月刊潮 2001年9月号

最高裁で完全敗訴!
暴かれた“信平狂言”と
メディアの厚顔無恥


前原政之


狂言訴訟ついに完全決着!

「本件上告を棄却する」−−最高裁第三小法廷(千種秀夫裁判長)は、さる6月26日、4人の裁判官の全員一致で、「信平訴訟」の原告・信平醇浩の上告を棄却した。平成8年6月の提訴から丸5年、世を騒がせたこの狂言訴訟は、創価学会側の完全勝訴でようやく幕を閉じたのだ。提訴以来、すべての口頭弁論を傍聴し、折に触れ本誌にレポートを寄せてきた筆者にとっては、何がしかの感慨がある。
 最高裁が信平の上告を棄却することは十分予測できたが、高裁判決(今年1月31日)から5カ月足らずで上告が棄却されたのは予想外の早さであった。信平側の上告になんら正当な理由がなく、裁判の引き延ばしだけを狙ったものであると最高裁が見抜いたからこそ、異例と言ってよい早さで判決が下ったのだろう。
 この最高裁判決は、一部一般紙・スポーツ紙、テレビのニュース番組などでも報じられた。しかし、その多くは小さい扱いであり、しかも信平夫婦の名前も出さない形の断片的な報道であった(ある夕刊紙は、「創価学会元幹部が敗訴」という底意地の悪い見出しをつけた。これではまるで学会側が敗訴したかのようだ)から、信平狂言訴訟の悪辣さが十分読者・視聴者に伝わったとは思えない。そこで今回は、この訴訟の五年間の経過とポイントを、駆け足でおさらいしてみよう−−。

政治利用された狂言

 この裁判は、函館在住の元創価学会員、信平醇浩・信子夫婦が、創価学会の池田名誉会長を陥れようとして起こした「狂言訴訟」であった。
 信平夫婦は、学会婦人部員(その多くは一人暮らしの老女などの弱者)らに借金踏み倒しをくり返し、それらの金銭トラブルが表面 化したことから学会での役職を解任された。夫婦は、解任されたことを逆恨みして学会を脱会。そして、逆恨みをつのらせた果 てに、「事件」をデッチあげて“告発”することで、池田名誉会長を貶めようとしたのだった。
 虚偽の“告発”はまず、信子が『週刊新潮』に“手記”を寄せることで始まった。同誌平成8年2月22日号に掲載されたその“手記”は、三度にわたって受けたと称する“被害”について、官能小説まがいの煽情的な表現をちりばめて語ったものだった。
“手記”の内容がまったくの事実無根であることは、のちの裁判で明らかになるが、虚心坦懐に“手記”を読んだだけでも、不自然な記述は多い。が、一部マスコミや一部政治家は、告発の真偽を検証することなく、このネタに飛びついた。
 平成8年といえば、10月に衆院選を控えていた。当時は新進党が野党第一党であり、その最大の支持団体は創価学会であった。自民党は、自らの政権党としての地位 を脅かす新進党の力を削ぐため、機関紙『自由新報』で信平の言い分を鵜呑みにして報じた。また、一部の議員は、国会の各種委員会で議題とは関係ないこの“手記”を取り上げ、騒ぎ立ててみせた。信平夫婦のデマは、政治利用されることによって日本中に広まっていったのだった。
 同年六月、デマが全国に広まった頃合いを見計らったように、信平夫婦は池田名誉会長に損害賠償を求める民事訴訟を提訴。『週刊新潮』はもちろん、『週刊ポスト』『週刊現代』などのメディアが、提訴時の記者会見をいっせいに報じた。記事はいずれも、信平夫婦を“正義の告発者”としてもてはやす一方的な内容だった。
 民事訴訟では本来原告と被告は対等な立場であるし、訴状は書式上の不備さえなければ無条件で受理されるから「訴状の内容イコール事実」ではないのに、週刊誌は信子の言い分だけを鵜呑みにし、池田名誉会長を口汚く中傷した。信平夫婦の訴えが狂言であることが明らかになったいま、それらの記事を読み返すと、裁判を起こせばまちがいなく名誉毀損が成立すると思われるものばかりだ。
 週刊誌の信平関連記事がいかに偏向していたかを示す、一つの例を挙げよう。
 信平夫婦が学会員時代に起こした借金踏み倒しのトラブルをめぐっては、踏み倒された側の多くが醇浩を相手取って貸金返還請求訴訟を起こしている。それらの裁判では醇浩側が軒並み敗訴し、裁判所から貸金の返還を命じられている。このことは、信平夫婦の“告発”の信憑性を推し量る重大な事実であるのに、週刊誌ではほとんど触れられていない。唯一触れた『週刊新潮』は、「(学会側がデッチ上げた)架空の金銭貸借」だ、などという信子のふざけた言いわけを報じたのみで、金銭トラブルの有無を検証した形跡がない。要するに、信平夫婦を“正義の告発者”として扱うには、彼らの起こした金銭トラブルを不問に付すしかなかったというわけだ。

