エンタがビタミン

writer : techinsight

【エンタがビタミン♪】ヒッチハイクで広島目指す。狩野英孝、青春の甘酸っぱい話。

社会人になり仕事に追い立てられ休みもないあの人・この人でも、ふとしたときに思いだす青春の甘酸っぱい思い出…。そんな思い出が心のより所になることも多いはず。今回は狩野英孝が高校時代に経験した甘酸っぱい話を紹介しよう。
10月29日放送の「人志松本の○○な話」に登場した狩野英孝が、高校時代のエピソードについて語った。

当時、「進め!電波少年」をよくみていたという狩野は数々の伝説を残したヒッチハイクの旅に憧れていた。
そこで高校三年生の夏休みを利用してヒッチハイクの旅にでることを決意。行き先はフォークデュオ、19(ジューク)の出身地、広島。好きなアーティストの生まれた地でストリートライブを行う計画をたてた。

だがよく知られているとおり、宮城県の由緒ある神社の神主の息子として生まれた狩野に、かねてから厳しい教育を施していた母親はなかなか首を縦にふってくれず「危ない」「夏休み中に帰ってこられるかわからない」という理由から広島行きを反対していた。

しかし狩野は反対をふりきり、ヒッチハイクの旅を決行した。朝食を食べた後、ギターを抱えて国道に飛びだしていき、これから始まる旅に胸躍らせながら親指を突き立てたのだ。

すると大して待つこともなく長距離トラックがとまってくれた。狩野は運転手に広島に行きたい旨を伝え、どこまででもいいので乗せて行ってほしいと頼んだところ、偶然にもそのトラックは広島行きのトラックであり、たった8時間の移動で目的地に到着してしまった。

しかもこの心優しい運転手は帰りの行程にも乗せてくれたため、狩野はさらに8時間の移動で家に帰ってきてしまった。行き帰り16時間、たった1回のヒッチハイクで旅は終了。狩野は家で夕飯を食べることができた。そのため、いまだに家族は狩野が広島に行って帰ってきたことを信用していない。

16時間で終わってしまったヒッチハイクの旅。人生の肥やしになるかどうかは不明だが、運が強いことだけは確かである。この運の強さで今後の芸能界を生き残っていってほしいものだ。誠に遺憾ながら、これで狩野英孝の青春の話は終わりである。
(TechinsightJapan編集部 KAZUKI)