2014年5月26日(月)

UFO「うつろ舟」漂着地名浮上 「伝説」から「歴史」へ一歩

現在の舎利浜の様子。長く続く砂浜に穏やかに波が打ち寄せる=神栖市波崎
現在の舎利浜の様子。長く続く砂浜に穏やかに波が打ち寄せる=神栖市波崎

1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)。これまで特定されずにいた漂着地が浮かび上がったことで具体性が増し、「伝説」は「歴史」に一歩近づいたと言えよう。事件の真相解明へ、連鎖的な史料発掘の可能性や検証機運が高まることは間違いない。(鹿嶋支社・三次豪)

■研究のハイライト

「今までの研究の中でもハイライト。まさか実在の地名が出てくるとは」と驚くのは、「うつろ舟奇談」研究で第一線を走る岐阜大の田中嘉津夫名誉教授。三重大特任教授の川上仁一さん(甲賀流伴党21代目宗家)が甲賀流忍術を伝える伴家の古文書とともに保管していた文書について、「うつろ舟奇談」に関わる史料であることを田中氏が発見した。

文学者の渋沢龍彦(1928〜87年)も同伝説をモチーフにした短編小説で「銚子から平潟にいたる今日の茨城県の長い海岸線のどのあたりに位置する村なのか、一向にはっきりしない」と記すなど、これまで漂着地の特定が困難とされてきただけに、今回の発見は研究者らが待ち望んでいた“大きな一歩”と言えるだろう。

■定住者いない浜

それでは、今回漂着地として浮かび上がった舎利浜とは、当時どういった地だったのだろうか。「波崎町史」(1991年)によると「舎利浜は鹿島灘で地曳網漁が発展する明治五年に初めて定住者が現れたというから、江戸期には地字としては分かれていても、定住する者はなかったのであろう」とある。

現在の舎利浜も砂浜続きで人気は少ないが、風力発電の巨大風車が並ぶ風景を望むことができる。近くに、大タブの木、木造釈迦涅槃像のある神善寺(神栖市舎利)がある。また、神栖市内には、天竺から金色姫が流れ着き養蚕を伝えたという伝説の残る蚕霊神社と星福寺(ともに同市日川)もある。

田中氏が、2010年に水戸市内で見つかった「うつろ舟奇談」の史料の中の女性の衣服が、蚕霊尊(金色姫)の衣服と酷似することを発見し、2つの伝説の関連性を指摘していたことも、神栖と「うつろ舟奇談」との結びつきの意味で興味深い。

■当時の大きな話題

事件があった1803年は開国前で、日本近海では外国船がしきりに現れ、常陸国の浜でも小船に乗った外国人が上陸する事件などがあった時代。異国船打ち払い令が出されたのもこの頃で、こうした社会情勢も伝説と関連付けて考えることができる。

田中氏によると、これまで全国で見つかった「うつろ舟奇談」の史料は11編。

田中氏は「これほどあちこちから多くの文書が見つかるということは、当時大きな話題を集めた出来事だったのではないか。舎利浜の発見で、ますます魅力的になった」とし、「米国の『Roswell』(「UFOが墜落し回収されたとして有名な地)のように、『Sharihama』はいずれ世界的に知られるようになるのでは。神栖市、茨城県、日本が世界に誇る民俗資産」と強調する。


★うつろ舟奇談に関わる史料

「南総里見八犬伝」で名高い読本作者、曲亭馬琴の「兎園小説」(1825年)や長橋亦次郎の「梅の塵」(同年)などで、絵入りで伝説が記されている。民俗学の巨人、柳田国男も論文「うつぼ舟の話」(1925年)を書いている。

2014 年
 5 月 27 日 (火)

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