裁判で次々に暴かれたウソ

 信平訴訟は、部外者にはわかりにくい複雑な経緯をたどって進んだ。当初は夫婦2人が原告だったのに、一昨年の段階で信子の訴えがすべて棄却され、夫の醇浩の請求(の一部)のみが「弁論を分離」されて審理が続けられるという、異例の展開をみせたのだ。
 それは、信子の請求、および醇浩の請求の一部が時効援用(信子が受けたと称する“被害”は、提訴時点ですでに時効にかかっていた)によって棄却されたのに対し、醇浩が「平成8年2月に初めて妻の被害を知った」と主張することで時効援用を免れたためである。
 しかし、信平側が時効逃れの姑息なウソをついたからこそ、醇浩一人が原告となった“一審の残り”では、さまざまな証拠から信平夫婦のウソが暴かれることになった。ウソの数々を逐一紹介する紙数の余裕はないが、学会側から提出された証拠のうち、最も衝撃的だったのは、平成4年に信平夫婦が学会役職の辞任を勧告された際の、学会副会長らとのやりとりを収めた録音テープだった。
 法廷でも流されたそのテープのなかでは、夫婦とも会員からの金銭貸借を重ねたことを認めており、逆に“被害”についてなど一言も話に出てこない。“手記”や記者会見での話と180度異なる内容なのだ。そして、醇浩は終始ヤクザまがいの怒声を張り上げており、その人品骨柄をうかがわせた。
 信平側の主張の際立った矛盾点としては、もう一つ、“被害”に遭ったとする日時・場所についての主張がくるくると変遷したことが挙げられる。信平信子は、『週刊新潮』の“手記”では“被害”の日時・場所をはっきり特定していた。ところが、“手記”掲載から4カ月後に提出された訴状では、“被害”の日時・場所があいまいになっていたり、“手記”とは変わっていたりした。そして、裁判の過程でも、信平側は日時・場所についての主張を何度も変更させてきた。
 例えば、昨年2月に行われた第13回口頭弁論では、なんと“被害”の回数まで変えてしまった。「じつは、信子が『被害』に遭ったのは3回ではなく計4回だった。昭和57年と58年に2年続けて『被害』に遭っていたのだが、信子は『被害』のことを忘れよう忘れようと努めていた結果 、2つを混同して1回だと思い込んでいた」(趣意)と唐突に言い出したのである。
 提訴から3年8カ月もたって、訴えの最重要事項であるはずの“被害”の回数を突然変更するのだから、もうムチャクチャである。
 しかも、こうした主張の変更は、学会側の主張を「かわす」ために行われていた。学会側が真摯に証拠を積み上げて信平側の主張を突き崩すたび、信平側は主張そのものを変更させてしまったのである。学会側の主任弁護人をつとめた宮原守男弁護士は、そうした不誠実な主張の変更について「まるでモグラ叩きをやっているようです」と法廷で非難したが、言い得て妙である。

