たった1つのアプリに世界中が狂喜乱舞している。スマートフォン(スマホ)向けゲームアプリの「ポケモンGO」だ。これを「たかがゲーム」と侮ってはいけない。かつて、これほどまでに短期間、かつ広範囲に普及したサービスはない。そして、これほど「人を移動させた」サービスも。ポケモンGOが生んだ新たなうねりは今後、多くの企業や組織のマーケティングのあり方を変えるだろう。

 日経ビジネス8月22日号特集「世界を変えるポケモンGO これから起こる革新の本質」では、人々を一気に外へと連れ出した威力に着目し、ビジネスや地方創生に生かそうとする動きを中心に追った。特集連動のウェブ連載初回は、前代未聞の爆発力を生んだ日米協業の知られざる舞台裏に迫る。

 ポケモンGOを開発・配信するのは、米グーグルから昨年10月に独立したベンチャーのナイアンティック。位置情報を活用したスマホ向けゲームアプリ「Ingress(イングレス)」を手がけ、世界200カ国以上で累計1400万以上のダウンロード数がある。

 ポケモンGOは、このイングレスをベースに開発された。任天堂が議決権の32%を出資するポケモン(東京都港区)が、ナイアンティックに対しライセンス供与や開発支援をすることで実現。ナイアンティックの技術力やアイデアに、任天堂とポケモンが20年かけて育んできたノウハウと知的財産の価値が掛け合わさり、爆発力を生んだ。

 この日米協業の要となったのが、ポケモンの宇都宮崇人専務執行役員。ゲームソフト「ポケットモンスター(ポケモン)」シリーズの開発を統括するポケモン開発本部長で、ポケモンGOの開発も当初から日本側の窓口として活躍したキーパーソンの1人でもある。

 宇都宮専務はリリース直前、「自信がなくて、へこんでいた」という意外なエピソードから披瀝してくれた。

(聞き手は井上 理)

ポケモンの宇都宮崇人専務執行役員。ゲームソフト「ポケットモンスター(ポケモン)」シリーズの開発を統括する開発本部長を兼ね、ポケモンGOでも最初から日本側の窓口として活躍した(撮影:陶山勉、以下同)
ポケモンの宇都宮崇人専務執行役員。ゲームソフト「ポケットモンスター(ポケモン)」シリーズの開発を統括する開発本部長を兼ね、ポケモンGOでも最初から日本側の窓口として活躍した(撮影:陶山勉、以下同)

「僕は暗闇の中にいる」

世界中でポケモンGO旋風が吹き荒れています。まずは、率直な感想を聞かせてください。

宇都宮専務:正直、びっくりしています。課金収益はあまり目標にしていませんでしたが、ダウンロード数は高い数字を目指したいと思っていました。けれども、ここまでのスピードで、ここまで広がるというのは、もうまったくの想定外です。

 正直に言うと、自分たちが出そうとしているものが本当に支持されるのかどうか、米国で配信が始まる前日まで不安でいっぱいでした。「僕は暗闇の中にいる」と周囲に言っていたくらいです(笑)。

宇都宮専務:最終的に、「僕たちとしてはこういうのを作りたいよね」と言ってきた通りになったのですが、事前に少数のユーザーさんでテストをした時に、結構、辛辣なご意見をいただくことが多かったんですね。「ゲームになってないんじゃないの」とか、「この完成度でどうなの」とか。

 テスターさんには「Ingress(イングレス)」のユーザーも多かった。僕らとしては「(ゲームへの)敷居を下げて間口を広げたい」という思いでやっていたので、イングレスのユーザーさんが「面白みに欠ける」と感じるのは想定していました。イングレスの方が、遥かに深みのあるゲームですから。

 ただ、実際にいろいろ言われると、やっぱりすごくへこみます。ほかのゲーム業界の関係者の方々からも批判的なお言葉をいただくことがあって、そのたびに落ち込んで帰るという(笑)。

 ポケモン社内のチームメンバーも、どんどんと暗い感じになっていって、みんなで「うちの子供は(テスト版でも)すごい喜んでいる」とか、「うちの嫁が初めてゲームで褒めた」とか言い合うことで、自らを鼓舞していました。

コンセプトを示した「ポケモンチャレンジ」

それが、とんでもないことになりました。米国では配信直後から、あまりの熱狂ぶりに警察が注意喚起をするなどして、日本でも大きく報じられました。

宇都宮専務:最初は報道があっても、「なにこれ、本当なの?」と、なかなか現実として捉えることができなくて。ただ、「サーバーが大変です」みたいな報告は、どんどん上がってくるんですよ。

