[0] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

資料1 海牛目の事をよく知っている人々

〜ジュゴンに詳しい人々(日本)〜

西脇昌治(まさはる)  1914生まれ、1984没。日本の海生ホ乳綱研究の開拓者です。
 鳥羽水族館でジュゴン研究が始まるまでは、長い間ジュゴンは日本で研究されてこず、解剖も戦前には4例しかありませんでした。西脇教授は戦後最初にジュゴンの解剖を手がけ、また文部省の海牛目調査では中心的な役割をし、ジャヤ・アンチョール水族館(インドネシア)と共同でジュゴンの飼育研究もしました。1979年 12月に東京大学・海洋研究所で行われたジュゴン国際シンポジウムでは、コンビーナーをつとめました。琉球大学名誉教授です。
神谷敏郎(かみやとしろう)  医学博士で、専攻は水生ホ乳綱の比較解剖学です。西脇昌治と共に、1977年に文部省の海牛目調査に参加しました。「人魚の博物誌」という海牛目についての著書ほか、論文など多数。筑波大学医療技術短期大学部・名誉教授。
内田詮三(せんぞう)  現在、国営・沖縄海洋博記念公園水族館の館長。西脇昌治と共に海牛目の調査や論文執筆を経験。1975年の沖縄海洋博いらい、同館で勤務しています。ジュゴンやフロリダマナティーの飼育、または、沖縄本島での野生ジュゴンの目撃記録などに詳しいようです。
鳥羽山照夫(とばやまてるお)  鴨川シーワールド(千葉県)勤務で、ジュゴンの解剖にもかかわった人です。ジュゴンについて良く知っています。
吉田征紀(ゆくのり)  三津シーパラダイス勤務で、ジュゴンの解剖にもかかわった人です。ジュゴンについて良く知っています。
鳥羽水族館の人々  1955年5月に開設。中村幸昭(はるあき)が創設者で、開館いらい今日まで館長をつとめています。中村幸昭個人と、地元120人の株主と、地元銀行の3者という100%地元資本で経営し、大手資本に牛耳られない、学術研究志向の水族館。まず儲け、そして儲けを学術研究に還元するという、商才とロマンティシズムを併せ持つユニークさで、入館者数は日本一。日本で26番目にできた水族館です。
 この水族館のジュゴンの長期飼育は世界的に有名ですが、飼育を始めた当初は、ジュゴン飼育の教科書らしき本は世界中どこにも無く、手探りの状態でした。この23年間の飼育の実績と試行錯誤は、世界の海牛目研究を大きく前進させました。他にも、シンポジウムや保護活動を独自に進めています。
 ちなみに、日本は世界1の水族館大国です。いま日本には、およそ100の水族館があり、特に三重県の鳥羽水族館は、その豪華さでは世界のトップでしょう。アメリカのような大きな国でさえ、60位しかありません。フランスで15位です。魚貝類を食べ飼育する、海岸線が長い国だから、こんなにも多いのでしょう。似たような地理条件で、博物学では日本よりも進んでいるイギリスは、水族館らしきものを持っていない国です。魚貝類を食べないため、飼育するという発想が無いのかもしれません。
 片岡照男は副館長で、ジュゴンの解剖などを経験してきた人。中村元(はじめ)は企画室長で、世界の海牛目の施設を視察してきた人。中村の後輩の浅井四郎、そして若井嘉人(よしひと)、森拓也、石原秀治らは、共に鳥羽水族館の「ジュゴン・チーム」に所属していて、ジュゴンを専門に飼育しています。6人ともジュゴンの知識や研究では有名な人たちです。
粕屋俊雄(かすやとしお)  三重大学・生物資源学部の教授で、沖縄に生存している野生ジュゴンの頭数調査(1998年、1999年実施)の主要メンバーです。最近発見された沖縄本島の野生ジュゴンに詳しい人です。
ジュゴン ネットワーク沖縄  1997年11月に結成された[LOVE ジュゴン ネットワーク」が、1999年6月27日に名称をこのように変えました。
 主要メンバーの細川太郎は、海生ホ乳綱のレプリカを制作する仕事をしていて、1995年頃から個人的に沖縄の野生ジュゴンを探し続けていました。
 この会に関係している人には次の人々がいます。土田武信、謝名元慶福、棚原盛秀、玉城真澄、森洋治、譜久里茂、香村真徳、遠藤庄治、東恩納琢磨、高江洲朝男、比嘉弘、浦島悦子、伊藤徹雄、池原貞雄、宮城康博。
ジュゴン保護基金  東恩納琢磨が中心になって、1999年10月15日に設立されました。活発な活動を展開中です。ジュゴン ネットワーク沖縄とは直接には関係ありません。
WWF(世界自然保護基金)日本委員会  花輪伸一は、名護市・辺野古の野生ジュゴンの保護について、積極的な発言をしています。
松田猛司  関西テレビ製作「ジュゴンの海・幻の人魚を求めて」(1998.9.13放映)に出演していた水中カメラマンで、世界中のジュゴンを追い求め、写真に撮っています。