「訴権の濫用」「不当な企て」

 そして、一審の東京地裁が昨年5月に下した判決は、当然のごとく、信平側の主張をすべてしりぞけるものだった。しかも、たんなる「請求棄却」ではなく、信平側の「訴権(民事裁判を起こす権利)の濫用」を認めて訴えを却下する判決だった。
 判決書は、信平の訴えについて、「各事件について事実的根拠がきわめて乏しい」としている。平たく言えば、デッチ上げとしか考えられない、と裁判所も認めたのである。判決はそのうえで、信平の訴えは虚偽の告発で騒ぎ立てること自体を目的とした「不当な企て」であるとまで断じていた。
 憲法で国民に「裁判を受ける権利」を保障している日本において、裁判所が「訴権の濫用」を認めることは異例中の異例で、100万件に1件ほどしか例がないといわれる。信平夫婦の訴えは、そのきわめてまれな判決を下さざるをえないほど、悪辣な不当提訴であったのである。
「不当な企て」とまで言われながら、信平側はなおも控訴したが、二審での彼らの主張は一審に輪をかけて支離滅裂なものだった。信子が受けたとする“被害”の回数について、なんと、“じつは計6回だった”と言い出したのである。信子が「事件を忘れようと努力していた」結果 、記憶の混同を生じ、“じっさいには6回あった事件を3回だと思い込んでいた”のだそうだ。
 こんな馬鹿げた主張を裁判所が信ずるはずもなく、二審の東京高裁も一審判決を全面 的に支持して信平側の控訴を棄却した。
 判決書は、信平側の唐突な主張の変更について、「何ら合理的な理由を見出すことができ」ず、「『訴訟を撹乱してともかくその引き延ばしを図ることだけを目的』にしたものと取られてもやむを得ない」としている。
 そして、“最後の悪あがき”ともいうべき信平側の上告に対して下されたのが、6月26日に最高裁が下した上告棄却の判決だったのである。

『週刊新潮』は謝罪せよ

 信平狂言訴訟の完全決着は、とりもなおさず、信平夫婦を側面 援護してきた一部マスコミにとっても敗北であった。
 わけても、提訴に先立って信子の“手記”を掲載し、信平訴訟がらみの記事を30本以上も掲載してきた『週刊新潮』は、いわば狂言の「共犯」であり、虚報の責任を厳しく問われてしかるべきであろう。
 だが、どうやら『週刊新潮』編集部は、虚報の責任など微塵も感じていないようである。それが証拠に、信平訴訟の高裁判決が下ってから出た「創刊45周年記念特大号」(今年3月8日号)では、一連の騒動の発端となった信平信子の“手記”を、「45年を飾った画期的記事」の一つとして一部再録してみせた。
 くり返すが、この“手記”は、裁判所が厳格な審理をふまえて「事実的根拠がきわめて乏しい」と認めた狂言を、なんらの検証もなくそのまま鵜呑みにして報じたものである。そんな欠陥記事を、恥じることもなく「画期的記事」の一つとして再録する神経は、常軌を逸している。『週刊新潮』の厚顔無恥のほどこそ「画期的」というべきであろう。
 再録部分に添えられた信平信子本人のコメントにいわく−−。
「私は裁判の過程で、実はさらに3度、池田の被害を受けていることを申し立てました。しかし、回数が増えたことで裁判所は逆に“信用ならん”というのです」
 二審に入ってから突然、「3回だと思っていた“被害”はじつは6回でした。記憶違いでした」などと言い出すムチャクチャな「申し立て」を、信用しろというほうが無理な相談である。こんなコメントを臆面 もなく使う『週刊新潮』編集部は、果たして信子の言い分を信用することができたのだろうか?
 信平夫婦の狂言に便乗して学会叩きを行った一連のメディアのうち、虚報の責任を認めて謝罪したのは、いまのところ、自民党機関紙『自由新報』のみである。
 検証作業抜きで中傷記事を書き散らし、それが虚報だったとわかっても責任を認めず、ただ頬かむりを決めこむ−−そんなメディアに、ジャーナリズムを名乗る資格などありはしない。

まえはら・まさゆき(ジャーナリスト)
1964年生まれ。編集プロダクション専属ライターを経て、現在フリーとして幅広く活躍している。


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