 あと、公園に人が行くようにと考えて開発していたのですが、皆さんが、ちゃんとそういうふうに遊んでくださっているというのが一つひとつ伝わってくるにつれ、「嬉しいね。けれども、とんでもないことになったね」という話をしていたのを記憶しています。

8月上旬の週末、東京・代々木公園にはポケモンGOを楽しむ“トレーナー”の姿がそこかしこにあった
8月上旬の週末、東京・代々木公園にはポケモンGOを楽しむ“トレーナー”の姿がそこかしこにあった

そもそも、ナイアンティックとの協業がなぜ始まったのか。ポケモンGOが生まれた経緯を教えていただけますか。

宇都宮専務:もともとポケモンGOのプロジェクトは、米国のグーグルさんと契約交渉するところから始まっています。それって、エイプリルフールの企画から始まっているんですね。

 2014年4月1日、グーグルは動画サイト「ユーチューブ」にウソのような、しかし今となれば本気に思える動画を投稿した。

 「Google Maps: Pokemon Challenge(グーグルマップス:ポケモンチャレンジ)」と題されたその動画は、冒険家がスマホ片手に世界中のあらゆる場所でポケモンを捕まえるというもの。グーグルマップを頼りにポケモンの生息地へと近づき、スマホのカメラをかざすと、そこに潜むポケモンが画面に現れる。「モンスターボール」を投げて命中すると見事、ポケモンをゲット。ポケモンGOのコンセプト、そのものを映像化したようなものと言える。

 グーグルマップのチームは、動画だけではなく、実際に遊べる簡単なゲームも用意した。モバイル版のグーグルマップで「ゲームをはじめる」を選択して、マップ上のどこかに潜む151種類のポケモンを探すというもの。グーグルがポケモン側に持ちかけたところ、「公式」のお墨付きを得て実現。ゲームは2日間の期間限定だったが、これを機に両社は急速に近づくことになった。

2014年4月1日に米グーグルが投稿した動画には、ポケモンGOのコンセプトが示されていた(ユーチューブより)
2014年4月1日に米グーグルが投稿した動画には、ポケモンGOのコンセプトが示されていた(ユーチューブより)

「ポケモンチャレンジ」は期間限定のエイプリルフール企画でしたが、ここからどう進んでいったのでしょうか。

宇都宮専務:ポケモンチャレンジを見た石原(恒和・ポケモン社長)が、「これはすごく面白い」と。映像からプロダクト、企画をまとめあげた力まで、これはすごいと言い出しまして。そんな折に先方が来日されて、いろいろと話をさせていただきました。

 その時に、ジョン・ハンケ(現ナイアンティックCEO、当時は米グーグル副社長)さんもいらして、実は「ナイアンティック・ラボ」という組織でイングレスというのをやっていると。位置情報を利用して何か面白いことができたらいいよね、と話が進んでいき、クリスマス前の2014年12月に本格的な開発に向けて契約書にサインをしたのを覚えています。

「岩田さんじゃなかったら、こうはなっていない」

ハンケCEOは、当時、任天堂の社長だった岩田聡さんとも会っていますよね。

宇都宮専務:まず、米国へ行って、ハンケさんの話をいろいろと聞いているうちに、この人の言っていることは岩田さんや石原の言っていることに近いぞ、と思っていたんです。

 1つは、課金をヘルシー(健康的)な水準にとどめたい、と岩田さんは言っていたんですけれど、ハンケさんも最初からそう言っているんですね。特定のユーザーがどんどんお金を払ってしまいたくなるのをどう食い止めるか、みたいな話を毎回するんです。

宇都宮専務:あと、ハンケさんは、「ゲームを家の外に持ち出して、健康的に遊べるようなものにしたい」「ゲームをしている子供を親が見た時に、こういうふうに遊んでくれるなら、うれしいと思えるような方向にしていきたい」、とも仰っていて。これも、岩田さんや石原がずっと言っていたことなんですね。

 なので、ハンケさんが「岩田さんに会いたい」と言った時、「(岩田さんとハンケさんの2人は)絶対に合うと思いますよ」という話を石原として、それでハンケさんに岩田さんをご紹介しました。そこでは、波長が「ばしっ」と合っていましたね。

その後、岩田さんや石原さんは、どうプロジェクトにかかわっていったのでしょうか。

宇都宮専務:岩田さんはこのプロジェクトをずっと陰ながらサポートしてくれていたというか、個人的には(任天堂の社長が)岩田さんじゃなかったら、たぶんこうはなっていないと思います。

