ノート:高句麗の軍事史

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百済の遼西支配否定説について[編集]

219.111.109.176の加筆で、「『宋書』と『梁書』には出ながら『秦書』にはない」とあります。確認したところ、確かに『宋書』や『梁書』には百済が遼西に拠ったという記述がありましたが、問題は『秦書』なるものが存在しないことです。前秦の史書は少なくとも代までに散逸しています(参考までに)。現存しない史書を指摘とは信憑性に疑いがあります。また、北東アジア歴史財団は信頼性の確立したソースとは言い難く、出典の『聨合ニュース』の2007年11月13日というのも観覧できる状態に無く、情報の確認もできません。なお、百済の記事から移したことを見受けました。高句麗の記事であるため文章を除いて、リンクは残しておきますが、検証可能な出典があればそちらを貼って頂けませんか。--の2の2会話2016年12月1日 (木) 01:15 (UTC)[返信]

元々の百済のオリジナルの記事は私が書いたので、単なる転載ではないのですが[1]、聯合ニュースはこちらで確認してください“<"국사교과서 임나일본부설 근거될 수도">”. 聯合ニュース. (2007年11月16日). オリジナルの2008年3月31日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080331185908/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/11/16/0200000000AKR20071116185000005.HTML 

高句麗と渤海は中国なのか朝鮮なのかというセンシティブな歴史問題があり、そのためしばしば英語版では中国人編集者と韓国人編集者の編集合戦が起きているのですが、なかでも韓国人編集者のなかには自分の国にしようと修辞の限りを尽くして歴史を捏造しているナショナリストがおり、「檀君朝鮮は実在した[2]」と主張するCydevil38、「漢四郡はない[3]」と主張するHistoriographer、「衛氏朝鮮は実在しない[4]」と主張するDbs101dbsら韓国ナショナリスト編集者が高句麗や渤海関連の編集をしているため、高句麗や渤海関連の英語版を翻訳した際には、内容を慎重に精査した方が良いと思う。

それはそうと、の2の2の「出典の『聨合ニュース』の2007年11月13日というのも観覧できる状態に無く、情報の確認もできません。」という主張については、の2の2が翻訳した事項の以下の出典も観覧できる状態に無く、情報の確認もできません。もしよろしければ、外国の文献であるため日本の図書館で閲覧するのことが難しいため、さらに高句麗という中国と韓国が激しく衝突しているセンシティブな歴史問題を扱っている事項であるため、本当にそのようなことが書かれているのか、或いは書かれていないのに出典を捏造した可能性を排除するため該当部分を引用して頂けませんか?

Yi, Hyun-hui; Pak, Song-su; Yun, Nae-hyon (2005). New History of Korea. Seoul: Jimoondang. p. 170. ISBN 8988095855.

Jeon ho-tae, 〈Koguryo, the origin of Korean power & pride〉, Dongbuka History Foundation, 2007. ISBN 8991448836 p.137

Institute of Korean Studies; Seoul National University (2004). “Korean studies”. Seoul Journal of Korean Studies (17): 15–16.

Historical Survey Society (2007). Seoul : a field guide to history (English ed.). Paju: Dolbegae Publishers. p. 16. ISBN 9788971992890.

Korean Historical Research Association. (2005). A history of Korea. London: Saffron Books. p. 43. ISBN 9781872843872.

Bourgoin, Suzanne Michele, ed (1998). “Kwanggaet'o”. Encyclopedia of World Biography: Kilpatrick-Louis. Gale Research. p. 94.

