ポップカルチャーの通信社を目指す
ナターシャ 大山卓也社長(前編)


ナタリーを運営する株式会社ナターシャ社長の大山卓也氏

 “ゆるふわ愛され音楽ニュースサイト”――ユニークなキャッチコピーを持つ音楽ニュースサイト「ナタリー」は、2007年2月に開始し、今や月間700万PVものアクセスを集める。2008年12月には、漫画ニュースサイト「コミックナタリー」、8月にはお笑いニュースサイト「お笑いナタリー」がスタートしている。

 運営する株式会社ナターシャの代表取締役を務める大山卓也氏はサービス精神あふれる話しぶりで、笑いいっぱいのインタビューとなった。大山氏に、ナタリーの生まれた経緯、サービスが目指すものを聞いた。

アニメオタクだった子供時代

 北海道は札幌出身です。実家は塗装業を営んでおり、物置にシンナーが一斗缶で山と積んであったので、シンナーの臭いが子どもの頃の記憶です。それで脳のどこかが溶けたのかも(笑)。

 「コロコロコミック」が好きでガンプラが好き。元気に外で遊ぶ、普通の子でした。年の離れた兄と姉がおり、小学生の頃から姉の影響でサザンオールスターズや佐野元春などを聞いていました。

 中学は、ごく普通の公立の学校に通いました。勉強はそこそこできたのですが、ぱっとしませんでしたね。学校帰りにヤンキーの友達の家にたまってだらだらしているような生活でした。当時のことは、脳が溶けてしまったせいかあまり覚えていないんですよね(笑)。

 その頃と言えば、ヤンキー文化を謳歌している一方で、家に帰ればもう完全なオタク。漫画やアニメばかり見て、「月刊ファンロード」「月刊アニメージュ」などのアニメ雑誌を読んでは投稿していました。市内の大学生のオタクサークルに出入りして情報交換をするようになって、大学生から「若いのにわかってるね」とか言われて(笑)。

 自分でも同人誌を作ったりもしてました。もともと凝り性なんですよね。ガンプラ作りにハマっていた小学生の頃も、ジオラマでコンクールに入賞したりしていましたし。

パンクロック~ゲームに目覚めた高校・大学時代

シャイなんだけれどもサービス精神旺盛という、相反する要素をあわせ持つ大山氏

 高校は、公立の進学校に行きました。その頃パンクに目覚めて、アニオタな自分が面倒くさくなったんですよ。海外や日本のパンクロックを聞いて、「これは面白い、うじうじしなくて楽しい」と感じたんですよね。

 すぐに自分でもバンドがやりたくなって、軽音楽部に入った後は、ギターとボーカルをやっていました。勉強はしなくなってしまって、高校からは赤点、追試の連続でしたけど。

 その後、なんとか受験勉強はがんばって北海道大学に進みました。友達もいたし家から近いので北大で、数学ができないので文学部です。大学ではサークルにも入らず、毎晩飲んでは麻雀ばかりしていました。音楽はずっと聴き続けていたんですが、バンドはもういいかなと。凝り性なのですが、執着はあまりなくて飽きっぽいんですよ。こういうところが"札幌人気質"なのかもしれないですね。

 その頃、この世代としては遅いんですが、なぜか突然ゲームに目覚めました。ゲーム機本体も持っていなかったので、ファミコンごとドラクエ3を友達に貸りたのが最初です。ただ、取扱説明書がないし、ドラクエ自体がはじめてなので、魔法も使ってみないと効果がわからない。「イオ=雷の魔法」とか、いちいちノートに書きとめながら進めました。最後まで「トラマナ」の効果はわかりませんでしたけど(笑)。

 結局、ドラクエ3をプレイしているうちにすっかりゲームにはまってしまいました。その後は当時売っていたゲーム機をほとんど揃えて、毎日深夜までゲームをやり続ける日々です。モニターの向こうに新しい遊び場が広がっているということに当時の自分はいたく感動して、わくわくしながらコントローラを握っていましたね。

日本マクドナルド就職

 大学生活でも就活の時期になって、東京に行こうと考えたんです。札幌は好きですが、寒いのが嫌だったので暖かいところがよかったんですよ。したいことがなくて、仕事は何でもよかった。

 特に目標もなく片っ端からいろいろな会社を何社か受けて、マクドナルドなら何をやるかわかりやすいし面白いかなと思って入社を決めました。ただ、親は不満だったみたいで、「大学出てパン屋か! 紙の帽子かぶって『いらっしゃいませ』か!」と怒鳴られましたけどね(笑)。

