売った。中身はミカンの皮なのに、１回２万円を取った。売れたのは地主や会社経営者だった。その一方で、知り合いの人には無料で治療をすることもあった。

　白いトヨタ・クラウンを買い、夫人に送り迎えをさせた。

　７７年、智津夫は長兄のもとを離れて上京した。目標は東京大学入学。だが、予備校で出会った女性との間に子どもができ、７８年１月に結婚。受験は三たび、あきらめた。

　千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開業。８２年６月、ニセ薬を売った薬事法違反容疑で逮捕され、罰金２０万円の略式命令を受ける。薬の中身はミカンの皮だった。

　８４年２月、教団の前身「オウム神仙の会」の主宰者として世に登場する。オカルト雑誌の創刊が相次ぎ、超能力ブームに乗った。高学歴の弟子たちが続々と入信した。

　兄に追いつこうともがいて、やっと並んだと思ったのかもしれない。実家に鍼灸院を移していた長兄に、漢方薬の材料になるウコンを山ほどもっていった。「（熊本県）波野村でつくらせている」と智津夫はいった。

　長兄が建て直した家に、大きな写真の額が飾られた。横書きで「オウム真理教　麻原彰晃」とある。「智津夫たい。いさっかたい（偉くなった）」と、近所の人に、父はうれしそうに話した。

　喜びは長続きしなかった。坂本堤弁護士一家の自宅に落ちていたプルシャ（バッジ）から、教団との関係が疑われる。報道陣に、長兄は「そぎゃん悪かこつはせんけん」と弟をかばった。

　智津夫の初公判から約１年後の９７年５月。長兄は熊本市内の病院で他界した。５３歳だった。母はこの前年末に亡くなり、父もこの地を去った。「家族はばらばらだ」と親族の一人は話した。

　長兄の遺産である家と土地は、智津夫が半分相続した。今は人手に渡り、更地になっている。兄弟の面影は消えていた。