彼らの海外サッカー観戦欲は、他の競技のファンより高い。海外のスタジアムで、観戦したことのある割合は、他より断然高い。よいスタジアムがどういうものなのか、知っているファンは数多くいる。新国立競技場の建設が決まった時「今度こそは」と思った人も、他の競技のファンより断然多かったと思われる。いま、何か言いたい人の数も同様に多いはずだ。

 口を噤んだ状態にあるサッカー業界と、何か言いたいサッカーファン。両者の間には大きな開きがあると僕は見る。

 そこで問われるのは、やはりメディアだ。しかし、サッカー系のメディアが、この問題に正面から向き合っているようには見えない。ファンに寄っているか、業界に寄っているかといえば、完全に業界寄りだ。

 いま、メディアの批判の矛先は、2520億円という建設コストに向いている(実際にはもっと嵩むと思われるが)。それが明るみに出た途端、一般のメディアは、一斉に騒ぎ始めたわけだが、遅すぎる印象は否めない。指摘すべき箇所は、もっと早い段階から目に付いていたのだ。主役は観客でありアスリート。凄いスタジアムである前に、彼らにとってよいスタジアムでなければならない。そうしたスポーツ的な視点に基づいた検証は、ほぼ一切されてこなかった。

 それこそが、スポーツ系のメディアの役割になる。とりわけ、スタジアムについて問題意識が高いはずのサッカー系のメディアには、活躍の場が用意されていたはずなのだ。

 スポーツ系のメディアが多少なりとも何か発言していれば、一般のメディアも、もう少し早い段階から、刺激を受けていたと思われる。相乗効果が期待できたはずだが、そうは全くならなかった。この国家プロジェクトが、つい最近までほとんどチェックが入らずに来てしまった大きな理由だ。

 で、繰り返すが、いま騒いでいるのは、一般のメディアだ。スポーツ系メディアはそれに貢献できていない。業界の中に、いまなお埋没した状態にある。情けない気がして仕方がない。と同時に、業界の論理にみんながみんな、あっけなく飲み込まれてしまう日本のスポーツ界もまた情けなく見える。

 そうした中にあって光るのが、陸上の為末大さん、有森裕子さん、ラグビー元日本代表の平尾剛さん、スピードスケートの清水宏保さん等、自分の意見をリスク覚悟で口にしたOBたちだ。旧国立競技場を聖地と崇めたサッカーのOBたちは、いま何を思うのだろう。