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「日本最初」の乳母車 慶応大

2010年7月2日

写真諭吉の米国土産の乳母車。現在のベビーカーよりかなり大きい(慶応義塾福沢研究センター提供)

 日本に初めて持ち込まれたとされる乳母車が、慶応義塾福沢研究センター(慶応大三田キャンパス)に所蔵されている。福沢諭吉が1867(慶応3)年、米国から持ち帰ったもの。黒い車体に赤い車輪が映える。

 この渡米で諭吉は20箱の荷物を持ち帰った。箱はかなり大きかったようだ。多くは書籍だったが、記録には「小児手車」の記載も。当時4歳と2歳の息子がおり、翌年に長女が誕生。乳母車は子どもへの土産だった。

 諭吉の伝記には、門下生が諭吉の子を乗せて何度か街なかを歩いたという門下生本人の談話がある。だが、攘夷(じょうい)を叫ぶ勢力がまだいた中で、ハイカラな乳母車を「どれだけ使ったかは定かではない」(同センター専任講師の都倉武之さん)。

 1870(明治3)年、東京府に、幌(ほろ)をつけた人力車の通行許可を求める出願があった。幌つき人力車は、諭吉から乳母車を何度も借りて研究した慶応義塾出身の内田勘左衛門が、乳母車の幌から思いついたそうだ。(三島あずさ)

    ◇

 原則非公開。オープンキャンパスなど行事の際に公開されることがある。カラー写真は、所蔵資料紹介ブログ(http://www.fmc.keio.ac.jp/holdings/intro/)で見られる。

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