上質な中古マンションが、最近は「ヴィンテージ・マンション」と呼ばれ注目をあつめている。古い集合住宅が、いつまでも魅力的であるための条件とは何だろう。
立地環境、管理状態、デザインが優れていることはもちろんだが、それは時を重ねるごとに住まいとしての安心感と味わい深さを増す建築的魅力を備えていることではないだろうか。人々に愛され続ける建築ということである。荻窪駅近くに立つ賃貸アパートメント「西郊ロッヂング」はそのひとつ、しかも国の登録有形文化財に指定されている。その魅力を実感したくて訪ねた。
「西郊ロッヂング」とは、西の郊外の貸し間、下宿というほどの意味だ。この建築は、昭和6年に本館が建設、昭和13年に青銅の小さなドームを冠した新館が増築され、30室以上もあるモダンな高級下宿としてスタートしている。そのころ、都心と郊外をつなぐ都電の終点が荻窪だった。周辺はまさに郊外のはずれで、美しい田園風景が広がっていたという。
初代経営者はもともと都心の本郷で下宿屋を営んでいたが、関東大震災を契機に荻窪に越してきた。宮内省営繕課の設備技師で、実際に下宿のきりもりをしていたのは夫人だった、そう語るのは3代目の平間ご夫妻である。
いまも野方界隈のシンボルとして見事なドームを冠してそびえる野方配水塔(昭和4年)、初代はその建設に携わったというから、荻窪という立地の選択、また新館のドームデザインにもその影響は大きかっただろう。
都市の近代化に上水道は欠かせない。野方配水塔は日本の近代化のシンボルでもあった。初代は、自らの下宿にドームを冠し、日本の近代化への思いを馳せたに違いない。そこに、西郊ロッヂングの建築的魅力の原点がある。
実際、下宿の全室に、マントルピース、造り付けのベッドと収納、電話までついていた。それは、完璧な洋室で、いま風にいえば先進デザインの賄い付きシェアハウスというところだろう。
敗戦後、下宿の需要が減り、本館は洋風から和風の割烹旅館へと大変身する。昭和23年のことである。日本の経済復興とともに、本館の旅館は宴会で大盛況だったという。そして、21世紀へと時が移る平成12年、新館はワンルーム形式12戸の賃貸アパートメントに改装され、西郊ロッヂングは下宿としての幕を閉じる。
新館の外観と建築の骨格をそのまま残したレトロ感あふれるこの賃貸アパートメントは、いまやウェイティングリストができるほどの人気物件である。
ここの住人の多くは「古いところが新しい」、そう思い暮らしていると平間ご夫妻はいう。その新しさとは、歴史ある建築としての安心感、そして時が創る建築の味わい深さだろう。
購入しようとするマンションが将来ヴィンテージ・マンションになり得るか否か、これからはそれがマンション選びの重要なポイントになりそうだ。