遼西経略を否定する意見は幾多もあるのですが、手元に本がないので現在分かるのは以下です。 水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』小学館、2007年。ISBN 978-4093877039 

  • p65「学界では懐疑的」
  • p66-p67「では、百済が中国大陸に領土を持っていたという主張についてはどうであろうか。ドキュメンタリーでも述べられていたように、中国の史書に『百済が遼西を支配していた』という記述が現れるのは事実である。『宋書』(巻97、列伝57)には『百済は遼西を占めた』『百済が統治していたのは晋平郡の晋平県である』という記述があるし、『梁書』(巻54列伝48諸夷・東夷・百済)には『百済が遼西・晋平の二つの郡を占め、百済郡を設置した』という記述が見られる。ドキュメンタリーでも触れられていたように魏の軍勢が百済と衝突して敗退したという記述は『南斉書』(巻58、列伝39)に見られる。また『資治通鑑』『建康実録』にも魏と百済が衝突したという記事が見られるし、『南斉書』には百済の使臣が中国大陸各地の郡県の『太守』という地位をもっていたことが記されている。このような中国の史書の記録だけを見ていれば百済が中国国内に領土を持っていたのは確実なことのように思われる。ところが事はそう簡単ではないのである。百済が中国大陸の遼西地域に領土を持っていたとされる時期は、中国側史書の記述から推定して3世紀後半から5世紀初めである。しかし、この時期は前燕、前秦、後燕、南燕、北魏などの諸国が遼西地域をめぐって角逐を繰り広げていた時期であり、いくら五胡十六国・南北朝時代の混乱時期であったとしても、百済がこの地に割り込んで領土を拡大する余裕があったとは思われない。さらなる疑問は『百済が中国大陸に領土を持っていた』という記録は南北朝のうち百済と親密な関係にあった南朝(宋・梁など)の史書にのみ現れ、北朝(魏・周など)の史書にはまったく現れないことである。さらに百済の歴史が記されている『三国史記』『三国遺事』はもちろん、実際に遼西地域を支配していた魏の『魏書』のような史書にも百済が遼西地域に進出していたという記述はまったく見られない。百済と魏の軍が衝突したという『南斉書』の記録も、当事者の魏の史書である『魏書』には現れない(ただし、『三国史記』巻26には百済と魏兵の衝突記事が見られる)。百済が中国大陸に領土を持っていたとする記録がなぜ南朝側の史書だけに残されていたのか、なぜ『三国史記』『三国遺事』には同様の記録がないのかをめぐって、現在まで様々な議論が交わされている。百済と親密な関係にあった南朝側の史書が百済の主張どおりに記載してしまったという否定派の主張、北朝側の史料が自国に不利な事項を記載しなかったり、『三国史記』『三国遺事』の編纂過程で記述が漏れてしまったという肯定派の主張などがあるが、ここでは詳しく述べない。しかし、以上のような問題点のために、韓国の学界では百済が中国大陸に植民地を持っていたとする見解には様々な疑問が提起されている。一言つけ加えておくならば『宋書』には、宋の順帝が倭の五王のうち『武』に『使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王』という官爵号を与えたと記されている。しかし、これをもって倭が朝鮮半島を支配していたとか朝鮮半島に植民地を持っていたと主張することはできないだろう。中国の史書に現れた『百済の領土』もこうした可能性を考慮する必要がある。」--219.111.109.176 2016年12月1日 (木) 16:01 (UTC)[返信]
ありがとうございます。了解致しました。誤りがあったため指摘させて頂きましたが、出典があるなら異論はありません。英語版の出典の本は学術的な内容ですので大丈夫ですよ。でもアジアにおいて政治感情から史を過大評価だとする意見があるのも事実ですし、それは尊重するので、今の形で注釈することに賛成です。(それから、誤解を招く表現ですみません、クリエイティブ・コモンズの内容を転載と言うつもりは毛頭ありませんでした。)--の2の2会話2016年12月2日 (金) 00:47 (UTC)[返信]

