宮澤賢治とやぶ屋


  やぶ屋の創業は大正12年6月10日です。宮沢賢治が稗貫郡立稗貫農学校(のち県立花巻農学校,現在県立花巻農業高校)の教員として着任したのは大正10年12月3日,賢治25歳のときでした。やぶ屋の店舗は,当時のそば屋としては珍しい2階建てで,評判の店でした。

 創業者の佐々木圭三は社交家タイプで,賢治ともウマが合ったのか,賢治が店に入ってくると,「あっ,賢さんが来た!」といって仕事もそこそこに,賢治のテーブルに行って四方山話に興じていたそうです。
 やぶ屋のメニューの中でも,賢治の好物は天ぷらそばでした。また,サイダーも好物で,賢治が1杯飲みましょうかと誘うのは,お酒ではなくサイダーで,天ぷらそばとセットで注文するのが常でした。

 

やぶ屋創業当時の賢治の月給は80円,賞与100円と生涯のうちで最も経済的に安定していました。それでも困った人を見るとすぐに助ける癖の為,もらって3日目にはもうスッカラカンということもしばしばでした。

当時,かけそばは6銭,天ぷらそばは15銭,サイダーはなんと23銭!もしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

賢治とやぶ屋のエピソード

1.BUSH(藪)

 「よく藤原嘉藤治氏や友人同僚を誘って,今日はBUSHへ行きましょうか,などといって,吹張町の藪そばへ連れて行きました。藪そばのものでも,特に天ぷらそばは賢治愛好の食品ですから,たびたび食べに行かれました。病中にも天ぷらそばを思い出して家人と話された事があるそうです。
原稿がどんどん売れたら,友だちと好きなそばでも食べようなどと冗談も言っておりました。たしか東京の知名の文士にトラック1ぱいの原稿を送り,今度原稿料が入ったらBUSHへ連れて行くぞと愛弟の清六さんににやにや笑いながら申したと言うくらいですから,BUSHは相当賢治にとって魅力があったわけです。」

関 登久也「賢治隋聞」より

2.早食い

食べ方も早く量も多かった事は,同僚の白藤慈秀氏の次のような話があります。
「宮澤さんはとてもそば好きで,やぶやのおとくいでした。食べ方も早くて,私が1ぜん食べるうちに,お代わりして2ぜんは食べました。」
また,関徳弥もこんな話をしております。
「労働が激しかったせいか食事もどちらかといえば量の多い方で,やぶやのそばを食べたり,新橋のウナギを食べたりするときは相好をくずした」

3.勤労奉仕

教え子の菊井清人氏の思い出の中でこんな事もありました。
「花巻温泉遊園地を開設するさい,私達は先生に連れられて,よく手伝いに行ったものです。この手伝いは奉仕の形で行われ,先生は,報酬などはお取りにならなかったそうです。そして夕方花巻に帰って来ると,吹張町のやぶ屋でまたご馳走になりました。やぶ屋で思い出しましたが,花巻温泉の勤労奉仕の日ではなく,たしか日詰か盛岡への遠足の帰りの事です。大分夜もおそくなり,やぶ屋も店を閉めていましたが,店の入り口をどんどん叩いて,店を開けてもらったことがあります。
 『どうも夜分遅くなってすみません。生徒をつれて来たのですが,有り合わせのものを食べさせて下さい』と言うと,やぶ屋の主人も顔馴染の先生の事だから,むしろ喜んで,二階の座敷へ通してくれました。」

関 登久也「宮沢賢治物語」より

4.サイダー飲みそば談義

 白藤慈秀,阿部繁,宮沢賢治の花巻農学校の先生方はビールを飲まずにサイダーを飲むことが「習性」になっていたらしい。結婚していたり独身だったりで,やぶ屋でいっぱい飲んでそばを食べるときなどは,「いっぱい」がビールでなくサイダーだったという。「いっぱい飲もうか」がビールや酒のことでなくて,サイダーだったということは,宮沢賢治ひとりではなく,高等女学校の藤原嘉藤治も一緒で,ビールや酒を飲むよりもにぎやかに楽しく会話を重ねたと言う。
 宮沢賢治は,サイダーを飲んで天ぷらそばを食べるという,やぶ屋での「学習」は,盛岡に来てもやっていた。宮沢賢治はやはり花巻人なんだな,と思ったことは,ソバを一緒に食べながらよく言ったことについてだった。「ソバは花巻ですなー。」私はそういう賢治さんに,「ソバは惣門ですなー。」と言った。
 自分が小さいときから食べているソバが一番うまいと思うのだ。「わが家のソバが一番という話なんですなー」と賢治さんは言った。

森 荘巳池  「ふれあいの人々/宮澤賢治」より

*参考資料  著者:関 登久也  「賢治随聞」             角川書店

                〃    「宮沢賢治物語」           学習研究社

             森 荘巳池  「ふれあいの人々/宮澤賢治」 熊谷印刷出版部

             堀尾 青史  「年譜 宮澤賢治伝」       中公文庫

             板谷 栄城  「素顔の宮澤賢治」        平凡社

             「値段の明治・大正・昭和 風俗史」       朝日新聞社

             「サライ」 1990.12.6号            小学館

*資料協力     宮沢賢治イーハトーブ館    (株)林風舎

 

              

トップに戻る