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大正十二年の幽霊文字

比留間 直和

 JIS漢字に入っているのに意味や読みが不明で、なぜJIS漢字に入ってしまったか分からない。そんな「JIS幽霊文字」の「彁」が、主要な仮名漢字変換ソフトで特定の“読み”から変換できてしまうことについて、前回まで述べてきました。

 今回は変換ソフトからは少し離れ、この「彁」について筆者が材料を集めているときに出くわした、驚きの「発見」について報告したいと思います。

 大正時代の朝日新聞に、JIS幽霊文字の「彁」が登場している――自社紙面の検索システムで、そんな結果が得られたのです。

 

■検索したら、ヒット「1件」

 

 朝日新聞では、過去の紙面の縮刷イメージの検索サービスを、図書館など外部に有料で提供しています。日付を指定する方法のほか、「見出し」「キーワード」「分類」で検索して、目的の記事が含まれる紙面イメージを表示させることができます。

 社内でも同様の検索が可能なので、今回JIS幽霊文字の「彁」を取り上げるにあたりこの縮刷イメージの検索をやってみたところ、キーワードに「彁」の字を含んでいる記事がなぜか1件ヒットしてしまいました。

 その記事は1923(大正12)年2月23日付の朝日新聞朝刊。「少年保護団体指定」という見出しがついており、記事に与えられた検索用キーワードのひとつに「埼玉自会」とありました。下の画像が、その書誌情報を示す画面(一部)です。

 

 

 「JIS幽霊文字が大正時代の記事に?」と仰天して、PDF化されている紙面イメージを表示させたところ、なるほど、確かにそんなふうに見えるではありませんか。

 

 

 この記事の見出しと本文を、旧字体も含めてそのまま打つと、以下のようになります。

「少年保護團體指定 二十二日司法省告示を以て假出獄少年取締規則附則第二項に依り埼玉自●會外五十八保護團體を指定せる旨公示せらる」

 ●にあたる文字は、確かにJIS幽霊文字の「彁」によく似ています。記事に検索用キーワードを与えた担当者は、この画像を参照しながら、いちばん似ていると思う字を拾ったのでしょう。無理もない、とは思います。

 しかし「彁」は、JIS漢字に入る前の用例が全く確認できない字。大正時代の新聞活字に「彁」が用意されていたはずはありません。

 

■埼玉自「彁」会の正体は…

 

 この検索システムで使っている紙面の画像は、古い縮刷版をスキャンしたものですが、もともと印刷が不鮮明なうえに読み取り解像度もさほど高くありません。

 もっと状態のいいものを見ればどういう字だったのか分かるかもしれない……と考え、日本図書センター発行の「朝日新聞〈復刻版〉」に収録された同じ日付の紙面を見たところ、「彁」ではなく「彊」と読み取れました。

 「朝日新聞〈復刻版〉」のこの巻には、縮刷版ではなく原紙を縮小したイメージが使われており、印刷も精細です。

 こうして、当時の紙面に出ていたのは「埼玉自会」ではなく、正しくは「埼玉自彊会」だったことが分かりました。

 
         ◇

 この「埼玉自彊会」とは、かつて埼玉県内にあった仏教系慈善団体で、刑務所を出ても帰る所がない人、執行猶予・起訴猶予になったが行き先のない人を、委託を受けて収容し更生させる事業を行っていました。

 「埼玉仏教百年史」(財団法人埼玉県仏教会、1977年)には、

明治23年に当時の県会議長や各宗寺院有志が「埼玉慈善会保護院」を創立、同34年に社団法人の認可を受ける。
大正3年、「埼玉自彊会」と改称。易経の「自彊不息」(自らつとめ励んでやまない)からとったもの。
戦後も活動を続けたが、昭和44年、浦和刑務所の廃止に伴い解散。

 ――といった同会の歴史が記されています。

 記事にある「少年保護団体」というのは、直前の1923年1月に施行された少年法の規定で、少年を収容・保護する受け皿とされた民間団体。つまり、それ以前から更生保護事業を行ってきた「埼玉自彊会」が少年保護団体としても指定された、という記事でした。

 なお、検索用キーワードの誤入力については筆者から担当部門に伝え、既に「埼玉自彁会」から「埼玉自彊会」に修正されています。

 

■「歴史」は繰り返す?

 

 分かってしまえば「なあんだ」と思われるでしょう。しかしこれは「歴史の必然」なのかもしれません。なぜなら、そもそもJIS漢字に「彁」が入ってしまったのも、同じ字が原因になっているかもしれないからです。

 1997年のJIS漢字改正の際、委員として幽霊文字の解明にあたった笹原宏之・早大教授は、「彁」がJIS漢字に入った原因について「『彊』という字がかすれて印刷されていたのを、『彁』と見誤った可能性がある」と推測しています。JIS漢字の原案作成に使われた資料のひとつ「行政情報処理用標準漢字選定のための漢字の使用頻度および対応分析結果」(行政管理庁、1974年)には手書き字形の「彊」がかすれて印刷されており、笹原さんが試みにその字をコピーして大学生に転記させたところ、「彁」に近い字体を書いたケースが複数みられたといいます。

 この説のとおり、「彁」が「彊」のかすれた字形が化けたものだとすれば、今回小社の検索用キーワードにたまたま見つかった「埼玉自会」という誤りも、それと同じパターンをたどったものと言えます。

 JIS漢字制定前と違って、既にどの情報機器にも一人前の文字として「彁」が搭載されていることを考えると、別の文字を「彁」に間違える確率は当時よりはるかに高くなっているはずです。根っこを生やした幽霊文字の威力は、馬鹿にできません。

 

 もう一つ思うのは、紙資料のデジタル化に潜む「落とし穴」です。

 古い印刷物の電子資料化は、ますます進むでしょう。しかし紙からデジタルへの「移し替え」が、こうした思わぬ取り違えを生むこともあります。取り違えの起きたデジタルデータは、デジタルデータであるがゆえに、簡単に拡散もします。

 デジタル化の作業やそのデータの利用の際に少しでも疑問があれば、もとの紙資料に立ち戻るべし――そんな基本動作の大切さを、あらためて感じる出来事でした。

(比留間直和)