国鉄役員等

 

 先に挙げた「鉄道公安職員」の項ともかなりかぶっちゃう話なのですが……一応、別に項目立てしてみる事にしました。決して字数稼ぎなどではない(笑)。勘ぐったりしないように。

 先の鉄道公安職員は、警察専門の職員でした。対してこれから取り上げるのは、兼務の職員です。前項にて鉄道公安職員の生い立ちを語る際、鉄道司法警察官吏という存在に触れました。彼らは、本業の傍ら警察業務にも従事する兼業の鉄道警察職員であった訳ですが、本項の主人公は彼らです。

 既に述べた通り、鉄道警察の始まりは明治33年の鉄道営業法に基づく鉄道職員の現行犯逮捕権です。同法43条によると

「前諸条ノ犯罪及鉄道保安ニ関スル犯罪ニシテ罰金ノ刑ニ該ルヘキ軽罪若ハ違警罪ノ現行犯アリタルトキ被告人カ其ノ住所氏名ヲ分明ニ告知セス又ハ逃亡ノ虞アルトキハ鉄道係員ハ司法警察官ニ之ヲ引致スルコトヲ得。」

と定められています。この条文によって権限付与されているのは「鉄道係員」一般であり、特に誰とは特定されていませんでした。そのためか、逮捕対象となっているのも鉄道営業法違反で罰金刑程度のもの、あるいは「違警罪」(※今でいえば軽犯罪法違反)といった、ごくごく軽いものでした。

 時代は下り大正12年になると、同年の勅令第528号に基づき鉄道司法警察官吏が誕生しますが、就任するのは指名を受けた駅幹部や車掌で、つまりは兼務。取締り範囲も「停車場又は列車における現行犯」、中でも鉄道営業法違反の現行犯のみに限られていました。これは、以前から行われて来た同法43条に基づく取締りとほとんど変わるところがありません。異なる点を挙げるなら、鉄道営業法違反の現行犯であれば軽罪のみの取締りに限られなくなった事と、引致にとどまらず自前の捜査ができるようになった事。とはいえ、本業のある職員が兼務でやるという体制では、捜査に専従できないのは明らかで、それは検挙実績の数字にも表れています。

 こうした戦前の鉄道警察の特徴を述べるなら、ひとえに、おとなしいものだと言う事ができるでしょう。戦前の鉄道警察は、鉄道職員が、本来の職務の傍ら違反を発見したらその場で取り締まる。それだけ。鉄道警察専門の機関など影も形もなく、容疑者を長期間内偵するような活動もありません。しかも、鉄道職員一般に軽罪の取締権を与えた鉄道営業法43条は、昭和4年には条文が削除されます。これは、警察機構としてはむしろ縮小の方向に働く訳で、当時の鉄道警察のおとなしさが表れているようです。

 太平洋戦争と、それに引き続く敗戦は、かような一種牧歌的な状況を文字通り一変させました。当時の世情の混乱と鉄道を巡る治安の悪化は、前項・前々項等で既に述べた通りです。この混乱に対処すべく生まれたのが警察機関たる鉄道公安組織ですが、その一方従来からの兼務による取締り体制も、大幅な拡充を見ました。以下、その模様を、特に兼務による司法警察要員に絞って見ていく事にしましょう。

 最初の拡充措置は、昭和21年3月になされた鉄道局旅客巡察員・荷物事故防止巡察員及び各駅の乗客掛・警備掛の配置です。彼らは当初、雑踏事故や荷物事故を防止するための職員でしかなく、何らの司法警察権も持たない存在でしたが、後に鉄道司法警察官吏を拡大するに当たって人的資源として機能するようになります。

 昭和21年7月、勅令「司法警察官吏及び司法警察官吏の職務を行ふべき者の指定等に関する件」(大正12年勅令第528号)が全面改正されました。この中で、従来は駅長・助役及び車掌監督・車掌に限られていた鉄道司法警察官吏の対象へ、新たに「国有鉄道における旅客公衆の秩序維持又は荷物事故防止の事務を担当するもの」が加わりました。先に設置された旅客巡察員等が司法警察権を持つ道が開けた訳です。

 勅令改正後の9月には、鉄道警察について運輸省・司法省間で結ばれていた取り決めが改められ、それまでおよそ1,000名と定められていた鉄道司法警察官吏の定員が4,573名に増員、その後さらに追加増員で4,931名に膨れ上がりました。同時に鉄道警察が検挙対象とする犯罪も拡大され、以前は鉄道営業法違反の現行犯のみであったのが、窃盗その他11種類の犯罪の現行犯を検挙できる事となりました。

 幹部職員・車掌に加え、旅客巡察員等が鉄道司法警察官吏に指名されるようになった事で、その規模は一気に拡大します。昭和21年9月の定員拡大後も、人員は年々増加し、翌昭和22年の鉄道司法警察官吏定員は8,042人、昭和23年には公安官2,662人+兼務による司法警察官吏6,253人の、合計8,915人となっていました。専業の鉄道公安官を抜きにしても、なお6,000余の人員を司法警察職員として抱えていた訳ですから……全く驚くべき膨張ぶりです。

