ノート:国府祭

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記事名について[編集]

相模の国府祭ですね--121.102.113.124 2008年10月29日 (水) 13:36 (UTC)[返信]


2008年11月1日付けで『国府祭』の記事名が『相模国府祭』に改名されていますが、本祭事の記事名は『相模国府祭』が正式名称と言う事で宜しいのでしょうか。 記事中にもあるとおり、本祭事は神奈川県が無形民俗文化財に指定していますが、指定に当たっての名称は『国府祭』です。神奈川県教育委員会のホームページ[[1]]にもありますが、神奈川県庁に改めて確認したところ『国府祭』となっているとの事でした。

また、以下の書籍とホームページでは、本祭事を『国府祭』または『国府祭座問答』として紹介しています。

  • 落合偉洲 加藤健司 茂木 栄 茂木貞純 『全国一宮祭礼記』 ㈱おうふう 2004年12月 では【国府祭】
  • 齋藤盛之 『一宮ノオト』 ㈱思文閣出版 2002年12月 では【国府祭】
  • 國學院大學日本文化研究所編 『神道辞典』(縮刷版) ㈱弘文堂 1999年5月 では【国府祭座問答】
  • 薗田 稔 高橋政宣 編 『神道史大辞典』 吉川弘文館 2004年7月 では【国府祭】
  • 相模国一宮 寒川神社 公式ホームページ[[2]] では【国府祭】
  • 相模国三宮 比々多神社 公式ホームページ[[3]] では【国府祭】

以上のことにも関わらず、本祭事が地元を中心に大多数の方から『相模国府祭』と呼ばれているのであれば、今回の改名も適切と考えますが、そうでなければ神奈川県の無形民俗文化財指定名称から見て、本祭事の正式名称は『国府祭』とするのが適切と考えますが如何でしょうか。

履歴を見ると、今回の改名は2008年10月29日にノートへ121.102.113.124 氏より書き込みがなされた後、2008年11月1日に記事の移動がなされており、その間Wikipedia:ページの改名で推奨している改名テンプレートも出されていないことから、改名に当たっての十分な議論がなされていない様に見受けられます。このページへリンクしている他のページでの記述にも影響しますので、改めて皆様の御意見を頂戴できればと思います。

また現在、『国府祭』の記事名が【曖昧さ回避のためのページ】に使用されておりますが、当該ページもWikipedia:曖昧さ回避のガイドラインから見て必要であったのか疑問に思えます。しかしながら、議論が錯綜する恐れがありますので、まずは祭事の名称の適切性について御意見をお願い申し上げます。--ひら室長 2008年12月14日 (日) 15:22 (UTC)[返信]

色々考えると「国府祭 (神奈川県)」とすべきでしょうね--125.30.18.17 2008年12月28日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

上での議論を受けて、相模国府祭から国府祭への改名提案を行います。記事名に(神奈川県)を入れるかどうかについては、 私は必要ないと思います。競合する記事がありませんし、くらやみ祭りについてはかつての名称ですから冒頭での誘導で対応できると思います。-- 2008年12月28日 (日) 08:08 (UTC)(修正)[返信]

コメント
氏の提案に賛成いたします。私も全く同意見で、「(1)Otherusesを使う方法」または「(2)Otheruseslistを使う方法」により、適切な記事へ誘導可能と考えます。今後、他の市町村で行われる祭事の記事名に「国府祭」を使用する必要が生じた場合には、このノートで改めて議論すれば宜しいのではないでしょうか。--ひら室長 2008年12月28日 (日) 13:56 (UTC)[返信]

相模国五宮について[編集]

国府祭の記事を書くに当たり書籍文献を調べたところ、平塚八幡宮を相模国五宮としているものと、そうでは無いものがありました。記事を書くにあたって参考とした書籍文献を分けると以下のようになります。

平塚八幡宮を相模国五宮としているもの
  • 西角井正慶 編 『年中行事辞典』 ㈱東京堂 1958年5月
  • 薗田稔 高橋政宣 編 『神道史大辞典』 ㈱吉川弘文館 2004年7月
  • 星野紘 芳賀日出男 監修 社団法人全日本郷土芸能協会 編 『日本の祭り文化事典』 東京書籍 2006年7月
  • 加藤友康 高埜利彦 長沢利明 山田邦明 編 『年中行事大辞典』 ㈱吉川弘文館 2009年3月 
平塚八幡宮を相模国五宮としないもの
  • 文化庁 田中英機 監修 『日本の奇祭』 有朋舎 1983年7月 (参加神社は一宮から四宮と八幡神社と記載)
  • 谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』 ㈱白水社 1984年12月 (同上)
  • 中世諸国一宮制研究会編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 ㈲岩田書院 2000年2月 (相模国に五宮以下の神社は無いか不詳としている)