〜ジュゴンに詳しい人々(海外)〜

G・H・ハイソン博士(G H Heinsohn、男性)
ヘレン・マーシュ博士(Helen Marsh、女性)  ジェームズ・クック(James Cook)大学・理学部・動物学教室のハイソン研究室(オーストラリア・タウンズビル市)が世界のジュゴン研究の拠点です。ハイソン博士と、マーシュ博士は、鳥羽水族館とも人脈をもっています。マーシュ博士は、IUCN(国際自然保護連合)の「海牛類研究専門委員会」の委員長です。
B・ハドソン(B Hudson、女性)  パプア・ニューギニアの野生動物保護局でジュゴンの保護活動を展開しています。1979年12月に東京大学・海洋研究所で開催された、最初のジュゴン国際シンポジウムに出席しました。(上記の野生動物保護局の住所は「P.O.BOX 2585, KONEDOBU, P.N.G.」かもしれません。山口・注)
ロメオ・トロノ   WWF・フィリピン委員の副会長で、ジュゴンに詳しい人です。第5回ジュゴン公開講座のためにも来日し、保護を訴えています。
名前不明  キング・ファハド大学でジュゴンを研究しているアラビア人の学者が、ニュースステーションで紹介されていて、イラク原油流出テロ事件(1991年)の時にコメントをしていました。(たまたまテレビで見ていたのですが、名前など詳しいメモをとる暇がありませんでした。山口・注)

〜マナティーに詳しい人々〜

ダリル・P・ドムニング(Daryl P Domning)博士  ハワード大学・解剖学科(アメリカ・ワシントン市)で教鞭をとっています。専攻は古生物学で、海牛目の研究でも世界的な権威者です。1978年8月上旬に山形県で発掘されたジュゴンの先祖・ヤマガタダイカイギュウの鑑定のため来日したこともありますし、1995年11月15日〜17日に鳥羽水族館で開催された「ジュゴンに関する国際シンポジウム」にも出席しています。
ダニエル・S・ハートマン(Daniel S Hartman)博士  生物学者で、フロリダマナティーの研究者として有名です。コーネル大学自然保護学を担当。クリスタル・リバーでのマナティー保護運動を1970年頃から始めました。これにより、人間の立ち入りを禁止する区域を設けたり、モーターボートの速度制限が実現しました。ボートのスクリューはマナティーの最大の敵です。
ジェシー・R・ホワイト(Jesse R White)博士  もと、マイアミ海洋水族館の獣医。同館では1972年よりマナティー繁殖プログラムが始まりましたが、この当時は飼育方法はまだ手探りの状態でした。ホワイト博士はこのプログラムのメンバーとなり、世界最初の人工繁殖に成功しました(1975年5月3日メス1頭誕生)。
 のち、フロリダ自然資源省の役職に就き、マナティーの研究と保護に当たりましたが、1987年12月9日に交通事故にあい、以後は講演活動でマナティー保護を訴えています。(財)フロリダマナティー研究教育センター(The Florida Manatee  Research and Education Foundation Inc.)を主催。

資料2 ジュゴンを飼育したことのある水族館(日本)

大分マリンパレス(大分県) ジュゴン 1頭(性別?、名前?)1968年12月15日入館、17日後死亡。
国営・沖縄海洋博記念公園水族館(沖縄県・本部町) ジュゴン 1頭(メス、名前?)1975年9月入館、22日後死亡。
     1頭(メス、名前?)1975年9月入館、23日後死亡。
鳥羽水族館(三重県・鳥羽市) ジュゴン 1頭(メス、ジュンコ)1977年5月20日入館、1985年6月17日死亡。
     1頭(オス、ジュン太郎)1977年9月入館、17日後死亡。
     1頭(オス、ジュンイチ)1979年9月11日入館。
     1頭(メス、セレナ)1987年4月入館。
沖縄海中公園水族館(沖縄県・名護市) ジュゴン 1頭(メス、名前?)1979年1月18日入館、33日後死亡。

資料3 マナティーに詳しい水族館・施設(日本)

国営・沖縄海洋博記念公園水族館(沖縄県・本部町) フロリダ・マナティー 1頭(オス、ユカタン)1978年5月1日入館。
           1頭(メス、ユメコ)1978年5月1日入館。
 両者の最初の子(双子、世界初)は1987年4月5日に誕生、2頭とも25日で死亡。
 2度目は出産後8時間で死亡。3度目の子は1990年4月26日に誕生(メス、ユメコ)。
よみうりランド海水水族館(東京都・稲城市 カリビアンマナティー 1頭(オス、タロー)1968年11月18日入館。
           1頭(オス、ジロー)1968年11月18日入館。1978年11月29日死亡。
アマゾンマナティー 1頭(オス、チビ)1969年7月11日入館。
          1頭(メス、マミー)1969年7月11日入館。
フロリダマナティー 1頭(オス、ジンセン)1988年7月12日入館。
鳥羽水族館(三重県・鳥羽市) アフリカマナティー 1頭(メス、ハルカ)1996年6月入館。
          1頭(オス、カナタ)1996年6月入館。
屋島山上水族館(香川県・高松市) アメリカマナティー 1頭(オス、ベルグ)1993年3月入館。
熱川(あたがわ)バナナワニ園(静岡県・東伊豆) アマゾンマナティー 1頭(?、ボク)1969年4月12日入館。

