【高校野球】早鞆高校・大越基監督――技術より人間力でつかんだ甲子園

  • 田尻耕太郎●文・写真 text&photo by Tajiri Kotaro

仙台育英高校時代はエースとして甲子園春夏連続出場を果たした大越監督(右端)仙台育英高校時代はエースとして甲子園春夏連続出場を果たした大越監督(右端) 1月27日、センバツ初出場を決めた山口県・早鞆(はやとも)高校。そしてこのチームを率いるのが大越基監督、40歳だ。かつては仙台育英のエースとして1989年に春夏連続甲子園出場を果たし、夏は準優勝に輝いた。その後プロ入りして福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)で11年間プレイ。その名を知る野球ファンは多い。あの夏から23年、今春ついに指導者として高校野球の聖地に戻ってくる。

 早鞆の監督に就任したのは09年夏。ホークスを引退してすぐに高校野球の監督になることを目指し、山口県下関市の東亜大学に編入した(高校卒業後1年間だけ早稲田大学に在学していたために2年生からの編入)。3年間、教員免許取得に励むと同時にスポーツ心理学を専攻し勉学に努めた。

「スポーツ心理学というとメンタルトレなどを想像されがちですが、それだけでなく目標設定やアガリ(緊張など)についても勉強しました。いかに選手のモチベーションを上げて、100%のパフォーマンスを発揮させることができるか。自分自身、甲子園に行った時にものすごく緊張したんです。その状況で100%の力を出すことは難しい。緊張を軽減させる方法を自分で持ちたかった。力を出し切れずに終わったら子どもたちがかわいそうですからね」

 そして07年に早鞆の教員となった。しかし、すぐに野球部の監督就任とはいかなかった。なぜなら、「元プロ選手が高校野球の指導者になるためには2年間教員として勤務しないといけない」というルールがあったためだ。

 一方、チームは夏の甲子園に過去3度出場しているが、すべて60年代の話。67年の甲子園メンバーには演歌歌手の山本譲二さんが名を連ねていた。しかし、いわゆる"古豪"で近年は低迷を続けていた。じつは大越監督が就任後も、昨秋の中国大会でベスト4になるまでは「県内の公式戦でも2度勝つ(3回戦進出)のがやっと」(大越監督)のチーム状況だった。そのチームが一気に躍進したワケとは何だったのか?

1 / 2

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る