 さて。鉄道公安組織が運輸省の国営鉄道から公共企業体の日本国有鉄道に受け継がれたのと同様、鉄道司法警察官吏も、国鉄へと受け継がれました。昭和24年6月の国鉄発足にあわせて、司法警察職員等指定応急措置法を改正、その中で国鉄役員・職員の一部を司法警察職員に指定する制度が生まれます。

 左に掲げる日本国有鉄道の役員又は職員で、運輸大臣の定める者がその役員又は職員の主たる勤務地を管轄する地方裁判所に対応する検察庁の検事正と協議して指名したものは、日本国有鉄道の列車又は停車場における現行犯について、第一号に掲げる役員又は職員にあつては刑事訴訟法の規程による司法警察員として、第二号に掲げる職員にあつては同法の規程による司法巡査として職務を行う。

一 日本国有鉄道の役員、駅長、駅の助役及び車掌区の長並びに日本国有鉄道の職員で旅客公衆の秩序維持又は荷物事故防止の事務を担当するもの
二 日本国有鉄道の駅又は車掌区の助役及び車掌並びに日本国有鉄道の職員で旅客公衆の秩序維持又は荷物事故防止の事務を担当するもの

司法警察職員等指定応急措置法 第4条

 司法警察職員に指定される国鉄役職員の内訳、さらに取締り対象が「列車又は停車場における現行犯」になっている点など、それまでの勅令に基づく指定の内容を踏襲したものとなっているのが分かります。

 かくして国鉄と共に新たな出発を遂げた鉄道司法警察。ところが、残念ながらと言うべきか、国鉄発足以後の、兼務による鉄道司法警察職員の活動状況は定かではありません。

 国鉄時代の鉄道警察に関する資料は鉄道公安に関するものばかりで、兼業職員の活動状況はほとんど分かりません。年間検挙数もその累積数も内訳も、全然分かりません。鉄道公安という専業の鉄道警察機関が出来た事で、もともと活動実績の少なかった兼業による司法警察職員が益々形骸化していったであろう事は容易に推測できますが、しかしその中身となると明らかでない。まあ、おそらくそう多くはないでしょうけど。

 しかるに組織の規模として見た場合、兼業による鉄道司法警察職員は、むしろ拡大していったようです。昭和48年末の時点で司法警察職員等指定応急措置法にもとづく特別司法警察職員の指定を受けている人員の数が分かっていますが、この内国鉄関係者は10,060名となっています。鉄道公安職員はこれに含まれません(彼らは「鉄道公安職員の職務に関する法律」によって権限付与される)から、この数字はそのまま兼務職員の数と見る事ができる。10,000人といえば、国鉄発足直前の6,000余という数字と比べるにおよそ1.5倍。25年の間にかなり増えています。

 なお、兼務職員が仕事していたかどうか分からないと上では書いておりますが、彼らが全く仕事をしていなかった訳ではないらしい。資料ではなく単に人づてに聞いた話ですが、時折、悪質なキセルを駅員が挙げると、助役(=司法警察職員の指定を受けている)が取り調べた上で警察官に引致した事があるとか……。でもさすがに、検察官送致まで持っていった事はないみたい。実はこの兼務による鉄道司法警察職員は、鉄道公安職員と違い、身柄を押さえた被疑者を警察に引致する必要はありません。取締対象が現行犯だけなので令状の執行ができるかどうかは怪しいですが、現行犯逮捕した被疑者を自前で取り調べる事はできるし、現行犯逮捕に伴う捜索と差押もできるし、被疑者を送検する事だってできます。そもそも、鉄道公安職員は犯罪捜査に関して刑事訴訟法の一部準用を受けるだけの存在である(つまり、司法警察職員ではない)のに対し、こちら兼務職員の方は立派な特別司法警察職員です。それだけの権限はあるけれど、悲しきかな兼務職員、持っていても生かす機会はなかった模様。もったいない。

 あまり華々しい話がない司法警察職員指定国鉄役員等ですが、国鉄がJRに改組される際、彼らもまた姿を消す事になります。理由は、鉄道公安の解体と同じく、「株式会社の職員が(中略)捜査業務を行うことは適切でない」からと判断されたからです。大正12年勅令第528号から数えて70年強、明治33年の鉄道営業法制定からだと実に八十有余年……地味ながら長い歴史と伝統を持つ鉄道司法警察ですけれど、時代の流れには勝てない。昭和61年12月の日本国有鉄道改革法等施行法により、司法警察職員等指定応急措置法第4条は削除され、鉄道司法警察の制度はここに幕を閉じたのでした。

 
 
主要参考資料;
『日本国有鉄道百年史(全十三巻)』 編・刊:日本国有鉄道 1971〜1974
『鉄道公安の軌跡』 編・刊:日本国有鉄道公安本部 1987

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