 石原と岩田さんの間では、かなりのやりとりをしていたとも聞いています。ですが、岩田さんから具体的にどうこうという指示はなかった。むしろ、ないことがすごいことだな、と思いました。

「とんでもないことになったぞ」

ポケモンの石原恒和社長は昨年9月、ポケモンGOの発表会で「岩田さんは誰よりもこのプロジェクトを実現したいという思いが強く、一番の推進役だった」と語っていた
ポケモンの石原恒和社長は昨年9月、ポケモンGOの発表会で「岩田さんは誰よりもこのプロジェクトを実現したいという思いが強く、一番の推進役だった」と語っていた

宇都宮専務:石原は、「敷居を下げて間口を広くする」「ポケモンを捕まえるだけでいい」と最初からずっと言い続けていました。石原から見ると、ポケモンGOは「ポケモンチャレンジ」の延長線上であり、ポケモンを現実世界で捕まえるということ自体が面白い、それで十分なんだ、というところから始まっている。

 もちろん細部を見れば、ナイアンティック側がすごく考えてくれて、いろいろなアイデアが加わっていきました。けれども、「敷居を下げて間口を広くして、捕まえる遊びを中心に構成する」という全体の方向性は、最初から最後まで貫くことができたと思います。

 かくしてグーグルと始まった協業は、2014年末の契約から数カ月後に大きな転機を迎える。ナイアンティックの独立だ。

 グーグル社内で「ナイアンティック・ラボ」を率い、イングレスを展開していたハンケCEOは2015年8月、「ナイアンティック」としてグーグルから独立すると発表。同年10月には、グーグル、任天堂、ポケモンの3社から最大3000万ドル(当時のレートで約36億円)の出資を受け入れると発表した。

 「ナイアンティックは、設立当初からグーグル社内でも自立した組織。いつでもスピンアウトできる仕組みの中で、運用されていた。一緒に製品を作り、この先の成功を共有するパートナーの皆さんに出資してもらえれば、パートナーシップをいっそう固めることができると思った」。ハンケCEOは独立と増資の意図をそう語る。

 だが、この独立計画に面食らったのが、ポケモン側。水面下では曲折があったと宇都宮専務は明かす。

グーグルからナイアンティックが独立した際は、どんな影響がありましたか?

宇都宮専務:技術的なことも含めて、いろいろな影響がありました。僕が(独立を内々に)知ったのは、協業が始まってすぐの4月とか、5月とか、そのくらいなんですけれど、社内で「とんでもないことになったぞ」と言ったのを覚えています。

 ある時、何かおかしいぞと思ったんです。メールのやりとりを通じて、いろいろとおかしな話が担当者から来たぞと。でも実はその時、向こうの担当者も独立のことは知らなかったんですね。

 で、ハンケさんに「気になっていることがあるから時間をください」と言って、米国へすぐに行きました。そうしたら、「まだ誰も知らないけれども、実は独立を考えている」と打ち明けられて、「えー!」と。

 ここからは、向こうも相当、大変だったと思います。「僕はグーグルに残るよ」という人もいっぱいいるので、独立したら人がいきなりいなくなるわけです。もう平常時ではないわけです。

 こちらとしても、もともと“大グーグル”と一緒に共同事業をやると言っていたものが、ベンチャーとやることになるわけで、前提が変わるじゃないですか。ああだこうだ、わあわあとやりながら、(出資も含めた)急展開があったというわけです。

「プロデュース会社」としてサポート

ポケモン側としてはどう捉えていたのでしょうか。

宇都宮専務:ハンケさんとしては、これからどうなるか正直、自分たちも分からないけれど、ただ、前向きに捉えていると。僕らとしても、独立したとしてもポケモンGOはやりたいと思っていたので、じゃあ、そこはうちが引き受けますとか、いろんな面でサポートをしていこうと。

 もともと、うちは「プロデュース会社」の側面もあって、パートナーが困っていることを補足したり、支援したりすることについては、結構、慣れているんですね。

 それに、社内の「ポケモンGO推進室」の室長は、(ポケモンシリーズの開発を担当する)ゲームフリークさんを相手にずっとそういうことをやってきた江上周作という人間。彼がひたすら献身的にサポートに回り、ナイアンティックにも「アメージングサポート」と言ってもらえたので、そこは彼がいて本当によかったなと思っています。(続く)

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