天保12年(1841年)成立の『新編相模国風土記稿 巻之40』、六所明神社の項には「五月五日、国中一ノ宮(高座郡宮山村にあり)、二ノ宮(郡中山西村にあり)、三ノ宮(大住郡三ノ宮村にあり)、四ノ宮(同郡四ノ宮村にあり)、及び平塚新宿に鎮座する、八幡の神輿、神揃山(前村の属)に集り、・・・」と記載されていますが、『新編相模国風土記稿 巻之62』の寒川(左牟加波)神社の項には「例祭五月五日當国諸所に散在せる五社(五社は當社第一にして二の宮は二宮村河匂神社、三の宮は大住郡三宮村冠神社、四の宮は同郡四宮村前鳥神社、五の宮は同郡八幡新宿八幡宮是なり)、の神輿を淘綾郡国府六所宮社地神揃山に集合し神事あり」と記載されており、同じ『新編相模国風土記稿』の記事でも項目により平塚八幡宮への記述が異なっています。

では、当の平塚八幡宮について『新編相模国風土記稿』にはどの様に記述されているかと言うと、『新編相模国風土記稿 巻之48』平塚新宿の八幡社の項には「當社は當国第五の宮(古より八幡宮と称して、五宮の唱はなし、按ずるに、【東鑑】にも四宮の次に八幡宮と載す、又一宮以下祭礼の時、神輿を列する順序も、當社第五にあり、一宮は高座郡宮山村、二宮は淘綾郡山西、三宮は郡中三之宮村、四宮は四宮村にあり)なり、・・・」とあって、相模国第5格の神社と認識されてはいたが、平塚八幡宮では自社を五宮とは呼んでいなかった事が分かります。

相模国#国分寺・一宮など では、「平塚八幡宮を「五宮」と呼ぶことはなく、神社側も五宮とは名乗っていないが、5月5日の国府祭(こうのまち)では、一宮から四宮と平塚八幡宮の五社が神揃山(かみそろいやま)に集まる神事があることから、五宮格と考えられる。」と述べていることから、平塚八幡宮への認識は現状も『新編相模国風土記稿』が成立した頃と変わっていないようです。

以上は独自研究になるので本文には書きませんでした。平塚八幡宮が相模国五宮であるか否かを議論するのは「ノート:相模国」や「ノート:平塚八幡宮」の方が適当と思います。国府祭において平塚八幡宮が五宮の格付けとして扱われているのは事実ですので、現時点では祭事の説明を分かり易くするために平塚八幡宮を五宮として記事を書いています。

なお、あえて述べますが、私としては記事の主旨とは関係の無い議論や編集合戦をするのは本意で無く、できればその様なことを防ぎたいと思ってこの文書を書きましたので、宜しくお願い致します。--ひら室長 2009年12月20日 (日) 14:13 (UTC)[返信]

適性な記事内容は[編集]

日本各地に多数ある国府祭りは「国府祭」であり、別の呼び名があっても、当然それぞれの国府での祭りが「国府祭」です。ですので、相模国の国府祭が国府祭と呼ばれるのも当然でありますが、このような記事の作り方は好ましくないです。この記事のイベントが例え有名だとしても、「国府祭」の記事をある特定の国府の祭り記事にしてしまうのは無理があります。「国府祭」の記事には国府の祭りであり、祭りの詳細を記述し、そこからリンクさせるべきです。--国府祭 2010年1月2日 (土) 08:17 (UTC)[返信]

