第1章 はじめに
§1原子力委員会の性格と構成

 原子力基本法が施行されて4年を経てわが国の原子力開発は次第にその成果をあげ,単なる研究の段階から実用化への段階へと進みつつあるが,その詳細を述べる前に,原子力行政の中核となっている原子力委員会の性格と構成について一言する必要があろう。
 「原子力の研究,開発及び利用に関する国の施策を計画的に遂行し,原子力行政の民主的な運営を図るため,総理府に原子力委員会を置く。」「原子力委員会は原子力の研究,開発及び利用に関する事項について企画し,審議し,及び決定する。」これは「原子力基本法」に定められた原子力委員会設置の目的とその任務であり,さらに詳細な組織,運営,権限等は「原子力委員会設置法」に定められている。すなわち,原子力委員会は科学技術庁長官たる国務大臣を委員長とし,そのほか国会の同意を得て内閣総理大臣によって任命される4人の原子力委員からなりたっており,わが国の原子力に関する重要事項を企画,審議,決定する機関である。言い換えれば,政策決定機関であって実施機関ではなく,法的には諮問機関類似のものであるが,その地位は高く,原子力委員会の決定に対しては内閣総理大臣はこれを尊重しなければならないことに定められている。
 このようにわが国で異例な制度がとられた理由は第1に原子力利用の将来性に対する大きな期待から強力な施策が要望されたこと,第3にはそのために既存の行政機構でばらばらに運営されることを避け,計画的政策を統一的組織によって打ち立てようとしたこと,第4には原子力行政が民主的に運営されねばならぬという要請が強かったこと等に基づくものであり,責任内閣制の下にあって許されるかぎりの独立性と自主性を与えようとして考案された制度なのである。
 原子力委員会は31年1月1日に発足した。当時の委員長は正力松太郎,委員は石川一郎,湯川秀樹,藤岡由夫,有沢広巳の4名であった。委員長は内閣の変遷と共に変り石橋湛山,宇田耕一を経て再度正力松太郎が就任したが,33年度に入ってからも6月に三木武夫,12月に高碕達之助と代り,34年6月には中曽根康弘が就任した。原子力委員は32年度までに湯川,藤岡両名が辞任,兼重寛九郎,菊地正士両名に代り,さらに菊地正士が34年9月に辞任し現在は欠員となっている。


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