の2の2が「出典の『聨合ニュース』の2007年11月13日というのも観覧できる状態に無く、情報の確認もできません。」と主張したから、の2の2が翻訳した事項の出典も観覧できる状態に無く、情報の確認もできないから、外国の文献であるため日本の図書館で閲覧するのことが難しいため、さらに高句麗という中国と韓国が激しく衝突しているセンシティブな歴史問題を扱っている事項であるため、本当にそのようなことが書かれているのか、或いは書かれていないのに出典を捏造した可能性を排除するため該当部分を引用をお願いしたのですが、「英語版の出典の本は学術的な内容ですので大丈夫ですよ。」というのは全然回答になっていません。--219.111.109.176 2016年12月7日 (水) 06:16 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。「英語版の出典の本は学術的な内容ですので」はIP様の「高句麗や渤海関連の英語版を翻訳した際には、内容を慎重に精査した方が良いと思う」という文への返事でした。提造を疑っている本について、私も書籍代がないので確認できませんが、それらの本が出典とされてる該当部分はネットで観覧可能な書籍にも書かれている内容にも根拠付けられています。提造の余地はありません。まあでも、どうしてもIP様の感情が収まらないならば消してもよろしいですよ。
それと、中立な観点のテンプレについてですね。これしばらく返事が無かったため異論がないのかなと判断して消しまして…失礼しました。ですが、私が『聨合ニュース』の出典を求めたのは、記述に誤りが含まれていたからです。その後、IP様がソースを出して訂正してくださったので今の形に落ち着きました。ここのどこに「中立な観点」が損なわれるような所がありましたか理解しかねます。私が疑問提起したのは内容の正確性であって観点そのものではありません。韓国のナショナリズム、政治、思想などには一切触れてもいませんし、興味もありません。そこを踏まえて、合議を目指したお返事待っています。--の2の2会話2016年12月8日 (木) 03:24 (UTC)[返信]

要約欄に「百済の影響が九州に及んでいたという記述にも批判が多い( 水野俊平 『韓vs日「偽史ワールド」』 p62-p63)ため中立的な観点を貼らせてください。」と書いたのですが、中立性が問題なら未検証に変えてもいいですよ。--219.111.109.176 2016年12月8日 (木) 19:05 (UTC)[返信]

今は、該当部分は両論併記になっています。中立も検証もしてありますし、問題点はないと思います。IP様はどうですか?--の2の2会話2016年12月10日 (土) 02:09 (UTC)[返信]

現在の「なお、これを否定する説も存在する」から「学界では懐疑的」のようなニュアンスに変更するのはどうですか。wikipediaにおける中立的観点とは、「多数・主流の意見は多数・主流のものとして、奇説・珍説の意見は奇説・珍説の意見として記載しろ」とあります。多数・主流と奇説・珍説を同等に並べるのはPOVに引っかかります。多数説・主流説はあくまでも多数説・主流説として、奇説・珍説はあくまでも奇説・珍説としてNPOVで扱って頂けるなら除去に同意します。--219.111.109.176 2016年12月10日 (土) 17:40 (UTC)[返信]

韓国の名門大学の教授が書いた、学術的な出版物ですよ。珍説ではありません。ですから両論併記にしようと言っています。-の2の2会話2016年12月10日 (土) 22:07 (UTC)[返信]

韓国の名門大学の教授でも「楽浪郡はなかった」とか主張している人物がおり“「韓半島に漢四郡」歪曲された古代史資料を米議会に送る=韓国”. 中央日報. (2015年10月5日). オリジナルの2015年10月6日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20151006234612/http://japanese.joins.com/article/506/206506.html? (仁荷大学は、韓国9位)、韓国の名門大学の本には檀君朝鮮は『中国の堯・舜時代と同じく長い伝統を持っている。(申瀅植『梨花女子大学コリア文化叢書 韓国史入門』p19)』という学術的な出版物もあり、韓国の名門大学の教授が書いた或いは学術的な出版物だからといっても保証にはなりません。珍説というのは少数説という含意です。多数説は多数説として、少数説は少数説としてです。--219.111.109.176 2016年12月11日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