資料4 このパンフレットを作るのに参考にした本や雑誌

(順に、タイトル・著者名・出版会社・出版年を意味します)

  • 「人魚の博物誌」神谷敏郎、思索社、1989年
  • 「ジュゴン・人魚学への招待」片岡照男、研成社、1997年
  • 「マナティ、海に暮らす」ジェシー・ホワイト、講談社、1993年
  • 「珍獣戯話」吉行淳之介、毎日新聞社、1982年
  • 「のんびりマナティー」倉沢栄一、宝島社、1994年
  • 「世界の動物・分類と飼育 4」今泉吉典、(財)東京動物園協会、1984年
  • 「標準原色図鑑全集 19・動物[1]」林寿郎、保育社、1968年
  • 「標準原色図鑑全集 20・動物[2]」林寿郎、保育社、1968年
  • 「地上から消えた動物」ロバート・シルヴァーバーグ、ハヤカワ文庫NF、1983年
  • 「海の科学シリーズ 5・海のけもの」鳥羽山照夫、マリン企画、1979年
  • 「ヤマガタダイカイギュウ」山形県立博物館、左同、1986年
  • 「ギネスワールド・動物」ジェラルド・L・ウッド、講談社、1982年
  • 「ジュゴンの嫁とり物語」中村幸昭、飛鳥新社、1994年
  • 「がんばれ! 赤ちゃんマナティー」田平としお、国土社、1993年
  • 「人魚の微熱」中村元、パロル舎、1998年
  • 「人魚の国」畑正憲、角川文庫、1993年
  • 「鯨研通信 325号・ジュゴンの観察1」神谷敏郎ほか、(財)鯨類研究所、1979年
  • 「鯨研通信 326号・ジュゴンの観察2」神谷敏郎ほか、(財)鯨類研究所、1979年
  • 「鯨研通信 ?号・Organ Weights of Dugong Dugon」神谷敏郎ほか、(財)鯨類研究所、1979年
  • 「鯨研通信 ?号・Recent Survey on the Distribution of the African Manatee」内田詮三ほか、(財)鯨類研究所、1982年
  • 「琉球の自然と風物(特殊動物を探る)」高良鉄夫、琉球文教図書、1969年
  • 「世界動物発見史」ヘルベルト・ヴェント、平凡社、1988年
  • 「マーメイド・ドリーム」中村庸夫,TOTO出版、1993年
  • 「ビジュアル博物館 46・鯨」?、同朋舎、1994年
  • 「動物大百科 2・海生ホ乳類」D・W・マクドナルド、平凡社、1986年
  • 「新どうぶつ記 1」朝日新聞日曜版取材班、朝日新聞社、1988年
  • 「日本の天然記念物」加藤陸奥雄ほか、講談社、1995年
  • 「失われた動物」R・カーリントン、図書出版社、1978年
  • 雑誌「魚(イユ)まち・18号」沖縄地域ネットワーク社、左同、1998年2月
  • 雑誌「魚(イユ)まち・28号」沖縄地域ネットワーク社、左同、1999年11月
  • 雑誌「どうぶつと動物園・海洋博のジュゴン」内田詮三、?、1976年12月
  • 雑誌「どうぶつと動物園・ジュゴン(救いを待つ動物たち43)」内田詮三、?、1979年12月
  • 雑誌「動物園水族館誌・ジュゴンの飼育例」内田詮三ほか、動物園水族館雑誌、1978年
  • 雑誌[NEWSWEEK」TBSブリタニカ、左同、1991年2月7日
  • 新聞「赤旗日曜版」日本共産党中央委員会、左同、1997年12月14日
  • 新聞「沖縄タイムス」沖縄タイムス社、左同、1998年1月1日
  • 機関紙「統一の旗・630号」統一の旗新聞社、左同、2000年3月3日
  • 報告書「国営沖縄記念公園水族館報告2・調査研究報告集1976-1989」(財)海洋博覧会記念公園管理財団、左同、1990年
  • 報告書「沖縄島東海域におけるジュゴン等の生息に関する調査及び海草の基礎調査・並びに環境教育への活用の可能性の調査研究」ジュゴン ネットワーク沖縄、左同、1999年
  • 資料集「第5回ジュゴン公開講座」ジュゴン ネットワーク沖縄、左同、2000年
表紙へ   前ページへ   次ページへ