コメント
はじめまして、ひら室長と申します。さて早速ですが、ご質問の内容を見ますと大きく3つの要素に分けられるかと思います。
  1. 本記事の記事名の適切性について
    本記事で説明されている祭事の名称は「国府祭」で適切か。
  2. 「国府祭」の記事名を複数使用する必要が生じた場合について
    本記事で説明されている祭事の名称が適切な場合に、他の記事で「国府祭」の記事名を使用する必要が生じた際はどうするか。
  3. 国府の祭りとしての「国府祭」について
    日本各地に多数ある国府の祭りとしての「国府祭」の記事はどの様に扱うべきか。
私も国府の祭りとしての「国府祭」の記事を書こうと思ったことがありますので、原則的には国府祭さんのご意見に反対はありませんが、現時点では以下のように考えておりますので、私見を述べさせて頂きます。
  1. 本記事の記事名の適切性について
    「国府祭」で適切と考えています。理由は #記事名について で述べておりますが、特に神奈川県の無形民俗文化財指定名称になっておりますので、Wikipedia:記事名の付け方 から見ても不適切では無いと考えます。
  2. 「国府祭」の記事名を複数使用する必要が生じた場合について
    Wikipedia:ページの改名 の手順を踏んだ上で、国府祭 (大磯町) などへ改名しても良いのではないかと考えます。しかしながら #改名提案 で述べられているように、現時点では不要と考えます。
  3. 国府の祭りとしての「国府祭」について
    これが、今回の議論において最も重要な点ではないかと思います。上記 2. において「現時点では不要」と述べましたが、国府の祭りとしての「国府祭」の記事は、日本各地に多数ある国府の祭りに対し、総括的で記事として独立する必要性が生じる情報量の解説が行われるのでしょうか。私が国府の祭りとしての記事を書こうと思った際には、令制国毎に祭事の独自性が強く、特定の祭事同士を比べると似ている部分が見られる場合もありましたが、全ての祭事での共通点は国府あるいは国司が主催していた事と総社で行われる事くらいでした。しかもそれすら、出典を明示し、ある程度確定的な情報として記載するには不安が残りました。以前に作成された国府の祭りとしての「国府祭」の記事も、わずかな解説に、現在Wikipediaで記事にされている国府の祭りと伝えられる祭事の一覧があるのみでした。その様な内容であれば、国府の記事中に「国府祭」と言うセクションを新設するか、「Category:国府祭」と言うCategoryページを作成し、「(2)Otheruseslistを使う方法」により適切な記事へ誘導する方法でも対応が可能ではないかと考えます。
以上、私の意見をまとめると、国府の祭りとしての「国府祭」が記事として発展するのであれば、本祭事の記事名をいわゆるカッコ付にし、国府の祭りとしての記事を「国府祭」の記事名にしても良いと考えますが、スタブ程度の記事であれば国府にセクションを新設するか、「国府祭」のCategoryページを作成すれば十分ではないかと思います。しかしながら、他の皆様からもご意見を頂戴できればと思いますので、宜しくお願い致します。
乱筆乱文失礼致しました。--ひら室長 2010年1月2日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
少なくとも「国府祭」記事の冒頭定義において、「日本各地に存在した国府における祭りを国府祭と呼ぶ」と言うような定義が最低限必要です。その上で、様々な事を考えるべきだと思いますが。--220.100.118.66 2010年1月3日 (日) 16:34 (UTC)[返信]
異論なき事から、冒頭定義に追記をしました。--220.100.20.7 2010年2月2日 (火) 07:21 (UTC)[返信]
コメント 校正ご苦労様です。しかし文章のつながりが悪い様に思われますので、航空施設隊の記事を参考に、冒頭部を以下のようにしては如何でしょうか。

国府祭

  1. 日本各地に存在した国府における祭りあるいはそれが由来と伝わる祭事。
  2. 神奈川県中郡大磯町で行われる祭事で相模国の国府祭。本項において解説する。

国府祭(「こくふさい」または「こうのまち」)は、神奈川県中郡大磯町国府本郷の神揃山及び「大矢場」(現在の馬場公園)で5月5日に行われる祭礼。平安時代相模国内の主要5神社を国府に近い柳田大明神に併せ祀って総社六所神社とした故事によるとされる。神奈川県指定無形民俗文化財

如何でしょうか、特に問題が無ければ2月11日に上記のように編集したいと思います。ご意見をお願い致します。--ひら室長 2010年2月2日 (火) 23:09 (UTC)[返信]
報告 上記の2010年2月2日に提案した記述とは若干違う形で修正致しましたが如何でしょうか。--ひら室長 2010年2月14日 (日) 09:18 (UTC)[返信]
(コメント)さらに良くなり、正しい記事に向かって改善されたと思います。--220.210.177.212 2010年2月17日 (水) 03:05 (UTC)[返信]

現存する国府祭について[編集]

一千年の祈りを紡ぐ 相模(さがみ)国府(こうの)祭(まち)(ダイドー祭りドットコム)によると、かつては各地で国府祭が行われていたけれど源頼朝国司の制度を廃止したことにより国司の祭り(国府祭)も一緒に廃れてしまったようです。ただ、頼朝は鎌倉から近い相模国(現在の神奈川)、武蔵国(現在の東京)、安房国(現在の千葉)の3カ国のみ、政治の一環で祭りを行うことを認めて、相模の国府祭、大國魂神社(東京都府中市)の「くらやみ祭」、鶴谷八幡宮(千葉県館山市)の「八幡祭(やわたんまち)」の三つの祭りが今に伝わっているそうです。相模国以外の国府祭やこの祭りが廃れた経緯、現在に残っている3つの祭りなど、国府祭の全体の歴史・事柄も本記事か、全体を統括する記事に記述するとより深い記事になると思います。--Thirteen-fri会話2013年5月4日 (土) 17:34 (UTC)[返信]