海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

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2010.01.08 2010:01:08:19:37:27

法医主導の「死後画像」には「診断」がない

 巷で大きく取り上げられている「連続不審死疑惑」は「死因不明社会」の現れです。こうした中、新しい死因究明制度の核とも言えるAiセンターに期待が集まっています。同時にそれは、旧抵抗勢力である解剖関連学会、つまり法医学会や病理学会上層部の陰に陽に反対が強まるということでもあります。(この『上層部』というところが肝要で、法医学会でも病理学会でも、上層部以外の「現場医師」は、私の意見に賛同して下さる方ばかりなのです)

 そんな中、法医主導でAiセンターやAi 導入が行われる場合に問題が生じる、という具体的な話が次々に上がってきました。致命的な問題点は「法医学教室で行われるAiには診断システムが確立されていない」点です。彼らはAiを矮小化した「死後CT」という用語を好み、「Ai」という用語を排除しようとします。端的に言えば「法医学主導のAiは診断するつもりがない」のです。彼らはAiという単語を極度に嫌い、「死後画像」や「死後CT」という単語を使いますが、そこに彼らの意識が現れています。

 Aiの邦訳は、色々変遷しましたが、最終的には「死後画像診断」となります。法医学者が好んで使うのは「死後画像」。ふたつの言葉を並べると、違いがわかります。法医学者が主張する【死後画像】という単語からは、【診断】という言葉がすっぽり抜け落ちている。彼らがAiという単語を嫌うのは、自分たちは画像診断ができない、ということを自覚しているからでしょう。

 先般、ベクトルコア社から『Aiガイドライン』という書籍が出版されました。その中に実際にAiを行なっている施設の現状が掲載されています。法医関係の施設として二カ所、近畿大法医学教室と群馬大Aiセンターが掲載されています。Aiガイドラインに掲載されている法医学教室主導のAi システムはどちらにも、読影システムの記載がありません。つまり法医主導でAiセンター設立、あるいはAi 導入が行われると、一番肝要な読影という診断部分が抜け落ちてしまうのです。その姿勢が如実に現れている近畿大学医学部法医学教室の記載部分を抜粋します。(同書66頁)

『CT使用の理念:なお当教室でのCT利用の理念は現在のところ他施設のAiによる診断という着眼ではなく、すでに公判出廷で致命傷のメカニズムなどにつき、アニメーションを使用して好評を博しており、次段階としてアニメーション+Ai画像の添付があり、裁判官(員)にわかりやすい証言を提供することにある』

 Aiに対し「アニメーション」扱いでは法医学主導のAiは「診断は不要」と考えていて、画像診断という学問領域に対するリスペクトが欠けていると言わざるを得ません。

 これだけではありません。メディアでよく取り上げられる千葉大法医学教室では、大学の基礎講座に設置された共同使用のCT機で昨年四月から遺体の撮像が行われていますが、読影協力を申し出ている千葉大Ai センターの放射線専門医、山本先生には一年近く経った今も、今年はまだ一例も読影コンサルトされていません。つまり千葉大法医学教室で発生しているAi画像は、専門家の読影を行われないままで終わっているわけです。そこで読影ミスや見落としがあったら、誰がどう責任を取るのでしょうか。他人事ながら心配になってしまいます。Ai画像は、画像診断の専門家でさえ読影が難しく、知見を重ねなければならないと考えられる新領域です。(解剖が専門だから)画像診断の素養がほとんどない法医学の先生がどうして充分なAi診断を行えるのか、謎です。そういえば、その教室に属していた方はかつて「CTでは出血はわからない」とメディアに広言していたことを思いだします。

 ですが、なあに心配ご無用。千葉大法医学教室で発生したAiに診断ミスはあり得ない。なぜなら誰も外部チェックできないから。そう、法医鑑定は第三者の監査を受けないのです。わお、法医学者は究極かつ最強の診断医ですね(笑)。怖いですね、閉鎖系の世界。市民のみなさん、ご用心を。

 それにしてもすぐ近くで積極的診断協力を申し出ている、日本におけるAi 読影の第一人者である専門家に診断を依頼しない理由が、私にはまったく分からない。ひょっとして専門家が読影したら、司法解剖の結果でとんでもない見落としを発見されてしまうのが......、いや、そんなことはないと信じましょう。ただし、今後、法医学教室で発生した画像に関しては、医療分野で再読影し、医学的にきちんとした専門家の検証を経なければ、法医学教室で発生した画像が社会的に信頼に足るものとはなりえないでしょう。

 まあ、しかし慌てなくても、こうした画像が存在する限り、いずれは第三者による診断の正当性の検証が行われることでしょう。なぜなら、画像診断とは、そのように中立的第三者がきちんと監査できるような、医学領域の診断だからです。そしてこれはおそらく、法医学者にとっては初めて体験する新しい世界です。監査されることがない司法解剖は一度こっきりの主観的世界で完結しますが、画像診断はそうではないのです。そしてそれが医学というものなのですから。

 

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