随分おかしなことを言うんですね。そのニュースには東北アジア歴史財団による資料とあり、IP様が百済遼西否定説に挙げられたソースと同じ財団ですよ。懐疑的なソースだとIP様も思いますか。私もそう思います。東北アジア歴史財団は見ての通り政治色の強い研究機関ですし、歴史に関する発表を鵜呑みにしてはいけないでしょうね。もうひとつ挙げられたソースの水野俊平ですが、過激な右翼で有名な著者ですね(参考までに)。
すると、IP様は過激な右翼本の類と、自ら信頼性が無いと認めた東北アジア歴史財団を多数・主流としており、名門大学の教授によって書かれた、政治的な意図のない、そして査読された出版物を少数・珍説と言い張っているわけです(どのような解釈をされたか分かりませんが引用された箇所は「韓国にとっての檀君朝鮮とは中国の堯・舜のように伝統あるもの」くらいの意味でしょう。何の問題もない記述です)。どういうご了見か察しかねます。今の形に落ち着けるか、よく考えて返事をください。--の2の2会話2016年12月11日 (日) 17:25 (UTC)[返信]

東北アジア歴史財団が作成した紀元前108年の漢四郡を朝鮮半島北部に表示した地図を「漢四郡はない」と主張している仁荷大学の教授が批判しているんですよ。つまり、東北アジア歴史財団は漢四郡はあったという立場です。百済遼西経略を批判しているのは、過激な右翼で、過激な右翼本の類を多数・主流にしているとの指摘ですが、「手元に本がないので現在分かるのは以下です」と書いたのですが、百済遼西経略を否定する学界の見解は『日本古代の伝承と東アジア』 佐伯有清先生古稀記念会・井上秀雄『古代朝鮮』・和田博徳『史學』第25巻、三田史學會、1951年・上田正昭『大王の世紀』小学館・坂元義種『古代東アジアの日本と朝鮮』などたくさんありますよ。また、引用した箇所は、「紀元前2333年に檀君朝鮮を建国したことになっており(倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』、扶桑社、2013年、p19)」『中国の堯・舜時代と同じく長い伝統を持っている。(申瀅植『梨花女子大学コリア文化叢書 韓国史入門』p19)』と主張しているんですよ。右翼本の類だから信頼性がないと言えばそれまでですが。また、「随分おかしなことを言うんですね」という発言については個人攻撃をすることは、荒らしとみなされます。(個人攻撃の例:個人の性格や経験を、利用者の独断で決めつけて攻撃する。)--219.111.109.176 2016年12月11日 (日) 19:20 (UTC)[返信]

個人攻撃の意図はありませんでしたが、傷つけてしまったなら申し訳ないです。ニュースは誤読してましたか、すいません。百済遼西経略否定が過激だという発言は取り消します。
ですが、『中国の堯・舜時代と同じく長い伝統を持っている。』は「檀君朝鮮は長い伝統を持っている。中国で言うなら堯・舜時代のような存在だ」という意味で、「中国の堯・舜時代と同じくらい長い年数」という意味ではないですよ。(とゆうか、檀君朝鮮は2333年BCEで堯は2300年BCE周辺ですから仮に後者の意味でも間違ってないですし)…ですから、名門大学の出版物は珍説と切り捨てるべきものではありません。否定説も肯定説もどちらも主流なら、やはり両論併記が一番なのでは?--の2の2会話2016年12月12日 (月) 02:34 (UTC)[返信]

肯定説を主流だと主張するなら「学界では百済が遼西を支配していたことが有力視されている」等々の主流とみなされている出典を提示してください。私は両論併記を否定していません。何故なら、「全ての記事は中立性の方針(NPOV)を満たさなければなりません。記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。」とあり、重要な少数派の観点も記述しなければいけないからです。「百済は強力な海軍を持ち、その影響は当時衰退していた中国の前秦の遼西や山東や、九州にまで及んでいた」という記述を削除しろと主張しましたか。「p65学界では懐疑的」「p66-p67韓国の学界では百済が中国大陸に植民地を持っていたとする見解には様々な疑問が提起されている。」「現在の『なお、これを否定する説も存在する』から『学界では懐疑的』のようなニュアンスに変更するのはどうですか。」と書きました。多数説は多数説として少数説は少数説としてNPOVをお願いしているのです。--219.111.109.176 2016年12月12日 (月) 18:40 (UTC)[返信]

