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世良公則、GUILD9、音屋吉右衛門 すべて集結! ソロ初ソロシングル・ベストと タツノコプロベストソング の2タイトルを同時リリース!
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UNDER COVER
〜世良公則ソロシングルズ〜
UNDER COVER 〜世良公則ソロシングルズ〜

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アルバム
ドリーミュージック
MUCD-1196
発売:2008.12.24
\3,000(税込)
収 録 曲
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01.Darlin'
02.鼓動
03.Rambling Dreamer
04.Your Song
05.Knockin' My Heart
06.Say yeah 〜とんだ時代に生まれちまった〜
07.別れの朝
08.TOKYO指紅
09.HEART IS GOLD
10.導火線
11.Against The Wind
12.Power
13.Tough In The City
14.抱きしめてくれ
 
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音屋吉右衛門(世良公則×野村義男)
UNDER COVER 〜タツノコソングス〜
音屋吉右衛門(世良公則×野村義男) 『UNDER COVER 〜タツノコソングス〜』

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アルバム
ドリーミュージック
MUCD-1197
発売:2008.12.24
¥2,000(税込)
収 録 曲
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01.たたかえ!キャシャーン
02.マッハ Go Go Go
(映画「スピードレーサー」サポートソング)
03.ヤッターマンの歌
(読売テレビ・日本テレビ系「ヤッターマン」オープニング)
04.ガッチャマンの歌
05.蒼い影
(テレビアニメ「キャシャーンSins」挿入歌)
06.たたかえ!キャシャーン(カラオケ)
07.マッハ Go Go Go(カラオケ)
08.ヤッターマンの歌(カラオケ)
09.ガッチャマンの歌(カラオケ)
10.蒼い影(カラオケ)
 
世良公則/UNDER-COVER.TV

特設サイトでアルバム収録曲の試聴ができます。
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──バンド活動を始めたのは?
世良:高校生になってからですね。友達のバンドに誘われたんだけど、空いていたパートがベースしかなかったから、それでベースを始めました。お前、ヴァイオリンやってたんだから、同じ4弦だし弾けるだろ?って(笑)。
とにかく、バンドというものをやってみたかったから、パートは何でも良かったんですよ(笑)。

──ヴォーカルに転向したのは?
世良:高校・大学と、同じバンドでずっとベースを弾いてたんですよ。それで、色々なコンテストに出るようになって。でも、必ず、決勝までは行くんだけど、グランプリは取れない。ライブハウスでも、メイン・アクトにはなれない。
何が足りないんだろうって思っていたら、あるコンテストで審査員の方から「ヴォーカルがよくない」という指摘を受けまして、バンド内で改めてヴォーカルを選び直すことになったんです。そしたら、俺が一番声が出た。じゃあ明日から世良が歌えよって。
自分で歌うようになってからですね、オリジナル曲を書くようになったのは。結局、そのオリジナル曲でポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に出て優勝。それがきっかけでデビューしたんですけど、あの時、ヴォーカルに転向していなかったら、僕は曲を作ることもなかっただろうし、ベース・プレイヤーとしてプロを目指していたんだろうと思います。

──2000年からはアコギ1本の“O-Kilaku LIVE”を続けられていますが、エレキからアコギへというのは何かキッカケが?
世良:ずっとエレキでロックをやってきたんだけど、30代後半になった頃に「世良のライヴはパワーはあるけど感動がない」と指摘されまして。自分なりに色々考えて、ライヴへの臨み方を変えていったんです。それがキッカケですね。
考えてみたら、中学生の頃に、空耳アワーのカタカナ英語ロックを始めた時も、俺はギター1本で一人で歌ってたじゃないかって。それで、アコースティックギター1本の“O-Kilaku LIVE”というのを始めたんです。
ギター1本で歌うというのは、作曲をしている時の空気に似てるんですね。それで、曲作りの原点とか歌うことの原点にも戻れた気がします。

