陶磁器の技術移転と国際政治

          

〜東洋から西洋へ、そして芸術から産業へ〜

                                  

発表日 1997年4月1日 メタ班 横道 千枝


  

1) 問題意識


夏発表で紅茶を追いかけていた時から、国際間の技術移転、技術とライフスイルとの関係について興味を深めてきた。そして今回、茶貿易船のバランサーとして同じく東洋から西洋へと運ばれてきた陶磁器に注目した。現在我々が何気なく使っているティーカップは、東洋と西洋の技術の融合によって生まれたものであり、その技術移転過程には国家の産業政策やまた経済的・社会的変化が大きく絡んでいると考えた。社会・文化・芸術をも反映する陶磁器から近代世界を見直すことで、「近代」とはどういう時代であったのかを再考できれば本望である。

2) 分析枠組み


*薬師寺泰蔵
・ ステージ・モデル→技術移転をいくつかのステージに分け、技術の獲得によってどのようにその国家が優 勢に立つようになるのか、国家の技術ヘゲモニーの変遷に焦点を当てたモデル。移転段階には2つの山が 存在する。
      ・ エミュレーション(競争的模倣)→ 技術移転を単なる模倣とは見ずに「模倣(コピー)+ α」と定義 し、技術移転には競争状態と外部性が必要であるとする。

 

3) 仮説


 「陶磁器の技術移転はトランス・ナショナルな技術者(ヒト)の移動により始まり、そのテクノスタイル は政治・社会・文化によって規定される。」

4) 検証(リサーチ)


(1)磁器技術とは
・ 窯(高温焼成技術)→約1,300〜1,400度
・ 素地の配合(カオリンの発見)
・ 釉薬→色彩
・ 筆描き、転写技術
・ 文様、デザイン
(2)磁器技術発展段階
磁器(白磁の完成)→染付け(透明釉薬・下絵顔料)→色絵(上絵付け)
(3)中国陶磁技術の発展
土器(約11,000年前)→陶器(約2,000年前?)→磁器(8世紀)
宋代(10世紀〜)には磁器完成(官窯の存在)
明代初期:「青花」 (釉下彩・染付け) 景徳鎮に官窯「御器廠」
明代後期:「赤絵」 (五彩・上絵付け)→民窯を搾取
清代: 「琺瑯」「粉彩」→磁器生産技術極限の発展段階
(4) 陶磁器貿易(東洋から西洋へ)
8、9世紀:南海ルート(セラミック・ロード)をイスラム商人が船で交易
1295年:マルコ・ポーロが持ち帰る(工程をも見聞)
16世紀〜:ヨーロッパとの直接交易始まる−染付け中心
ポルトガル→オランダ(オランダ東インド会社)
1650〜:中国磁器の代替品として日本の伊万里がオランダ経由で欧ヘ
(理由)明から清への体制交代に伴う政治的混乱から海禁令発せられる
(5)西洋内陶磁器技術移転
<定義> 東洋磁器の模倣=彩色された文様で飾られた硬質磁器
→参考資料の【表3】4Stage−modelを参照

5) 結論


第1に、東洋から西洋への磁器技術移転についてはヒトの移動が確認できず、あくまで西洋独自の努力に よって硬質磁器の開発に成功したため、東洋から西洋への技術移転には約200年かかった一方、西洋内にお いては奥義取得者の移動によってマイセンの奥義が約50年で各地に移転している。第2に、ステージモデル はうまく当てはまった。が、国際政治への影響力がどの程度あったのかは明らかにできなかった。しかし、 ヨーロッパは絶対王政の時代は各王室同志が親戚関係にあり、国境を越えたネットワークが存在していたの でスムーズに技術移転したのではないか。最後に、陶磁器は芸術の新たなメディアとして芸術的役割を担 い、それを君主の権力誇示の道具とされたそのもう一方で、ウェッジウッドにより世界的商品としてビジ ネスに発展した。これは市民階級が興り、新たな需要が出来上がったという社会的要請にかなったもので あったと言えよう。

6) 今後の課題


「近代」の意味をもっと積極的に考えていくために、今後は逆に先進国からアジアへの技術移転について リサーチし、比較してみたいと考えている。