ありがとうございます。両論併記というのは同等の扱いという意味で使っています。名のある大学の出版物という時点で珍説扱いはできないのですが…そろそろ議論を終着させたいところです。私が例の説を支持する信頼ある出典を数点提示すれば、珍説ではなく、同等の扱いをすべきだと納得してくれるでしょうか?--の2の2会話2016年12月12日 (月) 21:54 (UTC)[返信]
現在、IP様の言う学界で論争が起きているのは、両論にそれなりの支持者がいるからです。否定派から見れば肯定派は珍説なのでしょうが、肯定派から見れば否定派もまた珍説です。そこを両方尊重するのが中立性です。そういうわけなので、返事をくだされば出典をもっと出しますので、納得されたら両方を尊重する今の形に合意しましょう。--の2の2会話2016年12月12日 (月) 22:03 (UTC)[返信]

連絡遅くなり申し訳ありません。実は、フレッツ・光プレミアムのサービスが終了したのでネットが出来なかったのです。光プレミアムから光ネクストに変わったのでIPが変わりました。私は、「珍説というのは少数説という含意」「多数説は多数説として少数説は少数説として」「主流とみなされている出典を提示してください」と書きましたよ。誰々が「遼西を支配していた」という主張を羅列して、何故それが主流の見解となるのでしょうか。「聖徳太子はいない」という人物の主張を羅列しても「聖徳太子はいない」という説が主流の見解にはならないでしょう。「漢四郡はない」という人物の主張を羅列しても「漢四郡はない」という説が主流の見解にはならないでしょう。勿論主張している人物が存在する以上、ウィキに書くことができます。聖徳太子や漢四郡では、「聖徳太子はいない」「漢四郡はない」という主張する人物がいる以上、それらの主張は書かれていますが、それらの主張がどう受け止めているかという見解も書かれています。つまり、聖徳太子や漢四郡で「聖徳太子はいない」「漢四郡はない」という主張がどう受け止めているかという見解を記述してNPOVとなります。実は、「学界では誤伝と斥けられている」「史料解釈の誤りによるもので、具体的な地域を明示できない」「学界では批判的」「学界では認められていない」等の出典を見つけることができました。

Wikipedia:中立的な観点/FAQ参照。「われわれに課せられた任務は、その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな「フェア」の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません。むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。」

「名のある大学の出版物という時点で珍説扱いはできない」という個人的見解については、ウィキの方針(Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点など)のどこにそのような記述があるのか記載して下さい。--133.236.12.117 2016年12月28日 (水) 18:53 (UTC)[返信]

了解致しました。私もしばらく時間をおいてから今までの自分の発言を見ると感情的なものも多く、反省しています。盲目になっていたようです。この件について調べてみると、どうも韓国では肯定する説も多い中、日本含め他では認められていないという話なのですね。私が見つけた出典は韓国のものが多かったので納得です。

では、「高句麗の軍事史」内での扱いですが…記事内で百済の遼西経略について触れたのは補足程度だったので、韓国で肯定する意見が多い以上やはり珍説扱いはしたくありませんが、日本で通説ではないとなると書く意味がないような気がします。文脈的には、百済の影響について触れている箇所を削除するのが自然でしょうか。繰り返しますが広く調べずにお時間を取ってしまってごめんなさい。--の2の2会話2016年12月28日 (水) 23:08 (UTC)[返信]

お返事もらえますでしょうか。--の2の2会話2017年1月14日 (土) 03:56 (UTC)[返信]