──アコギ・ユニット“音屋吉右衛門”も、そうした流れですか?
あれはね、同じアコギですけど、“アコギでロックをやろう”がテーマ。T・レックスをアコギ2本だけでやる。しかも野村義男は、エレキよりも早くアコギを弾く(笑)。そういうミスマッチなことをライヴで面白おかしくやろう、と。「ヤッターマン」の主題歌をキッカケにメジャー・デビューしましたけど、元々は、ライヴしかやらないユニットだったんですよ。
ドラムもベースもいなんだけど、ものすごくパンキッシュでグルーヴしてる。どうやったらアコギ2本でそんな音出せるの?とよく聞かれるんだけど、それは音屋吉右衛門が“アコギでロック”というテーマで、3年間無茶をやってきた成果なんですよ。
今回の『UNDERCOVER〜タツノコソングス』は、タツノコプロ初のオフィシャルカヴァーアルバムで、こちらも、それこそ秘密裏に進めてきたプロジェクト(笑)。このジャケットもスゴイでしょ?タツノコプロのヒーロー4人がね、顔を揃えてるんですよ、この小さい四角の枠の中に。

──世良さんは、楽曲作りもアコースティック・ギターで?
世良:アコギでも作りますし、エレキギターでも作りますよ。
──メロディと同時に詞も出てくる?
世良:詞も同時のことが多いですね。最初に、歌い出しかサビのフレーズが出てきます。それを温めて1曲にしていく。5分で完成しちゃうこともあれば、何ヶ月も頭の中で直し続けてる場合もあります。

──歌詞を、作詞家の方に依頼する場合は?
世良:完成した曲を渡して歌詞を書いていただきます。サビのフレーズができている場合は、「このフレーズを核にして、どんなストーリーができるか考えてくれない?」と依頼したり、歌い出しのフレーズだけを渡して「この出だしで、どんなストーリーになる?」とお願いする場合もあります。そういう時は、元々の僕のイメージからかけ離れた所に着地してほしいんですよね。要するに自分の中にないボキャブラリーで攻めてほしいんです。作詞でもセッションしている、そんな感じですね。

──世良さんがお若い時に書かれていた詞は“オンナ”を描いたものが多かったですよね。
世良:「あんたのバラード」とか?あれを書いたのは19歳の頃ですよ。19のガキの戯言ですよね。妄想と言うか(笑)。
ああいう言葉遣いは、大阪という土地柄もあったと思うし、あとはブルースの影響が大きかったんでしょうね。ブルースの日本語訳って、あんな感じが多かったからね。
今だったら、19のガキがどれだけ“酔いどれ”を知ってるんだ、お前って突っ込みたくなるけどね(笑)。
──確かに、19歳の男の子の歌ではないですよね(笑)。
デビューしたのは21歳のときですけど、テレビでもラジオでも、最初は必ず「ほんとに君が世良君?」とよく聞かれましたよ。
あの歌から想像するイメージって、髭面で大柄で、それこそ一升瓶抱えて飲んでるような男だったんでしょうね。なのに、ジーンズにTシャツの華奢な男の子がやってきたって。
でも、19歳の俺には俺なりに、何かそこに表現したい思いがあったんですよね。こんな強い思いがあるんだよって。音楽に対する思いとか、人に対する想いとか。19歳だろうが、50代だろうが、100歳になろうが、誰かを好きだとか、誰かに好かれたいとか、そういう想いというものは変わらないですよね。

──これからはどんな歌を?
2008年はオリンピックもありましたけど、一流のアスリートを見ていると、下手な音楽論を論じているより勉強になるなと思ったんですよ。スポーツは明らかな結果が出るでしょう。どれだけ素晴らしい理念があっても、隣で走ってる奴よりも0.01秒遅かったら終わり。その0.01秒を縮めるために、ものすごい鍛錬をしている。じゃあ、僕にとっての0.01秒って何だろう?と思ったんですよね。それは「感性を研ぎ澄ますこと」なんですよね。風が吹いた、雨が降った、今日は暑い、寒いっていうことを、受け止める力。
だから、どういう音楽を目指すということよりも、感性を研ぎ澄まして、受け止める力を強くしていくことだと思うんです。そのためには、常に自分が、精神的にも肉体的にも健康でフラットな状態でいること。それがいちばん大事だと思っています。

 
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December 25, 2008
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