 マクドナルドは新入社員は全員、最初は店舗勤務なんです。アルバイトと一緒にハンバーガーを作り、店を切り盛りしたり、バイトの面接をしたりしていました。

 楽しかったですが、体育会系のノリだったのがつらかったですね。朝は4時半起きで夜は明け方までというシフト勤務で、体力的にもきつかった。

 ある時、当時の店長が送ってくれるというので車に乗ったところ、カーステレオで浜田省吾の「MONEY」を大音量で流していたんですよ。「なあ大山君……俺はハマショー聞くと気持ちが奮い立たせられるんだ。大山君も頑張ろうという気持ちになるよな?」と言われて、「あー、これは限界だな」と思って退職を決めました。いや、ハマショーが嫌いなわけじゃないんですが(笑)。

 マクドナルドにはちょうど丸2年いたことになります。その後1年間近くは無職でした。多少は貯金があったし、3カ月間だけですが失業保険がもらえたのでそれでなんとか暮らしていました。ハローワークに行って受給し、その足で漫画喫茶に行くのが唯一の贅沢で(笑)。あとは朝から晩まで読書とゲーム漬けの日々でした。

ゲーム雑誌の編集者へ

 やがてお金がなくなったので、また就活を始めました。でも、景気は良くないし、やりたいこともありません。そんな時、新聞の求人広告で「未経験者可、編集者募集」というものを見つけました。

 今のアスキー・メディアワークスに採用され、ゲーム雑誌「電撃PlayStation」編集部に配属になったのです。そこで編集のイロハを教えてもらいました。まったくの未経験者を拾ってくれた当時の会社には感謝しています。1996年のことです。

 それから3年間くらいは、会社に寝泊まりしながらゲーム雑誌の記事を作っていました。編集者を使ったテレビCMに出たこともありますし、当時電撃Playstationは深夜枠のテレビ番組を持っていたので、番組に出演したりもしていました。忙しかったけど同僚や先輩にも恵まれて楽しかったですね。

ネットを実感した“オンラインメディア”

「電撃オンライン」を担当するようになり、「紙媒体には紙媒体の良いところがあるが、Webのほうが自分には合っていると感じた」という。その後、個人でも音楽情報サイト「ミュージックマシーン」を立ち上げる

 別のゲーム雑誌「電撃王」異動後、2000年からオンラインメディア「電撃オンライン」に移りました。ここで初めて、仕事としてWebに触れたことになります。

 それまでも、打ち込みで音楽を作るために購入したMacintoshを使って、28.8kbpsのモデムでネットにつないでいました。でもまだダイヤルアップ接続の時代ですし、使っていたプロバイダーが「フランキーオンライン」(編集注:ハイパーメディアクリエイター高城剛氏率いるフューチャー・パイレーツ株式会社=当時=が1995年に提供開始した3D仮想都市をコンセプトにしたパソコン通信サービス)だったので、ネットの可能性はわかっていませんでしたね。

 その後、仕事でWebを本格的に使うようになり、素直にすごいと感じました。雑誌は、企画を出してから店頭に並ぶまで時間がかかります。その点、Webはスピード感が違います。読者からのレスポンスも即座に来ますし、新鮮でしたね。もちろん紙媒体には紙媒体の良いところもありますが、Webのほうが自分には合っていると感じました。

 ゲームキューブやXboxの発売日の朝に、行列の取材をしてその場で記事をあげたり、東京ゲームショウなどのイベントレポート記事をアップしたりしていました。今ナタリーでやっていることと作業的にはあまり変わらないんですよね。やがて、会社でも家でも日常的にネットを利用するようになっていました。

「ミュージックマシーン」立ち上げ

 音楽はずっと聴き続けていたので、Webを使うようになってからは、音楽ジャンルのニュースサイトをいつも巡回していました。ある時、「そこを見るだけで音楽のことが全部わかるニュースサイト」があればいいなと思って探したのですが、なかったんですよね。

 そこで、ないなら自分でやろうと立ち上げたのが、音楽ニュースサイト「ミュージックマシーン」です。2001年10月のことです。仕事をしながら、趣味で始めました。寝ないで更新するうち、見てくれる人も増えて楽しくなってきました。

 「ミュージックマシーン」サイトの構造はこれ以上ないほどシンプルで、ページはトップページのみでしたが、1ページだけで、当時で月50万PVくらいはありました。人気が出るにつれてのめりこんでいき、サイト管理人同士のつながりもできてきました。ナターシャの現取締役のメンバーとも、この時期に出会っています。自分だけのメディアを持つ経験は楽しかったですね。

 ミュージックマシーンは企業サイトのニュースにコメントをつけて紹介していくスタイルの個人サイトでしたが、後期は独自にミュージシャンのインタビューをして記事を載せたりと、オリジナルの記事も掲載するようになっていきました。

 やがて「ライターとして何か書いてみないか」という誘いが入ってくるようになり、ぼちぼちいろいろな媒体のお手伝いを始めるようになりました。そのうちに音楽関係の仕事が面白くなってきて、会社は辞めてしまいました。2004年末のことです。

(明日の後編につづく)


関連情報

2009/9/28 11:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。